2019年08月01日

8月号の言葉!「やればできる」

10年ぶりに中国の内モンゴル、ゴビ沙漠の一つ、クブチ沙漠とウランプハ沙漠へ植林のために行って参りました。

7月4日に福岡空港を立ち、北京一泊、翌早朝に北京を立ち、クブチ沙漠の恩格貝へ。ここで「地球倫理の森」創成プロジェクト20周年の祝賀会を行い、翌7日、ウランプハ沙漠へ移動し、植林を二日間、また、北京に戻り、翌日帰国というハードなスケジュールでした。

(一社)倫理研究所が行っている植林活動は20周年ですが、この植林の生みの親、故遠山正瑛氏が最初に沙漠へ植林に行ったのは、今から約35年前、遠山正瑛氏が80才の時でした。
その頃の内モンゴルは、中国政府も沙漠化を食い止められず、街は激しい砂嵐によりゴーストタウン化し、2,000万人以上の人々が飢えた難民となっていた、「死の土地」でした。
しかも、クブチ沙漠だけで、四国ほどの面積があり、その中を遠山先生はスコップ一本を持ち、日中40度を越える中、毎日数十キロ歩き、手作業で水源を探り木を植えたといいます。それが今の恩格貝というところです。

10年前にも一度行ったことがあるのですが、その時とは様変わりし、ポプラは幹が太く背丈も20〜30mと成長し、周囲は青々とし、今や中国の子供さんの研修の地になっているということ。本当に驚きました。ここ恩格貝での植林作業は沙漠へ到達するまでの距離が長すぎるため、今はここから3時間ほど奥地に行ったウランブハ沙漠で行っているとのことです。(もちろん我々の植林もウランブハで行いました)

10年前とは見違える沙漠、いや緑の大地です。包頭(パオトウ)という飛行場のある都市から恩格貝まで10時間以上かかり、黄河を渡るときには、バスから降り、(バスが浮橋を渡るため重量を軽くするため)悪路をバスに揺られながら行っていましたが、今は高速道路がつき、約3時間で到着。そのバスから見える光景も、延々ととうもろこし畑や野菜畑が拡がり、遥か彼方まで太陽光発電の施設が拡がるという有様です。かつての沙漠は豊かな大地と変貌していました。





10年前は帰国の途につく時、現地の人々に汗まみれの下着をおいていって欲しいと頼まれ、こんなものでいいの?と思いながら、下着を置いて帰った記憶もありますが、今はそんな必要もなく、家も前は泥を塗りたくったような家でしたが、今はカラフルな立派な家が立ち並び、車もあり、本当に豊かな生活になったんだなと実感しました。

これも、何も取れなかった沙漠から緑の豊かな大地になったご褒美なのだと確信しました。今は、青々とした森がどこまでも続き、とうもろこしが実り、水路がはりめぐらされ、交通道路が引かれている沙漠ですが、遠山先生が着手した35年前は全くの沙漠。木が一本も生えていない沙漠でした。

ここに80才の老人が一本一本ポプラを植え、多数の日本人が中国に渡り、これを支援し今では中国の国家的行事となっているようです。
最初の一本。これを植えようと思う意志の強さ、志の高さ。これには敬服以外の何ものもありません。中国で生前に銅像の立った人物は二人。一人は毛沢東、一人は遠山先生だそうです。

緑豊かな恩格貝にその遠山先生の銅像はあります。
2004年(平成16年)2月27日97才で亡くなられました。

スコップを持ち、ポプラを植えておられました。スコップを持った先生の像は、青々とした沙漠の方を向いて微笑みかけているように見えました。

そして
「やればできる やらなければできない」
「やめた時が失敗 やり続けていれば成功」
と我々を励ましているようでした。





代表社員 前原 幸夫
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2019年07月02日

7月号の言葉!「チャリティー二人会」

令和元年6月1日 私どもの創業満34年でした。

毎年なにがしかのイベントを行っているのですが、今年は倉敷、特に真備町の水害もあり倉敷でチャリティー講演会を企画しました。

真備町は私の母の実家のある町で、幼いころから交通の便が悪い母の実家へ手を引かれながら歩いて通った記憶があります。ですから、あの水害の映像をみて、あつ有井だ、辻田だと地名が出てくるくらい、鮮明な記憶のある町です。倉敷の復興に少しでも協力したいという念いでの今回の企画となりました。

講師の方、内容をどうしようと思っていた3月9日(ありがとうの日)東京で清水英雄先生が主催する有賀燈の会があり、そこに檜山うめ吉さんが参加されていました。檜山うめ吉さんは倉敷市出身であり、現在倉敷市の観光大使を務めており、出会った瞬間「この人だ」と直感し、6月1日のオファーをし、快諾をいただきました。

着物で日本髪を結い、三味線を弾き、端唄・民謡・都々逸等々。純和風のアーティストであり、日頃なかなか接することのない世界と思い、当日を楽しみにしていました。

私も、うめ吉さんの三味線で都々逸を練習したことがあり、日本文化ともいえる粋な世界は日常の憂さを忘れるには絶好のものですし、又、日本人を自覚するのに十分なものがあります。
ちなみに、都々逸は、江戸時代末期、初代都々逸坊扇歌(1804年〜1852年)によって、大成された口語による定型詩七・七・七・五が基本で、寄席などでは演じられることもあるようですが、今ではあまりなじみのない俗曲となりました。

主に男女間の恋愛を題材としたものが多く粋な世界がそこにはあります。少しご紹介すると、

 惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
いやなお客の 親切よりも 好いたお方の 無理がよい
 あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
 あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
サザンオールスターズのこんなものもあります。
恋の花咲くロマンの都 女ばかりに氣もそぞろ 
夢もほころぶ小意氣なジルバ君と銀座のキャフェテラス

高杉晋作の有名な都々逸
三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい

当日は約一時間、俗曲を解説しながら唄ったり踊ったりと日本の古典芸能の世界を満喫させていただきました。

会場はお陰様で超満員。チャリティーということをしつこくアナウンスしたため、募金額も213,855円とかなりな金額に達しました。それに私どもの社員そして会社からも捻出し、合計100万円を、6月13日に倉敷市の方へ寄付させていただきました。当日は伊東市長自ら受け取っていただき、「まだ、仮住まいをされている皆様方のご支援に使わせていただきます」というお言葉をいただきました。

その折、小田川の決壊箇所の修復工事がやっと終わったところですというご報告もいただきました。
晴れの国岡山は災害とは無縁の地と私自身も思っていましたが、かくももろくも、崩れ去った今、まさかは常に起こると心して対処する必要を再び確認させていただきました。堤防は水の侵入から我々を守ってくれているのではなく、
水の侵入する時の避難する時間をかせいでくれていると心して対応しなければなりません。また7月6日7日がやって来ます。
どうか、自然の力を甘く見ず、早めの対応を心がけましょう。


6月1日 チャリティー二人会へのご協力に心より感謝申し上げます。





代表社員 前原 幸夫
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2019年06月03日

6月号の言葉!「ヒカリ届けます 遥かカナタまで」

ヒカリカナタ募金いうNPO法人が岡山にあります。
これは発展途上国の盲目の子どもたちを手術により目が見えるようにしよう、そしてその手術費用を皆様からの寄付によって捻出しようと、意図して創られたNPO法人です。これまでに125人の子供さんの目が見えるようになったとのことです。

理事長は竹内昌彦先生です。先生も全盲です。
1945年、お父様の赴任先である中国天津で生まれ、終戦を迎え、日本に引き揚げてこられました。その船中、肺炎を患い瀕死の状態で帰国、その高熱が原因でほとんどの視力を失い、その後完全に失明。 

東京パラリンピックで金メダルを取られた後、盲学校の教師となられ結婚。そして長男誕生。しかし、長男は重度の脳性小児マヒに侵されており、7年後には余りにも早い別れ。岡山盲学校で教師を務める傍ら、「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに講演活動を続けられ、
その後20年でなんと2000回。私も今から30年程前、岡山ももたろうL.C主催で、先生の講演会を企画させていただいたのが最初の出会いでした。

そうした収益金や寄付金などを基に、2011年にモンゴルに盲学校を設立、また2015年にはキルギスにも設立し、発展途上国の目の見えない人々の自立支援に携わってこられました。ある時、その盲学校に入学希望する全盲の子供たちの中に、手術すれば治り、目が見えるようになる子どもたちがたくさんいることに氣づき、手術費用を集めるために「ヒカリカナタ募金」を設立されました。

今まで125人が手術を行い、目が見えるようになりました。手術すれば目は見えるようになるのに、その手術代がないのです。
しかも、程度の差はあるものの、手術にかかる費用は日本円で1人3万円前後です。手術すれば治るのにその子も辛いでしょうが、その子供さんに寄り添うご両親は一層辛い思いをされていることでしょう。

愛する我が子のために、手術代を用意することができない。どんなに悲しく辛かったことかと思います。




125人のうち一人、ミャンマーのヤンゴン国立眼科病院で手術をし、目の見えるようになったピピ君(8才)影像がHPにあります。

手術が終わりその翌日、目を覆っている厚い包帯が取り除かれます。「こわいこわい」と目をなかなか開けないピピ君。
「目を開けてごらん」と促されやっと目を開けます。
医師が手を拡げ何本?と問いかけます。ピピ君は「5本」とはっきり答えます。その傍らで、心より喜び抱きついてゆく老婆の姿がありました。なんとも感動的なシーンです。

老婆は言います。
「この子の目が見えないと分かった時、この子より先に死ねないと思いました。私が死んだら誰がこの子を守ってくれるのかと。この子に将来の希望が持てました。こんな日が来るなんて」と満面の笑みです。

3万円の浄財は、この少年の目を見えるようにしただけではありません。この少年やそれを取り巻く多くの人々を絶望から希望へと導いたのです。3万円は決して少額ではありません。しかし、今の日本の人々の3万円とモンゴルやキルボス、ミャンマーの人々の3万円とは大きく違います。どうか、少し生活を切り詰め、ほんの少し節約いただき、厚かましく振替用紙を同封していますが、ヒカリカナタ募金への御寄附をお願い申し上げます。


「ヒカリ届けよう 遥かカナタまで」






代表社員 前原 幸夫
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2019年05月01日

5月の言葉!「繋ぐ」

この本氣5月号がお手元に届くころには、もう「令和」でしょうか。

新しい時代の幕明けです。

しかし、元号が変わるのは天皇がお替わりになるからです。天皇の御世が替わるのです。そのことの方が元号が替わるより、はるかに意義深く日本国民にとって大切な意味を持ちます。

日本の国柄とでも言いますか。一言に言って日本とは…と尋ねられた時、あるいは日本の本質とは…と尋ねられた時、どう答えるのでしょうか。

日本とは海洋に囲まれ、南北に連なる国土を持ち、豊かな自然の恵があり、その恵が八百万の神々のおかげ様と感謝しつつ、自然と共生し、国民は天皇が示される高徳を汲み取り、天皇は常に国民を我が子のごとく愛し安寧を祈り、天皇と神様、国民の生活と道徳とが一体となって世界でも類を見ない3000年に亘って栄えて来た国であると。

その天皇の御世が平成31年4月30日で御退位され、翌5月1日、皇太子殿下が新しく天皇として御即位されます。その時、元号も又、平成から令和へと替わってゆきます。

30年にわたり、日本国の中心としてお勤めを果してこられた天皇陛下に、深甚なる感謝の思いを捧げるとともに、新たに皇位を継承される皇太子殿下に心よりお祝いを申し上げます。

それに伴い元号が改められます。
元号とはどんな意味を持つのでしょう。

1. 元号は国家独立のシンボル。
元号は古代中国の漢の時代(紀元前140年頃)武帝が「建元」という元号を建てたのが始まりとされ、日本では7世紀「大化」から始まります。(西暦645年)その後、約半世紀の空白はありますが、「大宝」(西暦701年)が制定されそれ以降、約1300年間一度も途絶えることなく今日まで続いています。その意味は、日本国が一貫として存在し続けた証だということです。他の国家に従属していなかったということです。元号は「世界で唯一の無形文化財」という学者もいるほどです。


2.国民統合の象徴
国内的に言えば、元号は国家統一国民統合の象徴だとも言えます。
慶応以来、天皇の御在位の間は一つの元号を用いる「一世一元」が定められました。元号が天皇の御治世と一体となり、天皇と一体となって国民の生活が繰り広げられてゆくのです。

平成元年から30年、平成の御世は平成の天皇陛下と国民が喜び悲しみの共有から成り立っています。単なる物理的な時間ではなく、文化的な時間がそこにあります。

日本人を日本人たらしめる、日本国民として統合してゆく偉大な、そして目には見えない心理的な支柱が元号です。



3.時間に祈りを込める
元号にはそれぞれ意味があります。

平成は「内平らかに外成る」
昭和は「百姓昭明にして萬邦を協和す」

という、その時代時代の目指すべき世のあり方、願いがそこに込められています。時間に祈りを込める、しかも天皇の御世によって一つの区切りをつけ、無限の時の流れを有限なものとして国民一人一人のその時の流れを自覚し、天皇陛下の願い、祈りを国民に一人一人の願い祈りとして時を刻んでゆくのです。こんな精神的にも文化的にも豊かな民族は他には存在しません。万世一系の天皇が脈々と2600年以上続いている他の国がないように。






代表社員 前原 幸夫
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2019年04月02日

4月の言葉!「令和に想う」


昨年9月、青森へ旅した時、偶然にも三内丸山(さんないまるやま)
遺跡へ立ち寄り、縄文時代の生活に触れることができました。

その生活は、私が昔、歴史の教科書で習ったものとは大きく違い、その生活レベルの高さや豊かさに驚ろかされたものでした。 

縄文時代とは今から約1万5千年前から2500年前までの約1万年程の期間の時代です。

縄文の名付け親は、大森貝塚を発見した、アメリカ人 エドワード・モースが、貝塚から出土した土器に縄の文様が施されていたためでした。

私が習った縄文時代とは、ほら穴のようなところに住み、定住生活はせず、狩猟採集に明け暮れ、原始的な野蛮な時代であり、歴史上スポットはあびていませんでした。

そして、稲作を行い、高度な文明を持つ民族が朝鮮半島からやってきて(弥生人)、縄文人は日本から追われ、やがて農耕を中心とする文明が日本に花開き、卑弥呼や後の天皇家へと継承されてゆくというものでした。いわば、縄文人と弥生人を祖とする現代日本人は別物と考えられていました。

ところが、三内丸山遺跡にみるように、過去年代の測定技術の進歩により、縄文時代は定住し、村を形成し、狩猟採収だけでなく栗などの人工栽培や、食材を倉で貯蔵し、煮たきものを行い、食品の調理など、生活面でも文化面でも高度なものを持ち、縄文人がやがてゆっくりと弥生人へとなり(もちろん朝鮮半島からの渡来人と融合し)現代日本へ脈々とつながっているというものです。 

現在の日本人のルーツは、今から1万5千年程前の縄文人だというのです。事実、三内丸山遺跡での生活は、竪穴式の住居がいくつも点在し、高床式の食料を収納する大きな倉庫があり、集会場のような建物もあり、村を形成しています。食べ物も研磨された石器でイノシシやシカを狩り、魚を釣り、主食の栗は人工的に栽培し、煮炊き、味付けし、色々な地域(北海道や北陸など)と交易していたことを数々の出土物が証明しています。縄文人は安定した生活を送っていた文化人であるという認識です。
しかし、その縄文人はなぜ稲作をしなかったのでしょうか。
様々な地域と交流があり、当然、朝鮮半島とも交流があったはず。稲作も知っており、栗の栽培は行われているように稲作もしようと思えば出来たのではないでしょうか。

一つの仮説ですが、縄文人は農耕、稲作を拒んだのではないか。わざと取り入れなかったのでないかというものです。なぜなら、農耕は戦争を発生させることを縄文人は知っていたからだというものです。

 稲作は富が蓄えられ貧富の拡大が起こり、やがて支配者が現れ(被支配者が現れる)てゆきます。水田耕作は栗の木栽培とは比べ物にならないほど、大規模化され、人々の共同作業を必要とします。それを総括するトップ集団も現れます。余剰の富や人口が新たな農地と水利を求め争いを起こします。

日本でも組織的な戦争は弥生時代から始まったと言われています。三内丸山遺跡では、多くの出土物の中に武器のようなものはありませんでしたが、弥生以降は数多く出土しているそうです。

穀物の高栄養が寿命をのばし、幼児の死亡率を下げ、穀物から離乳食も造れるため乳離れが早まり、多産も可能となり、人口は急増し社会問題化してゆくのです。

その人口増を解決する手法が戦争による田畑拡大(領土拡大)と言うのであります。縄文時代、すでに大陸では戦争が起き、朝鮮半島にも迫っていました。それ故、縄文の人々は稲作農耕を拒絶したのだというものです。
これが稲作という文明の道具を捨て戦争を拒絶した縄文人のありよう、ありかたなのです。 

もうすぐ、新しい御世が始まります。今までの30年、テクノロジーは人類に利便性や豊かさをもたらしました。そして、これからの30年、このテクノロジーの進歩はさらに加速してゆくことでしょう。その時代は私たちに人間としてのあり方や社会システムに対する根本的な問い直しを求める30年間になるでしょう。(縄文人が自らの幸せとは何かを問い続けたように)

今、その幕は切って落とされようとしています。

代表社員 前原 幸夫
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2019年03月01日

3月の言葉!「開国元年」

 平成最後の年も早2ケ月が過ぎようとしています。

 激動の年とか激変の年とかよく耳にしますが、経済を全体的に見れば今年ラグビーのワールドカップ 来年は東京オリンピックが終わったら?と思っていたところ、2025年大阪万博とビッグイベントが目白押しです。とりあえず2025年までは景氣はもつのかと氣分的に安堵しているところです。
 それに異常氣象、又それによる災害に対する投資も増えることでしょう。最近の夏場の高温に対し、小中校ではエアコン工事が始まるようです。又、水害に対する備えもどんどんと投資してゆくことでしょう。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは「コンクリートも人も」というものに変わり、国土強靭化の名のもとに公共投資は好調に推移してゆくことでしょう。

 問題は人です。
人も4月から外国人労働者の受け入れが始まります。今までの外国人実習生とは全く違う制度が導入されるようです。女性や高齢者の戦力化とともに外国人に頼るウェートが大きくなってゆくことでしょう。

 しかし、これは良いことばかりではありません。いやむしろ悪い面が多いのかもしれません。詳細は未だ全て決定していないのですが、外国人労働者が増えれば、犯罪も増えてくるでしょう。外国人労働者にとっては月額20万とか25万という給与は、自国での稼ぎの10倍以上にもなるようですが、彼らを雇用する日本企業にとっては良く働く労働力が安く手に入ることになます。そうすれば日本人の給料も上らなくなり、下る可能性もあります。
 
 又、日本人へ支払う給与は日本国内で消費に廻り、それがまた生産されるという好循環を生んでゆきますが、外国人の給料はほとんど日本国内で消費されず、母国へ(親元や家族の元に)送られます。給料がGDPの60%を占める個人消費に廻らなくなり、経済の再生産機能が果たされなくなるかもしれません。とにかく4月からの外国人労働者の雇い方については注目しなければなりません。

 日本人の労働力が減少してゆく中、日本人の消費が伸び悩む中、外国人の労働力、インバウンドによる消費というものに期待してゆかなければならないのが今の日本の悲しい現実です。
 
 ここで大切なことは日本人労働力の質の向上です。
人手、人財は外国人や非正規社員やパート、機械化、AI化によって補っていけますが、それを束ね指揮監督する人財、組織のモチベーションを上げ将来を見据え、手を打ってゆける人財、マネージメント力のある人財が日本人正社員の仕事になってゆきます。この人財を育てられない企業、この人財に育たない社員は退場せざるを得なくなります。ますます人財能力による企業格差がついてゆく時代になります。

 社員の質を上げてゆかなければなりません。他社に比べ自社の強味を理解し、それを更に磨いていこうという強い意志と時代の流れをしっかり把握し、それに対応できる柔軟さとコツコツ足元の基本事項を成し遂げる向上力が必要になります。まさに鳥の目、魚の目、虫の目を兼ね備えた人財が必要となります。

質を上げるには量を上げることです。
「質は量から生まれる」です。

基本的な仕事の量、少し高度な仕事の量、読書の量、対外的な活動の量、出会う人の量、学ぶ時間の量、己を磨く量・・・
全ての量を上げることです。
様々な学びの機会を増やすことです。

人は出会いによって変わる、
いや人は出会いによってしか変わりません。
人との出会いによってしか成長しないんです。






代表社員 前原 幸夫
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2019年02月01日

2月の言葉!「ツルの恩返し」


 「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」

これは、石川五右衛が詠んだ辞世の句です。

どんな世になっても盗人がいなくなることはないと、高笑いをしている五右衛門が想像できます。

今、盗人よりも世の中を騒がせているものが特殊詐欺です。

盗難は、盗られた盗まれたという感情だけですが、詐欺は騙された相手の思うツボにはまったという、自責の念がプラスされますから、感情的にはショックが大きくなります。この特殊詐欺で有名なのはオレオレ詐欺と言われるものですが、最近ではもっと手の込んだものが見られます。

私にも届きましたが、架空請求の通知書です。しかも、裁判所とか警察とか公的な機関を名乗り、もっともらしく郵送されます。手にした瞬間は、いったい何のこと?と驚き慌てることも多いと思います。

「ありがとう」で有名な清水英雄先生も詐欺に遭われました。(これは先生が皆様にも是非、詐欺の実態をお知らせして欲しいとの要望で書かせていただいています)

昨年末、中野区役所を名乗る人物から一本の電話がありました。
清水英雄先生に還付金を振込みたいので、銀行に行って入金の手続きをして欲しいというものでした。
電話を取ったのは奥様です。奥様はキャリアウーマン。法人の経理事務や資金の運用など、世間の動きには鋭く、ご主人とは違い(失礼)金銭的にも大変しっかりされた方です。最初入金通知の電話があった後、今度は本人確認と称し、再度電話が入りました。これですっかり信じたということです。中野区役所が本人確認をすることで、正式な通知であると思い込ませたのでしょう。
こうなれば、赤子の手をひねるようなもの。

何の疑いもなく奥さまは翌日銀行に行き、ATMの前で、電話で指示された通りキーを打ちます。あっと言う間に通帳の残高は0になり、全額は電話の主の口座に振込まれたということです。
こう書くと、何で?と思いますが、それが人間。
私を含め全ての人が狙われていますし、騙される可能性があります。

なにせ、平成29年 1万8千件を超える事件が発生し、500億円の被害が出ており(1件当たり270万円)、莫大な金額です。
もはや一大産業、一大ビジネスといっても過言ではありません。


こんな昔話があります。

ある冬の雪国でのこと。
夜、おじいさんが自分の仕掛けた罠を見に行くと、そこに一羽の鳥が引っかかっておった。おじいさんはかわいそうにと、その鳥を放してやった。数日経った夜、おじいさんの家の戸を叩く音がする。おじいさんが出ると、若くてきれいな娘が、道に迷ったので宿を貸してくれと手を合わせる。おじいさんは、はいはいと娘を泊めてやり、娘はその御礼にとハタを織るのでこの部屋には良いというまで入らないで欲しいと言って部屋に閉じこもった。朝昼晩、食事を用意し、何ヶ月か経った。おじいさんが、もういいだろうと覗いてみると、ハタ織りの機械にはハタどころか何も織られていなかった。

おじいさんは怒って、その娘に言った。「何ヶ月も何をしていたんだ ただ飯食って」娘はその問いには答えず、その部屋の窓から鳥となって大空へ舞い上がって行った。おじいさんはその後姿に向かって、「おーい!お前はツルではなかったのか?恩返しはしないのか?」と叫んだ。

その鳥は振り向き、ニヤッと笑って言った。
「いいや、私はツルではなくサギだ」と・・・

(警察曰く)
一番氣をつけて欲しい方は、、、
「私は絶対に騙されないと思っている」あなた!!




代表社員 前原 幸夫
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2019年01月01日

新年あけましておめでとうございます    

新年あけましておめでとうございます。
皆々様、お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

旧年中は、まさかの豪雨災害で、晴れの国岡山も災害はない県ではなく、まさかに対し
備えを万全に行う必要があることを強く感じ、また自然の威力、すさまじさにただただ頭
を下げるだけの年でした。
 
今年は世の中が変わります。天皇陛下がご退位され、皇太子殿下がご即位される記念すべき年です。

今年は皇紀2679年 脈々と続く日本の国柄。
この「日本の国柄」を再認識する年となりそうです。
神武天皇は「八紘(あめのした)を覆いて家となす」すなわち日本国を屋根で覆い、すべての国民が一つの家族となって助け合い譲り合い、争いがなく勤労勤勉を以って、衣食を豊かにし、道徳を生活の規範とした道義国家の実現を目指しての国を始められました。

 今年、天皇陛下のご譲位に当たり、ご退位からご即位に至る様々な行事に、私たちは日
本人としての誇り喜びを十二分に味わうことができるに違いありません。今から楽しみに
しています。

 さて、経済の面では、今年は何といっても消費税10%引き上げが10月1日から行わ
れます。今回の改正は消費税の将来を暗示しています。それは、複数税率とインボイス方
式の導入です。
将来10%を15%20%に引き上げる布石です。実務的にもしっかり対応してゆかな
ければなりません。
 
 税務に目をやると、やはり事業承継税制の活用が本格化します。我が社でも着々と準備
を進めておりますが、今年は一社一社、丁寧にご提案させていただきます。
事業承継は10社10色 一社一社すべて状況が違います。
税法の適格な理解と、家庭内や社内の人と人との人間関係を壊さないよう、いや、承継
でより人間関係が深まるような、人的にも強靭になるような承継プランが必要となります。経験豊かな税務に精通したスタッフが万全の備えをさせていただく所存です。
団魂の世代が去った(リタイア)あと、労働力不足は深刻化しています。それを外国人労働者でまかなったり、定年を70才に引き上げたり、女性の活用を推進したり、様々な方策が考えられています。
機械化、AI化も大きな手段です。働き方改革は生産性向上改革でなくてはなりません。
この両立ができない企業は生き残ることができません。

来年2020年は東京オリンピックです。
オリンピックまでは景氣はなんとか持つだろうと誰もが思っていましたし、その裏には
オリピックが終わったら?という疑念もありました。
しかし、2025年今度は大阪万博です。余命が少し伸びました。2025年までは何
とかという氣分です。
この氣分が大切です。決して上すべりしない着実に地に足をつけた働き方と生産性の向上、これを図ってまいりましょう。
既にスタートは切られています。

働くことが真の喜びとなるように生産性の向上が喜びの源となるように自ら高めてゆき
ましょう。
世は追い風しっかり帆を張り雄々しく前進しましょう。
久遠も万全の体制でフォローさせていただきます。

今年一年が皆様方にとりまして、
より一層飛躍の年となりなりますようお祈り申し上げます。

 

平成31年 元旦 
税理士法人  久遠
代表社員 前原 幸夫
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2018年12月06日

12月の言葉!「相続税あれこれ」

「相続税あれこれ」 

最近とみに相続税の申告が増えてきました。
 平成27年1月1日から改正された相続税の基礎控除が従前の60%に引き下げられたことが大きな原因です。
 以前であれば、奥さんがいなくても子供2人いれば7000万までは相続税の納税も申告も不要だったのが、今は4200万。少し財産がある方なら課税されます。
 なぜこんな相続税の増税を行なったのか。
それは、今の老人の方々の財産を経済の活性化に使ってもらい、残った分には課税するという思惑からだろうと思います。

 総務省の調査によれば60才以上の方が世帯主である世帯の貯蓄残額は、2014年9月の統計では、1654兆円、今後10年間に相続により財産が移転する金額はなんと500兆円と予想されています。
 法人税率は下げ、住宅資金や教育資金の贈与の特例で若い世代に預貯金を移転し、経済の活性化を図るとともに、使い切れず残して亡くなった場合には重い相続税を課税するぞと脅し?それなら生前に使って死ぬかということも狙っているのかと勘繰りたくもなります。

 相続税の課税についてはさまざまな論議があります。
 相続税は所得税を払った後の財産に対する二重課税だと廃止を主張する者から、財産は一代限りであり公平な社会を実現するために親の財産は100%国が没収してしまえという者まで、幅広い論議が行われています。
 そもそも相続税の課税の根拠は何でしょうか。
 相続税のない国もありますし、アメリカなどはブッシュ政権時、一時相続税の税率ゼロ%にしたこともあります。(今でも基礎控除は6億円です)
 なぜ親が死に、その親の残した財産に課税されるのか。しかも基礎控除下げて一部の資産家からというより大衆から。
 それは一言で言えば、相続財産の担税力にあります。
 親が残した財産を子は労せずして自分の財産にできます。そこに税金を負担する能力が発生するというものです。汗水垂らして稼いだものではなく親の財産が転がり込んだのだから、税金は払い易いだろうというものです。
 もう一つ、富の再配分機能を強化させようとする狙いです。富めるものはさらに富、貧しい者はますます貧しい。そんな社会を作らない為に格差社会を固定化させないために富める者が死んだ時、相続税を課し、国がその税という形で富の一部を没収しそれを貧しい人々へ社会保障という名で還元していこうとするものです。
ただここで問題があります。
親からもらった財産に本当に担税力、税金を負担する能力があるでしょうか。確かに現金とか預金、上場株式、投資信託、国債等、現金として使える物を相
続した場合には担税力が発生します。
 しかし、土地、建物、自社株式等は一切担税力が発生しません。
 しかも相続財産の多くはこの担税力のない財産で占められていることが多い
のです。
 親が持っていた自宅に息子が居住するのだから、息子は自宅を建てる必要がないから、担税力はあるだろうと言われるかもしれません。
 しかし、生前親の名義の住宅に息子が無償で住んでいたからと言って贈与税はかかりません。不動産、特に居住財産は〇〇家の財産として次代へ引き継いでいかれるべき財産だからです。
 又、貸家、貸駐車場などの土地、建物については、毎年不動産所得税を支払っているのであり、その名義が親から子に変わったとしても土地、建物の収益力は変わらず担税力は持てません。(担税力は売却した時発生します)
 相続により税金を負担できる担税力のある資産とそうでない資産に分けて、課税が行なわれるべきではないでしょうか。
 
 次は富の再分配が相続税によって機能しているかという点です。
 2017年決算額の内訳は国税収入約60兆円のうち、所得税約18兆円、法人税約12兆円、消費税約17兆円に対し、相続税は約2兆円です。この2兆円で富の再配分が可能でしょうか。
 貧困率というものがあります。その詳細は述べませんが、日本では16%6人に1人が相対的な貧困という調査から見ると約2000万人の貧困者が日本に居ることになります。
 2兆円を2000万人に分ければ、年に一人10万円です。これが富の再配分と言えるでしょうか。
 もっと言えば、税の仕組を使って富の再配分を行なうことに土台無理があります。相続税にますますこれから重税感が増して来ます。なぜなら一昔前のような金利水準なら相続税を負担しても残った財産が高金利でまた増えていきましたが、しこたま蓄えた親の財産に相続税が課税され、(しかも担税力のない土地・建物にまで)手許に残った財産で残された家族は老後を過ごしてゆかなければなりません。
 親の財産を当てにしない老後の収入計画を若い時からしっかり立てておく必要があります。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:50| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

11月の言葉!「みちのく紀行」

「みちのく紀行」

 私の妻がさだまさしの大ファンということは以前何度かご紹介したと思います。さだまさしのコンサートを追いかけて日本全国に行くわけです。もちろん一人では行けないため(方向音痴)いつも私が同伴します。私は岡山の周辺会場よりも出来るだけ遠くに旅行を兼ねて計画します。
 今回も青森のコンサート会場を押さえ、十和田湖へという予定を立てま
した。その話を聞きつけ私の同級生、うどん名玄の平井さんご夫妻も連れ
だっての旅となりました。
2泊3日、初日はコンサートがありますので、コンサート会場近くのホ
テルに宿泊。コンサートが終り近くの寿司屋で一杯、みちのくの味を堪能し、次の日は十和田湖です。
レンタカーに乗り、ナビ頼りの旅ですが、平井さんご夫妻が同行した
いと言われた時、私に一つのアイデアが浮かびました。私も以前行なったのですが、平井ご夫妻に続婚式(・・・)をやらせようと。
 ご夫妻の仲睦まじさは相変わらずですが、彼らの指には以前の私たちのように結婚指輪がありません。
 うどんをこねるという関係からかもしれませんが、以前から私は氣になっていました。
 続婚式の話をするとすぐに乗り氣で結婚(続婚)指輪を購入し、今回の旅行となりました。本人たちの希望により、神前が良いということで、青森市内の由緒ある神社に伺ったのですが、あいにくその日は大祭の日であえなく断られ、それならと地図で探すと、十和田湖畔に十和田神社があることが分かり車を走らせました。

 外国人のお客様が多い中、十和田神社の参道で(その日平井夫人は足を怪我しており神殿までの長い階段を上ることが出来なかったもので)
行ないました。私たち夫婦が仲人役、指輪の交換、誓いの言葉をお互い交わしキスの代わりに握手を。その近くの土産物屋の食堂でお神酒で乾杯で終了です。今も二人の指には真新しい指輪が輝いています。

 2日目の宿はあの有名な酸ヶ湯(すかゆ)温泉!
何で有名かというと、冬には4mを超える積雪で冬場にテレビによく出てくる温泉宿です。もちろん、私の行った時は雪はありませんが。
「混浴ヒバ千人風呂」という開湯以来300年以上経つ湯治場です。
豪華さはありませんが、昔ながらの湯治の湯にひたり、混浴にドキドキしたりと、それはそれで楽しい一泊でした。
 最終日、青森空港発の飛行機は夕方ですので時間もたっぷりあり、どこへ行こうかと考えていた時、平井さんが道路標識を見つけ、そこへ行こうということになりました。私は「え〜っ」と思いましたが、他に当てもないため、言うことに従い行ってみました。
 
そこは、三内丸山遺跡(さんないまるやま)という縄文時代の大規模な集落の跡です。縄文時代前期〜中期、今から約5,500年前から、4,000年前です。
5,500年から1,500年間ここの集落は続いていたそうです。
縄文時代、これまでの私のイメージでは縄文時代、人々は洞穴に住み、貝や獣を捕り生活しているという暗いイメージを持っていましたが、ここ三内丸山は違いました。
 集落の広さは約40ヘクタール、竪穴式の住居、墓、高床式建物(倉庫のような)、それから地上12mにも達する堀立柱建物(祭祀用で使ったのではないかと言われています)、数多くの住居跡があり(なんと柱の間隔は全て4.2m長さの尺度があったことを伺わせます)、数多くの板状の土偶や交易をうかがわすここでは取れない翡翠や黒曜石なども出土し、展示されていました。
村人は約500人に達し、自家栽培した粟を主食に、クルミ・とち・えごま・瓢箪、牛蒡、豆そして海が近いこともあり魚を捕って食べていたということです。

 驚くべきは、1,500年間に亘り、平和で穏やかな生活がここで営まれていたという点です。
 多分、上下・貧富・争いなどなかったのではないかと想像できます。
 なぜならば、この遺跡からは人を殺傷するよう武器は出土されていないということ。食料を貯蔵する倉庫があり、皆が平等に食し、住居跡も大小さまざまありますが、特権階級が済むような住居跡はありません。

 その頃、今から5,000年前と言えば、メソポタミアやエジプトでは王が居て、奴隷が居て、富める者と貧しい者の階級がはっきりしていたことを思えば、なんと素晴らしい遺跡であることかと改めて驚き畏れ入ります。
そこに住んでいた人々は、定住もせず原始的な生活をしていたというイメージを遥かに覆す文化的で科学的で健康で平和で豊かな共同体生活を5,000年前から続けてきたのだということに驚かされ、もっと日本人のルーツに近づきたいと思った旅でした。


代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:43| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする