2021年06月01日

6月の言葉!「身延山久遠寺」

身延山久遠寺

 私が税理士事務所を独立開業したのは昭和60年(1985年)、32歳の時でした。それから36年が経ち37年目に入りました。「思えば遠くへ来たもんだ」という歌詞がありますが、誠にその通りでこれもひとえにお客様、お取引先様、社員の皆様のおかげさまと厚く御礼申し上げます。
もちろん開業当初は前原幸夫税理士事務所という個人事業でした。その後冨山税理士、砂田税理士とともに税理士法人を設立「税理士法人前原冨山パートナーズ」として平成15年12月に新たなスタートを切りました。
その後里庄の藤原会計と合併することとなり、平成21年11月、法人名を『久遠』と改めました。今まで社名が長かったので、短い方がいいということで、「愛」とか「ありがとう」が候補に挙がりましたが、言葉の響きや意味するところから『久遠』という社名に決めました。お客様やご縁のある方々と未来永劫お付き合いさせていただく事務所でありたい。
未来永劫、成長・発展・進化してゆく事務所でありたい等の願いを込めてのものでした。
『久遠』という社名にしてから、私の中では是非行ってみたい場所ができました。それは日蓮宗の総本山である『身延山久遠寺』です。山梨県にあるこの寺にはなかなか伺うチャンスもなく10年が過ぎてしまいました。私は真言宗なので宗派としては関係ありませんが、それでも『久遠』という名前をお借りしているというような思いもあり、チャンスがあればと思っていました。それが今回叶いました。思い通りにはならないが思った通りになるといわれますが、今回いろいろなご縁がありお参りさせていただくことが出来ました。
私は30年ほど倫理法人会という会に入会しており、今はその母体である一般社団法人倫理研究所の監事というお役をいただいています。監事の役目は会計や業務の監査が主ですが、月に2〜3回各地の倫理法人会を訪れます。一泊二日で、前の日夜6〜7時から役員さん向けに研修を行い、翌日朝6時からはモーニングセミナーでお話をさせていただきます。
倫理法人会は、北は北海道から南は石垣島まで約700か所ありますので、どこが割り当てられるか分かりません。それがなんと4月23日甲府市南倫理法人会へ出張することになりました。身延山までJR身延線で甲府から特急で1時間。そこからバスでという道のり。結構遠く、また特急の本数も少なく大変だとは思いましたが長年の夢であり今回を逃したらいつになるか、そうそう行けるところではないのでぜひともと計画を立てました。
24日のモーニングセミナーを終え、甲府駅のコインロッカーに荷物を預け、身延駅まで特急で行きそこからはバスかタクシーに。その日は岡山に帰れそうにないので石和温泉に一泊と綿密な計画を立てました。
そして4月24日、甲府市南倫理法人会のモーニングセミナーが開かれる会場に行ってみると、なんと身延町からお二人の会員さんが参加されており、私が身延山へ行きたいと知って案内をしてくれるということになりました。
しかもその内一人の方は久遠寺が経営する身延山高校の元校長先生、山内先生した。車でも1時間以上かかる会場にたまたま身延の倫理法人会の催し物の案内で来られていたのです。特急電車とバスを乗り継いで行くところを車で送っていただき、しかも行って分かったことですが、久遠寺に勤めているお坊さんはほとんど山内先生の教え子で、法務部長というお偉い役職の青山さんという方を電話で呼び出し、お寺を案内させてくださいました。普段一般の方は入れない部屋や場所にも連れて行って下さり、本当に恐縮の限りです。加山又造画伯が書かれた襖絵のある部屋は、歴代法主が住まいされているという日蓮上人の自画像がかかっている部屋。加山又造画伯の墨龍が天井に描かれている部屋などお寺の隅々まで案内していただきました。本当に感謝!感激!感動!の嵐でした  
これからも『久遠』という社名に恥じないよう努力精進することを誓い下山いたしました。


代表社員 前原 幸夫
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2021年05月01日

5月の言葉!「どうなる?贈与税」

「どうなる?贈与税」


 さまざまな相続税の節税対策が税務当局から網をかけられている今日、一番手軽で効果的な方法が生前贈与であり、しかも毎年連続して贈与を繰り返す手法です。
 年110万円までの贈与額に対して贈与税はかかりませんし、複数の子や孫に贈与することによりその効果は増してゆきます。
 子や孫に毎年110万円ずつ現金を贈与します。子どもが2人、孫が3人いるとしたら、1年間に110万円×5人=550万円無税で贈与できます。
 これを10年続ければ、550万円×10年=5,500万円となります。こんなものでは物足りないと言われる方には贈与税を支払っての贈与ということになります。
 110万円の基礎控除を差し引いた金額が200万円までは税率が10%です。
 仮に年310万円の現金を贈与したとしたら、
 310万円−110万円=200万円 200万円×10%=20万円 となり20万円の贈与税が課せられます。20万円÷310万円=約6.45%の税率です。
 これを子や孫5人とすれば年間に310万円×5人=1,550万円(贈与税額20万円×5人=100万円)となり、10年間続けるとしたら1,550万円×10年=1億5千500万円贈与できます。(相続財産が減少します)
 これに対する贈与税は100万円×10年=1,000万円となり、1億5千500万円の財産を1,000万円の贈与税で移転することができます。子や孫、時にはひ孫がいて年数を長くすれば効果は一層上がります。
 しかしこの贈与税少し雲行きが怪しくなっています。
今年度の自民党・公明党の与党税制調査会の令和3年税制改正大網の、「令和3年度税制改正の基本的考え方」にこんな記述があるからです。

(3)相続税・贈与税のあり方
 @教育資金、結婚・子育て資金の一括贈与に関わる贈与税の非課税措置の見直し(本文省略)
 A資産移転の時期の選択に中立的な相続税・贈与税に向けた検討
 「高齢化等に伴い、高齢世代に資産が偏在するとともに、相続による資産の世代間移転の時期がより高齢期にシフトしており、結果とし 
  て若年世代への資産移転が進みにくい状況にある。高齢世代が保有する資産がより早いタイミングで若年世代に移転することになれば、  
  その有効活用を通じた、経済の活性化が期待される。
  このため、資産の再分配機能の確保に留意しつつ、資産の早期の世代間移転を促進するための税制を構築することが重要な課題となって  
  いる。
  わが国の贈与税は、相続税の累進回避を防止する観点から、高い税率が設定されており、生前贈与に対し抑制的に働いている面がある。一 
  方で、現在の税率構造では、富裕層による財産の分割贈与を通じた負担回避を防止するには限界がある。
  諸外国では、一定期間の贈与や相続を累積して課税すること等により、資産の移転のタイミング等にかかわらず、税負担が一定となり、同
  時に意図的な税負担の回避も防止されるような工夫が講じられている。
  今後、こうした諸外国の制度を参考にしつつ、相続税と贈与税をより一体的に捉えて課税する観点から、現行の相続時精算課税制度と暦年 
  課税制度のあり方を見直すなど、格差の固定化の防止等に留意しつつ、資産移転の時期の選択に中立的な税制の構築に向けて、本格的な検 
  討を進める」(『令和3年度税制改正大綱』より一部抜粋)
                       

ここにいう「本格的な検討を進める」という文言が税制調査会の意氣込みであり、あまり遠くない時期に改正が行われるのではという見方です。
上記Aの文章の概要は財産をいっぱい持っているのはお年寄りなのに、長生きするのでその資金財産が若い世代に廻らない。若い世代にもっと早く多くの財産が移転すれば経済活性化に寄与するので、早期の世代間移転を促進するための税制の構築が大切であると言いながら、そう言っても今の生前贈与はお金持ちが毎年分割して贈与を繰返すと相続税の負担回避を招いている。これに対して一年毎に(暦年で)贈与税を課税してゆく今の仕組みを見直し、一定期間5年以内とか10年以内とかに贈与したものは相続税に加算して課税するとか(今でも相続開始前3年以内に相続人に贈与した財産は相続財産に加算される)
 暦年課税の税率を全て、例えば55%の最高税率にし、届出があれば納税猶予的に無税にし、その無税となった贈与財産額を相続財産に加算してゆく制度とかいろいろ考えられます。
要は世代間移転を早く多額にし、かつ相続税と贈与税を一体的に課税し、財産の移転時期により課税の不公平が生じない制度となれば後者が有力と思われます。

すなわち贈与の届出さえすれば、毎年は無税で子や孫に贈与することができるようにして、いつでも誰にでも無税で財産移転を行えるようにし、その代わりその移転(贈与)された財産は後で相続税に加算して相続税を課税するという制度なら上記2つのニーズを同時に満たすことになります。
(もちろん届出をせず財産を移転する場合は高い贈与税を支払ってもらうという補充も必要となりますが)
いずれにせよこれからの改正、目が離せません。

                                          代表社員 前原 幸夫
 
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2021年04月06日

4月の言葉!「かあさんの歌」

かあさんの歌
詩・曲 窪田 聡

かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした

かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

かあさんのあかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃもうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
懐かしさがしみとおる


 皆様は、「かあさんの歌」をよくご存じだと思います。いつ聴いても心に響き、少し胸が熱くなってくるのは私だけでしょうか。

 私はこの歌に鮮烈な思い出が2つあります。
 1つは中学1年生の時、秋の日帰り遠足だったように記憶していますが、あいにくの大雨で・・・目的地についても止むことはなく
 バスから一歩も出られず、皆がかくし芸的な事をして時間を潰しました。
 ハーモニカを2個持参してそれを同時に吹くやつがいたり、歌を歌ったり。
 その中に一人、私が好意を寄せていた(片想いの)女の子が歌ったのが、この「かあさんの歌」でした。私は初めて聴いた歌ですが、
非常に心に残り、それから幾度となく口ずさんでいました。
 もう1つは大学1年生の時です。東京に初めて独り住まいするようになって慣れない生活で故郷の岡山が恋しくなっていた頃、
 母からお菓子とか着る物などが送られてきました。
 その中に励ましの手紙が添えられてあり、思わず涙したことがあります。
 そんな思い出と歌詞が何とも言えずマッチしていて、良い曲だとずっと思っていました。
 なんとこの曲の作詞作曲者の窪田聡氏が、私の属している岡山県倫理法人会のモーニングセミナーに来られ、この歌を歌ってください
ました。

 窪田氏はご健在で、岡山の牛窓町に住んでいらっしゃるということで、これまた大感激でした。

 窪田氏は、1935年(昭和10年)東京都向島のお生まれ、御年86歳。東京都生まれなのに、雪国の歌詞ですが、窪田氏は小学生の頃、太平洋戦争の戦禍を逃れるため、1年間長野県へ疎開されたそうで、その時見聞きしたものがベースになっているということです。

 「かあさんの歌」は1956年(昭和31年)の作といいますから、なんと21才の時の作品です。1988年“相棒”の篠田澄江さんと岡山県牛窓に移住してこられ、今もここで「鈍工房」という音楽の企画出版の工房を運営されています。
 モーニングセミナーにも“相棒”の篠田さんも来られ、窪田氏のアコーディオンの伴奏でお二人仲睦まじく、「かあさんの歌」と「あたりまえの地球」と2曲歌っていただきました。
 1988年からですから、もう30年以上岡山にお住みなのですが、
 私は全く存じ上げず、感動的な対面をさせていただきました。

 歌詞もいいですよね!
 1番の「ふるさとの便りは届く いろりの匂いがした」というくだりは、私も母から小包みをもらって開けた時、焼麩のにおいがしたことを覚えています。(私の実家は焼麩を製造しています)
 また、2番の「せめてラジオ聞かせたい」この頃、窪田さんが一番欲しかったのがラジオだったと言います。
 初任給でラジオを買った思い出があるそうです。私も初任給でラジカセ付のステレオを買いまいした。3番は、「あかぎれ痛い 生味噌をすりこむ」とあります。なにか味噌を塗ると痛いように思いますが、生味噌はまだ塩や添加物を入れず加熱もしていない味噌だそうです。
 長野県に疎開の時の食べ物だったようです。(今では高級食材ですが)
 事実、あかぎれには生味噌が良く効くそうです。(切り傷やしもやけにも)

 厳しい冬、かあさんは一日麻糸つむぎ、父さんは土間で藁打ちをする、外の寒さに比べ、家庭のなんと暖かなことか。
 あかぎれの手は痛いけれど、かあさんは生味噌を塗って水仕事に精を出す。まだ春は遠いけれど、根雪が溶け春は必ずやってくる。
 人生厳しいけれど、苦しいけれど、辛いけれど、かあさんの便りやプレゼントは全ての人に必要な時、必要な量だけ届けられる。
 それを信じて生きてゆこうという応援歌にも聞こえます。コロナ禍で耐えしのぶ今、真に厳冬かもしれませんが、春はそこまで来ています。   
 小川のせせらぎを心に聞きながら乗り越えてゆきましょう。かあさんからの便りを楽しみに。



                                                  代表社員 前原 幸夫






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2021年03月02日

3月の言葉!「春よ来い」

日本人はまじめで勤勉だというイメージが世界には定着しているといいます。外国でも長時間休みなく働くという点では、勤勉ともいえるでしょうが、日本人は質が違うと思います。日本人は一所懸命働くことが単なる金儲けのためだけではなく「仕事が自己実現の場」として捉え、職場が自分を磨く場、自己成長する場、そして自ら作り出す製品に心を込めお客様(それを使う人)に喜んでもらいたい、喜んでもらうことにより、作り甲斐を感じてゆける真に「匠の精神」がそこにあり、一種の信仰、祈りに近いものがあると思います。
その精神性は、古来縄文時代から弥生時代の米作りを経て、脈々と日本人の心の底に流れているものです。米作りは弥生時代からですが、それ以前も栗や果樹など自家栽培は行っており、定住生活(ムラの形成)を縄文時代もしてきました。
農耕という意味では日本人は何万年も農耕の民であり、自然と共に生きてきた民族です。自然と共に生きる上で大切なことは自然に学び、自然を生かす、自然を自らの生活に取り入れること、いや自らの生活を自然のあるままに、なすがままに受け入れてゆくものです。欧米のように1週間単位で日時を図り、人為的に休日を決め働きと休み(遊び)を分離して捉えるという習慣はありません。月の満ち欠けで日時を図り、月の満ち欠けによりやるべき作業を決め、雨が降れば家の中、雨が上がれば屋外で曜日など関係なく働き詰めでした。働くということと休む(遊ぶ)ということが一体統合された生活、遊動一致の生活がそこにあります。

明治5年(1872年)太陽暦が、明治9年(1876年)から七曜日が取り入れられ、土曜日は半休、日曜日は全体という制度が作られました。
1週間が7日というリズムは宇宙、自然のリズムではありません。
1週間が7日というリズムが良いなら、1ヶ月も30日とか31日ではなく、28日とか35日とかにしなければリズムは合いません。日本人のリズムは、自然のリズムは月の満ち欠けです。
新月から望月まで、そして次の新月まで約29.5日、月の満ち欠けのリズムで日本人は何万年も過ごしてきました。月の満ち欠けによってもたらされる潮の満ち引き、これによって漁業は生計を立ててきました。また満月という現象は、太陽と地球と月が一直線に並ぶことで、太陽や月の影を最も地球が受ける日でもあり、水分60%で出来ている人間の身体も、地球と同じように太陽や月(自然)の影響を受けやすいのです。事実、満月の夜は産婦人科の病院は緊張すると聞いたことがあります。



仕事をこなす上では月の満ち欠けは大切ですが、1ヶ月29.5日ですから、年によっては13ヶ月になる年もあり、大陰暦では季節の変化を捉えることはできません。これは太陽に求めるしかありません。地球は365日かけて太陽の周りを一周します。この一周を区切って季節を感じ、季節の変化を生活に生かしてきました。日本本来の暦は太陽暦でも大陰暦でもなく、その合わせもった大陰太陽暦です。
まず1年で一周する太陽を夏至と冬至の2至で2等分します。さらに、春分と秋分と「二分」し、4分割された中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて八節に、一節は45日、これを15日ずつに3等分し「二十四節氣」とし、更にこれを5日ずつに3等分して、時候を表わすもの「七十二候」としました。

二十四節氣や七十二候は、毎年同じ時期に同じ節目が来るので、生活や作業の上で非常に便利なものであり、今も重宝されています。
しかも、そのネーミングが素晴らしいことに、感心させられます。我々の先祖がいかに自然を畏敬親愛していたかをうかがわせます。
農耕や漁業という仕事に心を込めるという日本人の勤勉さが、時の流れという自然の営みに対しても、心を注いでいたことを大切にしてゆこうと思います。以下、二十四節氣と七十二候をご紹介します。

◆◇◆七十二候◆◇◆

二十四節氣『立春(りっしゅん)』2月4日頃
 ・春風解凍(はるかぜこおりをとく)2月4日頃
 ・黄鶯晛院(うぐいすなく)2月9日頃
 ・魚上氷(うおこおりをいずる)2月14日頃
 二十四節氣『雨水(うすい)』2月19日頃
 ・土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)2月18日頃
 ・霞始靆(かすみはじめてたなびく)2月23日頃
 ・草木萌動(そうもくめばえいずる)2月28日頃
 二十四節氣『啓蟄(けいちつ)」3月6日頃
 ・蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)3月5日頃
 ・桃始笑(ももはじめてさく)3月10日頃
 ・菜虫化蝶(なむしちょうとなる)3月15日頃
 二十四節氣『春分(しゅんぶん)』3月21日頃
 ・雀始巣(すずめはじめてすくう)3月20日頃
 ・桜始開(さくらはじめてひらく)3月25日頃
 ・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)3月30日頃
 二十四節氣『清明(せいめい)』4月15日頃
 ・玄鳥至(つばめきたる)4月5日頃
 ・鴻鴈北(こうがんかえる)4月10日頃
 ・虹始見(にじはじめてあらわる)4月15日頃
二十四節氣『穀雨(こくう)』4月20日頃
・葭始生(あしはじめてしょうず)4月20日頃
・霜止出苗(しもやみてなえいずる)4月25日頃
・牡丹華(ぼたんはなさく)4月30日頃

二十四節氣『立夏(りっか)』5月6日頃
・蛙始鳴(かわずはじめてなく)5月5日頃
・蚯蚓出(みみずいずる)5月10日頃
・竹笋生(たけのこしょうず)5月15日頃
二十四節氣『小満(しょうまん)』5月21日頃
・蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)5月21日頃
・紅花栄(べにばなさかう)5月26日頃
・麦秋至(むぎのときいたる)5月31日頃
二十四節氣『芒種(ぼうしゅ)』6月5日頃
・蟷螂生(かまきりしょうず)6月5日頃
・腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)6月10日頃
・梅子黄(うめのみきばむ)6月15日頃
二十四節氣『夏至(げし)』6月21日頃
・乃東枯(なつかれくさかるる)6月21日頃
・菖蒲華(あやめはなさく)6月26日頃
・半夏生(はんげしょうず)7月1日頃
二十四節氣『小暑(しょうしょ)』7月7日頃
・温風至(あつかぜいたる)7月7日頃
・蓮始開(はすはじめてひらく)7月12日頃
・鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)7月17日頃
二十四節氣『大暑(たいしょ)』7月23日頃
・桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)7月23日頃
・土潤溽暑(つちうるおうてあつし)7月28日頃
・大雨時行(たいうときどきふる)8月2日頃

二十四節氣『立秋(りっしゅう)』8月7日頃
・涼風至(すずかぜいたる)8月7日頃
・寒蝉鳴(ひぐらしなく)8月12日頃
・蒙霧升降(ふかききりまとう)8月17日頃
二十四節氣『処暑(しょしょ)』8月23日頃
・綿柎開(わたのはなしべひらく)8月23日頃
・天地始粛(てんちはじめてさむし)8月28日頃
・禾乃登(こくものすなわちみのる)9月2日頃
二十四節氣『白露(はくろ)』9月8日頃
・草露白(くさのつゆしろし)9月7日頃
・鶺鴒鳴(せきれいなく)9月12日頃
・玄鳥去(つばめさる)9月17日頃
二十四節氣『秋分(しゅうぶん)』9月23日頃
・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)9月23日頃
・蟄虫杯戸(むしかくれてとをふさぐ)9月28日頃
・水始涸(みずはじめてかるる)10月3日頃
二十四節氣『寒露(かんろ)』10月8日頃
・鴻鴈来(こうがんきたる)10月8日頃
・菊花開(きくのはなひらく)10月13日頃
・蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)10月18日頃
二十四節氣『霜降(そうこう)』10月23日頃
・霜始降(しもはじめてふる)10月23日頃
・霎時施(こさめときどきふる)10月28日頃
・楓蔦黄(もみじつたきばむ)11月25日頃

二十四節氣『立冬(りっとう)』11月7日頃
・山茶始開(つばきはじめてひらく)11月7日頃
・地始凍(ちはじめてこおる)11月11日頃
・金盞香(きんせんかさく)11月17日頃
二十四節氣『小雪(しょうせつ)』11月22日頃
・虹蔵不見(にじかくれてみえず)11月22日頃
・朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)11月27日頃
・橘始黄(たちばなはじめてきばむ)12月2日頃
二十四節氣『大雪(たいせつ)』12月7日頃
・閉寒成冬(そらさむくふゆとなる)12月7日頃
・熊蟄穴(くまあなにこもる)12月12日頃
・鱖魚群(さけのうおむらがる)12月17日頃
二十四節氣『冬至(とうじ)』12月22日頃
・乃東生(なつかれくさしょうず)12月22日頃
・糜角解(さわしかのつのおつる)12月27日頃
・雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)1月1日頃
二十四節氣『小寒(しょうかん)』1月5日頃
・芹乃栄(せりすなわちさかう)1月5日頃
・水泉動(しみずあたたかをふくむ)1月10日頃
・雉始雊(きじはじめてなく)1月15日頃
二十四節氣『大寒(たいかん)』1月20日頃
・款冬華(ふきのはなさく)1月20日頃
・水沢腹堅(さわみずこおりつめる)1月25日頃
・鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)1月30日頃


代表社員 前原 幸夫
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2021年02月04日

2月の言葉!「紀元節」

日本で新型コロナウイルスの感染が初めて確認されたのは昨年2020年1月15日でした。
1月6日に中国の武漢から帰国した神奈川県の30代の男性でした。その時の厚生労働省の国民へのメッセージは、「現時点では(中略)持続的なヒトからヒトへの感染は明らかな証拠はありません。風邪やインフルエンザが多い時期でもあることを踏まえて咳エチケットや手洗い等通常の感染対策を行うことが重要です。」と、いたってのんびり構えていました。まさかこのような拡がりになるとは予想だにしなかったことでしょう。クライシスマネジメントとは 最悪の事態を想定して行わなければならないということを痛感させられる事案です。

先日わが社も確定申告期のコロナ対策を発表しました。1年で一番の繁盛期。感染者を出さないことも大切ですが、濃厚接触者を出さないことのほうがもっと大切です。感染者が1人であればその社員だけが休めばいいのですが、その社員の濃厚接触者が5人10人いたらその社員も2週間自宅待機となります。そのようなことになると確定申告はお手上げです。

濃厚接触者を出さないことに万全の対策をとることが確認されました。
濃厚接触者とは、感染した人と症状が出る2日前から隔離される日までに
1. 同居あるいは長時間の接触(会合、社内、航空機など)があった人
2. 1m 以内の距離で必要な感染予防(マスク等)なしで15分以上接触のあった人 

というのが保健所の要件です。

そのため業務中においては、自分も他の社員も無症状の感染者であるという前提で行動してゆくことを基本方針としました。

そのうえで
1. マスクなしの会話は厳禁
2. 昼食等の会食時は会話禁止、一緒に食事行く場合も食事中は会話禁止
3. 同じ車での移動禁止
4. お客様へのお茶出しの停止
5. 朝礼での大声での発声中止
6. 全員での会議研修は中止、15人以下30分以内とする
等、3月15日までの緊急措置が取られています。感染者を出さないことは不可能かもしれませんが、濃厚接触者を出さないことは可能です。
 


一方、諸外国に比べ日本のコロナ感染者、特に死亡者数は極めて低い状況にあります。もちろん日本の医療水準の高さもありますが。

京大の山中教授などは、ファクターXなるものが日本人にはあるのではと研究しているようですが、やはり日本人の特殊性も影響していると思います。

華道茶道に表れている美しさへのこだわり、清潔を旨とする生活習慣、玄関で靴を脱ぎ、キスやハグの代わりにお辞儀をし、フォークナイフではなく箸を使い、発酵食品をよく食べ、BCGワクチンを接種し、肉より魚の中心の食生活をとるなど様々な要因があるような氣がします。

私はそんな要因に加え今一つ日本の歴史にもあるのではないかと思います。日本の歴史は疫病との闘いの歴史です。
日本は古来より疫病に苦しめられた歴史を持ちます。
日本書紀にも実質的な大和朝廷の初代天皇といわれる第10代崇神天皇の御世に国民の半分が死ぬという疫病が流行り、これが伊勢神宮などの起源になったといわれているほどです。
その後聖武天皇の時代には天然痘が、そしてこれを契機に全国に国分寺、国分尼寺が建立されました。その後も赤痢、インフルエンザ、はしか 風疹、コレラ、腸チフス等々まさに疫病の歴史です。
そして、多発するこれら疫病に耐えて耐えて生き抜いて、生き残ってきた先祖からの命で今の私たちはいます。幾多の疫病に打ち勝った私たちの祖先は喘ぎ苦しみながら命のバトンを私たちにつないでくれました。

私たち日本人がコロナに負けるはずがあろうはずがありません。今年皇紀2681年、この年月は疫病と戦い勝ち進んできた歴史ですし、その証しが私たちです。私たちには疫病を克服してきた日本人の血が流れています。2月11日、紀元節です。
もう一度祖先に感謝し、日本国民であることに誇りを感じ、日本国の弥栄を祈り、コロナに打ち勝つ決意を固めましょう。

素晴らしい血を次の時代につなげていけるように。



代表社員 前原 幸夫
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2021年01月01日

1月の言葉!「新年のご挨拶」

新年あけましておめでとうございます

年末の寒波が、昨年一年間の状況を象徴しているような年の締めくくりでしたが、皆様、ご健勝に新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

コロナで明け、コロナで暮れた一年でしたが、その中でもアメリカは大統領が変わり、日本も総理大臣が変わり、時の流れは確かなものがありました。オリンピックが延期され、今年に持ち越されました。一大イベントだけにこの開催、中止は今年の経済を占う中でも大きなインパクトのあるものになります。
コロナは第三波の真只中ですが、ワクチンが承認され接種が行われているようです。これが今年日本人にも接種され、コロナの感染が収まるのを祈るだけです。

しかし、状況がどうであっても我々経営者に後退は許されません。常に前を向き前へ進まなければなりません。大激変の時代、不透明な時代だからこそ、良く見ればチャンスがいくつも転がっています。大激変の時代だからこそ、網の目が大きくなり、ほころびもあちらこちらに出ています。
その網の目、ほころびこそがチャンスの目です。その眼を養うためには社長の「意思力」と「実践力」が必要です。何が何でも会社を良くしたい、お客様のお役に立ちたい、社員を幸せにしたい、地域を良くしたいという溢れんばかりの念いであり、決心覚悟です。その意思力、決心、覚悟の元、当たり前の事を当たり前にする実践力です。人に会えば挨拶をする、名前を呼ばれれば「はい!」と返事をする、使ったものは元通りにしまう、納期は守る、喜んで早く支払う、笑顔を絶やさない・・・。当たり前の事を当たり前でない意思力でやり続ける実践力です。

我々は、10年20年30年先を見据えて着実に確実に手を打つ必要があります。どんな状況でも、未来に向けた手を打ち続けなければなりません。なぜなら、未来は必ず来るからです。明日は必ず来ます。その準備を今、今日しなければなりません。





コロナで経営環境は一変しました。しかし、よく見てみるとチャンスが転がっています。今まで求人してもなかなか応募がなかった人材にも大手が求人を止め、中小企業が人員整理している今、採用のチャンスです。

今まで立地の良い場所は空きがなく、仕方なく商圏の片隅で行われていた販売も、一等立地に空きが出来、出店のチャンスが巡ってきています。

今まで安い物への指向が強く、値引き競争に明け暮れていたものも、プチ贅沢。回数は減らしても高級なものを求める消費者の趣向の変化で、高いものほど売れるということも出ています。

 コロナにより一変した経済環境に合わせるには、時代の大激変に合わせる、己の大激変、自社の大激変、商品サービスの大激変、売り方、PRの大激変等々イノベーション(革新、変革)が必要です。まず、社長自らのイノベーション(革新、変革)です。強い意思力と絶え間ない実践力、今年一年やり続けましょう。足元の小さなことから変えてゆきましょう。それをやり続けましょう。

 昨年の新年は、「朝の来ない夜はないと同時に夜の来ない朝もありません。クライシスマネジメントに徹しましょう。」というご挨拶でしたが、今年は、「朝は必ず来ます。自己変革し、イノベーションをやり続けている限り。しかし、今に止まり、惰眠を貪っている人々には、いつまでも夜のままです。」とのメッセージをお贈りします。

今年一年が、皆様方にとって最善最良の一年でありますよう、心よりお祈りし、そのために私ども税理士法人久遠も、微力ではございますが、全力でお支え申し上げますことをお約束し、新年のご挨拶とさせていただきます。

 今年も一年、よろしくお願い申し上げます。



代表社員 前原 幸夫


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2020年12月01日

12月の言葉!「劣後ローン」

コロナの蔓延が長引く中、企業の存続にとって売上の維持も大切ですが、それ以上に資金の回転も重要になってきます。
政府系の金融機関をはじめ、金融機関は今年4月末からコロナ対策の特別融資を行なっています。売上の減少がある場合、最大5年返済猶予し、3年間は実質金利ゼロというものです。

まず、「まさか」に備えて手許資金を厚くすること、これをコロナの対策の一番に上げ、各企業も今すぐ必要でなくとも、とりあえず借入して手許資金を厚くする企業が多く見られます。
しかし、その資金にさえも手を付けなければならない程、コロナの影響は長期戦ですし、建設業などは、これから資金逼迫の波が来ようとしています。

2次3次のコロナの波に対して、政府の対策も2次3次の補正予算で対応する必要があり、年末年始にかけて第3次補正が組まれる見通しです。21年度の当初予算と合わせ、15か月予算を打ち出し、財政面から経済を下支えしてゆくものと思います。
ただ、今回の第3次補正は1次2次のような止血対策というより、 
ポストコロナに向けた経済構造の転換、防災減災的な色彩が濃いものになるようです。

例えば、デジタル化による投資や脱炭素関連など、「守りから攻め」の観点が強くなるようです。攻めも大切ですが守りも大切です。守りとは資金をいかに供給してゆくかです。
先も述べましたが、4月末から5月にかけて第2次補正で実質無金利、返済猶予の多額の借入金が企業に注入され、企業は一息つきました。しかし、この資金にも手をつけなければならない企業が多くあり、そして3年経てば返済が始まります。次の資金手当を考える必要があります。

その一つが「資本性劣後ローン」です。
これも第2次補正で予算組みされていたものですが、多くの中小企業にとって耳慣れないローンであり、利用は少ないのではないかと思います。しかし、メリットデメリットを知り、資金増強の一つとされても良いと思います。



1. 資本性劣後ローンは通常の融資と何が異なるのか

             通常の融資を   資本性劣後ローンを
             200受けた場合  200受けた場合
             
 
資産調達前            




通常の融資は負債の割合を高め、財務状態が悪化したと評価されます が、資本性劣後ローンは資本の融資とみなされ財務改善とみなされます。

2. 返済は5年後10年後20年後の一括返済であり、その間は利息のみの支払となります。長期的安定的な資金調達ができます。但し、利率は少し高めとなるデメリットはあります。

3. 資金手当として「家賃支援給付金」「雇用調整助成金」などは、返済不要ですが、金額が過少で、月先の資金手当に活用される制度です。
無金利、無担保と措置期間が長く設定されている特別融資は、貸借対照表では債務に計上され、財務の悪化を招きますが、今までにない有利な条件での融資制度です。
資本性劣後ローンは、利息は高いものの長期間に亘り元本返済は不要であり、財務体質も改善しながら中長期の事業戦略に活用できる制度です。











代表社員 前原 幸夫
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2020年11月02日

11月の言葉!「万華鏡」

今年5月25日 コロナによる緊急事態宣言が解除されて約半年が経とうとしています。しかし、コロナの感染は第1波、第2波そして冬場を迎え第3波の波が来ようとしています。

GoToキャンペーンで少しは賑わいを回復してはいますが、コロナが襲いかかった傷跡は深く大きく、中小企業はまだまだその回復どころか事業を継続するのがやっとという現状です。しかし、2月からの9ヶ月、私は改めて皆様方、中小企業の底力に敬意と賛辞を心よりお贈りしたいと思います。

コロナ禍を乗り切るために必死の努力を皆様方がそれぞれにされ、コロナに打ち勝つ経営をされていることを、しっかりと見させていただいております。

例えばデニムのメーカーであるA社は、いち早くデニムでマスクを製造し、これがテレビで取り上げられ一大ブームとなり、今も通販を通じて良く売れています。決して安くはありません。しかし、1枚1800円前後のマスクが良く売れているようです。

マスクと並びコロナ対策の必需品はフェイスシールドや、隣との境をするアクリル板です。工業機械の周辺機器の加工を行っているM社は、主要取引先の営業自粛により、製造がストップしてしまいました。ガランとした工場を見渡し、社長はハッと思いつきました。この設備を使ってフェイスシールドやアクリル板を作れるのではと。早速製造開始。
今では、ネームやキャラクターが入ったフェイスシールドや飲食店向けのアクリル板がコロナ対策として評判が良いそうです。

また、除菌という点に目を向けた会社もあります。家庭を訪問し、遺品整理や生前整理の需要がコロナにより激減したK社。コロナにはコロナでとばかり除菌清掃、除菌製品の販売を始めました。除菌商品の仕入には補助金も活用し、7月以降対前年比の倍以上の売上を上げているということです。

コロナで人の往来はなくなり、消費も冷え込む中、売上を継続するためには、時流に乗った新商品が必要です。






和菓子の販売を行うS社は、コロナで自粛自粛が叫ばれている今こそ、「おいしい和菓子で笑顔を咲かせたい」とわらび餅ドリンクを発表しました。タピオカの代りにわらび餅という感じですが、これが大ヒット。売上に大きく貢献してくれたとのことです。

コロナにも拘らず売上を伸ばし、経営を進めている企業は数多くあります。その特徴を書き記します。

1 コロナに勝つ コロナをチャンス化する
いつの世にも何か困ったこと、不都合なことこそが起こります。
それこそがチャンスの種、飛躍の種です。 
「必要は発明の母」と言いますが、困難な現状こそが明
るい未来を作っていくという確信がベースです。

 2 イノベーション、革新です
   何をイノベーションするか、何を革新するか、それは商品であ
り、販売方法であり、市場であり、ターゲットであり、仕入先で 
あり、製造方法であり、外注先であり、社員の意識であり組織で
す。例えば商品の革新、それは上記の通り自社の強味を再発見
し、自社の土俵の上でのイノベーションです。販売方法のイノベ  
ーション、これは必須です。お店にお客様が来てくれない常態な
らば、宅配で、個別訪問で、通信販売でSNSの有効活用でテイ 
クアウトで等々。店頭販売以外の販売方法が必要です。販売方法 
が変われば商品もリニューアルしなければなりません。
例えば、日持ちのしないものなどは冷凍冷蔵が必要になります。
事実、金沢にある押し寿司のメーカーS社は、冷凍の押し寿司を
開発し、全国に販売しています。

 3 社員の意識のイノベーション
   自粛でお客様が減少した分、人は余ります。出来るだけ少人数で事に当たらなければなりません。「社員さんの質と量」の適正化です。一人の社員さんの多能工化(一人二役、一人三役)も必要です。一人の能力アップも必要です。まさに少数精鋭!!







4 ニーズの深堀
  コロナでお客様はお困りです。このお客様の困りごとに真剣に向  
き合うこと。高齢者は感染が怖くて買い物にも行けません。マス 
クやシールドは必需品です。どこにウイルスが潜んでいるかもし 
れませんから、除菌清掃は必須です。コロナによって新しいニー 
ズ需要が生み出されています。この新しいニーズ、需要をしっか
り感じることです。この触覚こそ、このレーダーこそが未来を作 
ります。

5 高級化
   客数が減少してゆく以上、客単価を上げるしかありません。
また、高級化により沈んだ消費を高めてゆくこともできます。
Y社は回転寿司チェーン店ですが、今年一人2950円〜のメニ 
ューを発表。生のまぐろ(冷凍ではない)と自然米のお寿司が好 
評とのことです。このお店は、生まぐろの宅配、寿司職人の出張
サービスもやっています。お客様がお越しにならないなら、こち 
らから出向くことです

6 SNS、ネット、ウエブ等々の戦力強化
   コロナによりZoomとかGoogle Meetなどの活用が花盛りです。 
新しいノウハウに乗り遅れないこと、いやそれどころかいち早い  
導入活用です。どんどん新しい仕組、ノウハウが生まれています。どんどん取り入れ、動く歩道に乗っていることが大切です。

7 経営理念の再確認
   今こそ経営理念の再確認をする時です。必ずやその中に答えがあ
ります。なぜならば、この経営理念はあなたが心血を注いで作っ
たもの、あなたの命、あなたの会社の生命だからです。


コロナはまだまだこの常態が続きます。冬に向い第3波も予想されています。一層のイノベーション。これをし続けること以外に、コロナに打ち勝つ手はありません。ウイルスが千変万化するように、経営も万華鏡の如く動けば変わり、美しい紋様を作り出します。



代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 11:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月02日

10月の言葉!「岡山自主夜間中学を思援する会」

皆さんは、夜間中学という学校があることをご存じでしょうか。
夜間の高校や大学は聞いたことはありますが、中学校の夜間は聞いたことがありませんでした。ふとしたことで岡山にも個人的に自主夜間中学を運営している団体があり、その代表をしている城之内(しろのうち)庸(のぶ)仁(ひと)さんと知り合いになりました。

そもそも夜間中学とは、戦後の混乱期、義務教育を受けられなかった、あるいは修了出来なかった人や、本国で義務教育を修了せず、日本で生活をすることとなった外国人のために設置された、公立の中学校の夜間学級です。

現在夜間中学に通っている人たちは、戦後の混乱期に学校に通っていなかった人や、中国残留孤児の人、親の仕事や結婚などで来日したものの、年令が高く中学校に入学できずにいる方、不登校などのため、ほとんど学校には通っていないにも関わらず、形式的に中学校を卒業した人など様々です。かけ算の「九九」が出来ない、電車に乗っても漢字が分からず、「運賃」という文字が読めない、そんな日常生活を送ってゆくために最低必要な基礎学力を学び直したいという人々が多くいます。

しかし、岡山県には公立の夜間中学はありません。昭和28年にスタートした学校も10都道府県34校のみです。(2020.9.23時点)
そこで、岡山市内で公立中学校の英語の教師をしている城之内さんが立ち上がりました。一般社団法人 岡山に夜間中学校をつくる会です。   

担任をしていた生徒が「全欠」という、ほとんど学校に来れないという状況で卒業してゆきました。そして、何年かして城之内さんを訪ねて来たその生徒は「先生、働きたいけど、読み書きも計算もうまく出来なくて就職できないんです」と辛い胸の内を語ったといいます。

どんな場でもいい、そんな人々に学びの場を提供したいという思いで今、教員の免許を持ったボランティアの人たちが善意で運営している、自主夜間中学を運営されています。教室の家賃や水道光熱費、全て自分たちで賄わなければなりません。開設当初は3人だった生徒が、今では140人(2019.6時点)にまで増えました。





城之内さんは今、公立の夜間中学の必要性を感じています。コロナ禍で私は、夜間中学の重要性を感じています。コロナと何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、コロナで分かったことは、日本のサプライチェーンの脆弱性です。もっと言うと、中国や外国依存の高い生産供給体制です。マスク1つとっても、中国から入らなければ欠品すると


いう国に今、日本はなっています。日本国内で、もう一度サプライチェーンの構築が必要です。日本で需要するものは日本国内で製造することが必要です。これは、経済の問題ではなく、国や国民を守る国防の問題です。

外国依存率を下げるために労働力が必要です。今の日本にその労働力はありません。ならば、外国の方々の労働力に頼るしかありません。その外国人の方々に最低限の学力をつけていただかないと、日本の社会が持ちません。社会が成り立ちません。漢字を読む書く、たし算引き算、九九が出来る。これは生きるために生活するために最低限必要な事です。この需要は益々高まってくると思います。

社会が複雑化すればするほど、その網からもれてゆく人々も増えてきます。日本人の中で読み書きの出来ない人がいるなんて思いもよりませんでした。しかし、現実には多くの日本人が出来ません。今後益々増加してくるでしょう。コロナで不登校、孤立している生徒も数多くいると聞きます。岡山に公立の夜間中学校が出来る運動もしなければなりませんが、当分は城之内さんたちボランティアの方々が運営している岡山自主夜間中学を思援し、強化してゆかなければなりません。校舎や光熱費の維持だけでも相当な資金が必要です。

どうか、皆様の善意をよろしくお願いいたします。
 

代表社員 前原 幸夫

posted by 前原幸夫 at 10:43| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月01日

9月の言葉!「惜別」

昭和61年2月真冬、日はとっくに暮れた寒い夕方、私は彼に最初に出会いました。岡山市北区の新幹線ガード下の喫茶店でした。
私が税理士として独立開業したのはその前の年、昭和60年6月1日です。父親の会社ともう一社、二社がお客様でのスタートでした。事務所は借りたものの社員はもちろんゼロでした。おかげ様でお客様も順調に増え、その年の12月に女性のパートさんを採用し、翌年には男性社員を採用しました。それが平田修君です。彼は高校卒業後、岡山市民信用金庫北方支店(現おかやま信用金庫)に勤務していました。支店に近い方が良いというので、新幹線のガード下の喫茶店で会うことにしました。
 私をじっと見つめる彼の眼光に、少し押され氣味になる自分を感じていました。それは新しい職場にかける彼の期待感と、二十歳の青年をこれから一生面倒を見なければいけないという私の責任感の混ざったものだったように思います。彼はすぐさま信用金庫を辞め、当社へ入社してくれました。

昭和61年4月には、私の妻も入り男性2名女性2名という体制で新たなスタートです。
 私は若さにまかせ、どんどんとお客様を増やして来ます。その当時、平日は22時23時、土日もなく、私も平田君も仕事をしていました。お客様が増えるに従い、社員も一人二人と増えて来ました。

彼には通常の業務と社員の管理と二重の仕事が与えられました。自分がこなしている業務は若い社員に廻し、自分はどんどんと新しい難易度の高い業務に挑戦してくれました。その一つが上場でした。株式を店頭公開するという話が舞い込み、未知の世界に彼はチャレンジし、見事に公開を果たしてくれました。その後、その会社の監査役として東京出張も多くなりました。又、社員が1000人を超える法人、グループ税制を行なう法人、不動産を多額に持たれている方の税務、又医療法人と、その活躍は多岐に亘り、我が社の発展にあらん限りの力を振り絞ってくれました。

社員旅行や忘年会などの宴席では、酒も強くないのに盛り上げ役をかって出てくれました。乾杯が終わると真っ先にビールを両手に持ちお酌をして廻り、カラオケもあまりうまくない歌を最初に歌います。マイクを持つと離さない癖があり、彼の歌に数曲付き合うこともしばしばでした。




入社したての頃、驚かされたことがありました。
当時の我が社では儲け頭の法人のお客様を、突然解約してきたというのです。以前から氣難しい社長さんでしたが、株主総会では株主に良い顔をしたいので、利益がかなり上がっている決算を報告しておきながらいざ税務署へ申告するとなると、なんとかしろと平田君に高圧的に言ってきたそうです。

その当時、お客様は喉から手が出る程欲しかった私ですが、彼の「契約解除しました」というパワーに押され、頷くしかありませんでした。その正義感の強さは、剣道をしていた武士道に通ずるものがあるのかもしれません。私に対しても是々非々、私がぶれていたり、方向性が間違っていた時は、ズケズケと進言しそれを正しめる。まさに諫臣でもありました。

そんな平田修君も、2020年7月19日 力尽きたのか、天国へ旅立ってしまいました。55歳という若さで・・・
二十歳で出会い、以来35年。その存在は空氣のように、あって当たり前、居て当たり前という存在でした。
開業当初は私が自分で煎れていたコーヒーも、彼が入社してからは、彼が煎れてくれるようになりました。一番最初にドアのキーを開けるのも彼だったので、コーヒーも必然だったのでしょう。彼の煎れたコーヒーをすすって仕事をする、そんな日々が35年続いていました。もう彼のコーヒーは飲めなくなりました。そんなことの残念さよりも、もっともっと彼にやって欲しいことはいっぱいあった。私もあと3年で70歳。これからのこともゆっくり相談したかった。

考えれば無念、残念、悔念がこみ上げてきます。彼の死という現実を受け入れることができない毎日が続いています。

彼の抜けた穴は大きいですが、この穴を今、社員が一丸となって埋めてくれています。彼を弔うことも大切ですが、お客様にご迷惑をお掛けしないことも大切です。彼の死を乗り越え、社員が成長してゆく姿を見てもらうことこそ、残された我々の使命だと胸に刻んでいます。

 生前、皆様方からいただいたご厚情に感謝申し上げるとともに、
平田修君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする