2018年04月06日

4月の言葉!「前期高齢者」

「前期高齢者」


 今年3月25日、満65才になりました。世に言う前期高齢者への仲間入りです。60才還暦の年にはあまり老いという感じはありませんでしたが、病氣をしたせいもあり、65才という年が少し身に染みる今日この頃です。
 とは言っても元氣さ(心の元氣、身体の元氣、経済的元氣)は人一倍あるつもりです。その話を少し書こうと思います。

 まずは、早寝早起きです。今我が家は、65才の私、66才の妻、88才の母の3人暮らしです。
 しかも、三人三様それぞれ持病もちという家族です。夕食は(会合等なければ)19時頃に終わり、テレビを観るでもなく、21時頃には就寝。目が覚めるのが3時か4時。私は目覚まし時計はかけません。

 目が覚めたらとりあえず1階に降り、トイレを済ませたり、お茶を飲み時間を確認します。3時39分前だったらもう一度ベッドへ、それ以降だったら新聞も来ますので起床です。
 今、この原稿も平成30年3月30日午前3時39分から書き初めました。

 私は2年前に軽い脳梗塞を患いました。
 その時お医者様から、「前原さん、今回が2度目の脳梗塞ですよ。一度二度は軽かったですが、三度目があれば半身不随かあの世行きですよ」と宣告されています。朝、目が覚めずあの世に行く可能性も他の人より多いのですから、朝、目が覚めることだけでもありがたい、そんな念いで一日を迎えられるのも、年のせい、病のせい、と感謝するばかりです。

 次は、死というものに近さを感じます。若い頃は死ぬなんてことは考えてもいませんでしたが、今はいつ死を迎えるかわからない、そんな思いは常にあります。    
 逆に若い頃は死に対する漠然とした恐怖がありましたが、死が近くなった今、それは薄らいでいくように感じます。死を喜んで迎える心の準備が老いてゆくということかもしれません。又、物事、人に対する考え方も大きく変わりました。

 若い頃は全て二つに分けて考える習慣がありました。この人は敵か味方か、いい人か悪い人か、この花は美しいか醜いか、この状態はいい状態か悪い状態か・・・。  
 善悪、美醜、好き嫌い、幸不幸、良し悪し・・・。しかし、今は全て善、全て善人、全て美、全て幸、全て良し・・・と思えるようになりました。

 私は永い間、高校受験で朝日高校に落ち、関西高校に入学したことを不運、ダメな人生だと劣等感を持っていましたが、今では関西高校へ行ったからこそ今日がある。朝日高校を落ちたことが本当に良かったと、心の底から思えるようになりました。まさに全肯定です。これがよい、目の前にいる人、モノ、状況、全てが自分を善くしてくれる為にあるのだと思っています。

 最後にもう一つ。やはり後に繋げるということです。
 これは会社だけでなく、家や自分のやっている役職。例えば町内の役職であったり、ボランティア団体・福祉法人・中高の学校の役員、色々なお役を受けています。これを後に繋げるということを意識するようになりました。

 我が家は娘二人です。二人とも嫁いで県外に居ます。また会社は岡山県内に4拠点総勢70名という世帯になりました。町内会のお役も中学校高校のお役も、何年もお受けしています。そろそろ代替りが必要です。

 しかしここで重要だと思っていることがあります。
 次の適当な人を探すことも大切ですが、私が私の次を探し、次の人に繋がるということよりも、私が私の前の方(人)に繋がることが大切だと思っています。すなわち、家であれば両親やご先祖様、会社であれば職親、過去の上司、町内会や学校であれば今までの役員の方々、しっかり、私が上に繋がることにより、下が出来ていくのだという確信があります。

 裸で生まれて来た身、また裸で死んでゆきます。老いるとは、生まれてから今まで身につけていたもの、薄汚れたシミや汚れや垢を一つ一つ削ぎ落としてゆくことかもしれません。

 人が純真無垢で何の汚れも恐れも知らず生まれてきたように。

                                代表社員 前原 幸夫

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2018年03月02日

3月の言葉!「平成時代その2」

「平成時代その2」

 前月号で平成の振り返りをやり、今月号はその続きです。

 平成13年4月、第85・86代 森 喜朗氏が総辞職した後、登場したのが小泉純一郎氏です。小泉氏は在任期間も長く(1980日)人氣もあり、政策的にもどんどん社会を動かし、安定感があった時代です。

 郵政の民営化をそれに反対する自民党の議員に刺客を立てるという手法で強引に行い(強いリーダーシップとも言えますが)、貴乃花がケガを押して優勝すれば、土俵上で感動・感激を素直に表現する庶民性も持ち合わせていました。
 一番の功績は北朝鮮に拉致された5人(後にそのご家族も)を日本に連れ戻したことでしょう。北朝鮮との厳しい交渉は想像を絶するところですが、よく願晴ったと思います。余計なことですが、帰国者の一人、蓮池さんは私と同じ大学で同級生になります。
 ただ、聖域なき構造改革と称し、規制改革を行ないましたが、今岡山の両備バスが31路線を廃止するという申請をしたことで、顕著にそのひずみが表れているように思います。小さな政府、官から民へ、この流れは正しいとしても、セーフティネットは、やはり政治が作っていかなければならないし、政治の役割だと思います。

 小泉純一郎の長期政権が終り、平成18年9月26日から安倍晋三現総理大臣が366日、福田康夫氏が平成19年9月26日から365日、麻生太郎氏が平成20年9月24日から358日、総理大臣を務めます。
 丁度図ったように一年周期でコロコロ内閣が変わり、国民は自民党に愛想をつかしてしまいます。ただこの3人、小泉政権では要職を歴任しており、小泉後の準備はしっかりしていたはずですが、安倍氏は消えた年金や、ご自身の健康問題で、福田康夫氏はリーマンの救済とアフガニスタン派遣を日本に迫るアメリカに対抗するために、麻生氏は漢字の読み間違えや、バーでの飲みを食いに難癖をつけられる形で、退陣に追い込まれました。

 平成21年7月に行なわれた、第45回衆議院の総選挙で、自民党が惨敗し、民主党が308議席を獲得し、民主党政権ができ上がります。
 それから「失われた3年」とはよく言ったもので、トップバッターの鳩山由紀夫氏は、子供手当で国債を乱発。
 事業仕分けという名目で科学技術の振興が遅れ、沖縄の基地は最低でも、県外へと全く出来もしない無知というより他にない暴言で退陣。
 次は菅直人総理大臣、中国漁船と日本の巡視船との衝突事故や、東日本大震災に対する対応のまずさ、最後に登場した野田氏の頃には支持率も急落し、とても政権を担える状況ではありませんでした。
 民主党政権の最大の失敗は、脱官僚です。明治以降、脈々と作り上げた官僚の役割と、官僚のノウハウを使うことをやめたことです。
 民主党政権に対する国民(私も含まれますが)の淡い期待は裏切られ、民主党政権は平成24年12月26日で終わりを迎えます。

 そして登場するのが、現総理大臣、安倍晋三氏です。民主党政権が良かった点を敢えて言えば、この3年間、自民党が下野し、もう一度日本の未来、日本の経済、日本の外交、様々な問題を想定し、方向性を見出す時間を持てたということかもしれません。
 事実、安倍内閣、自民党政権になって、円安誘導、株価上昇、雇用の増大、企業収益の良化、また、少ないかもわかりませんが、賃金の上昇・・・
 今まで鬱積していたもの、閉塞感を一機に解放したように思います。

 コンクリートから人へで、激少した公共事業。このあおりで地場の小さい建設土木業の方々は、辛酸をなめさせられました。それが太陽光はじめ、さまざまな設備投資の税制上の後押しもあり、また、公共投資の回復もあり、この数年かなり良化しているのは事実です。

 平成の時代、様々な失敗や過ちを各総理大臣は犯してきました。しかし、その中でもキラリと光るすばらしい政策もあったはずです。
 良いところは活かし悪いところは他山の石として見直し、素晴らしい日本を作っていくことを願いながら、平成の後の時代に夢を託したいと思います。




                           代表社員 前原 幸夫
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2018年02月06日

2月の言葉 2月の言葉!「平成時代その1」

「平成時代その1」

 今年の年賀状のキャッチコピーは「そうか!平成30年か!」でした。
 そして、平成31年(2019年)4月30日、あと1年と少しで平成の時代も終わりです。まだ後1年4ヶ月ありますので、大きく変化し、変動してゆくでしょうが、それを承知の上で、この30年を簡単に振り返ってみました。

 昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇崩御され昭和は終わりました。
 当時の小渕官房長官が平成と書かれた額を持ち、テレビに映っていた姿を思い出します。
 平成元年当時の総理大臣は第74代竹下登氏です。
 平成元年4月から消費税が3%で導入され、まさにこの年は消費税元年となりました。この年12月29日、株価の終値は38,915円87銭と史上最高値を記録しています。
 バブルの絶頂、いやバブル崩壊の始まりの年でもありました。
正式には、バブルと呼べる年は前年の昭和63年(1988年)と平成元年(1989年)というのが通説です。
これは昭和63年1月から平成元年12月まで、24ヶ月連続で株価が上がり続けたことを持って言うそうですが、昭和63年1月スタートの株価は、21,564円でしたから、なんと2年で17,351円80%の上昇というもの凄い時代でした。
それからバブル崩壊へと向かいますが、平成元年の6月には総理大臣が蜂の一刺しの宇野宗佑氏に変わり、69日の寿命のあと、76代総理は政治改革を唱える海部俊樹氏、平成元年(1989年)8月から平成3年(1991年)5月まで在職。
その間、湾岸戦争があり、アメリカはクリントンが大統領となり、それに応じるかのように平成3年11月、宮澤喜一氏が総理大臣になります。
証券会社や銀行の不良債権が表面化し、経済に強いと評判の宮澤氏の出番でした。
しかし、一度転がった経済は止まりません。不動産価格が下落し、融資が焦げ付き始め、株価も平成4年(1992年)8月には14,309円という安価を付けました。
3年前と比べ24,000円も下がってしまいました。
これに驚いた宮澤総理は株の売り出しを手控えて欲しいと金融機関をはじめ、民間企業に要請をするというドタバタぶりでした。
そんな自民党内閣に国民の審判が下ります。
平成5年(1993年)、なんと日本新党の細川護煕氏が79代、羽田孜氏が80代と席に座りますが、日米の自動車摩擦など内外に多くの難問を抱えている中、寄り合い所帯のパフォーマンス政権は長続きしません。
しかも、下野した自民党が総理に担ぎ出したのは社会党の第81代村山富市氏でした。(平成6年6月〜平成8年1月)
その間、阪神淡路大震災やオウム真理教事件等、経済の下落と共に世相を暗示するような事件が起こりました。
この内閣は自民党、社会党、さきがけの連立政権でしたが、その後第1次、第2次橋本内閣が終了する平成10年(1998年)半ばまで続けられます。
村山総理の後、平成8年(1996年)からは橋本龍太郎の登場です。
橋本内閣は平成8年(1996年)1月から平成10年(1998年)7月まで続きますが、バブル崩壊を身にしみて感じる時代でした。
平成9年(1997年)4月、日産生命が経営破綻、11月には三洋証券の倒産直後、北海道拓殖銀行の破綻、そして山一証券の破綻、平成元年には38,000円の株価は10年で15,000円まで下がっていました。
それから、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、次々に金融機関が破綻してゆきます。
そんな中、財政再建を掲げる橋本総理は消費税を3%から5%に上げます。これが更にデフレを加速したと言われています。
平成10年(1998年)にはあの平成を宣言した小渕恵三氏が第84代の総理に就任します。小渕内閣は平成12年(2000年)4月まで続きます。
21世紀の幕開けの総理大臣です。しかし小渕氏は脳梗塞で倒れ職務不能となり、急遽、森 喜朗が小渕内閣を引き継ぐ形で総理大臣を務めます。
結局、森氏は平成13年(2001年)4月まで総理の座に居ますが、失言癖があり、ハワイ沖で水産高校の実習船が沈没した「えひめ丸事件」の際、ゴルフ中であったと非難され、内閣支持率が低下し総辞職に追い込まれました。
その後登場したのがあの小泉総理です。

今月はここまでとさせていただきます。

代表社員 前原 幸夫
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2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます

 平成30年の輝かしい幕明けです。皆様お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 平成も30年、しかも後16カ月の命です。平成31年5月1日には、平成から年号が変わります。振り返ってみますと、平成元年は消費税元年でもありました。3%という税率でスタートした消費税も一応の打ち止め感のある10%移行が平成31年(元号は変わりますが)10月1日から実施とは何か不思議なものを感じます。消費税が10%になれば、消費税の税収が所得税を抜き、日本国の税収源ではトップに立ちます。とりあえず当分の間は10%を据え置くでしょうから、平成はまさに消費税の時代といっても過言ではないでしょう。バブルそして崩壊、長いデフレ、政権交代そして自民党再奪還、金融大緩和、円安、株高政策によりデフレ脱却景氣回復と目まぐるしく変わってゆく平成でした。
 その一方、世界は二極対立(東西冷戦)から極内対立とでもいうべき状況が表われました。
 今まではロシア、中国を中心とする共産圏とアメリカ、EU、日本を中心とする資本主義圏の対立だったものが、今やアメリカ国内でEU加盟国内で、資本主義国同志が対立し、二分化されています。統合へ向うべきなのに・・・。
 これも統合へ迎う一つのステップでしょうが、年末のエルサレムをイスラエルの首都と認めたトランプ大統領の英断?により更に混迷を深め、これが中東状態の不確定性を増し、原油の生産調整とからめ石油の高騰を招いています。
 今年もこの流れはより加速し、自国至上主義、自国ファースト主義が益々進行してゆくのではと危惧いたします。
 このような状況の中、日本国内では人づくり生産性革命が叫ばれています。
 戦後の団塊の世代がリタイヤし、生産人口が減少する中、その大勢の人達を養ってゆく必要上、減ってゆく 生産人口と増えてゆく消費人口の間の中で一人当たり生産性の向上が不可欠となってきました。
 私も開業して33年目に入りますが、この間コンピューターの進歩、スマホをはじめとする通信機器の進歩は目を見張るものがあります。
 しかも、この進歩により生産性は向上してきましたが、中味はどうでしょうか。
 この30年間、技術の進歩に見合う質的上昇はあったでしょうか。
 残念ながらそんなに質は上っていません。中小企業は例外なくそうだと思います。
 それは何故か一言で言えば、技術の進歩で便利になった分、技術の進歩で時間が節約できた分、価格に転換せず、処理件数(販売数)を増やしたことにあります。
 新しい技術に見合う付加価値業務をやってこなかった、いやしなくても市場が拡大し生産性は向上し、売上・利益は確保できたからです。
 もっといえば付加価値の上がる業務を拡大せずに従前の業務をスピードよく処理できた分、処理件数(販売数量)を増やしていったということです。平成の時代は良かったかもわかりませんがこれからは通用しません。
 何故ならば消費人口が減少するからです。消費能力が減退するからです。
 市場の拡大は難しく販売数量が下がる以上、販売価格を上げてゆかなければなりません。
 価格の上昇をしてゆかなければなりません。そのための人財育成、人づくりです。
 AIや最新のPC、通信機器を使いこなせるだけでなく、それらを使って売上を上げてゆく、それらを使って新規の売上を増やしてゆく人財の育成が急務です。販売数量から販売単価へのシフトのはじまりです。人財育成元年です。
 私どもも、今年より様々な学びの機会をご提供いたします。一緒に学び成長してゆきましょう。
 今年一年よろしくお願い申し上げます。


                            代表社員 前原 幸夫
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2017年12月01日

12月の言葉!「労働生産性」

「労働生産性」

最近、「労働生産性」という言葉が飛び交っています。
安倍内閣の打出した「働き方改革」も労働生産性の向上がなければできません。そもそも労働生産性とは何でしょうか。
 まず、生産性とは何か。
生産性=(算出(output))/(投入 (input)) であり労働生産性とは、社員1人当たりの生産性です。
社員1人当たりの産み出す成果ということもできます。
数字に置き換えれば1人当たり付加価値額です。色々、付加価値額の定義はありますが、ここでは売上−仕入(材料費)−外注費=付加価値額とし、それを社員の数で割ったものを1人当たりの労働生産性として話を進めます。
(一定時間に物を生産する量や販売金額を基にする物的生産性というものもあるようですが。)
(売上−仕入−外注費)÷社員数という1人当たりの労働生産性を上げるにはどうすればよいか。

 1つ目は、大幅な機械化やIT化です。ますます少子高齢化は進行してゆきます。人がしなければならない業務と、機械でもできる業務、機械に任せることのできる業務との分別です。作業効率のアップ、これが不可欠です。
我々の業界も今から40年前は全てが手書き、手集計(そろばん)でした。1人が担当できる件数は10~15社くらいでした。それが、コンピュータ
が導入され、1人30社くらいは優に担当しています。
 2つ目は、商圏の拡大です。岡山市のみで商売していた時代から、今や世界相手です。インバウンドもあります。いい情報はネットにより瞬時に日本全国、世界中に流れます。商圏、販売方法の見直し、これも大切です。
 3つ目は人財育成です。社員数を減らせば1人当たりの労働生産性は上がりますが、中小企業では人は宝、易々とクビは切れません。社員1人1人を戦力として育て上げなければなりません。
それには教育です。売り方や、作り方などを教えるのも大切ですが、なぜ働くのか、なぜ売上を上げるのか、なぜこの会社の利益が必要なのか等々、根本的な人間教育が必要です。
 
有名な話ですが、ある靴の販売員が2人してアフリカの原住民に靴を売りに行った話です。アフリカから帰って社長に報告します。1人は「あそこに靴は売れませんよ。誰も靴を履いていませんから」と言い、1人は「社長、すごい市場です。誰も靴を履いていませんから」と真反対の報告をしたということです。靴を履いていない、裸足の原住民を見て1人は売れない、1人は売れると判断したのです。
 この判断力、現状認識力の差で企業は進む方向が違ってきます。
 成果=能力×ヤル氣×考え方 です。能力の教育だけでなく、ヤル氣や考え方の教育、これも大切です。いや中小企業では、このヤル氣や考え方の教育の方が大切かもしれません。
 なぜならば、大企業の社員は、大企業に入ったという帰属意識(誇り)が高く、又、同期入社の社員も100〜200人。会社によっては1,000人といるわけですから、自然と競争し合い、勤労意欲を上げてゆきます。ヤル氣満々の社員団が形成されます。

しかし、中小企業は残念ながらそんなモチベーションはありません。名も知られていない会社に入り、競争し合う仲間もいない。自ずと勤労意欲は上がりません。
ヤル氣や考え方が低レベルであればいくら能力があっても宝の持ちぐされ、能力を発揮してもらえません。
又、能力を高めるためには時間がかかります。ヤル氣や考え方のアップはやり様によっては一瞬で変わります。瞬時にアップします。氣を変ればいいのですから。
社長が社員をその氣にさせ、社員の氣を変えてゆく、この人間教育です。それは社長自らが行なう必要があります。
コンサルタント(借り物)では効果は薄いでしょう。 社長が自分の言葉で人生観や職業観、人間観や利益観、様々な念いを熱く語ることです。ここで大切なことが一つあります。
それは、心の底から社員の成長を願い教育することです。ある歯科医院の話ですが、その医院では毎朝、朝礼を行ない挨拶や返事、笑顔の創り方、院長スピーチ等々行なっているのですが院長先生は次のようにおっしゃいました。
「この朝礼はある意味社員研修なのです。しかし、私のために医院の為に若い女性たちに強いているのではありません。若い女性スタッフがやがて結婚し、子どもが出来た時、お辞儀や挨拶、返事や笑顔をしっかり身に付けた妻や母親になってもらいたいという念いからなんです」
社長のために会社のための教育ではなく、社員の将来のために、社員が自社を辞めた時にも役立つようなそんな人間教育をやっていきたいものです。
そのことが取りも直さず、労働生産性を上げる近道なのですから。

                            代表社員 前原 幸夫
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2017年11月01日

11月の言葉!「教育力」

「教育力」

 近年の教育の荒廃・世相の乱れは目を覆うばかりです。
いじめも教育の荒廃の象徴でしょうが、服装の乱れ、先生への暴力、親子関係の殺人、公共マナーの欠如、性の乱れ等、嘆かわしいかぎりです。
 教育力の低下が進んでいるといってもいいでしょう。教育の場としての空間の減少と、それを教える側の人間力低下があると考えます。

 教育の場は、昔(特に江戸時代)は家庭があり、地域があり、寺子屋や藩校という学校があり、士農工商全てが教育を施されていました。
 それぞれが上下の秩序を重んじ、ヨコの連帯感を養っていました。いざというときには藩(国)を守るために。

 しかし今、家庭は核家族、両親は生活にあくせくし、子どもの教育どころではありません。学校に任せっきりです。
 その学校は、先日も映像が流れていたように、生徒が先生を殴る蹴るの状態。先生は生徒に体罰が許されないことを生徒は知っているため、生徒はやりた
い放題です。

 地域も、昔はウルサイおじいさんやおばあさんがいて、口うるさく叱ったものですが、今や大人は無関心。見て見ぬふりや、関わりを持たないようにと疎遠な地域社会が形成されています。
 企業はというと、特に大企業はそんな教育などにはお構いなし。
歩合給的な売上至上主義、あるいは能力至上主義(教育しなくともいい人財は勝手に入ってきてふるいにかける仕組みですから)で、電通等に見られるように、人を人と思わない働かせ方で業績最優先の経営です。

 こういう状況の中、中小企業だけは違います。かけがえのない人財です。年に一人か二人しか入ってこない人財を、易々と辞めさせるわけにはいきません。
 しっかり教育し、素晴らしい人財に育て上げなければ、企業の存続発展はありません。
 そのためにはまず教える側の人間、すなわち社長が教育力を向上させることです。教育力を向上させるには、まず自らが学び、教育を受けることが必要です。謙虚に学び、自らの人間力を上げる必要があります。それが不可欠な理由は中小企業の特質からも見ることができます。
 大企業と比べ、中小企業には次のような特質があると思います。
 
1.連帯保証を社長は負う
無借金の中小企業は少ない中で借入を行うには、銀行は社長の連帯保証を要求してきます。
もし、会社がうまくいかなかったら、社長はその借金を負わなければなりません。家屋敷をかけ、時には  自らに生命保険をかけ、命がけで経営をしているのが、中小企業の社長です。

2.社長と社員が毎日顔を合わせる
トヨタの社長が、一工員と顔を合わせることなどまずあり得ません。
しかし中小企業は毎日顔を合わせます。
社長は2つの眼で社員を見ていますが、社員の側は10人なら20個、30人なら60個の眼で社長を見  ています。
社長はすべて、いつも見られています。それに耐えうる行動や立ち振る舞いが求められます。いつも社   員に面接されているようなものです。

3.誘因は社長
誘因とは、社員の労働意欲を駆り立てる誘発的要因、換言すれば、社員の眼の前にぶら下げるものです。
大企業に比べ給料やボーナスは低く、休暇もなかなか取れず、福利厚生施設もなく、老後の保障も少ない  のが中小企業です。でも社員には大企業に負けない働きを要求します。
では何をもって社員の勤労意欲を動機付けるのか、それは社長自らの存在です。
社長のような人間になりたい、社長のような人生を送りたいと思わせることです。社長と社員という関係  を師匠と弟子の関係にすることです。それには、社長の人間力の向上、素晴らしい人間力の醸成が不可欠  です。

4.商品の差別化
他社と何が違うのか。大企業にはそれぞれ特色ある商品、サービス、売り方、店舗等がありますが、中小  企業は売り物がほとんど差別化できていません。
  
 ではなぜ、お客様は当社を選ばれるのか。それは社長を買うのです。社員さんを買っていただいているの です。商品はどこで買っても一緒なのに、誰から買うかの差別化です。まさに人間力勝負です。
 中小企業かの特質から見ると、社長や社員の人間力が不可欠の要因となり人間教育こそがまさに生死の分 かれ目と言っても過言ではありません。
 社長が自らを教育し、自らの教育力を挙げ、社員の師となり、社員を教育し、お客様から選ばれる会社作りをしてゆかなければ、中小企業は生き残れないということです。

 また、今の世の中、家庭でも地域でも、学校でも大企業でもできない人間教育を中小企業が行ない、家庭を、地域を、そして日本を良くしてゆかなければならない教育機関としての機能も持たざるを得なくなっているということです。中小企業の人間教育で、企業の発展はもとより地域の発展にも寄与できることを確信して学んでゆきましょう。


                           代表社員 前原 幸夫
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2017年10月04日

10月の言葉!「下衆の勘ぐり」

「下衆の勘ぐり」

 9月19日、トランプ大統領が就任以来初めて国連で演説を行ないました。
 北朝鮮の金正恩委員長をロケットマンと呼び、北朝鮮を完全に破壊する以外選択肢はないとの警告を発しました。
 一方、金委員長の方もこの演説に対し、「歴代最悪な宣戦布告であり、史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」と反論しています。
 最高とか超とか、いかつい過激な言葉が飛び交っています。
子どものころ、友人との喧嘩で目の下に手をやり、「アッカンベェ〜」と言ったり、「おまえの母さん出ベソ、3月 3日はヘソ祭り」と相手を罵ったりしたことを思い出すようなやりとりですが、国連という場を通し、大国の元首同士がそれに近いことをやっているように見えます。

 また、砲火は交えていませんが、口撃はお互い充分相手に届いています。
 米朝の睨み合いが今のまま続けばどうなるでしょうか。
 北朝鮮は米・中が何を言おうと核開発を止めることはないでしょう。
制裁が強くなればなるほどです。私には日本が第二次大戦に踏み切った当時の状況によく似ていると感じられます。
 中国進出を行う日本に対し、アメリカは石油などの資源の輸出禁止、アメリカにある日本資産の凍結といった、日本に経済的に制裁を科してきました。
 そして、それに耐えきれず、日本はハワイを攻撃し、太平洋戦争となったのでした。
 今の北朝鮮も当時の日本によく似ています。
 しかし、武力行使しないもう一つの手があります。それはアメリカが北朝鮮を核保有国だと認め、交渉のテーブルにつくことです。
 今は米朝ともに話し合いの糸口は見つけたいものの、米は核を放棄しろといい、北朝鮮は経済制裁を解除してからという、条件が全くすり合っていない、相手が呑むことのできない条件を出し合い、口撃しているだけです。
 何ら解決はできません。
 
 しかも、米がひとたび北朝鮮を攻撃すれば、ソウルは火の海、日本も甚大な被害を被ることでしょう。38度線には北朝鮮の大砲が南に向けて大量にあり、もし万が一の時には韓国で1000万人、日本でも100万人くらいの犠牲者は出るのではないかと言われています。
 そのような犠牲を承知の上で金委員長の首を取りに行くのか。とりあえず、戦火は避け、北朝鮮の核保有は認めその上で交渉し、金体制の温存を北朝鮮を国際的に承認し、経済支援をし、経済的に従属させて国際社会のルールに取り込んでしまうか、難しい選択です。

 しかし、今回の日本の総選挙で一つの答が示されたように思います。(これは全く私の推測ですが)
 それは、安倍首相が10月22日に総選挙を行うということは、それまでは大きな動きはないということ、逆にそれが終わればわからないということです。
 今や安倍首相はトランプ大統領の数少ない外交上の友人(ときには師匠)であり、ブレーンです。様々なことを相談し、情報を交換し合っているに違いありません。
 この時期、民進党のこととか、森友・加計のこととか言われますが、今を逃すと北朝鮮との問題で非常に手は打ちづらくなるものと判断したのではないでしょうか。
 北朝鮮と対話で行くのか、戦火を交えるのか、トランプ大統領のハラはもう決まっているはずです。それを安倍首相に伝えていないわけはありません。
 総選挙が終わった後、何か起こる予感がします。
 こんな予感は下衆の勘ぐりであってほしいと思いますが。


                          代表社員 前原 幸夫
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2017年09月01日

9月の言葉!「3は天、4は地、7は天地」

「3は天、4は地、7は天地」

 私は以前の本氣で70年周期説なるものをご紹介しました。
 70年ごとに大きな変化が起こっています。
 2015年(平成27年)は昭和25年生まれの人が65才になった年、いわば団塊の世代が65才になり現役をリタイアし、生産層から消費層へ移行した年ですが、その70年前は1945年まさに終戦の年、敗戦の年でした。
 それから約70年前1877年西南戦争で西郷隆盛が敗れ、武士の世が完全に終わった年であります。

 何氣なしに70年説なるものをご紹介したのですが、実は70年とりわけ7という数字には大きな意味があることを知りました。
 まず、7は3と4が合わさった数字です。3は古来より上中下、一度あることは三度あると言われるように、3点で物事は成り立つと言われています。
 神があり、男女がありそして子女が生まれる。三段階原則にあるように、3は天を表します。4は東西南北、四方の位置を示し、地を表します。
 従って、7は天と地の合計額なのです。7は天地創造を完成させた数と言われ、人間の営みも一週間単位であり、7は「完成数」とか一区切りの基本数とか言われるそうです。
 又、10は10進法とかに使われるとおり、天を意味する3が3段階を超えた合計額9に1を加えたものであり、完成を意味する数字なのです。
 従って、70は完成数7で一区切りできなかったものを10段階完成数である10をかけたものであり、「完全に物事が一区切りする数」なのです。
 即ち、70は古希のように一つの時期が終結したり、完成したり、古いものに限界が来て全く新しいものへ転換をする区切りの数というわけです。
 しかも、1945年から70年の2015年が大転換点であるとすれば、一区切りの完成数としての7年間が今進行中ということです。
 2015年から2022年、今が最も大切な時期ということです。
 戦後70年とは全く違う価値観を持ち、新しい70年に向かう準備を完成させる7年間です。あと5年です!!
 何をすればいいのでしょう。140年前は武士の世が去り、日本は鎖国から一転してヨーロッパを手本とした富国強兵の70年でした。
 そして、1945年太平洋戦争に敗れてから日本は日本人としての誇りや日本文化自ら踏みにじり、アメリカに迎合しアメリカの価値観一色にしてしまいました。
 大量生産、大量消費、弱肉強食、今2015年これらのアメリカの価値観ではもはや生存さえ危ない大転換期に入ってきました。
 140年前はヨーロッパを、70年前からはアメリカを手本としてきた日本、これからの70年手本とすべきものは日本文化です。日本文明と言ってもいいと思います。
 そのおおもとは日本伝統文化の再認識再構築です。
 古事記、日本書紀に源を発する日本文化にもう一度スポットを当て、自分のものとして生活してゆくことです。そして、この日本文化を世界のスタンダードとすることです。

 日本の神道は八百万の神です。どの国にもない他の宗教と対立することのない神々です。又、全ての国は権力で領土領民を支配する「うしはく」で成り立っています。領土領民を国王が私的に支配し、君臨する国。
主人(うし)履く(はく)=所有する国です。
「しらす」とは情報の共有です。「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力をして国を造ってゆくというものです。

 つまり特定の権威(権力ではなく)の元に皆集い、そこで情報を共有し皆で行なう。そんな統治手法です。
 真に聖徳太子が作られた十七条憲法です。「和を以って尊しとなす」です。
 これからの70年間、アメリカによって黒く塗りつぶされた日本人としての魂を磨く時です。
 自信を持って日本文化を高く掲げ、まず日本を再興し、そして世界に日本文化を拡げ安らかな穏やかな世界にしてゆこうではありませんか。
 これから5年が一つの区切りです。


                           代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 11:38| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

8月の言葉!「ミャンマー紀行」

「ミャンマー紀行」

 昨年から認定NPO法人日本ミャンマー医療人育成支援協会の事務局のお世話をさせていただくようになり、ミャンマーへの関心がにわかに高まっていました。
 昨年もミャンマーに行こうと思っていたのですが、昨年は入院等もあり断念していました。

 認定NPO法人日本ミャンマー医療人育成支援協会は、岡山大学名誉教授の岡田茂先生がもう30年程前からミャンマーの医療に対する支援を行ない、その事業を組織的に広域的に行なうために創られた認定NPO法人です。
 今まで数多くの病院・学校の建設、ミャンマーに対する医療支援、ミャンマーの医師研修育成教育、助産婦の研修・育成等々、ミャンマーの医療レベルの向上近代化に多大の貢献をされてきました。
 今回は新しい学校の贈呈式やクリニックや日本語学校の視察が主な目的でした。
 特に私は昨年11月に法制化した外国人介護実習生の受入れに係る諸問題を現地に行きこの眼で確認したいと思い同行させていただきました。
 岡山からは4名、広島、東京の方々を合わせ9名の陣客でした。
 成田から直行で7時間、7月12日の夕刻ミャンマーの首都ヤンゴンに着きました。時差は2時間30分。 私が学校で習っていたころはビルマという国名でラングーンという都市の名前でした。
 ちなみに今の首都はヤンゴンではなく、ヤンゴンより北に行ったネピドーという街です。
 初日は、故八田武志さんが寄贈した八田クリニックを見学、そして日本語学校へ。
 八田クリニックは歯科・産科・内科とあるようですが、たいした医療設備もなく産科の診療台がなければクリニックとは氣がつかない程でした。
 しかし、ミャンマーの地域の方々からは大変喜ばれているということでした。
 死んでも名前を残したいならぜひ病院や学校に寄付してみてはいかがですか。
 300万円位で出来るそうです。その後の運営は地元がやりますので安心です。
 又、日本語学校は約50名の若い女性ばかり。1階、2階が教室、3階が宿舎、2段ベッドが所せましと並び朝から晩まで、そして夜間まで日本語の猛勉強、半年である程度まで仕上げようと先生も生徒も必死です。
 何せミャンマーでは公務員の月給が8,000円、若い女性が日本語を習得し、日本へ実習生として来れば手取15万円は稼ぎます。これが3年続けばミャンマーに帰って億万長者です。皆目の色が違いました。
 翌日はみずほ銀行のヤンゴン支社を訪問し、日本からのお金の流れ又、ミャンマーからの送金方法いろいろと教えていただきました。

 午後は別の日本語学校訪問です。ホテル等と違い一般の市中の建物はエレベーターがありません。6階建て7階建てが立ち並ぶ街並みですが、どこの建物もエレベーターはないのです。
 急な階段があり、ビルの窓から紐が垂れ下がっています。
 ドアフォンの代りと物品をこれにぶら下げて地上から引き上げるためだそうです。

 3日目は午前中一人でヤンゴン市内をぶらぶらしました。
 市内の地図を片手に今いるところから地図で行きたいところまでペンで示し、タクシーと交渉です。
 タクシーはメーターがついていませんので全て事前交渉、最初に近寄ってきたタクシーの運転手は私が 3,000チャット(日本円で約300円)と言うと4,000チャット(約400円)と指を出します。私が指を3本出すと仕方ないとのせてくれました。
 市場、寺院ぐるっと廻ってホテルへと少しドキドキする小旅行でした。
 寺院は金箔が施され見事な佇まいでした。(ミャンマーは仏教国です)
 入口に大きな鳥籠がありその中にスズメのような鳥がぎっしり入れられていました。何にするのかと聞いたら放鳥でした、お金でそのスズメを買い空に戻してやる一種の施しです。供養や徳積の一種だそうです。
 私は狭い籠の中に入れられているスズメがかわいそうで、それこそ虐待ではないかと感じました。

 ヤンゴンは街もきれいです。道路には中古ですがきれいな車が走り、食事がおいしく全て安い。
 ホテルはツインの倍の広さの部屋が1泊朝食付で6,500円、ビールは 250円、食事1,000円。
 ミャンマーでは日本円は使えませんからドルに替え、さらに100ドルを現地通貨チャットに替えたところ、日本に帰ってもチャットが半分残っていました。
 雨期でそんなに暑くありませんでしたし、人情もよく安全、大変氣に入った旅でした。
                              代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:49| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

7月号の言葉!「宝石箱」

「宝石箱」

 山田方谷という人物を知ってからもう20年近くになります。当時はほとんど知られていなかったその名も今では全国的に評判となりご当地岡山では財界人を中心に山田方谷をより知ってもらおうとNHKの大河ドラマに取り上げてもらう100万人署名まで行われています。
 先日、私が親しくさせていただいているジュエリータナカの田中里味常務から「今、私山田方谷の本を書いているの」と衝撃の言葉を聞きました。
 田中さんは私より少し年下ですが、まさに才色兼備、美しさ、そして頭脳明晰、それでいて奥ゆかしい、女性の鏡のような人であり、又、方谷研究会や100万人署名の会「山田方谷さんを広める会」の世話人をされており、方谷に学ぶ経営者の代表的な方です。
 その方が今本を書いているということで楽しみにしていましたところ、今日(6月25日)田中さんよりその本をいただきました。
 題は『運命をひらく山田方谷の言葉50』というもので、致知出版社から出版されるとのことです。表紙には雲海に浮ぶ備中松山城、美しい写真が表紙を飾っています。驚いたのは推薦の言葉です。
 なんと、ノーベル生理学医学賞を受賞された北里大学特別栄誉教授の大村智さんの序文がまず最初に載っています。私は、すぐに大村教授がなぜ推薦の言葉を寄せているかを理解しました。

 2015年10月5日のノーベル賞を受賞した大村教授にNHKがインタビューを受け、それがテレビで放映されました。大村教授の後ろに「至誠惻怛」という色紙が掲げられており、私はハッとしたものです。「至誠惻怛」は山田方谷の座右の銘だったからです。
 大村教授も山田方谷に学び実践されているのかと興味を持ちました。
 「至誠惻怛」(しせいそくだつ)とは誠をつくし相手をいたわり思いやる心です。その心を持って事に臨めと方谷は説いています。越後の河井健之助が備中高梁で方谷に弟子入りし、郷里長岡へ帰るとき「はなむけ」の言葉として贈ったとも言われています。
 大村教授はなぜ至誠惻怛を飾ってNHKのインタビューに応じたのか(私は偶然おいてあったとは思っていません。)
大村教授も財政難から研究室の閉鎖を迫られ、その後北里研究所の所長として財政立て直しに取り組んでこられました。
 その時から山田方谷の藩政改革と相通じるところがあると感嘆し、「至誠惻怛」の心を研究及び研究所の基本に置いたと言います。(そしてノーベル賞です)
 大村教授をノーベル賞に導いたのは50年に亘る地道な研究はもちろんですが、その基礎にあった北里研究所の「実践の精神」と山田方谷の信条だったのです。

 大村教授は田中里味さんの本にこう書かれています。
 「本書は至誠惻怛をはじめ、心に響く山田方谷の言葉や詩が解説を交えて分かりやすく紹介されており、時々の心の持ち方、身の処し方に多大な影響を与えてくれるいわば言葉の宝箱といえよう」
田中里味さんが宝石店を営んでいるからこの文章になったのかもしれませんが、田中さんはいつもこう言われます。
 「なぜ私が山田方谷さんを学ぶのか、なぜ私がダイヤモンドを始めとする宝石を売るのか、それはどちらも本物だからです。どちらも長い年月をかけて磨かれたものだからです。」と。

 言い遅れましたが、この本は田中里味さん一人が著作者ではなく他に野島透さん、片山純一さんとの共著です。野島さんは山田方谷の6代目の直系の子孫であり、東京大学を卒業後現在の財務省に入省したエリート官僚であり方谷研究の第一人者です。
 又、片山純一さんは岡山県庁の職員として奉職し、現在は退職されていますが在職中は県庁のメンバーを中心とした「山田方谷に学ぶ会」のメンバーとして方谷の研究をされていた方です。
 「その当時、岡山県は最悪の財政状況でした。我々はこれを何とかしたい。そんな時、郷土に偉大な人物山田方谷が居たことを知りました。仕事が終わったあと皆が集まり方谷を学び岡山県の財政を立て直す報告書を作ったものです。」
 当時を振り返り片山さんはこう言います。
 野島透さん、片山純一さん、そして田中里味さんと異色の3人の共著であり、構成も山田方谷の言葉を50選びそれに解説を加えるといったもので、どこから読んでもどこを読んでも完結する形式になっています。
 開いたページに珠言の宝物と出くわすかもしれません。そういう意味では大村教授のいう色とりどりの宝石がつまった宝石箱です。

 野島透さんは、あと書きに、「方谷は貧しい家に生まれ、母を14才、父を15才で亡くしたけれども大志、夢を持って人生を切り開き多くの言葉や詩を残した。幕末から明治にかけて、大転換の時代方谷はいかに考え、いかに生きたか、その経験と知恵は必ずや現代を生きる人々にも多くの示唆を与えてくれるものと信じている。田中里味さんは経営者かつ女性の立場から、片山純一さんは専門家の視点から、そうすることで一人で書いたものよりも幅広い方々に読んでいただけると期待しています。この本を読んだ方が一つでもお氣に入りの言葉を見つけてくれれば望外の喜びである」と。

 宝石箱から氣に入った宝石がとり放題そんな本です。
 ぜひお読み下さい。

     
                         代表社員 前原 幸夫



posted by 前原幸夫 at 18:19| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする