2019年11月01日

11月の言葉!「永遠のY」

令和元年5月1日 第126代の天皇陛下が誕生し、10月22日天皇が御即位されたことを内外に公に宣明される「即位礼正殿の儀が」行われました。
当日は朝から台風の影響による雨が激しく降っていたのですが、式が始まる午後一時頃には雨は上がり青空が拡がり、富士山が見え虹がかかったそうです。その時、東京から見えた富士山は初冠雪だったそうで、雨・晴天・虹・雪の富士山と日本のすばらしい自然そのものが天皇の御即位をお祝いしているかのようでした。
 式典の参列者は約2000名。外国の賓客も190ヶ国400名にのぼったそうです。 イギリスのチャールズ皇太子を初め、世界中の国々が一同に介し祝福したのです。
 なぜこれ程まで多くの国々がこの式に臨席されたのでしょうか。
それは、日本の皇室は世界の中で特別な存在だからです。
 2600年余り続いている皇室は他にはありません。この皇室に対する敬意の表われです。それはもちろん日本や日本国民に対する敬意でもあります。
国際的には敬意の象徴はその国(王室)の長さ伝統です。当日夜に行われた「饗宴の儀」の天皇陛下のお隣、主賓の席はブルネイのボルキア国王であり、皇后陛下のお隣はスウェーデンのグスタフ国王でした。
 参加されていた国王国家元首の内、在位が最も長いのがボルキア国王、その次がグスタフ国王だからです。
 ちなみに、日本国の天皇は初代神武天皇が即位され2679年ですが、2位はデンマーク約1000年、イギリスは約950年、アメリカにいたっては240年程です。
 しかも、日本の天皇はただ長いというだけではありません。126代全ての天皇は男系だということです。男女平等の世の中に、なにが男系かといわれる意見も多くあり、又、最近の世論調査でも女系天皇を容認する意見が多数派です。
 しかし、男系天皇でなくてはならないのです。「いままでそうだったからこれからも」ではありません。
 男系天皇ということが日本のあり方、日本の国がら日本の本質、日本の寄って立つ拠なのです。
 女性天皇は過去もいらっしゃいましたし、今でもありだと私も思います。しかし、女系天皇はいらっしゃいません。女性天皇も男系であることが必要ですし、今まではすべて男系でした。
なぜ男系でなければならないのか。それは、天皇のお役目責務がそうさせるのです。天皇の真の使命は祭祀です。日本は祭りの国です。全国各地でさまざまな祭りが行われます。その土地その土地で人々の絆を育み、住民の安寧や幸を願い、五穀豊穣を祈りそして感謝し、時には罪やけがれを祈りにより祓うのです。その頂点に立つ方が天皇です。



「国安かれ民安かれ」と毎日毎日神に祈り民の喜びを、そして民の苦しみも、自分の喜び苦しみに置きかえ、日本国を日本国民を守り続ける使命が天皇にはあります。
 己れを無にし、100%公的な存在であり、私的な時間は持たず、すべて公の時間として己を律し、超世俗的な公的な存在が求められるのです。
 この条件を満たすには一朝一夕で皇室になった者で果たせるはずはありません。(失礼ですが小室さんのような?)
 皇統、万世一系の血筋が必要なのです。もっというと遺伝子が必要なのです。学習して得られるものではないものであり、生まれた時には既に持ち備わっている国民に対する慈悲の心、慈愛の心、いたわりの心、寄り添う心・・・様々な精神力、心(神)力が天皇には必要なのです。
男性と女性と染色体が違います。
男性はYとX、女性はXとX。男性の持っているYと女性のXが結合されれば、男性が生まれ、男性のXと女性のXが結ばれれば女性が生まれます。すなわち、男系ということは万世一系ということは、このYの染色体の遺伝子を脈々と引き継いでいる。126代2600年遡れば、このYは神武天皇がお持ちだったYにつながることを意味するのです。
 他のYではだめなのです。永遠のYが必要なのです。

最後に1922年日本を訪問したアルバート・アインシュタイン博士が早稲田大学で行なった講演をご紹介します。

1922年、日本を訪問したアルバート・アインシュタインは、早稲田大学の大隈講堂で行った講演で次のように語っている。
「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果せるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通じて一系の天皇をいただいていることが、今日の日本をあらしめたのである」

 天皇は日本のみならず、人類共有の貴重な財産です。それは日本の自然の摂理と社会の仕組から生まれた「和」の日本文化の象徴であり日本文化であり、日本国そのものなのです。



代表社員 前原 幸夫
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2019年10月02日

10月の言葉!「コスモロジーの創生」

「親が幼い子を虐待死させる」「子が親を殺す」「あおり運転」といろいろ新造語が作られるくらいストレスを受けながら運転し、少し氣に入らないことがあれば威嚇し暴力を振う、挙げれば切りのないニュースがあふれています。
「今、これを直さなければ日本という国はこの地上に存在する意味がない。」そんな念いでペンを走らせています。せかっく令和という新しい時代を迎え「和を以て貴しとなす」の世を創っていこうと国民が決意している内での出来事です。何をすればいいのでしょう。何を変えればいいのでしょう。それはずばり!「人間観」「人生観」「死生観」等々を含めた宇宙観すなわちコスモロジーの変革ではないでしょうか。我々は産業革命以降、物質的な豊かさばかり追求してきたように思います。そして、近代科学は人間をより豊かに便利にしてきました。しかし、モノというものに偏りすぎたため、人間もモノだとして捉えてしまったようです。
人間はモノに過ぎないという唯物論です。私も学生時代、左翼的思想を持っていましたのでよく分かります。この世は目に見える世界のみであり、目に見えない世界などない。目に見えない世界の存在を認知する心も、脳の働きであり脳もモノであるから、死と共に消滅してします。全て物質であり精神的なもの絶対的なものはない。
この世はモノの存在を通してモノがなくなるまでの生命であり、相対的な意味、価値しかない。だから、人間も絶対的なものではなく、人生も絶対的な価値、絶対的な意味を持たない。死んだから終りになる程度の価値を持った人間だから、生まれた意味も生きている意味も死んでゆく意味もない。ただモノとしてある時間をなんとか氣晴らしで過すしかない。自分が一番大切にしている一番楽しいことをして過す(相対的価値観)自分だけの価値観ですから、それが他人に受け入れられなくとも構わない(丁度、ゴミ屋敷の住人のようにゴミでいっぱいの自宅に住み、これはゴミではないと言い張り、周りの住民の迷惑を顧みないように)自分だけというエゴイズムが拡散してゆくのです。
自分は所詮、この世から消えてなくなってしまう存在だから、命ある限り、エゴと快楽で生きようと考えるのは辛いので、エゴや快楽を生きがいと置き換えて(ごみを集めることが生きがい)ぼやかして生き延びているのです。その置き換えがうまくいかなくなった時、人は自殺を考えるのではないでしょうか。ではどうしたらいいのでしょう。それは、コスモロジーの変革、宇宙観の変革です。この世は、私の存在はバラバラに存在しているのではなく、一体一つながりの存在なのだという自覚です。事実、1947年ガモフの「ビッグバン仮説」により、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったものであり、全て宇宙は一つであると説きました。
人間が精子と卵子の結合により、一つの細胞が出来、それが分裂し、手足顔・・・が出来ているように、元は一つなのだということです。細胞が分裂し、眼が出来ました。眼そのものはそれだけ見ると全体ですが、顔と 

いう全体から見ると部分です。顔も全体ですが、身体から見ると部分です。私の身体も全体ですが岡山市という全体から見れば部分です。岡山市も全体ですが、日本という全体から見れば部分です・・・宇宙は一つだからです。
あたかも地球上に海というものがあり、海上に露出している部分を見れば、別々の島であり国に見えますが、目に見えない海の底では全てが繋がり一つであるように。さらに一つのものだから、目に見えない世界では繋がっているのだから、「死んだら終り」ではなく「生命は生き続ける」という確信です。これも科学的に言えば、アインシュタインの相対的理論です。詳しいことは分かりませんが、宇宙のエネルギーの総和が一定のものであれば、私が死に65kgという質量を持った人間がいなくなれば、宇宙のエネルギーは65kg分減少するはずです。しかし、変わらないというのは私が姿を変え、私のエネルギーはこの宇宙のどこかに存在しているからです。心というエネルギーで存在し続けるのです。しかも地球上、生命が誕生した40億年生き続けているのです。これは、最近のDNAの研究で明らかにされているそうです。死んだら終りではなく、宇宙という故郷に還るだけだそうです。このDNAの研究により、地球上の全ての生命のDNAはたった一匹の単細胞微生物に遡るそうです。つまり、全ての生命が一つの家族なのです。しかも、その家族は互いに補い合いながら生き続けています。「食物連鎖」つまり、食べて食べられて・・・という関係があり、自分は他者のためにこの世に生まれて生きている、そしてその役割を終えたら宇宙という故郷に帰り次の役割を持つ、そんな存在なのだということです。
この宇宙観から見れば、40億年という宇宙のビッグバン(進化)のその方向性に沿った生き方(あるがまま)が善であり、その進化の方向性から逸脱すること(わがまま)が悪であるという結論が出ます。すなわち、絶対的価値観の創造です。この宇宙は目に見える世界は、仮の姿であり目に見えない世界こそ真の世界である。この宇宙は始めは小さな一つの塊であったものが、ビッグバンとしてだんだんと大きくなりエネルギーの歪曲により、様々なものが存在しているが、元は一つのものであり、互いに補完補充し合い、数億年も生き続け又これからも生き続けてゆくものです。そう考えれば、心は脳の働きではなく、宇宙エネルギーの最高傑作であり、宇宙進化の極みであると言わなければなりません。心こそが宇宙の一部であり。心が宇宙を宇宙として認識していることになるのです。

我々は、宇宙の一部であり、過去・現在・未来と生き続ける心を他の生き物・物体と相互補充し合う心であると捉えれば、今のままの心でよいのでしょうか。エゴと快楽のみを求める心でよいのでしょうか。今こそ、宇宙という絶対的なものを認識し、絶対的な価値観を創生する時なのかもしれません。

代表社員 前原 幸夫
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2019年09月03日

9月号の言葉!「スマイル シンデレラ」

今、日韓問題が騒々しい限りですが、ことの発端は戦時中、朝鮮半島出身の「旧民間人徴用工」をめくる韓国内での裁判でした。
日本の戦後補償は、1965年「日韓請求権協定」で全て解決済とする日本に対して、韓国の最高裁は2018年「戦時中に強制的に日本で働かされた」という労働者に日本企業が補償金を支払うという判決を出しました。国としての請求権は解決済ですが、個人としての請求権、企業としての支払義務は解決していないという理屈です。
韓国人に補償が必要なら、日本が多額のお金を韓国に支払っているのですから、その中から支払えばよいとするのが日本の立場で、実際1965年日韓基本条約により国交が正常化した時、約11億ドルにものぼる補償が行われています。
これは当時の韓国の国家予算の2.3倍。日本としては外貨が18億ドルしかない時代、まさに身を切る出費だったわけです。
なぜこんなにも韓国は日本に補償を求めるのでしょうか。
今、日本と韓国で懸案となっている問題は大きく6つあります。
1.竹島問題
2.慰安婦問題
3.徴用工問題
4.貿易問題
5.日本海呼称問題
6.仏像盗難事件
もっともっとあるのかも分かりません。
これほど今、日韓は関係が崩れています。それは、日本人の韓国国民に対する感情の崩壊、同時に韓国国民の日本国民に対する感情の崩壊なのでしょうか。今に始まったことではありません。
2013年 韓国内で日韓併合を生きた95才の老人が「日本の植民地時代は良かった」という発言をしていたら、30代の男がその老人の枝を奪い撲殺したという事件が起こりました。実際に経験した人の話を実際に経験していない人が力で押し殺す象徴的な事件です。
なおかつ、その30代の男性の刑罪は懲役5年という軽いものだったそうです。これを韓国の新聞は重刑と書き、ネット上では犯人を擁護するコメントに満ち溢れたということです。
様々な問題の根底には日本が韓国を併合していた35年(36年という人もいます)すなわち、1910年〜1945年までの35年と11日 日本は韓国を併合していました。すなわち、韓国は日本でした。韓国人は日本人だったのです。しかもその間、日本は韓国に対して、様々な改善、改革を行います。
しかし韓国はそれを七奪と言います。「すなわち日本は韓国から7つのものを奪った」と。7つのものとは、「主権」「国王」「国語」「人命」「姓名」「土地」「資源」の7つです。日本から言うと奪ったものは何一つありません。当時、清の属国であった朝鮮を日清戦争により独立させ主権を与えさせたのです。大韓帝国の始まりです。ただ日本もロシアに歩み寄ろうとする大韓帝国に対し、日露戦争が起こり、1905年 大韓民国を保護国とします。当初、併合までは考えていなかった日本ですが、1909年併合に反対していた伊藤博文が朝鮮人に暗殺されて一氣に併合へ舵が切られました。「主権」をはじめ、日本は何一つ奪ってはいないのですが、作家 百田尚樹氏に言わせれば、あまりにもおせっかいが過ぎたといいます。韓国人の氣持ちも考えず日本流にあまりにも余計な事をし過ぎたため、韓国国民が日本に嫌悪感を持ち反日的な行動に走らせたというものです。
先日、清水英雄先生から一枚のFAXが送られてきました。読売新聞の8月18日の記事でした。そこには14代沈寿官(本名 大迫恵吉)さんのことが取り上げられていました。
16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れてこられた陶工を開祖する薩摩焼宗家の14代当主の方だそうです。今から50年程前、ソウル大学に招かれた時、日本に統治された35年の圧政を語る学生に対し、未来志向の重要性を説き「あなた方が35年を言うなら私は370年を言わなければならない」370年とは沈さんの先祖が日本に連れてこられて過ごした年月です。
日韓両国を「私の人生を豊かにしてくれた2つの祖国」と語り文化的交流の重要性を説きお互い認め合うことで新しい関係を創っていこうというメッセージが込められていました。
今、日本と韓国の関係は悪化の一途をたどっています。お互い非難合戦、中傷合戦です。百田尚樹は「ごめん、そしてさらば」と言おうといいます。しかし、私は更に続けて日韓関係、もっと言えば中国ロシア、アメリカ等々に対しても日本が真に尊敬される国になる必要があるのではないかと思います。
経済面で優位に立つことはもはや無理があります。札束で他国の頬を打つなどということは、今の日本には出来ません。ならば、日本が古来より持ち続けている精神的、文化的な面で優位に立ち韓国はじめ諸外国から尊敬される国になる道しかないのではないでしょうか。道義や倫理にあふれ地球上一番笑顔に満ち溢れ、誰もが喜びに満ち溢れ働いている姿を全世界に見せることです。
その為にもまず、日本の歴史をしっかり学び正しい歴史認識を持ち日本国民、日本国に対し尊敬と敬意を持つということです。そのことは裏返して他国をべっ視し、卑下することではありません。まず、自らの国を尊びそれにより他国をも尊べるということです。笑顔、喜び、幸せに満ちた日本を、令和の時代に導き上げてゆきましよう。幸せ度ナンバーワンの日本国が幸せ度ナンバーワンの地球を創り上げます。
代表社員 前原 幸夫
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2019年08月01日

8月号の言葉!「やればできる」

10年ぶりに中国の内モンゴル、ゴビ沙漠の一つ、クブチ沙漠とウランプハ沙漠へ植林のために行って参りました。

7月4日に福岡空港を立ち、北京一泊、翌早朝に北京を立ち、クブチ沙漠の恩格貝へ。ここで「地球倫理の森」創成プロジェクト20周年の祝賀会を行い、翌7日、ウランプハ沙漠へ移動し、植林を二日間、また、北京に戻り、翌日帰国というハードなスケジュールでした。

(一社)倫理研究所が行っている植林活動は20周年ですが、この植林の生みの親、故遠山正瑛氏が最初に沙漠へ植林に行ったのは、今から約35年前、遠山正瑛氏が80才の時でした。
その頃の内モンゴルは、中国政府も沙漠化を食い止められず、街は激しい砂嵐によりゴーストタウン化し、2,000万人以上の人々が飢えた難民となっていた、「死の土地」でした。
しかも、クブチ沙漠だけで、四国ほどの面積があり、その中を遠山先生はスコップ一本を持ち、日中40度を越える中、毎日数十キロ歩き、手作業で水源を探り木を植えたといいます。それが今の恩格貝というところです。

10年前にも一度行ったことがあるのですが、その時とは様変わりし、ポプラは幹が太く背丈も20〜30mと成長し、周囲は青々とし、今や中国の子供さんの研修の地になっているということ。本当に驚きました。ここ恩格貝での植林作業は沙漠へ到達するまでの距離が長すぎるため、今はここから3時間ほど奥地に行ったウランブハ沙漠で行っているとのことです。(もちろん我々の植林もウランブハで行いました)

10年前とは見違える沙漠、いや緑の大地です。包頭(パオトウ)という飛行場のある都市から恩格貝まで10時間以上かかり、黄河を渡るときには、バスから降り、(バスが浮橋を渡るため重量を軽くするため)悪路をバスに揺られながら行っていましたが、今は高速道路がつき、約3時間で到着。そのバスから見える光景も、延々ととうもろこし畑や野菜畑が拡がり、遥か彼方まで太陽光発電の施設が拡がるという有様です。かつての沙漠は豊かな大地と変貌していました。





10年前は帰国の途につく時、現地の人々に汗まみれの下着をおいていって欲しいと頼まれ、こんなものでいいの?と思いながら、下着を置いて帰った記憶もありますが、今はそんな必要もなく、家も前は泥を塗りたくったような家でしたが、今はカラフルな立派な家が立ち並び、車もあり、本当に豊かな生活になったんだなと実感しました。

これも、何も取れなかった沙漠から緑の豊かな大地になったご褒美なのだと確信しました。今は、青々とした森がどこまでも続き、とうもろこしが実り、水路がはりめぐらされ、交通道路が引かれている沙漠ですが、遠山先生が着手した35年前は全くの沙漠。木が一本も生えていない沙漠でした。

ここに80才の老人が一本一本ポプラを植え、多数の日本人が中国に渡り、これを支援し今では中国の国家的行事となっているようです。
最初の一本。これを植えようと思う意志の強さ、志の高さ。これには敬服以外の何ものもありません。中国で生前に銅像の立った人物は二人。一人は毛沢東、一人は遠山先生だそうです。

緑豊かな恩格貝にその遠山先生の銅像はあります。
2004年(平成16年)2月27日97才で亡くなられました。

スコップを持ち、ポプラを植えておられました。スコップを持った先生の像は、青々とした沙漠の方を向いて微笑みかけているように見えました。

そして
「やればできる やらなければできない」
「やめた時が失敗 やり続けていれば成功」
と我々を励ましているようでした。





代表社員 前原 幸夫
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2019年07月02日

7月号の言葉!「チャリティー二人会」

令和元年6月1日 私どもの創業満34年でした。

毎年なにがしかのイベントを行っているのですが、今年は倉敷、特に真備町の水害もあり倉敷でチャリティー講演会を企画しました。

真備町は私の母の実家のある町で、幼いころから交通の便が悪い母の実家へ手を引かれながら歩いて通った記憶があります。ですから、あの水害の映像をみて、あつ有井だ、辻田だと地名が出てくるくらい、鮮明な記憶のある町です。倉敷の復興に少しでも協力したいという念いでの今回の企画となりました。

講師の方、内容をどうしようと思っていた3月9日(ありがとうの日)東京で清水英雄先生が主催する有賀燈の会があり、そこに檜山うめ吉さんが参加されていました。檜山うめ吉さんは倉敷市出身であり、現在倉敷市の観光大使を務めており、出会った瞬間「この人だ」と直感し、6月1日のオファーをし、快諾をいただきました。

着物で日本髪を結い、三味線を弾き、端唄・民謡・都々逸等々。純和風のアーティストであり、日頃なかなか接することのない世界と思い、当日を楽しみにしていました。

私も、うめ吉さんの三味線で都々逸を練習したことがあり、日本文化ともいえる粋な世界は日常の憂さを忘れるには絶好のものですし、又、日本人を自覚するのに十分なものがあります。
ちなみに、都々逸は、江戸時代末期、初代都々逸坊扇歌(1804年〜1852年)によって、大成された口語による定型詩七・七・七・五が基本で、寄席などでは演じられることもあるようですが、今ではあまりなじみのない俗曲となりました。

主に男女間の恋愛を題材としたものが多く粋な世界がそこにはあります。少しご紹介すると、

 惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
いやなお客の 親切よりも 好いたお方の 無理がよい
 あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
 あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
サザンオールスターズのこんなものもあります。
恋の花咲くロマンの都 女ばかりに氣もそぞろ 
夢もほころぶ小意氣なジルバ君と銀座のキャフェテラス

高杉晋作の有名な都々逸
三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい

当日は約一時間、俗曲を解説しながら唄ったり踊ったりと日本の古典芸能の世界を満喫させていただきました。

会場はお陰様で超満員。チャリティーということをしつこくアナウンスしたため、募金額も213,855円とかなりな金額に達しました。それに私どもの社員そして会社からも捻出し、合計100万円を、6月13日に倉敷市の方へ寄付させていただきました。当日は伊東市長自ら受け取っていただき、「まだ、仮住まいをされている皆様方のご支援に使わせていただきます」というお言葉をいただきました。

その折、小田川の決壊箇所の修復工事がやっと終わったところですというご報告もいただきました。
晴れの国岡山は災害とは無縁の地と私自身も思っていましたが、かくももろくも、崩れ去った今、まさかは常に起こると心して対処する必要を再び確認させていただきました。堤防は水の侵入から我々を守ってくれているのではなく、
水の侵入する時の避難する時間をかせいでくれていると心して対応しなければなりません。また7月6日7日がやって来ます。
どうか、自然の力を甘く見ず、早めの対応を心がけましょう。


6月1日 チャリティー二人会へのご協力に心より感謝申し上げます。





代表社員 前原 幸夫
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2019年06月03日

6月号の言葉!「ヒカリ届けます 遥かカナタまで」

ヒカリカナタ募金いうNPO法人が岡山にあります。
これは発展途上国の盲目の子どもたちを手術により目が見えるようにしよう、そしてその手術費用を皆様からの寄付によって捻出しようと、意図して創られたNPO法人です。これまでに125人の子供さんの目が見えるようになったとのことです。

理事長は竹内昌彦先生です。先生も全盲です。
1945年、お父様の赴任先である中国天津で生まれ、終戦を迎え、日本に引き揚げてこられました。その船中、肺炎を患い瀕死の状態で帰国、その高熱が原因でほとんどの視力を失い、その後完全に失明。 

東京パラリンピックで金メダルを取られた後、盲学校の教師となられ結婚。そして長男誕生。しかし、長男は重度の脳性小児マヒに侵されており、7年後には余りにも早い別れ。岡山盲学校で教師を務める傍ら、「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに講演活動を続けられ、
その後20年でなんと2000回。私も今から30年程前、岡山ももたろうL.C主催で、先生の講演会を企画させていただいたのが最初の出会いでした。

そうした収益金や寄付金などを基に、2011年にモンゴルに盲学校を設立、また2015年にはキルギスにも設立し、発展途上国の目の見えない人々の自立支援に携わってこられました。ある時、その盲学校に入学希望する全盲の子供たちの中に、手術すれば治り、目が見えるようになる子どもたちがたくさんいることに氣づき、手術費用を集めるために「ヒカリカナタ募金」を設立されました。

今まで125人が手術を行い、目が見えるようになりました。手術すれば目は見えるようになるのに、その手術代がないのです。
しかも、程度の差はあるものの、手術にかかる費用は日本円で1人3万円前後です。手術すれば治るのにその子も辛いでしょうが、その子供さんに寄り添うご両親は一層辛い思いをされていることでしょう。

愛する我が子のために、手術代を用意することができない。どんなに悲しく辛かったことかと思います。




125人のうち一人、ミャンマーのヤンゴン国立眼科病院で手術をし、目の見えるようになったピピ君(8才)影像がHPにあります。

手術が終わりその翌日、目を覆っている厚い包帯が取り除かれます。「こわいこわい」と目をなかなか開けないピピ君。
「目を開けてごらん」と促されやっと目を開けます。
医師が手を拡げ何本?と問いかけます。ピピ君は「5本」とはっきり答えます。その傍らで、心より喜び抱きついてゆく老婆の姿がありました。なんとも感動的なシーンです。

老婆は言います。
「この子の目が見えないと分かった時、この子より先に死ねないと思いました。私が死んだら誰がこの子を守ってくれるのかと。この子に将来の希望が持てました。こんな日が来るなんて」と満面の笑みです。

3万円の浄財は、この少年の目を見えるようにしただけではありません。この少年やそれを取り巻く多くの人々を絶望から希望へと導いたのです。3万円は決して少額ではありません。しかし、今の日本の人々の3万円とモンゴルやキルボス、ミャンマーの人々の3万円とは大きく違います。どうか、少し生活を切り詰め、ほんの少し節約いただき、厚かましく振替用紙を同封していますが、ヒカリカナタ募金への御寄附をお願い申し上げます。


「ヒカリ届けよう 遥かカナタまで」






代表社員 前原 幸夫
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2019年05月01日

5月の言葉!「繋ぐ」

この本氣5月号がお手元に届くころには、もう「令和」でしょうか。

新しい時代の幕明けです。

しかし、元号が変わるのは天皇がお替わりになるからです。天皇の御世が替わるのです。そのことの方が元号が替わるより、はるかに意義深く日本国民にとって大切な意味を持ちます。

日本の国柄とでも言いますか。一言に言って日本とは…と尋ねられた時、あるいは日本の本質とは…と尋ねられた時、どう答えるのでしょうか。

日本とは海洋に囲まれ、南北に連なる国土を持ち、豊かな自然の恵があり、その恵が八百万の神々のおかげ様と感謝しつつ、自然と共生し、国民は天皇が示される高徳を汲み取り、天皇は常に国民を我が子のごとく愛し安寧を祈り、天皇と神様、国民の生活と道徳とが一体となって世界でも類を見ない3000年に亘って栄えて来た国であると。

その天皇の御世が平成31年4月30日で御退位され、翌5月1日、皇太子殿下が新しく天皇として御即位されます。その時、元号も又、平成から令和へと替わってゆきます。

30年にわたり、日本国の中心としてお勤めを果してこられた天皇陛下に、深甚なる感謝の思いを捧げるとともに、新たに皇位を継承される皇太子殿下に心よりお祝いを申し上げます。

それに伴い元号が改められます。
元号とはどんな意味を持つのでしょう。

1. 元号は国家独立のシンボル。
元号は古代中国の漢の時代(紀元前140年頃)武帝が「建元」という元号を建てたのが始まりとされ、日本では7世紀「大化」から始まります。(西暦645年)その後、約半世紀の空白はありますが、「大宝」(西暦701年)が制定されそれ以降、約1300年間一度も途絶えることなく今日まで続いています。その意味は、日本国が一貫として存在し続けた証だということです。他の国家に従属していなかったということです。元号は「世界で唯一の無形文化財」という学者もいるほどです。


2.国民統合の象徴
国内的に言えば、元号は国家統一国民統合の象徴だとも言えます。
慶応以来、天皇の御在位の間は一つの元号を用いる「一世一元」が定められました。元号が天皇の御治世と一体となり、天皇と一体となって国民の生活が繰り広げられてゆくのです。

平成元年から30年、平成の御世は平成の天皇陛下と国民が喜び悲しみの共有から成り立っています。単なる物理的な時間ではなく、文化的な時間がそこにあります。

日本人を日本人たらしめる、日本国民として統合してゆく偉大な、そして目には見えない心理的な支柱が元号です。



3.時間に祈りを込める
元号にはそれぞれ意味があります。

平成は「内平らかに外成る」
昭和は「百姓昭明にして萬邦を協和す」

という、その時代時代の目指すべき世のあり方、願いがそこに込められています。時間に祈りを込める、しかも天皇の御世によって一つの区切りをつけ、無限の時の流れを有限なものとして国民一人一人のその時の流れを自覚し、天皇陛下の願い、祈りを国民に一人一人の願い祈りとして時を刻んでゆくのです。こんな精神的にも文化的にも豊かな民族は他には存在しません。万世一系の天皇が脈々と2600年以上続いている他の国がないように。






代表社員 前原 幸夫
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2019年04月02日

4月の言葉!「令和に想う」


昨年9月、青森へ旅した時、偶然にも三内丸山(さんないまるやま)
遺跡へ立ち寄り、縄文時代の生活に触れることができました。

その生活は、私が昔、歴史の教科書で習ったものとは大きく違い、その生活レベルの高さや豊かさに驚ろかされたものでした。 

縄文時代とは今から約1万5千年前から2500年前までの約1万年程の期間の時代です。

縄文の名付け親は、大森貝塚を発見した、アメリカ人 エドワード・モースが、貝塚から出土した土器に縄の文様が施されていたためでした。

私が習った縄文時代とは、ほら穴のようなところに住み、定住生活はせず、狩猟採集に明け暮れ、原始的な野蛮な時代であり、歴史上スポットはあびていませんでした。

そして、稲作を行い、高度な文明を持つ民族が朝鮮半島からやってきて(弥生人)、縄文人は日本から追われ、やがて農耕を中心とする文明が日本に花開き、卑弥呼や後の天皇家へと継承されてゆくというものでした。いわば、縄文人と弥生人を祖とする現代日本人は別物と考えられていました。

ところが、三内丸山遺跡にみるように、過去年代の測定技術の進歩により、縄文時代は定住し、村を形成し、狩猟採収だけでなく栗などの人工栽培や、食材を倉で貯蔵し、煮たきものを行い、食品の調理など、生活面でも文化面でも高度なものを持ち、縄文人がやがてゆっくりと弥生人へとなり(もちろん朝鮮半島からの渡来人と融合し)現代日本へ脈々とつながっているというものです。 

現在の日本人のルーツは、今から1万5千年程前の縄文人だというのです。事実、三内丸山遺跡での生活は、竪穴式の住居がいくつも点在し、高床式の食料を収納する大きな倉庫があり、集会場のような建物もあり、村を形成しています。食べ物も研磨された石器でイノシシやシカを狩り、魚を釣り、主食の栗は人工的に栽培し、煮炊き、味付けし、色々な地域(北海道や北陸など)と交易していたことを数々の出土物が証明しています。縄文人は安定した生活を送っていた文化人であるという認識です。
しかし、その縄文人はなぜ稲作をしなかったのでしょうか。
様々な地域と交流があり、当然、朝鮮半島とも交流があったはず。稲作も知っており、栗の栽培は行われているように稲作もしようと思えば出来たのではないでしょうか。

一つの仮説ですが、縄文人は農耕、稲作を拒んだのではないか。わざと取り入れなかったのでないかというものです。なぜなら、農耕は戦争を発生させることを縄文人は知っていたからだというものです。

 稲作は富が蓄えられ貧富の拡大が起こり、やがて支配者が現れ(被支配者が現れる)てゆきます。水田耕作は栗の木栽培とは比べ物にならないほど、大規模化され、人々の共同作業を必要とします。それを総括するトップ集団も現れます。余剰の富や人口が新たな農地と水利を求め争いを起こします。

日本でも組織的な戦争は弥生時代から始まったと言われています。三内丸山遺跡では、多くの出土物の中に武器のようなものはありませんでしたが、弥生以降は数多く出土しているそうです。

穀物の高栄養が寿命をのばし、幼児の死亡率を下げ、穀物から離乳食も造れるため乳離れが早まり、多産も可能となり、人口は急増し社会問題化してゆくのです。

その人口増を解決する手法が戦争による田畑拡大(領土拡大)と言うのであります。縄文時代、すでに大陸では戦争が起き、朝鮮半島にも迫っていました。それ故、縄文の人々は稲作農耕を拒絶したのだというものです。
これが稲作という文明の道具を捨て戦争を拒絶した縄文人のありよう、ありかたなのです。 

もうすぐ、新しい御世が始まります。今までの30年、テクノロジーは人類に利便性や豊かさをもたらしました。そして、これからの30年、このテクノロジーの進歩はさらに加速してゆくことでしょう。その時代は私たちに人間としてのあり方や社会システムに対する根本的な問い直しを求める30年間になるでしょう。(縄文人が自らの幸せとは何かを問い続けたように)

今、その幕は切って落とされようとしています。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:46| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月01日

3月の言葉!「開国元年」

 平成最後の年も早2ケ月が過ぎようとしています。

 激動の年とか激変の年とかよく耳にしますが、経済を全体的に見れば今年ラグビーのワールドカップ 来年は東京オリンピックが終わったら?と思っていたところ、2025年大阪万博とビッグイベントが目白押しです。とりあえず2025年までは景氣はもつのかと氣分的に安堵しているところです。
 それに異常氣象、又それによる災害に対する投資も増えることでしょう。最近の夏場の高温に対し、小中校ではエアコン工事が始まるようです。又、水害に対する備えもどんどんと投資してゆくことでしょう。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは「コンクリートも人も」というものに変わり、国土強靭化の名のもとに公共投資は好調に推移してゆくことでしょう。

 問題は人です。
人も4月から外国人労働者の受け入れが始まります。今までの外国人実習生とは全く違う制度が導入されるようです。女性や高齢者の戦力化とともに外国人に頼るウェートが大きくなってゆくことでしょう。

 しかし、これは良いことばかりではありません。いやむしろ悪い面が多いのかもしれません。詳細は未だ全て決定していないのですが、外国人労働者が増えれば、犯罪も増えてくるでしょう。外国人労働者にとっては月額20万とか25万という給与は、自国での稼ぎの10倍以上にもなるようですが、彼らを雇用する日本企業にとっては良く働く労働力が安く手に入ることになます。そうすれば日本人の給料も上らなくなり、下る可能性もあります。
 
 又、日本人へ支払う給与は日本国内で消費に廻り、それがまた生産されるという好循環を生んでゆきますが、外国人の給料はほとんど日本国内で消費されず、母国へ(親元や家族の元に)送られます。給料がGDPの60%を占める個人消費に廻らなくなり、経済の再生産機能が果たされなくなるかもしれません。とにかく4月からの外国人労働者の雇い方については注目しなければなりません。

 日本人の労働力が減少してゆく中、日本人の消費が伸び悩む中、外国人の労働力、インバウンドによる消費というものに期待してゆかなければならないのが今の日本の悲しい現実です。
 
 ここで大切なことは日本人労働力の質の向上です。
人手、人財は外国人や非正規社員やパート、機械化、AI化によって補っていけますが、それを束ね指揮監督する人財、組織のモチベーションを上げ将来を見据え、手を打ってゆける人財、マネージメント力のある人財が日本人正社員の仕事になってゆきます。この人財を育てられない企業、この人財に育たない社員は退場せざるを得なくなります。ますます人財能力による企業格差がついてゆく時代になります。

 社員の質を上げてゆかなければなりません。他社に比べ自社の強味を理解し、それを更に磨いていこうという強い意志と時代の流れをしっかり把握し、それに対応できる柔軟さとコツコツ足元の基本事項を成し遂げる向上力が必要になります。まさに鳥の目、魚の目、虫の目を兼ね備えた人財が必要となります。

質を上げるには量を上げることです。
「質は量から生まれる」です。

基本的な仕事の量、少し高度な仕事の量、読書の量、対外的な活動の量、出会う人の量、学ぶ時間の量、己を磨く量・・・
全ての量を上げることです。
様々な学びの機会を増やすことです。

人は出会いによって変わる、
いや人は出会いによってしか変わりません。
人との出会いによってしか成長しないんです。






代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

2月の言葉!「ツルの恩返し」


 「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」

これは、石川五右衛が詠んだ辞世の句です。

どんな世になっても盗人がいなくなることはないと、高笑いをしている五右衛門が想像できます。

今、盗人よりも世の中を騒がせているものが特殊詐欺です。

盗難は、盗られた盗まれたという感情だけですが、詐欺は騙された相手の思うツボにはまったという、自責の念がプラスされますから、感情的にはショックが大きくなります。この特殊詐欺で有名なのはオレオレ詐欺と言われるものですが、最近ではもっと手の込んだものが見られます。

私にも届きましたが、架空請求の通知書です。しかも、裁判所とか警察とか公的な機関を名乗り、もっともらしく郵送されます。手にした瞬間は、いったい何のこと?と驚き慌てることも多いと思います。

「ありがとう」で有名な清水英雄先生も詐欺に遭われました。(これは先生が皆様にも是非、詐欺の実態をお知らせして欲しいとの要望で書かせていただいています)

昨年末、中野区役所を名乗る人物から一本の電話がありました。
清水英雄先生に還付金を振込みたいので、銀行に行って入金の手続きをして欲しいというものでした。
電話を取ったのは奥様です。奥様はキャリアウーマン。法人の経理事務や資金の運用など、世間の動きには鋭く、ご主人とは違い(失礼)金銭的にも大変しっかりされた方です。最初入金通知の電話があった後、今度は本人確認と称し、再度電話が入りました。これですっかり信じたということです。中野区役所が本人確認をすることで、正式な通知であると思い込ませたのでしょう。
こうなれば、赤子の手をひねるようなもの。

何の疑いもなく奥さまは翌日銀行に行き、ATMの前で、電話で指示された通りキーを打ちます。あっと言う間に通帳の残高は0になり、全額は電話の主の口座に振込まれたということです。
こう書くと、何で?と思いますが、それが人間。
私を含め全ての人が狙われていますし、騙される可能性があります。

なにせ、平成29年 1万8千件を超える事件が発生し、500億円の被害が出ており(1件当たり270万円)、莫大な金額です。
もはや一大産業、一大ビジネスといっても過言ではありません。


こんな昔話があります。

ある冬の雪国でのこと。
夜、おじいさんが自分の仕掛けた罠を見に行くと、そこに一羽の鳥が引っかかっておった。おじいさんはかわいそうにと、その鳥を放してやった。数日経った夜、おじいさんの家の戸を叩く音がする。おじいさんが出ると、若くてきれいな娘が、道に迷ったので宿を貸してくれと手を合わせる。おじいさんは、はいはいと娘を泊めてやり、娘はその御礼にとハタを織るのでこの部屋には良いというまで入らないで欲しいと言って部屋に閉じこもった。朝昼晩、食事を用意し、何ヶ月か経った。おじいさんが、もういいだろうと覗いてみると、ハタ織りの機械にはハタどころか何も織られていなかった。

おじいさんは怒って、その娘に言った。「何ヶ月も何をしていたんだ ただ飯食って」娘はその問いには答えず、その部屋の窓から鳥となって大空へ舞い上がって行った。おじいさんはその後姿に向かって、「おーい!お前はツルではなかったのか?恩返しはしないのか?」と叫んだ。

その鳥は振り向き、ニヤッと笑って言った。
「いいや、私はツルではなくサギだ」と・・・

(警察曰く)
一番氣をつけて欲しい方は、、、
「私は絶対に騙されないと思っている」あなた!!




代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 09:13| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする