2020年11月02日

11月の言葉!「万華鏡」

今年5月25日 コロナによる緊急事態宣言が解除されて約半年が経とうとしています。しかし、コロナの感染は第1波、第2波そして冬場を迎え第3波の波が来ようとしています。

GoToキャンペーンで少しは賑わいを回復してはいますが、コロナが襲いかかった傷跡は深く大きく、中小企業はまだまだその回復どころか事業を継続するのがやっとという現状です。しかし、2月からの9ヶ月、私は改めて皆様方、中小企業の底力に敬意と賛辞を心よりお贈りしたいと思います。

コロナ禍を乗り切るために必死の努力を皆様方がそれぞれにされ、コロナに打ち勝つ経営をされていることを、しっかりと見させていただいております。

例えばデニムのメーカーであるA社は、いち早くデニムでマスクを製造し、これがテレビで取り上げられ一大ブームとなり、今も通販を通じて良く売れています。決して安くはありません。しかし、1枚1800円前後のマスクが良く売れているようです。

マスクと並びコロナ対策の必需品はフェイスシールドや、隣との境をするアクリル板です。工業機械の周辺機器の加工を行っているM社は、主要取引先の営業自粛により、製造がストップしてしまいました。ガランとした工場を見渡し、社長はハッと思いつきました。この設備を使ってフェイスシールドやアクリル板を作れるのではと。早速製造開始。
今では、ネームやキャラクターが入ったフェイスシールドや飲食店向けのアクリル板がコロナ対策として評判が良いそうです。

また、除菌という点に目を向けた会社もあります。家庭を訪問し、遺品整理や生前整理の需要がコロナにより激減したK社。コロナにはコロナでとばかり除菌清掃、除菌製品の販売を始めました。除菌商品の仕入には補助金も活用し、7月以降対前年比の倍以上の売上を上げているということです。

コロナで人の往来はなくなり、消費も冷え込む中、売上を継続するためには、時流に乗った新商品が必要です。






和菓子の販売を行うS社は、コロナで自粛自粛が叫ばれている今こそ、「おいしい和菓子で笑顔を咲かせたい」とわらび餅ドリンクを発表しました。タピオカの代りにわらび餅という感じですが、これが大ヒット。売上に大きく貢献してくれたとのことです。

コロナにも拘らず売上を伸ばし、経営を進めている企業は数多くあります。その特徴を書き記します。

1 コロナに勝つ コロナをチャンス化する
いつの世にも何か困ったこと、不都合なことこそが起こります。
それこそがチャンスの種、飛躍の種です。 
「必要は発明の母」と言いますが、困難な現状こそが明
るい未来を作っていくという確信がベースです。

 2 イノベーション、革新です
   何をイノベーションするか、何を革新するか、それは商品であ
り、販売方法であり、市場であり、ターゲットであり、仕入先で 
あり、製造方法であり、外注先であり、社員の意識であり組織で
す。例えば商品の革新、それは上記の通り自社の強味を再発見
し、自社の土俵の上でのイノベーションです。販売方法のイノベ  
ーション、これは必須です。お店にお客様が来てくれない常態な
らば、宅配で、個別訪問で、通信販売でSNSの有効活用でテイ 
クアウトで等々。店頭販売以外の販売方法が必要です。販売方法 
が変われば商品もリニューアルしなければなりません。
例えば、日持ちのしないものなどは冷凍冷蔵が必要になります。
事実、金沢にある押し寿司のメーカーS社は、冷凍の押し寿司を
開発し、全国に販売しています。

 3 社員の意識のイノベーション
   自粛でお客様が減少した分、人は余ります。出来るだけ少人数で事に当たらなければなりません。「社員さんの質と量」の適正化です。一人の社員さんの多能工化(一人二役、一人三役)も必要です。一人の能力アップも必要です。まさに少数精鋭!!







4 ニーズの深堀
  コロナでお客様はお困りです。このお客様の困りごとに真剣に向  
き合うこと。高齢者は感染が怖くて買い物にも行けません。マス 
クやシールドは必需品です。どこにウイルスが潜んでいるかもし 
れませんから、除菌清掃は必須です。コロナによって新しいニー 
ズ需要が生み出されています。この新しいニーズ、需要をしっか
り感じることです。この触覚こそ、このレーダーこそが未来を作 
ります。

5 高級化
   客数が減少してゆく以上、客単価を上げるしかありません。
また、高級化により沈んだ消費を高めてゆくこともできます。
Y社は回転寿司チェーン店ですが、今年一人2950円〜のメニ 
ューを発表。生のまぐろ(冷凍ではない)と自然米のお寿司が好 
評とのことです。このお店は、生まぐろの宅配、寿司職人の出張
サービスもやっています。お客様がお越しにならないなら、こち 
らから出向くことです

6 SNS、ネット、ウエブ等々の戦力強化
   コロナによりZoomとかGoogle Meetなどの活用が花盛りです。 
新しいノウハウに乗り遅れないこと、いやそれどころかいち早い  
導入活用です。どんどん新しい仕組、ノウハウが生まれています。どんどん取り入れ、動く歩道に乗っていることが大切です。

7 経営理念の再確認
   今こそ経営理念の再確認をする時です。必ずやその中に答えがあ
ります。なぜならば、この経営理念はあなたが心血を注いで作っ
たもの、あなたの命、あなたの会社の生命だからです。


コロナはまだまだこの常態が続きます。冬に向い第3波も予想されています。一層のイノベーション。これをし続けること以外に、コロナに打ち勝つ手はありません。ウイルスが千変万化するように、経営も万華鏡の如く動けば変わり、美しい紋様を作り出します。



代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 11:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月02日

10月の言葉!「岡山自主夜間中学を思援する会」

皆さんは、夜間中学という学校があることをご存じでしょうか。
夜間の高校や大学は聞いたことはありますが、中学校の夜間は聞いたことがありませんでした。ふとしたことで岡山にも個人的に自主夜間中学を運営している団体があり、その代表をしている城之内(しろのうち)庸(のぶ)仁(ひと)さんと知り合いになりました。

そもそも夜間中学とは、戦後の混乱期、義務教育を受けられなかった、あるいは修了出来なかった人や、本国で義務教育を修了せず、日本で生活をすることとなった外国人のために設置された、公立の中学校の夜間学級です。

現在夜間中学に通っている人たちは、戦後の混乱期に学校に通っていなかった人や、中国残留孤児の人、親の仕事や結婚などで来日したものの、年令が高く中学校に入学できずにいる方、不登校などのため、ほとんど学校には通っていないにも関わらず、形式的に中学校を卒業した人など様々です。かけ算の「九九」が出来ない、電車に乗っても漢字が分からず、「運賃」という文字が読めない、そんな日常生活を送ってゆくために最低必要な基礎学力を学び直したいという人々が多くいます。

しかし、岡山県には公立の夜間中学はありません。昭和28年にスタートした学校も10都道府県34校のみです。(2020.9.23時点)
そこで、岡山市内で公立中学校の英語の教師をしている城之内さんが立ち上がりました。一般社団法人 岡山に夜間中学校をつくる会です。   

担任をしていた生徒が「全欠」という、ほとんど学校に来れないという状況で卒業してゆきました。そして、何年かして城之内さんを訪ねて来たその生徒は「先生、働きたいけど、読み書きも計算もうまく出来なくて就職できないんです」と辛い胸の内を語ったといいます。

どんな場でもいい、そんな人々に学びの場を提供したいという思いで今、教員の免許を持ったボランティアの人たちが善意で運営している、自主夜間中学を運営されています。教室の家賃や水道光熱費、全て自分たちで賄わなければなりません。開設当初は3人だった生徒が、今では140人(2019.6時点)にまで増えました。





城之内さんは今、公立の夜間中学の必要性を感じています。コロナ禍で私は、夜間中学の重要性を感じています。コロナと何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、コロナで分かったことは、日本のサプライチェーンの脆弱性です。もっと言うと、中国や外国依存の高い生産供給体制です。マスク1つとっても、中国から入らなければ欠品すると


いう国に今、日本はなっています。日本国内で、もう一度サプライチェーンの構築が必要です。日本で需要するものは日本国内で製造することが必要です。これは、経済の問題ではなく、国や国民を守る国防の問題です。

外国依存率を下げるために労働力が必要です。今の日本にその労働力はありません。ならば、外国の方々の労働力に頼るしかありません。その外国人の方々に最低限の学力をつけていただかないと、日本の社会が持ちません。社会が成り立ちません。漢字を読む書く、たし算引き算、九九が出来る。これは生きるために生活するために最低限必要な事です。この需要は益々高まってくると思います。

社会が複雑化すればするほど、その網からもれてゆく人々も増えてきます。日本人の中で読み書きの出来ない人がいるなんて思いもよりませんでした。しかし、現実には多くの日本人が出来ません。今後益々増加してくるでしょう。コロナで不登校、孤立している生徒も数多くいると聞きます。岡山に公立の夜間中学校が出来る運動もしなければなりませんが、当分は城之内さんたちボランティアの方々が運営している岡山自主夜間中学を思援し、強化してゆかなければなりません。校舎や光熱費の維持だけでも相当な資金が必要です。

どうか、皆様の善意をよろしくお願いいたします。
 

代表社員 前原 幸夫

posted by 前原幸夫 at 10:43| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月01日

9月の言葉!「惜別」

昭和61年2月真冬、日はとっくに暮れた寒い夕方、私は彼に最初に出会いました。岡山市北区の新幹線ガード下の喫茶店でした。
私が税理士として独立開業したのはその前の年、昭和60年6月1日です。父親の会社ともう一社、二社がお客様でのスタートでした。事務所は借りたものの社員はもちろんゼロでした。おかげ様でお客様も順調に増え、その年の12月に女性のパートさんを採用し、翌年には男性社員を採用しました。それが平田修君です。彼は高校卒業後、岡山市民信用金庫北方支店(現おかやま信用金庫)に勤務していました。支店に近い方が良いというので、新幹線のガード下の喫茶店で会うことにしました。
 私をじっと見つめる彼の眼光に、少し押され氣味になる自分を感じていました。それは新しい職場にかける彼の期待感と、二十歳の青年をこれから一生面倒を見なければいけないという私の責任感の混ざったものだったように思います。彼はすぐさま信用金庫を辞め、当社へ入社してくれました。

昭和61年4月には、私の妻も入り男性2名女性2名という体制で新たなスタートです。
 私は若さにまかせ、どんどんとお客様を増やして来ます。その当時、平日は22時23時、土日もなく、私も平田君も仕事をしていました。お客様が増えるに従い、社員も一人二人と増えて来ました。

彼には通常の業務と社員の管理と二重の仕事が与えられました。自分がこなしている業務は若い社員に廻し、自分はどんどんと新しい難易度の高い業務に挑戦してくれました。その一つが上場でした。株式を店頭公開するという話が舞い込み、未知の世界に彼はチャレンジし、見事に公開を果たしてくれました。その後、その会社の監査役として東京出張も多くなりました。又、社員が1000人を超える法人、グループ税制を行なう法人、不動産を多額に持たれている方の税務、又医療法人と、その活躍は多岐に亘り、我が社の発展にあらん限りの力を振り絞ってくれました。

社員旅行や忘年会などの宴席では、酒も強くないのに盛り上げ役をかって出てくれました。乾杯が終わると真っ先にビールを両手に持ちお酌をして廻り、カラオケもあまりうまくない歌を最初に歌います。マイクを持つと離さない癖があり、彼の歌に数曲付き合うこともしばしばでした。




入社したての頃、驚かされたことがありました。
当時の我が社では儲け頭の法人のお客様を、突然解約してきたというのです。以前から氣難しい社長さんでしたが、株主総会では株主に良い顔をしたいので、利益がかなり上がっている決算を報告しておきながらいざ税務署へ申告するとなると、なんとかしろと平田君に高圧的に言ってきたそうです。

その当時、お客様は喉から手が出る程欲しかった私ですが、彼の「契約解除しました」というパワーに押され、頷くしかありませんでした。その正義感の強さは、剣道をしていた武士道に通ずるものがあるのかもしれません。私に対しても是々非々、私がぶれていたり、方向性が間違っていた時は、ズケズケと進言しそれを正しめる。まさに諫臣でもありました。

そんな平田修君も、2020年7月19日 力尽きたのか、天国へ旅立ってしまいました。55歳という若さで・・・
二十歳で出会い、以来35年。その存在は空氣のように、あって当たり前、居て当たり前という存在でした。
開業当初は私が自分で煎れていたコーヒーも、彼が入社してからは、彼が煎れてくれるようになりました。一番最初にドアのキーを開けるのも彼だったので、コーヒーも必然だったのでしょう。彼の煎れたコーヒーをすすって仕事をする、そんな日々が35年続いていました。もう彼のコーヒーは飲めなくなりました。そんなことの残念さよりも、もっともっと彼にやって欲しいことはいっぱいあった。私もあと3年で70歳。これからのこともゆっくり相談したかった。

考えれば無念、残念、悔念がこみ上げてきます。彼の死という現実を受け入れることができない毎日が続いています。

彼の抜けた穴は大きいですが、この穴を今、社員が一丸となって埋めてくれています。彼を弔うことも大切ですが、お客様にご迷惑をお掛けしないことも大切です。彼の死を乗り越え、社員が成長してゆく姿を見てもらうことこそ、残された我々の使命だと胸に刻んでいます。

 生前、皆様方からいただいたご厚情に感謝申し上げるとともに、
平田修君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

代表社員 前原 幸夫
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2020年08月03日

8月の言葉!「真坂(本当の坂)」

世の中、上り坂と下り坂だけではなく「まさか」があるとは、言い古された言葉ですが、漢字では「真逆」と書くこともあるようですが、これは当て字だそうです。「真坂」これもそうです。
まさかの「まさ」は視線の向いている方角、そして「か」は場所をさします。じっと見ている方向の場、すなわち現前、目の前の現実です。「目の前に重大事が迫っており、今さら手の打ちようがない」という意味だったといいます。
しかし今では、想定外、予想外の出来事を強調する時に使われているようです。最近の世の中はまさかの連続で、まさかの意味が薄らいでいるように感じます。豪雨にしても50年に一度、100年に一度と言いながら、毎年降っているように思いますし、地震も1000年に一度といったりしますが、阪神大震災、東北大震災を思うと、10年に一度です。コロナも、まさかに入りますが、このまさかはこれから長く付き合っていく必要があるようです。「まさか起こらないだろう」ということは必ず起こるということでもあります。
企業経営はまさかの連続と言っても過言ではありません。
・まさかあの会社が倒産して回収不能になるなんて
・まさかあの社員が辞めるなんて
・まさか納めた商品が不良品だったなんて
・まさかコロナがこんなに蔓延するなんて
等々、まさかだらけです。
しかも、このまさかは予測不可能です。いつくるかどれくらいの規模でくるかも事前にはわかりません。わかっていることは、いつか規模の大小に関わらず、必ず来るということだけです。
まさかが眼前であれば、これから目をそらしたり見ないふりをするのは致命的です。しっかり目の前の現実を見つめることです。しっかり自分の行動、自社の動きを見据えることです。必ずや数多くのまさかが見えてきます。このまさかは必ず起こると予想し、一つずつ潰してゆきましょう。
・保険で対応できるものもあるでしょう
・システム(チェック)を変えて対応できるものもあるでしょう
・他社(他者)の力を借りて潰せるものもあるでしょう
・社員教育で消せる(弱める)まさかもあるでしょう
・自己資金を厚くし、内部留保を増やし、財務体質を良くするのもい
 いでしょう

まだまだいくつもまさかの対応策はあると思います。
設定するまさかの規模や時期に応じて打つ手は無限にあります。
しかし、そんな対処療法的なことも大切ですが、対因療法的な根本的な対応が必要になってくると思います。まさかは想定外、予想外の出来事ですから、いくら想定してもいくら予想して対策を講じてもその外にあるものです。
であれば、どうするか。
それは運を強くすることです。

交通事故に遭い、車は大破したけれど、命はとりとめた。大洪水に遭って流されたけれど、たまたま手の届くところに木があり命拾いした。まさかの時にまさかのことが起ります。まさかに対抗するためには最終的にはまさかの強運、しかありませんし、まさかの強運を付けることです。
ではどうすれば運は強くなるのでしょうか
運は見えません。見えないものを強くするには見えないものを大切にすることです。見えないもの空氣、縁、先祖、神、仏、サムシンググレード・・・いっぱいあります。

この見えないものを大切にして、そこにスポットを当てると見えてくるものがあります。自分がいかに多くの恵みをいただいているかという事実です。氣候、風土、地球、宇宙(太陽)両親、先祖・・・
友人、周りの人々の温かさ、様々な恵みの中に自分がいることに氣付きます。そこに氣づけば感謝が湧いて来て、自分はなんて幸せ者だ、自分はなんとラッキー、ついているんだという思いにきっとなることでしょう。人は人として生まれたことそのものが運がいいのです。運が良くなければ受精さえもされていません。人として生まれた時、すでに強運の持ち主なのです。
このことに氣づけば自分を大切にし、自分の価値を最大限に働かせようとします。自分を大切にするということは、大人しくししていることではありませ。自分の能力を最大限発揮するということです。「誰のために」そうです。他者(人)の為にです。

 他人の為に自分の強運をしっかり使うことです。
そうすれば運は更に強くなります。
見えない世界をしっかり見つめ、感謝し、自分の存在が奇跡的な運により存在するという自覚を持ち、そこに心の底から感謝し、その強い運を人の為に使い、さらに強くしてゆく。根本的な解決策は目に見えない世界にあります。
これからもまさかの連続です。どんとしっかりと対応してゆきましょう。まさかにはまさかで対応することです。
その最大のまさかは自分が人間として生まれてきたことです。

代表社員 前原 幸夫
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2020年07月01日

7月の言葉!「地球は青かった」

「地球は青かった」

私は人生とは富士山に登るようなものだとつくづく思っています。
20代で一度富士山に登ったことはあるのですが、それから40年、還暦の時に挑戦しました。

還暦という節目に何か残したいということで、富士登山に挑んだのですが、あえなく9合目でリタイヤ。その翌年、再チャレンジして見事登り切りました。

私が富士登山を人生とみるようになったのは、還暦の時の登山でした。その時は5合目に立った時から調子が悪く、7合目で仮眠したのですが、7合目にたどり着くのがやっと、夕食時のビールも喉を通らず、眠りも浅く、翌早朝の7合目からの登山も4人で行ったのですが、1人だけ遅れて挙句の果てに9合目でリタイヤ。1人で下山することになりました。高山病のなせる業だと思いますが、登りもきつかったですが、下りは更にきつく、なにせ1人での下山。心細いし、体力は使い切っているし、どこまでも赤茶けた砂利道が続く下山道。本当につらい下山でした。

下山して1人、河口湖のホテルに泊まりました。風呂に入り、ホテルから見る富士山に思わず絶句しました。目の前の富士山は、それはそれは雄大にそびえ立ち、美しい姿がそこにありました。なんと美しいものかと涙が出るほどでした。私はこんなに美しい富士山を登っていたのかと、今更ながら感謝の念が沸いてきました。登っていたのではない、登らせていただいたのかもしれません。なのに、途中苦しいだの汚いだのきついだの出てくる感情は否定的なものばかりで、これが人生なんだ、本当は人生は美しいものなんだ。しかし、日々の日常はきついつらい汚いものに見えるけど、少し離れてみると、美そのものの人生を私は歩ませていただいているという思いでした。

 今コロナ、コロナで世界中大変です。でも、その地球は宇宙から見れば相も変わらず美しい惑星です。ガガーリンが言う美しく青い星です。

 日常を少し遠くから眺めてみる
少し空所を持つ必要が今こそあるのではないでしょうか。
私の空所の一つは短歌です。三十一文字に自分の念いを素直に映し出す、人に詠んでもらおうとか褒めてもらおうとか一切考えずに、ただひたすら

対象に直面し、対話する。その時感じたこと、いただいた念いを文字に託す。自然に五七五七七になるように、日本語は仕組まれています。

「人に会う ことは厳禁 オンライン 人の情けを ウェブに乗せて」

「出張や 会議飲み会 なき日々に 妻の作りし 夕食で肥ゆ」

「これわかる カード差し出す パソコンに 多分貴重な 孫の宝か」

コロナの最中、我が家では、母が寝たきりになりました。
連休前に退院したと思いきや、みるみる身体が弱り、自分でトイレにも行けず、自分で箸も持てず、おしめをして、妻に食べさせてもらうという生活になりました。昼は弟の嫁が世話をし、夜は妻が添い寝するという介護状態です。

「寝たきりの 母の介護は妻任せ せめて夕食のビール注ぐ」

「息づかい 苦しき中に我諭す 人混み避けよと 寝たきりの母」

「弱りゆく 母を背に見て玄関を 笑顔で出づる 涙押さえて」

非常時になると日頃見えないものが見えてきます。ウェブを使った会議やセミナーは、人に会う有難さ、会えない切なさ、コミュニケーションの取り方などを学びます。
 母の寝たきりでは女手の有難さを今更感じ、母の存在をより重く感じさせてもらっています。会社に行く時、帰った時、母の手を握り挨拶をする。そんな手を握るなどということは、ここ何十年したことがありませんでした。これも母の病氣のおかげ様です。
また、弟は毎日昼間に母の見舞いに来て、背中をさすっているそうです。弟がそんな母想いだったとは知りませんでした。これも新しい発見です。

これからもコロナ等の感染症をはじめ、多くの苦難困難が次から次へと押し寄せてきます。これこそが新しい喜び、新しい幸せの発見のチャンスなのだと思います。

遠くで見る富士山、遠くで見る地球が美しいように

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:13| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月01日

6月の言葉!「新常識」

今まさにコロナ、コロナの大激動ですが、思い起こせば今年の事です。

今年1月頃、何か新しい「風邪」が中国の武漢で流行っているという情報が流れ、その頃はまだまだ対外の火事でした。まあ、日本は大丈夫だろうという感じでした。

その後、中国の正月に当たる春節があり、大量に中国から日本へ観光客が流れ込みました。しかし、日本は習主席の来日や東京オリンピック開催という、超目玉の国際行事もあり、なかなかコロナ対策が始動しませんでした。そこへ、ダイヤモンドクルーズでの感染、学校は休校、そして非常事態宣言で3密排除、営業自粛、会合やセミナーもほとんどなくなりました。おかげ様で私も3月の後半から5月中、夜の会合は全くなく、出張もなく、毎日妻の作った夕食を食べ続け、5キロも体重が太ってしまいました。(妻の愛情のおかげか、運動不足のせいかわかりませんが)

 4月の後半当たりから状況が急変してきました。それは、ウェブを使った会議やセミナーの知らせがどんどん舞い込んできました。ZOOMって何?最初はそんな感じでした。若い社員にZOOMをインストールしてもらい、こわごわ会議に参加してみました。最初は音声が出なかったり、チャットがわからなかったり散々でしたが、だんだん慣れて今1ヶ月半。セミナー会議、業務においても月次決算書の説明等々、なくてはならぬものとなっています。セミナーの講師をやってくれということで、事務所の3階にこもり、スマホに向かって話しをすることもしばしばです。これはすごいことになる。今、そう予感しています。コロナのおかげ様で2ヶ月程前には知らなかったウェブ、オンラインでのやりとり、これは生活スタイル、営業スタイル、経営スタイルを変えてしまうそんな予感がしています。

この変化は、タテ・ヨコの変化です。先日、ハウスメーカーの営業の方が我が社に来られました。ハウスメーカーの営業にとって、施主さんに会い、細かい要望を聞き、図面を起こし、インテリアや内装外装を決め、資金計画借入や登記といった事務作業をしなければなりません。今まではいちいち工務の人、インテリアデザイナー、銀行さん、税理士、司法書士等々。受注してから引渡しまで多くの人に会い、施主さんに多くの人に会ってもらい作業をしてきました。しかし、このウェブを使えば、営業マン一人施主さんと会うだけで(場合によっては営業マンもウェブ上で)計設士やデザイナー、銀行等々の方は、ウェブで参加し、自分の机の前に居ながら商談に参加できます。又、必要であれば全く遠距離の方にも営業支援を簡単に受けることができます。これがヨコの変革です。タテとは営業マ


ンの上司です。支社長や役員、時によっては社長でさえも同行セールスしてもらえます。東京本社に居る社長にウェブで岡山の施主さんに挨拶。商談しもらう、こんなことも可能になってきます。

先日テレビで、オンラインレストランというのをやっていました。あるレストランが宅配で料理を届け、時間を決め一斉に食事をするという企画です。複数のお客様とオンラインで料理の説明をオーナーが行い、玉ねぎの生産者が淡路島から収穫の苦労話しや、玉ねぎの良さを説き、別の所に居るピアニストが時間になればピアノ演奏をウェブ上で奏でる、そんな食事風景でした。

私も先日、岡山本社、東京、大阪、福岡の各支店を結んで会議を行なっているお客様に、私が事務所に居てその会議に参加させてもらうという試みをしてみました。何の問題もありませんでした。何の問題もないどころか、伺う時間ロス等考えれば、非常に効率良くお客様と面談できる事を肌で感じました。

さらに私の他に、例えば東京に居るコンサルタントに参加してもらうことも可能です。東京から会議に参加してもらえば、往復の交通費、一日のコンサルフィー、時には夜の接待、宿泊代等々30万〜50万円の出費です。これを大巾に下げ、しかも優秀なコンサルを行なうことが、ウェブを使えば可能です。

サービスの質やサービスメニューが全く変わってきます。コロナの影響によりそれぞれの業種、業態で大変革が起こっている、起こってくるはずです。今は少し収束に向かいつつありますが、このコロナは2波3波は必ずありますし、ウイルスの変異で別の感染が起こって来るかもしれません。もはや人と会わないことが常態となります。人と接しなくて事業を行う仕組みを考えなければなりません。これをチャンスと捉え事業の再構築が必要です。ぜひぜひ、全知全能を絞り出し、新しいシステムを構築して下さい。これが常態です。「コロナのせい」と後悔しないよう「コロナのおかげ様」と感謝できるように。




代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:53| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

5月の言葉!「箸休め」

5月6日まで全国に緊急事態宣言が出て、毎日この話題で持ちきりです。微生物が人や動物などの宿主に寄生し、そこで増殖することを「感染」といい、結果、宿主の我々人間に起こる病氣を感染症と呼びます。

 1980年に天然痘を根絶し、この感染症との戦いに勝利したかと思っていたら、エイズ、新型インフルエンザ、エボラ出血病、テング熱、西ナイル熱等々が流行し、そして今回の新型コロナウイルスです。

 今生きている私たちは、過去の大流行した感染症から、生き残った者であり、逆に感染症も40億年生き残ってきた微生物です。今回の新型コロナウイルスとの戦いも人間と微生物の終わりなき戦いの一つなのかもしれません。そんな40億年の時や壮絶な戦いから少し距離を置き「箸休め」をしてみましょう。
致知出版社から発刊されている「心に響く小さな5つの物語」TUの中から3編をご紹介します。


⑴ 縁を生かす

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は
少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると「母親が病氣で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では「母親の病氣が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子どもに暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として 自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、氣がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、
いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって
最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。


⑵ 十五歳の重度脳性マヒの少年が、その短い生涯の中でたった一篇、
命を絞るようにして書き残した詩です。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこにいるかぎり


⑶ 歴史創新

十八世紀から十九世紀にかけ、
世界に重くのしかかる難問があった。
梅毒の跳梁である。
決定的な解決策を見出せず、
密かに人類の滅亡さえ予感された。
曙光が射したのは二十世紀に入ってだった。
一九一〇年、
梅毒の化学療法剤サルバルサンが発明されたのだ。
発明者はコッホ研究所の研究者
パウル・エールリッヒである。
このサルバルサンは別名六百六号と呼ばれる。
ヒ素化合物の試作品を次々と作って、
六百六番目に初めて得られた
目的を達する薬だったからである。
つまり、エールリッヒは六百五回失敗を繰り返し、
その数だけ失望と苦悩を味わったのである。
研究にとって最も大事なものは何かと問われ、
エールリッヒはこう答えた。
「忍耐」
時代の古今、洋の東西、分野の差異を問わず、
新しい歴史を切り開いた人たちがいる。
それらの人たちに共通する条件を一つだけ挙げれば、
こう言えるのではないか。
困難から逃げなかった人たち、
困難を潜り抜けてきた人たち    だと。
新しい時代に適った夢と志を実現する。
「歴史創新」とはこのことである。
そして、夢と志を実現しようとする者に、
天は課題として困難を与え、試すのではないか。




代表社員 前原 幸夫
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2020年04月01日

4月の言葉!「ビッグチャンス」

私は約30年毎月毎月この『本氣』をお届けしています。お客様もだんだん増え、私との接点が少なくなってゆく中で、なんとか少しでも繋がりを持っていたいという念いからでした。
正月だけは『本氣』は休みで、私の年頭のご挨拶をお送りしています。その年の心すべきこと、時の流行(はやり)など思いつくままに書かせていただいています。

 今、コロナウイルスが全世界に蔓延し、日本でも学校が一斉休校となり、大規模なイベントも休止、様々な会合、行事も中止となり、社会的にも経済的にも大混乱を巻き起こしている中で、今年の年頭のご挨拶をもう一度読み返してみました。年末年始にこんな状況が起こるなんぞ、全く思いもよらなかったので、今振り返ることによって、どんな一年を私が昨年末思い描いていたか、確認するためでした。

年始のご挨拶には
▶令和になり初めての正月であり、平成の「やり方」から令和は「あり方」に大転換する時代の大きな節目であること
▶この大転換期はいつ何が起きるかわからない予測不可能な時代であり、不連続の時代であること
▶従って、まさかの幅を大きくし、それに対する物(お金)の備え、行動の備え、心の備えの大きさも、大きくする必要があること。中途半端な備えでなく、徹底的な危機管理の必要があること。
▶令和はオリンピックがあり、消費税の増税もなんとかしのぎ、マイナスの金利の中、投資も旺盛であるが、決して浮つかずクライシスマネジメントに徹すること。
▶必ず朝が来ると同様に必ず夜も来る

等々、新年のご挨拶にしては少し厳しめ、少し悲観的な内容になっています。昨年までの状況は、どの会社も増収増益、それに今年は東京オリンピック。普通何も恐れない順風満帆な状態が続くと予想されていました。
しかし、何か不吉な思いが年末にふとよぎりました。こんな順風なまま、これが続くわけがない、何かある、何かが起こる。それを見越した経営が必ず必要になるとの思いでした。まさか、このコロナだとは当然想像も及んでいませんが、以下、私の現状に対する念いを記します。

▶厳しい経済状況の中、特に我々中小企業は全社一丸を貫くことです。社員は一人として首を切らない、雇用をしっかり守る、社員の生活を守ってゆくことです。賃金のカットは仕方ないかもしれません。政府も各種の助成を考えています。それらを活用して、とにかく雇用を守ることです。
▶現・預金を厚くすること。生命保険・倒産防止共済・小規模共済等々、今まで内部留保したものを現金化し、政府の対策にある返済猶予のある借入金で出来るだけ多く借り入れ、手許資金を厚くすること。
▶今がチャンスと捉え、経営管理部門を強化すること。経営には作戦を考え指示する司令部と、それを実行する実働部隊が必要です。
今この司令部、タスクフォースを早急に立ち上げ、我が社の命運を決する一大作戦を展開する必要があります。社長と数人でタスクフォースを作り、しっかり作戦を練り、それを実行部隊に指示してゆくことです。新たな発想、新たな切り口が社運を左右します。
▶より一層、夫婦仲良くすることです。良い家庭を築くことです。
笑顔が絶えない和氣あいあいとした和やかな家庭を築くことです。
今こそ家庭力の出番です。和やかな家庭こそが明日への戦闘力の源泉となります。愛の泉こそが心の飢え、いや経済的な飢えさえ癒し満たしてくれます。
▶全てを捨てることです。
「こうした一生に二度と出遭うことのない大窮地に陥った時こそ、度胸の見せ所である。一切を投げうって捨ててしまう。地位も名誉も財産も生命も」(丸山敏雄)
今までしがみついていたもの、これがなければ生きられないと思っていたもの。これが我が社の生命線だと思っていたもの、これらを全て「0」にすることです。その「0」に一つ一つ足して新しく積み上げてゆくことです。ゼロベースマネジメントです。

このウイルスに対する戦いは長期化が予想されています。東京オリンピックも延期になり、経済的にも益々縮小し悪化してゆくでしょう。
しかし、この状況をチャンスと捉えることです。
絶好のチャンスが到来したと高笑いすることです。自分の前に成功と失敗、繁栄と衰退の二本の道があるのではありません。私たちの前には道はありません。あるのは「今ここ」の場だけです。
そして、「今ここ」の状況を成功できる場、繁栄できるチャンスの時、場と把えるか「今ここ」をダメなものピンチと捉えるかだけです。
チャンスと捉えれば、「打つ手は無限」となり、ダメだと思えば打つ手は弁護士さんの所へ行き、自己破産の道しかなくなります。
一生に二度出くわすことのないチャンスが今、やってきました。
これも「ウイルス」の猛威のお陰様です。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:09| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月05日

3月の言葉!「サムシング グレート」

新型コロナウイルスが流行っています。
最初報道を聞いた時は、トヨタが新型の車を発表したのかと思いましたが、今はそんな冗談を言っている場合ではなくなりました。

 連日イベント、セミナーなど人の集まるものは中止。小・中・高校も3月2日から春休みまで休校ということです。中・高校とか大学の入学試験、期末試験はどうなるのか。個人の評価はどうするのか。様々な難問が待ち構えています。

 この時期、所得税の確定申告があり、連日遅くまで作業に追われていますが、3月15日が申告期限ですが、なんとそれを1ヶ月延ばすという措置がとられます。これも異例中の異例です。1ヶ月延ばすということは税収入も1ヶ月延びるということですから、国の財布も心配になります。 

中国の武漢が発生源ということで、中国では街自体を封鎖しています。2月23日で1ヶ月が過ぎました。住民は外出を厳しく制限され、空港や駅、高速道路が閉鎖され、不自然な生活を余儀なくされています。
武漢以外の都市でも、人の集まるホテルや玄関、公園、レストランなどは休業し、武漢ほどではないにしろ、封鎖状態にあり、経済活動も停滞しているようです。

我々の周りにメイドインチャイナの多いことに改めて氣づかされますし、その影響が段々と出始め、建設業では浴槽等の納入が間に合わず、
家の引き渡しが遅れるとか、中国からの冷凍食品や野菜が入ってこないため、物流の量が減少し、スーパーでも売るものがなくなるとか、車や電子部品のパーツが揃わないとか、様々な影響が出ており、日本経済に大きな影響を落としています。

極めつけは東京オリンピックの開催です。もし、開催されないとなれば・・・日本の被る痛手は図りしれないものになります。今は感染防止のため、出来る事はなんでもやるという時期なのでしょう。

 私たちはこのウイルスの拡がりから学ぶ必要があります。一つはリスク管理、いやクライシス管理です。最悪の状態を常に考え、経営をやってゆくことです。2ケ月や3ヶ月収入が「0」でも廻る財務の構築、これも必要です。身体の免疫力ばかりでなく、経営の免疫力を付けなければなりません。
 国もクライシス的な状況に対応する補償体制の構築も必要です。官民あげて対応してゆかなければなりません。公助と自助どちらも必要となるでしょう。

 もう一つは、この状態をプラスと捉えることです。好調な時には見えなかったものが、極限状態になればあぶり出されるように見えてきます。
自社の弱点が浮き出てきます。
仕入・調達に片寄りがあるのか、販売ルートに片寄りがあるのか商品力がないのか・・・何かが足らないから、いざという時にダメージを受けるのです。ダメージを受けている個所をしっかりと見てみましょう。必ず原因があるはずです。そこを直してゆけば新しいビジネスチャンスがあるはずです。

今の状況、これから更に厳しくなる状況をしっかり喜んでウェルカムで迎えてゆきましょう。「打つ手は無限」です。

そして目に見えないものにもっと注意をすることです。
ウイルスは目には見えません。どんな人から感染するかもわかりません。
あるいは、誰に移すもわかりません。自分は一人で生きているのではありません。周りとの関係性の中で生きています。もう一度この関係性を深くみてゆきましょう。親、祖先との時間を越えた関係性、今はほとんど会わない遠くに住んでいる友人恩人との関係性。もっと言えば、自分を生かしてくれている様々な目には見えないもの、例えば空気、熱、光・・・
そして神や仏・・・

目に見えないものにもっと目を向ける、もっと大切にせよ、もっと尊敬せよという天の啓示として、このウイルスの蔓延を促えるのも一つではないでしょうか。

目に見えないものに心を配ることにより、免疫力は上がります。企業も目に見えない信用や人間力を強化することにより、免疫力が上がります。
何が起こっても不思議ではない今日、免疫力を強化し生きましょう。

一刻も早い新型コロナウイルスの撲滅を願って・・・


代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 09:44| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月04日

2月の言葉!「エンディングノート」

私は今、私の町内会の会計というお役をお受けしています。
岡山市郊外の玉柏の河本という昔からの町内で180世帯くらいあります。最近新しい方も少しずつ増えて来ましたが、それでも何十年も住み続けている方がほとんどです。会計をやる前、今から10年くらい前、4年間会長を務めました。岡山市が勧める電子町内会という制度の為、私に白羽の矢が立ちました。私はAさんという方を推薦したのですが、Aさんはまだこの町内に来て日が浅いということでダメだと言われました。日が浅いって何年ですかと聞いたら、まだ30年くらいだいうことで少し驚いたことがあります。

 そんな昔ながらの町内ですが、昨年の決算(12月末日が締め)をやっていて初めてのことがありました。収入の部にいつも寄付金、しかも香典返しが必ず計上されていたのですが、なんと昨年はゼロ。亡くなった方がいなかった訳ではありません。何人いたか詳細は分かりませんが、皆さん家族葬で、町内にも亡くなった方の葬儀の案内をせず、身内で済ませたことによるものでした。確かに、亡くなってから何日もして、激しい方は何ヶ月もして亡くなったことを知り、香典やら弔問やらどうしようかと話し合った方もいたなぁと思い出しました。
ひと昔であれば、農作業を共同でやり、各家で毎月お講という集まりをし、ひとたび町内の方がなくなれば、それこそ町内総出で葬儀の準備、進行、後始末をしていたことを思い出しますが、えらく変わったものだと驚かされますし、少し寂しい思いもします。

近年家族葬が流行りです。それが良いとか悪いとか言うことは差し控えますが、私が若い時に教えてもらったことがあります。
「葬儀の連絡があった時は必ず参列しなさい、慶事は2度3度あるかもしれないが、葬儀は一回限りだ」と。同じ町内で昔から顔なじみの方、お世話になった方の葬儀にも出られないとは悲しく思います。
家族葬も葬儀屋さんに聞くと決まった形があるわけではないといいます。同居の方だけ、親族だけ、縁の深い方だけ・・・色々あるようです。家族葬の良い所は、ほんの少数の人だけで故人をしのべるという点にあると思います。
私も親戚の家族葬に行き、久しぶりに会う「いとこ」や他の親族と昔話に花を咲かせたこともあります。
また、費用の面や氣を使わなくても良い点、経済的にも精神的にも体力的にも負担が少ないことは良い事でしょう。



他方、参列できなかった故人の友人などは、葬儀の知らせを後日聞き、自宅を訪問したり、中には故人から自分の両親の葬儀の時には、香典をいただいたのにせめてと思う方もあると思います。
私の住む昔からの町内でも家族葬が増えているのですから、都会は…
と思い巡らします。

葬儀をせず直接火葬場へ行く直葬というのもあるようです。墓じまいなんて言葉もよく聞きます。
先祖、家族、地域そして子孫との繋がりが薄くなりつつあります。

人間は自分で生まれて自分で死んでゆくのではありません。親祖先の命をずっと受け継ぎ自分がおり、またその命を後世に繋いでゆきます。現世ではその命を近隣の方、地域の方に育み育ててもらいます。そして、その命を地域や日本、大きく言えば世界の為に使い役立ててゆきます。自分一人の命ではありません。その命が終る時、最後のけじめをしっかりつけることも大切ではないでしょうか。

故人の一生を讃美し感謝する式が葬式だとしたら故人の生涯を讃美し、感謝し、存在の証としての記念碑が墓だとしたら、葬儀やお墓に対する考えも少し変わるのではないかと思います。

私も自分の葬儀の事を考える年になりました。
しっかりとエンディングノートをしたため残してゆこうと思います。

私の命が永遠に残るように…



代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:11| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする