2019年04月02日

4月の言葉!「令和に想う」


昨年9月、青森へ旅した時、偶然にも三内丸山(さんないまるやま)
遺跡へ立ち寄り、縄文時代の生活に触れることができました。

その生活は、私が昔、歴史の教科書で習ったものとは大きく違い、その生活レベルの高さや豊かさに驚ろかされたものでした。 

縄文時代とは今から約1万5千年前から2500年前までの約1万年程の期間の時代です。

縄文の名付け親は、大森貝塚を発見した、アメリカ人 エドワード・モースが、貝塚から出土した土器に縄の文様が施されていたためでした。

私が習った縄文時代とは、ほら穴のようなところに住み、定住生活はせず、狩猟採集に明け暮れ、原始的な野蛮な時代であり、歴史上スポットはあびていませんでした。

そして、稲作を行い、高度な文明を持つ民族が朝鮮半島からやってきて(弥生人)、縄文人は日本から追われ、やがて農耕を中心とする文明が日本に花開き、卑弥呼や後の天皇家へと継承されてゆくというものでした。いわば、縄文人と弥生人を祖とする現代日本人は別物と考えられていました。

ところが、三内丸山遺跡にみるように、過去年代の測定技術の進歩により、縄文時代は定住し、村を形成し、狩猟採収だけでなく栗などの人工栽培や、食材を倉で貯蔵し、煮たきものを行い、食品の調理など、生活面でも文化面でも高度なものを持ち、縄文人がやがてゆっくりと弥生人へとなり(もちろん朝鮮半島からの渡来人と融合し)現代日本へ脈々とつながっているというものです。 

現在の日本人のルーツは、今から1万5千年程前の縄文人だというのです。事実、三内丸山遺跡での生活は、竪穴式の住居がいくつも点在し、高床式の食料を収納する大きな倉庫があり、集会場のような建物もあり、村を形成しています。食べ物も研磨された石器でイノシシやシカを狩り、魚を釣り、主食の栗は人工的に栽培し、煮炊き、味付けし、色々な地域(北海道や北陸など)と交易していたことを数々の出土物が証明しています。縄文人は安定した生活を送っていた文化人であるという認識です。
しかし、その縄文人はなぜ稲作をしなかったのでしょうか。
様々な地域と交流があり、当然、朝鮮半島とも交流があったはず。稲作も知っており、栗の栽培は行われているように稲作もしようと思えば出来たのではないでしょうか。

一つの仮説ですが、縄文人は農耕、稲作を拒んだのではないか。わざと取り入れなかったのでないかというものです。なぜなら、農耕は戦争を発生させることを縄文人は知っていたからだというものです。

 稲作は富が蓄えられ貧富の拡大が起こり、やがて支配者が現れ(被支配者が現れる)てゆきます。水田耕作は栗の木栽培とは比べ物にならないほど、大規模化され、人々の共同作業を必要とします。それを総括するトップ集団も現れます。余剰の富や人口が新たな農地と水利を求め争いを起こします。

日本でも組織的な戦争は弥生時代から始まったと言われています。三内丸山遺跡では、多くの出土物の中に武器のようなものはありませんでしたが、弥生以降は数多く出土しているそうです。

穀物の高栄養が寿命をのばし、幼児の死亡率を下げ、穀物から離乳食も造れるため乳離れが早まり、多産も可能となり、人口は急増し社会問題化してゆくのです。

その人口増を解決する手法が戦争による田畑拡大(領土拡大)と言うのであります。縄文時代、すでに大陸では戦争が起き、朝鮮半島にも迫っていました。それ故、縄文の人々は稲作農耕を拒絶したのだというものです。
これが稲作という文明の道具を捨て戦争を拒絶した縄文人のありよう、ありかたなのです。 

もうすぐ、新しい御世が始まります。今までの30年、テクノロジーは人類に利便性や豊かさをもたらしました。そして、これからの30年、このテクノロジーの進歩はさらに加速してゆくことでしょう。その時代は私たちに人間としてのあり方や社会システムに対する根本的な問い直しを求める30年間になるでしょう。(縄文人が自らの幸せとは何かを問い続けたように)

今、その幕は切って落とされようとしています。

代表社員 前原 幸夫
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2019年03月01日

3月の言葉!「開国元年」

 平成最後の年も早2ケ月が過ぎようとしています。

 激動の年とか激変の年とかよく耳にしますが、経済を全体的に見れば今年ラグビーのワールドカップ 来年は東京オリンピックが終わったら?と思っていたところ、2025年大阪万博とビッグイベントが目白押しです。とりあえず2025年までは景氣はもつのかと氣分的に安堵しているところです。
 それに異常氣象、又それによる災害に対する投資も増えることでしょう。最近の夏場の高温に対し、小中校ではエアコン工事が始まるようです。又、水害に対する備えもどんどんと投資してゆくことでしょう。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは「コンクリートも人も」というものに変わり、国土強靭化の名のもとに公共投資は好調に推移してゆくことでしょう。

 問題は人です。
人も4月から外国人労働者の受け入れが始まります。今までの外国人実習生とは全く違う制度が導入されるようです。女性や高齢者の戦力化とともに外国人に頼るウェートが大きくなってゆくことでしょう。

 しかし、これは良いことばかりではありません。いやむしろ悪い面が多いのかもしれません。詳細は未だ全て決定していないのですが、外国人労働者が増えれば、犯罪も増えてくるでしょう。外国人労働者にとっては月額20万とか25万という給与は、自国での稼ぎの10倍以上にもなるようですが、彼らを雇用する日本企業にとっては良く働く労働力が安く手に入ることになます。そうすれば日本人の給料も上らなくなり、下る可能性もあります。
 
 又、日本人へ支払う給与は日本国内で消費に廻り、それがまた生産されるという好循環を生んでゆきますが、外国人の給料はほとんど日本国内で消費されず、母国へ(親元や家族の元に)送られます。給料がGDPの60%を占める個人消費に廻らなくなり、経済の再生産機能が果たされなくなるかもしれません。とにかく4月からの外国人労働者の雇い方については注目しなければなりません。

 日本人の労働力が減少してゆく中、日本人の消費が伸び悩む中、外国人の労働力、インバウンドによる消費というものに期待してゆかなければならないのが今の日本の悲しい現実です。
 
 ここで大切なことは日本人労働力の質の向上です。
人手、人財は外国人や非正規社員やパート、機械化、AI化によって補っていけますが、それを束ね指揮監督する人財、組織のモチベーションを上げ将来を見据え、手を打ってゆける人財、マネージメント力のある人財が日本人正社員の仕事になってゆきます。この人財を育てられない企業、この人財に育たない社員は退場せざるを得なくなります。ますます人財能力による企業格差がついてゆく時代になります。

 社員の質を上げてゆかなければなりません。他社に比べ自社の強味を理解し、それを更に磨いていこうという強い意志と時代の流れをしっかり把握し、それに対応できる柔軟さとコツコツ足元の基本事項を成し遂げる向上力が必要になります。まさに鳥の目、魚の目、虫の目を兼ね備えた人財が必要となります。

質を上げるには量を上げることです。
「質は量から生まれる」です。

基本的な仕事の量、少し高度な仕事の量、読書の量、対外的な活動の量、出会う人の量、学ぶ時間の量、己を磨く量・・・
全ての量を上げることです。
様々な学びの機会を増やすことです。

人は出会いによって変わる、
いや人は出会いによってしか変わりません。
人との出会いによってしか成長しないんです。






代表社員 前原 幸夫
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2019年02月01日

2月の言葉!「ツルの恩返し」


 「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」

これは、石川五右衛が詠んだ辞世の句です。

どんな世になっても盗人がいなくなることはないと、高笑いをしている五右衛門が想像できます。

今、盗人よりも世の中を騒がせているものが特殊詐欺です。

盗難は、盗られた盗まれたという感情だけですが、詐欺は騙された相手の思うツボにはまったという、自責の念がプラスされますから、感情的にはショックが大きくなります。この特殊詐欺で有名なのはオレオレ詐欺と言われるものですが、最近ではもっと手の込んだものが見られます。

私にも届きましたが、架空請求の通知書です。しかも、裁判所とか警察とか公的な機関を名乗り、もっともらしく郵送されます。手にした瞬間は、いったい何のこと?と驚き慌てることも多いと思います。

「ありがとう」で有名な清水英雄先生も詐欺に遭われました。(これは先生が皆様にも是非、詐欺の実態をお知らせして欲しいとの要望で書かせていただいています)

昨年末、中野区役所を名乗る人物から一本の電話がありました。
清水英雄先生に還付金を振込みたいので、銀行に行って入金の手続きをして欲しいというものでした。
電話を取ったのは奥様です。奥様はキャリアウーマン。法人の経理事務や資金の運用など、世間の動きには鋭く、ご主人とは違い(失礼)金銭的にも大変しっかりされた方です。最初入金通知の電話があった後、今度は本人確認と称し、再度電話が入りました。これですっかり信じたということです。中野区役所が本人確認をすることで、正式な通知であると思い込ませたのでしょう。
こうなれば、赤子の手をひねるようなもの。

何の疑いもなく奥さまは翌日銀行に行き、ATMの前で、電話で指示された通りキーを打ちます。あっと言う間に通帳の残高は0になり、全額は電話の主の口座に振込まれたということです。
こう書くと、何で?と思いますが、それが人間。
私を含め全ての人が狙われていますし、騙される可能性があります。

なにせ、平成29年 1万8千件を超える事件が発生し、500億円の被害が出ており(1件当たり270万円)、莫大な金額です。
もはや一大産業、一大ビジネスといっても過言ではありません。


こんな昔話があります。

ある冬の雪国でのこと。
夜、おじいさんが自分の仕掛けた罠を見に行くと、そこに一羽の鳥が引っかかっておった。おじいさんはかわいそうにと、その鳥を放してやった。数日経った夜、おじいさんの家の戸を叩く音がする。おじいさんが出ると、若くてきれいな娘が、道に迷ったので宿を貸してくれと手を合わせる。おじいさんは、はいはいと娘を泊めてやり、娘はその御礼にとハタを織るのでこの部屋には良いというまで入らないで欲しいと言って部屋に閉じこもった。朝昼晩、食事を用意し、何ヶ月か経った。おじいさんが、もういいだろうと覗いてみると、ハタ織りの機械にはハタどころか何も織られていなかった。

おじいさんは怒って、その娘に言った。「何ヶ月も何をしていたんだ ただ飯食って」娘はその問いには答えず、その部屋の窓から鳥となって大空へ舞い上がって行った。おじいさんはその後姿に向かって、「おーい!お前はツルではなかったのか?恩返しはしないのか?」と叫んだ。

その鳥は振り向き、ニヤッと笑って言った。
「いいや、私はツルではなくサギだ」と・・・

(警察曰く)
一番氣をつけて欲しい方は、、、
「私は絶対に騙されないと思っている」あなた!!




代表社員 前原 幸夫
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2019年01月01日

新年あけましておめでとうございます    

新年あけましておめでとうございます。
皆々様、お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

旧年中は、まさかの豪雨災害で、晴れの国岡山も災害はない県ではなく、まさかに対し
備えを万全に行う必要があることを強く感じ、また自然の威力、すさまじさにただただ頭
を下げるだけの年でした。
 
今年は世の中が変わります。天皇陛下がご退位され、皇太子殿下がご即位される記念すべき年です。

今年は皇紀2679年 脈々と続く日本の国柄。
この「日本の国柄」を再認識する年となりそうです。
神武天皇は「八紘(あめのした)を覆いて家となす」すなわち日本国を屋根で覆い、すべての国民が一つの家族となって助け合い譲り合い、争いがなく勤労勤勉を以って、衣食を豊かにし、道徳を生活の規範とした道義国家の実現を目指しての国を始められました。

 今年、天皇陛下のご譲位に当たり、ご退位からご即位に至る様々な行事に、私たちは日
本人としての誇り喜びを十二分に味わうことができるに違いありません。今から楽しみに
しています。

 さて、経済の面では、今年は何といっても消費税10%引き上げが10月1日から行わ
れます。今回の改正は消費税の将来を暗示しています。それは、複数税率とインボイス方
式の導入です。
将来10%を15%20%に引き上げる布石です。実務的にもしっかり対応してゆかな
ければなりません。
 
 税務に目をやると、やはり事業承継税制の活用が本格化します。我が社でも着々と準備
を進めておりますが、今年は一社一社、丁寧にご提案させていただきます。
事業承継は10社10色 一社一社すべて状況が違います。
税法の適格な理解と、家庭内や社内の人と人との人間関係を壊さないよう、いや、承継
でより人間関係が深まるような、人的にも強靭になるような承継プランが必要となります。経験豊かな税務に精通したスタッフが万全の備えをさせていただく所存です。
団魂の世代が去った(リタイア)あと、労働力不足は深刻化しています。それを外国人労働者でまかなったり、定年を70才に引き上げたり、女性の活用を推進したり、様々な方策が考えられています。
機械化、AI化も大きな手段です。働き方改革は生産性向上改革でなくてはなりません。
この両立ができない企業は生き残ることができません。

来年2020年は東京オリンピックです。
オリンピックまでは景氣はなんとか持つだろうと誰もが思っていましたし、その裏には
オリピックが終わったら?という疑念もありました。
しかし、2025年今度は大阪万博です。余命が少し伸びました。2025年までは何
とかという氣分です。
この氣分が大切です。決して上すべりしない着実に地に足をつけた働き方と生産性の向上、これを図ってまいりましょう。
既にスタートは切られています。

働くことが真の喜びとなるように生産性の向上が喜びの源となるように自ら高めてゆき
ましょう。
世は追い風しっかり帆を張り雄々しく前進しましょう。
久遠も万全の体制でフォローさせていただきます。

今年一年が皆様方にとりまして、
より一層飛躍の年となりなりますようお祈り申し上げます。

 

平成31年 元旦 
税理士法人  久遠
代表社員 前原 幸夫
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2018年12月06日

12月の言葉!「相続税あれこれ」

「相続税あれこれ」 

最近とみに相続税の申告が増えてきました。
 平成27年1月1日から改正された相続税の基礎控除が従前の60%に引き下げられたことが大きな原因です。
 以前であれば、奥さんがいなくても子供2人いれば7000万までは相続税の納税も申告も不要だったのが、今は4200万。少し財産がある方なら課税されます。
 なぜこんな相続税の増税を行なったのか。
それは、今の老人の方々の財産を経済の活性化に使ってもらい、残った分には課税するという思惑からだろうと思います。

 総務省の調査によれば60才以上の方が世帯主である世帯の貯蓄残額は、2014年9月の統計では、1654兆円、今後10年間に相続により財産が移転する金額はなんと500兆円と予想されています。
 法人税率は下げ、住宅資金や教育資金の贈与の特例で若い世代に預貯金を移転し、経済の活性化を図るとともに、使い切れず残して亡くなった場合には重い相続税を課税するぞと脅し?それなら生前に使って死ぬかということも狙っているのかと勘繰りたくもなります。

 相続税の課税についてはさまざまな論議があります。
 相続税は所得税を払った後の財産に対する二重課税だと廃止を主張する者から、財産は一代限りであり公平な社会を実現するために親の財産は100%国が没収してしまえという者まで、幅広い論議が行われています。
 そもそも相続税の課税の根拠は何でしょうか。
 相続税のない国もありますし、アメリカなどはブッシュ政権時、一時相続税の税率ゼロ%にしたこともあります。(今でも基礎控除は6億円です)
 なぜ親が死に、その親の残した財産に課税されるのか。しかも基礎控除下げて一部の資産家からというより大衆から。
 それは一言で言えば、相続財産の担税力にあります。
 親が残した財産を子は労せずして自分の財産にできます。そこに税金を負担する能力が発生するというものです。汗水垂らして稼いだものではなく親の財産が転がり込んだのだから、税金は払い易いだろうというものです。
 もう一つ、富の再配分機能を強化させようとする狙いです。富めるものはさらに富、貧しい者はますます貧しい。そんな社会を作らない為に格差社会を固定化させないために富める者が死んだ時、相続税を課し、国がその税という形で富の一部を没収しそれを貧しい人々へ社会保障という名で還元していこうとするものです。
ただここで問題があります。
親からもらった財産に本当に担税力、税金を負担する能力があるでしょうか。確かに現金とか預金、上場株式、投資信託、国債等、現金として使える物を相
続した場合には担税力が発生します。
 しかし、土地、建物、自社株式等は一切担税力が発生しません。
 しかも相続財産の多くはこの担税力のない財産で占められていることが多い
のです。
 親が持っていた自宅に息子が居住するのだから、息子は自宅を建てる必要がないから、担税力はあるだろうと言われるかもしれません。
 しかし、生前親の名義の住宅に息子が無償で住んでいたからと言って贈与税はかかりません。不動産、特に居住財産は〇〇家の財産として次代へ引き継いでいかれるべき財産だからです。
 又、貸家、貸駐車場などの土地、建物については、毎年不動産所得税を支払っているのであり、その名義が親から子に変わったとしても土地、建物の収益力は変わらず担税力は持てません。(担税力は売却した時発生します)
 相続により税金を負担できる担税力のある資産とそうでない資産に分けて、課税が行なわれるべきではないでしょうか。
 
 次は富の再分配が相続税によって機能しているかという点です。
 2017年決算額の内訳は国税収入約60兆円のうち、所得税約18兆円、法人税約12兆円、消費税約17兆円に対し、相続税は約2兆円です。この2兆円で富の再配分が可能でしょうか。
 貧困率というものがあります。その詳細は述べませんが、日本では16%6人に1人が相対的な貧困という調査から見ると約2000万人の貧困者が日本に居ることになります。
 2兆円を2000万人に分ければ、年に一人10万円です。これが富の再配分と言えるでしょうか。
 もっと言えば、税の仕組を使って富の再配分を行なうことに土台無理があります。相続税にますますこれから重税感が増して来ます。なぜなら一昔前のような金利水準なら相続税を負担しても残った財産が高金利でまた増えていきましたが、しこたま蓄えた親の財産に相続税が課税され、(しかも担税力のない土地・建物にまで)手許に残った財産で残された家族は老後を過ごしてゆかなければなりません。
 親の財産を当てにしない老後の収入計画を若い時からしっかり立てておく必要があります。

代表社員 前原 幸夫
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2018年11月01日

11月の言葉!「みちのく紀行」

「みちのく紀行」

 私の妻がさだまさしの大ファンということは以前何度かご紹介したと思います。さだまさしのコンサートを追いかけて日本全国に行くわけです。もちろん一人では行けないため(方向音痴)いつも私が同伴します。私は岡山の周辺会場よりも出来るだけ遠くに旅行を兼ねて計画します。
 今回も青森のコンサート会場を押さえ、十和田湖へという予定を立てま
した。その話を聞きつけ私の同級生、うどん名玄の平井さんご夫妻も連れ
だっての旅となりました。
2泊3日、初日はコンサートがありますので、コンサート会場近くのホ
テルに宿泊。コンサートが終り近くの寿司屋で一杯、みちのくの味を堪能し、次の日は十和田湖です。
レンタカーに乗り、ナビ頼りの旅ですが、平井さんご夫妻が同行した
いと言われた時、私に一つのアイデアが浮かびました。私も以前行なったのですが、平井ご夫妻に続婚式(・・・)をやらせようと。
 ご夫妻の仲睦まじさは相変わらずですが、彼らの指には以前の私たちのように結婚指輪がありません。
 うどんをこねるという関係からかもしれませんが、以前から私は氣になっていました。
 続婚式の話をするとすぐに乗り氣で結婚(続婚)指輪を購入し、今回の旅行となりました。本人たちの希望により、神前が良いということで、青森市内の由緒ある神社に伺ったのですが、あいにくその日は大祭の日であえなく断られ、それならと地図で探すと、十和田湖畔に十和田神社があることが分かり車を走らせました。

 外国人のお客様が多い中、十和田神社の参道で(その日平井夫人は足を怪我しており神殿までの長い階段を上ることが出来なかったもので)
行ないました。私たち夫婦が仲人役、指輪の交換、誓いの言葉をお互い交わしキスの代わりに握手を。その近くの土産物屋の食堂でお神酒で乾杯で終了です。今も二人の指には真新しい指輪が輝いています。

 2日目の宿はあの有名な酸ヶ湯(すかゆ)温泉!
何で有名かというと、冬には4mを超える積雪で冬場にテレビによく出てくる温泉宿です。もちろん、私の行った時は雪はありませんが。
「混浴ヒバ千人風呂」という開湯以来300年以上経つ湯治場です。
豪華さはありませんが、昔ながらの湯治の湯にひたり、混浴にドキドキしたりと、それはそれで楽しい一泊でした。
 最終日、青森空港発の飛行機は夕方ですので時間もたっぷりあり、どこへ行こうかと考えていた時、平井さんが道路標識を見つけ、そこへ行こうということになりました。私は「え〜っ」と思いましたが、他に当てもないため、言うことに従い行ってみました。
 
そこは、三内丸山遺跡(さんないまるやま)という縄文時代の大規模な集落の跡です。縄文時代前期〜中期、今から約5,500年前から、4,000年前です。
5,500年から1,500年間ここの集落は続いていたそうです。
縄文時代、これまでの私のイメージでは縄文時代、人々は洞穴に住み、貝や獣を捕り生活しているという暗いイメージを持っていましたが、ここ三内丸山は違いました。
 集落の広さは約40ヘクタール、竪穴式の住居、墓、高床式建物(倉庫のような)、それから地上12mにも達する堀立柱建物(祭祀用で使ったのではないかと言われています)、数多くの住居跡があり(なんと柱の間隔は全て4.2m長さの尺度があったことを伺わせます)、数多くの板状の土偶や交易をうかがわすここでは取れない翡翠や黒曜石なども出土し、展示されていました。
村人は約500人に達し、自家栽培した粟を主食に、クルミ・とち・えごま・瓢箪、牛蒡、豆そして海が近いこともあり魚を捕って食べていたということです。

 驚くべきは、1,500年間に亘り、平和で穏やかな生活がここで営まれていたという点です。
 多分、上下・貧富・争いなどなかったのではないかと想像できます。
 なぜならば、この遺跡からは人を殺傷するよう武器は出土されていないということ。食料を貯蔵する倉庫があり、皆が平等に食し、住居跡も大小さまざまありますが、特権階級が済むような住居跡はありません。

 その頃、今から5,000年前と言えば、メソポタミアやエジプトでは王が居て、奴隷が居て、富める者と貧しい者の階級がはっきりしていたことを思えば、なんと素晴らしい遺跡であることかと改めて驚き畏れ入ります。
そこに住んでいた人々は、定住もせず原始的な生活をしていたというイメージを遥かに覆す文化的で科学的で健康で平和で豊かな共同体生活を5,000年前から続けてきたのだということに驚かされ、もっと日本人のルーツに近づきたいと思った旅でした。


代表社員 前原 幸夫
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2018年10月01日

10月の言葉!「己を尊び人に及ぼす」


 自民党の総裁選も終り、安倍総理が3選を果しました。その是非はさておき、なぜ安倍総理は自民党の規約まで変えて3選をしたかったのでしょうか。
テレビに映る総理は時々薬のせいか顔が腫れぼったく見え、決して体調は万全とは思えません。なのになぜと思いますが、その答は多分憲法改正だと思います(もう1つあるとすれば東京オリンピックですが)。
 自分の総理総裁の時でなければ日本国憲法の改正はできないという強い信念の表れだと思います。

 日本国憲法の生い立ちについて見てみましょう。

 現行憲法は昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行されています。時は真に戦後のどさくさの時。昭和20年8月15日に終戦を迎え、そしてアメリカの占領下に置かれます。昭和20年8月30日、GHQの最高司令官マッカーサーがパイプをくわえ、厚木基地に降り立ち、それから憲法の草案がアメリカ人らの手により始まります。そしてなんと昭和21年2月13日には、マッカーサー草案として憲法の草案が日本に提示されています。わずか半年にも満たない期間での草案づくりです。この時、この起草の責任者コートニー・ホイットニーは、現行憲法の戦争放棄についてこう言っています。

 「国権の発動たる戦争は廃止する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本はその防衛と保護を今や動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ機能は将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」という原則のもと現行の憲法の前文及び第9条が作られています。
 日本は自国を守ることさえも許されない敗戦国だったのです。自国の平和、生命の安全は自衛のための軍隊(戦力)ではなく、世界の国々の崇高な理想、換言すれば世界の国々のお情けで守るというのです。

 これが占領下、敗戦国日本の戦後のスタートです。
敗戦後、日本は日本人が治めておらず、GHQマッカーサーの支配下です。
書籍や手紙は検閲があり、発言の自由も奪われていました。そんな中での憲法なのです。今の憲法は。
だとしたら昭和27年4月28日日本はサンフランシスコ平和条約により独立しました。独立国家となった以上その時に憲法を変えておく必要があったのです。

 1972年、沖縄が日本に返還されるまで27年間沖縄は日本ではありませんでした。
 当時、戦後の日本と同じようにアメリカ人が統活していました。占領されていたのです。通貨はドル、沖縄に行くにもパスポートが必要でした(公用語も英語にしようとしたようですがこれは実現しなかったようです)。
なんと、甲子園大会に出場する沖縄の球児たちはパスポートを持って甲子園に向かったといいます。車は右側通行、車のスピードメーターもマイル、道路標識もアメリカ仕様です。
 しかし、日本に復帰してからは円になり車も左側通行、パスポートももちろん必要ありません。
 アメリカの支配下から独立し、独立国となればアメリカ仕様ではなく日本独自の制度が必要になります。日本人が日本を統治するのですから当り前です。
占領政策の一環として作られた現行憲法を独立した後も後生大事に守ってゆかねばならないという意味が分かりません。
しかも問題のない憲法ならいいですが、戦後70年も過ぎ、問題だらけの憲法は変わっていくのが当り前です。
 もう一度言います。昭和27年4月28日日本が独立した時もう一度作り直すべきだったのです。

今、いじめや子の虐待、無差別の殺人が毎日毎日報道されています。原因は色々あるでしょうが最大の原因は自分の尊さ、すばらしさ、命の有難さの欠如ではないでしょうか。自分のことが心から好きで愛せる人でないと人を愛してはゆけないのではないでしょうか。自分の命を大切にする人こそ、人の命も大切にできます(逆に自分を粗末にする人は他人を粗末にしてしまいます)。
このことは国でも同じです。自国を愛せない人が他国を愛すことはできません。
まず、自国の文化を学び、畏敬、尊敬してこそ周りの国々にも同じ歴史、文化がそれぞれにあるのだと氣づき畏敬、尊敬するのではないでしょうか。
その国家の根本をなす憲法に国民を守るという条項が欠けているとしたら、他国のお情けで守ってもらうとしたら、そんな国を畏敬、尊敬できますか。

まず、自分の国は自分で守る。いや命をかけても守るという氣概を養い、それと同時に他国に思いを馳せ、共尊共栄の世界を作ってゆけるものと信じます。
自分を愛する者が他人を愛せ、自分の家族を愛せるものが、他人の家族を愛せ、自分の町を愛せる者が他の町を愛すことができ、自国を愛す者が他国を愛し、地球を愛する者が他の星を愛し、宇宙を愛せる者になると強く信じ、まず憲法の見直しからスタートする必要性を強く感じ、これからの論争を注視したいと思います。


代表社員 前原幸夫
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2018年09月01日

9月の言葉!「親と子に捧げる 300号記念!!」


 なんと なんと 
今月お届けする「本氣」は通算300号です。
毎月1回発行、そして新年は「本氣」はお送りしていませんので、年11回。平成3年7月から少し(大分)遅れたりはしますが、それでも毎月欠かさず27年300号です!!

 平成3年と言えば、私は38才。開業して6年が過ぎ、社員も10名程、お客様も150社を超えたころです。今までは、私がほとんどお客様の所へ顔を出していたのが、なかなか叶わぬようになり、その疎遠さを出来るだけ縮めたいという念いからの「本氣」の発行でした。本当に長いお付き合いをいただき感謝です。身体(頭)の続く限り、命の続く限り出し続けますので、よろしくお付き合いください。

 そう言いながら記念すべき今月号、手を抜くわけではないのですが、過去のものを2編、少し長くなりますが選んで載せてみます。それは大塚家具を取り上げたものです。今期(2018年12月期)も8月7日 52億円の赤字見通しと下方修正を発表。これで3期連続の赤字となり、身売りさえささやかれています。ことの発端は今から3年前の父から娘への社長交代から始まっています。最初に私が取り上げたのは2015年3月号(No.261)です。

「大塚騒動」

 最近、とみに企業の事業承継についてのご相談が多くなっています。
 1つは社長の年令、1つは今年から相続税の基礎控除が引下げられたことに対する増税感からだと思います。
 企業30年説というのがありますが、よく言ったもので、30代で創業し、それなりに成長させてこられた社長さんも60代後半を迎え、そろそろリタイアを考えられる方が多いということでしょう。
 しかし、ここで数々の問題があります。
 大きなものは、譲る側の年令、健康と譲られる側の経営者の力量です。
今の70才はお若い。
ですから、さっとリタイアというわけには行きません。それが60代ならばもっと若く、子供さんに社長の座を譲った後も実質的に社長。何の為の社長交代か分かりません。
 しかし、譲る側の社長にも言い分があります。
「後継者の我が子を見ていると、まだまだ社長の器ではない。老骨にムチ打って、私がガンバラねば!」との思いが強くあります。
 一方、後継者の側は、社長になったものの「以前と役割はほとんど変わらず、先代の社長、現会長は自分のやることなすこと、こと細かくチェックし修正をかける。何の交代か分からない。」
「これほど時代が変わっているのに、先代の行っていた経営手法でやりたがり、新しい経営スタイルをなかなか認めてくれない」と、不平不満を持つ後継者も多いのが現実です。

 まさに今の大塚家具の騒動そのものです。
 先代社長が一代で作り上げてきたものを、一橋大学、都市銀行出身の才女が後を継ぐという傍目には何ともうらやましく思われるものが、当人同士、怨念とも言えるような確執が繰り広げられています。
娘二人で身内の後継者がいない私なんぞ、あんな優秀な娘が後を継いでくれたらいいなぁと思いますし、又、創業者の私にとってはないないづくしのスタートでしたから、あれだけの巨大企業を作り上げてくれた先代がいたら、さぞかし経営は楽だろうにと、父と娘、共方うらやましい限りです。
 ところが、現実は逆で先代は後継者が行うことが不安で不安でたまらず、後継者は先代を古くさい目の上のタンコブと思うようです。
 
大塚家具にしても、現会長の親は、タンス職人だったと言います。多分、その父の念いはタンス職人の後を継いで欲しかったに違いありません。
 しかし、大塚勝久会長は父の作るタンスの販売をし、その間学んだ家具販売のノウハウをもって、1969年独立したのです。親からの独立です。その時多分勝久氏の父親も不安いっぱいだったに違いありません。
 それから快進撃を続け、2003年には売上730億円を上げましたが、2013年には562億円と経営不振に陥りました。
 この難局をいかに乗り切るか、従来の成功体験を元にしたやり方か、時代の変化に見合う経営の見直しをするのか、ここが親子の対立だと思います。どの企業にもありそうな話です。

 それではお前はどうするのかと聞かれたら、私ならこうします。
 勝久氏が今の手法で十分この難局は乗り切れると判断するなら、より大塚家具の強味、特徴に磨きをかけることです。
 ニトリや、IKEAにはないもの、大塚家具でしか得られないものに。
それは徹底した仕入に対する目利きであり、高いもの、いいものをより安くという高級化であり、会員制を利用した限定的な顧客の絞り込み、会員としてのステイタスの向上、顧客密着度を上げることによる家具というものではなく、ライフスタイルそのものの提案力の強化です。
 しかし、それだけでは今の変化には対応できないでしょう。
従来の販売手法に磨きをかける一方、住宅建築戸数の減少(少子化、高齢化)、まとめ買いから単品購入、氣にならない接客、自由な買い物ができる売り場づくり、高いというイメージの払拭等、久美子社長の言うこともうなづけます。  
だとしたら、第二創業を久美子社長は、大塚家具というブランドではなく、自らのブランドとして立ち上げ、店舗展開をしてゆく。手法の違う二つの企業がお互いライバルとなり、補完し合い、事業を展開してゆくことが、いいのではないのでしょうか。
二者択一ではなくいいものが残る、そして、お客様に支持されないものは自然になくなるという当たり前の原理原則どおりやってみることです。
 泥試合こそ最も避けなければならないものです。

 以前、ある後継者の社長から、こんな話を聞いたことがあります。
 ある日、先代の社長お父様から、お前が社長をやれと、まだ30代の前半の時言われ、それと同時に会社の実印と通帳、そして父名義の○千万円残高のある定期預金とその印鑑を渡され、その日からお父様は会社に出て来なくなってしまったそうです。
 急な事で驚いたと同時に、父の自分に対する信頼を痛いほど感じ、もちろん父名義の預金には一切手を付けることなく、30年以上一所懸命やってきたということです。

 又、創業50周年、60周年というお祝いに、ご招待されることもよくあります。
その場で目にすることは先代や先々代に対する恩の披歴、感謝の式です。現社長が今こうやって隆々とやってられるのも全て先代や先々代のご苦労、ご苦心の賜物との念いが式全体のベースになっています。
 創業者もいくら立派に大きく企業を成長させたとしても、永遠に社長でいるわけにはゆ
きません。必ず、承継は必要になります。
 その時、俺なんか苦労の連続だったのに、こんな立派な会社の経営をやれるのだから、お前は幸せ者だと、後継者に恩を売る(請求書の発行)のでななく、何があってもお前を信じ、バックアップする。
そして自分が創った会社、自分が継いだ会社を継いでいただくことだけで有り難い。そんな思い(領収書の発行)も必要なのではないでしょうか。

 それと同時に継ぐ立場の方も、親や先祖に対し、こんな立派な会社を継がせていただくことに感謝し、必ずこれを次の代に継なげてゆくことを先代の前で誓うことも必要なのではないでしょうか。
 泥のかけ合いでなく、感謝のかけ合い、親は子を信頼信愛し、子は親を尊敬崇拝することにより、スムーズな事業承継が行なわれるのではないかと思います。
 社長は有限されど、企業は無限です。
真の事業承継とは父が子に継がせるだけでなく、その子が孫に継ぐことで完結されると私は教えていただきました。
 真の事業承継を私も行なう決心覚悟です。




次にもう1編
2017年6月号(No.286)です。

「有明反省会」

 日経新聞で「有明反省会」という見出しが目に留まりました。大塚家具の記事でした。
 大塚家具が東京都の有明に本社があるため、「有吉反省会」をもじって「有明反省会」という見出しになったようです。
 あの大塚家具です。もう2年前になりますが、先代社長が一代で築いたビジネスモデルが時代に合っていないと後継者である娘が父を社長の座から引きずり降ろし、自らが社長となったあの大塚騒動、お家騒動のあった会社です。

 私も2年前この「本氣(まじ)」で取り上げました。2015年(平成26年)3月号です。早いものであれから2年経ちました。
 今、読み返してみますと興味深い文章が並んでいます。
「泥試合こそ避けるべき二者択一でなく、いいものが残り悪いものは消える。この原理原則に従い、父子のビジネスモデルの併用を」と言っています。
 しかし、現実は父親を排除し娘の思うビジネスモデルに転換した2年でした。結果は大苦戦ということです。
 ピーク時の売上730億円あった売上は2016年(平成28年)12月決算では463億円と大幅に落ちています。しかも45億円の赤字となりました。
 原因は、娘が先代のビジネスモデルを否定し換えた結果、お客様や社員がついてこれていないということです。当り前の話です。
 長年、先代が培ってきた販売スタイルにお客様も社員も慣れています。一氣には変わりません。
 お客様も困惑しています。今まで大塚家具は高級路線でした。しかし、お客様に身近なイメージを作ろうと中価格帯の品揃えを強化するという方向転換をお客様は安売りだと思います。
 安売り店なら、ニトリと比べます。ニトリと比べれば、はるかに高い価格ですから、お客様は離れてゆきます。
 接客のスタイルも抜本的に変えました。今までは会員登録をし販売員が付き添い、まさに付っきりで店内を案内し、説明をするというスタイルでしたが、これではお客様が自由に店内を見て廻ることができないとの理由で、販売員が必要と思われるお客様にのみ、お客様の様子を察し、お声掛けをする方式に変わりました。
 週末の新宿のショールームは家族連れで賑わっているそうですが、「以前は付いて廻られることが煩わしかった」という声がある一方で、来店客の多くは一通り店内を見て廻るとそのまま出口に向かわれるそうです。お客様との距離、接客のタイミング、販売員の質と量が不足しているとのことでした。最適な販売員を配置し、接客のテクニックを上げてゆく必要があるということです。
 
2代目の挑戦は始まったばかりで軽々しく結論をいう事は出来ませんが、新しいビジネスモデル、販売スタイル、店舗イメージを構築、浸透させるにはまだまだ時間がかかりそうです。先代のやり方が古く、2代目の新しい眼、新手法が必要なのは世の習い、世の常です。
 しかし、その時大切なのは、先代のやり方、ビジネスモデルを否定することではありません。先代と別のものを創ることでもありません。
 先代の理念、戦略、ビジネスモデル、手法等々を包含する一廻り大きいビジョン、理念、戦略、ビジネスモデルに組み替えるということです。
 先代の経営を全肯定し、心からの畏敬の念、感謝の念を胸に刻み、それをベースに後継者がよしとするあり方、やり方に変えてゆくということです。
 全く別々のものを創り出すのではなく(新生ではなく)創生です。先代のものを全てのみ込み一廻り大きく組み替えることです。
 経営創生とでも言うべきものです。

 その時一つだけ重要なことがあります。後継者は先代より一廻り大きな理念、戦略、ビジネスモデルを持つわけですから、当然、先代よりも一廻りも二廻りも大きな人間力が必要だということです。これがなければ、うまく行くはずがありません。
 大塚家具の大苦戦も2代目久美子さんの才はあるが、徳(人間力)がまだまだ先代に追いついていないということの表われだと思います。才だけでは、お客様や社員はついて来ません。
 徳あるところに人は集まります。 後継者の健斗を心よりお祈り申し上げます。


                                                     代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月01日

8月の言葉!「豪雨災害」


 今回の豪雨災害により、亡くなられた方又、災害に遭われた方へ心よりお見舞いを申し上げます。
 我が家も後、数センチで泥水が押し寄せるところでしたが、辛うじて難を逃れることができました。我が家を建てた父親が「地盛りはしっかりとせんといけん!」と少し高めに基礎をしておいてくれたおかげ様だと亡き父の英知に今更ながら感謝しています。(ちなみに父はもう一つ、押入れは多ければ多いほど良いがモットーで我が家には物入れ、押入れが結構あります。しかし、どこも物で一杯。やはりあれば便利なのだと感心します)

 7月6日(金)の深夜から7日(土)の明け方までほとんど眠らず水の番でした。夜、川の増水を知らせるサイレンがけたたましく鳴り、また警報メールがひっきりなしに携帯電話から鳴るという状態。どんな状況かと大雨の中、前を流れる旭川を見に行ったり、甥の運転する車で町内を廻ったり、その途中避難されている方を見送ったり、緊迫の一晩でした。
 旭川の堤防を越えて川の水が町内に流れこむとか、決壊などということはないだろうと思っていました。しかし、その晩の旭川は今まで見たことのない水位であと1〜2m増水すれば堤防を越えてくるような恐ろしい光景でした。
 町内の道路は水に埋もれ、崩れたことのない裏山も一部崩れ、今まで経験したことのない災害の恐ろしさがそこにありました。
 おかげ様で町内も大した被害もなく、しばらくして水も引いてくれました。
 しかし、我が町内で言えば、今まで大丈夫だと思っていた家屋への浸水、山の崩落、お年寄りの避難手順、寝たきり、一人住まいの方々への情報伝達等々、多くの課題が浮き上がった今回の災害でした。
 
災害の対応には自ら守る「自助」、近隣で助け合う「共助」、国や県、市が手を貸す「公助」があるとされています。
 基本は日頃から防災グッズや非常食の準備をする、避難場所や防災マップでリスク確認するといった自分の命、安全は自分で守るという自助です。
 しかし、自分一人、自分の家族だけでやれることには限界があります。
実際、今回の水害でも我が町内の避難場所は、近くの公会堂や小学校でなく4kmも離れた岡北中学校です。
老人の方でなくとも、大雨の中、傘を差して歩いてゆくことは不可能です。
近隣の方が自発的に車を出し避難されていました。
 そこには濃密なコミュニティーの形成が必要です。人は人、自分は自分、我が家は我が家、人の家は人の家と別々の存在と考えるのではなく自分が困っていることは人も困っているだろう。我が家が大変な時は隣の家も大変だろうと思いやる心、寄り添う心が必要です。
 そして町内全体の家族構成とか連絡網を日頃から完備・点検し、いざという時、誰が誰のお世話をするか、どこからどこへ避難するか等々、しっかり詰めた話を町内全体でする必要があることを痛感しました。
共助です。助けられるのではなく助ける人になる。
互助、お互いに助け合う。そんな濃密な関係が必要となります。
その為にも日頃のお付き合いが重要であり、自分が災害の時何が出来るかを探りながら、活動しなければならないと強く思いました。
国や県、市の公助は初動時にはほとんど役に立ちません。

数日経って、高梁市に用事があり、国道180号線を北上しました。
真備町の惨状は良くテレビ等で見ていましたが、国道180号線の豪渓から高梁に行くその沿線もかなりの災害でした。
 国道180号の左側に高梁川は流れています。国道の右側に伯備線が通っています。(勿論不通ですが)その伯備線を守るようにフェンスが設けられていますが、そのフェンスがゴミだらけ、高梁川の水がそのフェンスを越え、伯備線の線路をまたぎその右奥にある民家を直撃していました。
 あの高梁川がと思うと同時に、我が家の前を流れる旭川も決して安全ではなかったのだと改めて氣付かされました。
 今までの経験、今までの常識、今までの安全神話が通用しない昨今の災害。
いつどこで起こっても不思議がないのが自然の力だとしたら、常在戦場。
晴れの国岡山とタカをくくらず、謙虚に備えたいと思っています。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 13:52| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

7月の言葉!「温故知新」

 先月(6月)、高校時代の同窓会と大学時代のサークルの同期会がありました。懐かしくもあり、又段々と訃報などが届く歳となり、是非今のうちに会っておこうと出かけてみました。
 高校時代の同窓会は岡山での開催でした。約60名位の参加です。何せ関西高校昭和46年普通科卒の猛者(もさ)ばかりですから女っ氣なし。恩師3名を含め全員男性というイカつい会になりました。
 その中でも高校時代ワルで名を馳せたヤツほど今は立派になっているという感じを受けました。
 私はと言えば、朝日高校に入れず無念の関西高校入学でしたので大学受験失敗は許されない。しかも高校2年から税理士に照準を定めていましたので、とにかくガリ勉でした。
 修学旅行、文化祭、運動会などの学校の行事には目もくれず、とにかく勉強の毎日でした。その頃テレビで朝6時から7時まで大学受験講座を観てから、その後学校へ。1時限目が始まるまで図書館。授業も私立大学希望でしたから、受験に関係ない学科はボイコット。終業時から帰宅まで又図書館。帰宅し少し睡眠をとり食事、風呂の後は11時からラジオの受験講座を12時まで聞いて就寝という毎日でした。そんな訳であまり高校時代の思い出はありませんが、それでも久しぶり(中には50年ぶり)に会う同級生との会話は楽しくはずみました。

 次の週は東京で大学時代のサークルの同期会でした。私の大学時代は学園紛争の真っただ中、学校はいつもロックアウト(閉鎖)され、校内にも入れません。大学の授業がないわけですから、学びの場はサークルです。
 経営会計研究会(経会研)というサークルに1年生から入会し、簿記や会計学、経営学や経済学等を学びました。学びの場は、学校が閉まっているのですから、喫茶店でコーヒーを一杯頼み3〜4時間居座ったり、北の丸公園などでの青空教室であったりとそれはそれで楽しい思い出です。
 同期は14名ですが、既に2人が亡くなり、1人は難病で欠席、1人は行方知れず、1人は公務(日税連の常務理事)欠席と9名の参加でした。9名の内、1人も脳梗塞で半身が動かずリハビリ中でしたが、それを押して金沢から上京してくれました。
 そんな会ですから、14名中公認会計士が4名、税理士が4名、司法書士1名という構成。日本各地でそれぞれ顔(がん)晴(ば)っている同業の仲間という感じです。
 
 高校の同窓会でクイズ形式の歴史の問題が配られました。教科書クイズと題された問題。(出典は「こんなに変わった!小中高教科書の新常識」)
 私達が学んだものとこんなに違うのかと驚くばかりでした。
 例えば、
◆鎌倉幕府の成立は西暦何年?
イイクニ造ろう鎌倉幕府ですから、当然1192年と覚えていました。なんと今は1185年。1192年は頼朝が将軍に任じられた年であり、実質的には全国に守護地頭を置いた1185年(イイハコですって)が鎌倉幕府の始まりの年とのこと。

◆西暦645年は何の年?
大化の改新ではなく乙巳(いっし)の変だそうで、大化の改新は646年らしいです。

◆関ヶ原の戦いの東軍の大将は徳川家康、西軍の大将は?
当然、石田三成と答えたくなりますが、実は毛利輝元。副大将は宇喜多秀家の大老。石田三成は当時奉行職でもなかったとのこと。

訳が分からなくなりそうです。
何はともあれ、青春時代にしばしタイムスリップし「今度会うまで死ぬな」を合言葉に別れました。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 15:39| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする