2018年08月01日

8月号の言葉!「豪雨災害」


 今回の豪雨災害により、亡くなられた方又、災害に遭われた方へ心よりお見舞いを申し上げます。
 我が家も後、数センチで泥水が押し寄せるところでしたが、辛うじて難を逃れることができました。我が家を建てた父親が「地盛りはしっかりとせんといけん!」と少し高めに基礎をしておいてくれたおかげ様だと亡き父の英知に今更ながら感謝しています。(ちなみに父はもう一つ、押入れは多ければ多いほど良いがモットーで我が家には物入れ、押入れが結構あります。しかし、どこも物で一杯。やはりあれば便利なのだと感心します)

 7月6日(金)の深夜から7日(土)の明け方までほとんど眠らず水の番でした。夜、川の増水を知らせるサイレンがけたたましく鳴り、また警報メールがひっきりなしに携帯電話から鳴るという状態。どんな状況かと大雨の中、前を流れる旭川を見に行ったり、甥の運転する車で町内を廻ったり、その途中避難されている方を見送ったり、緊迫の一晩でした。
 旭川の堤防を越えて川の水が町内に流れこむとか、決壊などということはないだろうと思っていました。しかし、その晩の旭川は今まで見たことのない水位であと1〜2m増水すれば堤防を越えてくるような恐ろしい光景でした。
 町内の道路は水に埋もれ、崩れたことのない裏山も一部崩れ、今まで経験したことのない災害の恐ろしさがそこにありました。
 おかげ様で町内も大した被害もなく、しばらくして水も引いてくれました。
 しかし、我が町内で言えば、今まで大丈夫だと思っていた家屋への浸水、山の崩落、お年寄りの避難手順、寝たきり、一人住まいの方々への情報伝達等々、多くの課題が浮き上がった今回の災害でした。
 
災害の対応には自ら守る「自助」、近隣で助け合う「共助」、国や県、市が手を貸す「公助」があるとされています。
 基本は日頃から防災グッズや非常食の準備をする、避難場所や防災マップでリスク確認するといった自分の命、安全は自分で守るという自助です。
 しかし、自分一人、自分の家族だけでやれることには限界があります。
実際、今回の水害でも我が町内の避難場所は、近くの公会堂や小学校でなく4kmも離れた岡北中学校です。
老人の方でなくとも、大雨の中、傘を差して歩いてゆくことは不可能です。
近隣の方が自発的に車を出し避難されていました。
 そこには濃密なコミュニティーの形成が必要です。人は人、自分は自分、我が家は我が家、人の家は人の家と別々の存在と考えるのではなく自分が困っていることは人も困っているだろう。我が家が大変な時は隣の家も大変だろうと思いやる心、寄り添う心が必要です。
 そして町内全体の家族構成とか連絡網を日頃から完備・点検し、いざという時、誰が誰のお世話をするか、どこからどこへ避難するか等々、しっかり詰めた話を町内全体でする必要があることを痛感しました。
共助です。助けられるのではなく助ける人になる。
互助、お互いに助け合う。そんな濃密な関係が必要となります。
その為にも日頃のお付き合いが重要であり、自分が災害の時何が出来るかを探りながら、活動しなければならないと強く思いました。
国や県、市の公助は初動時にはほとんど役に立ちません。

数日経って、高梁市に用事があり、国道180号線を北上しました。
真備町の惨状は良くテレビ等で見ていましたが、国道180号線の豪渓から高梁に行くその沿線もかなりの災害でした。
 国道180号の左側に高梁川は流れています。国道の右側に伯備線が通っています。(勿論不通ですが)その伯備線を守るようにフェンスが設けられていますが、そのフェンスがゴミだらけ、高梁川の水がそのフェンスを越え、伯備線の線路をまたぎその右奥にある民家を直撃していました。
 あの高梁川がと思うと同時に、我が家の前を流れる旭川も決して安全ではなかったのだと改めて氣付かされました。
 今までの経験、今までの常識、今までの安全神話が通用しない昨今の災害。
いつどこで起こっても不思議がないのが自然の力だとしたら、常在戦場。
晴れの国岡山とタカをくくらず、謙虚に備えたいと思っています。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 13:52| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

7月号の言葉!「温故知新」

 先月(6月)、高校時代の同窓会と大学時代のサークルの同期会がありました。懐かしくもあり、又段々と訃報などが届く歳となり、是非今のうちに会っておこうと出かけてみました。
 高校時代の同窓会は岡山での開催でした。約60名位の参加です。何せ関西高校昭和46年普通科卒の猛者(もさ)ばかりですから女っ氣なし。恩師3名を含め全員男性というイカつい会になりました。
 その中でも高校時代ワルで名を馳せたヤツほど今は立派になっているという感じを受けました。
 私はと言えば、朝日高校に入れず無念の関西高校入学でしたので大学受験失敗は許されない。しかも高校2年から税理士に照準を定めていましたので、とにかくガリ勉でした。
 修学旅行、文化祭、運動会などの学校の行事には目もくれず、とにかく勉強の毎日でした。その頃テレビで朝6時から7時まで大学受験講座を観てから、その後学校へ。1時限目が始まるまで図書館。授業も私立大学希望でしたから、受験に関係ない学科はボイコット。終業時から帰宅まで又図書館。帰宅し少し睡眠をとり食事、風呂の後は11時からラジオの受験講座を12時まで聞いて就寝という毎日でした。そんな訳であまり高校時代の思い出はありませんが、それでも久しぶり(中には50年ぶり)に会う同級生との会話は楽しくはずみました。

 次の週は東京で大学時代のサークルの同期会でした。私の大学時代は学園紛争の真っただ中、学校はいつもロックアウト(閉鎖)され、校内にも入れません。大学の授業がないわけですから、学びの場はサークルです。
 経営会計研究会(経会研)というサークルに1年生から入会し、簿記や会計学、経営学や経済学等を学びました。学びの場は、学校が閉まっているのですから、喫茶店でコーヒーを一杯頼み3〜4時間居座ったり、北の丸公園などでの青空教室であったりとそれはそれで楽しい思い出です。
 同期は14名ですが、既に2人が亡くなり、1人は難病で欠席、1人は行方知れず、1人は公務(日税連の常務理事)欠席と9名の参加でした。9名の内、1人も脳梗塞で半身が動かずリハビリ中でしたが、それを押して金沢から上京してくれました。
 そんな会ですから、14名中公認会計士が4名、税理士が4名、司法書士1名という構成。日本各地でそれぞれ顔(がん)晴(ば)っている同業の仲間という感じです。
 
 高校の同窓会でクイズ形式の歴史の問題が配られました。教科書クイズと題された問題。(出典は「こんなに変わった!小中高教科書の新常識」)
 私達が学んだものとこんなに違うのかと驚くばかりでした。
 例えば、
◆鎌倉幕府の成立は西暦何年?
イイクニ造ろう鎌倉幕府ですから、当然1192年と覚えていました。なんと今は1185年。1192年は頼朝が将軍に任じられた年であり、実質的には全国に守護地頭を置いた1185年(イイハコですって)が鎌倉幕府の始まりの年とのこと。

◆西暦645年は何の年?
大化の改新ではなく乙巳(いっし)の変だそうで、大化の改新は646年らしいです。

◆関ヶ原の戦いの東軍の大将は徳川家康、西軍の大将は?
当然、石田三成と答えたくなりますが、実は毛利輝元。副大将は宇喜多秀家の大老。石田三成は当時奉行職でもなかったとのこと。

訳が分からなくなりそうです。
何はともあれ、青春時代にしばしタイムスリップし「今度会うまで死ぬな」を合言葉に別れました。

代表社員 前原 幸夫
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2018年06月01日

6月の言葉!「イノベーション」

先日おもしろい例え話に出会いました。

 『訓練艦隊所属の戦艦二隻が、悪天候の中、数日前から演習航海を続けていた。私は先頭の戦艦に乗っており、陽が沈んでから当番でブリッジに入った。あたりに霧が発生して視界が悪かったので、艦長もブリッジに残り状況を見守っていた。
暗くなってから間もなく、ブリッジのウイングに立っていた見張りが報告に来た。
「右舷船首の進路に光が見えます」
「停止しているのか、後方に動いているのか」と艦長は聞いた。
「停止しています」と見張りは答えました。つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるわけです。
艦長は信号手に「衝突の危険あり、進路を20度変更せよと、当該の船に信号を出せ」と命じた。
返ってきた信号はこうです。「そちらが20度進路変更せよ」
艦長は再度、信号手に指示した。「私は艦長だ。そちらが20度進路を変更せよと信号を送れ」
すると「こちらは二等水兵です。そちらが進路を変更しなければなりません」という返事が返ってきた。
艦長はついに怒り、吐き出すように言った。「信号を送れ。こっちは戦艦だ。20度進路を変えろ」
返ってきた光の点滅は、「こちらは灯台である」だった。
我々は進路を変えた。』

 私たちの人生は霧の中を前進しているこの船のようなものではないでしょうか。そして、船長が自分自身です。濃い霧の中に灯りが見える灯台の明かりと知らず、自分の進路は頑として変えようとはしません。怒りを持ってその灯りを発する物体(船)の進路を変えさせようとしているのです。
 その灯台の灯は夫であったり、妻であったり、子だったり、時には社員、部下であるのです。もっと言うと時代、経済の変化かもしれません。
 しかし、それが灯台だと知ると、慌てて進路を変えてゆく。幸い間に合ったから良かったものの、冷や汗ものです。
船は進路を変えなければ灯台と衝突をしていました。人生にとって進路を変えるとは何でしょうか。それは今まで身に着けてきた価値観であり、考え方です。私たちは自分が身に着けてきた価値観のメガネで全てのものを見ます。だから、そのメガネを変えなくては、正しいものの見方、考え方は出来ません。
 多分、この革新は無限にあるのでしょう。しかし、2つ3つ例を上げれば、脳力開発11カ条もその1つです。

第1条   自分で主体的にやる姿勢をつくろう。
      人頼りの姿勢をやめよう。
第2条   いつも進歩発展をめざす姿勢をつくろう。
      現状に甘んずる姿勢をやめよう。
第3条   他人の利益もはかる姿勢をつくろう。
      自分だけよしの姿勢をやめよう。
第4条   中心点を明らかにし、中心・骨組で考える習慣をつくろう。
      中心点が不明確で枝葉末節にとらわれる習慣をやめよう。
第5条   両面で考え、どちらが主流かも考える習慣をつくろう。
      片面で考え、非主流にとらわれる考えの習慣をやめよう。
第6条   立場・観点を整理し、多角度から考える習慣をつくろう。
      立場を無視し、一方的角度からしか考えない習慣をやめよう。
第7条   確定的要素から出発して考える習慣をつくろう。
      不確定な要素にふりまわされる習慣をやめよう。
第8条   手と口と足をフルに使った、行動のつながりで考える習慣をつく
      ろう。
      概念のつながりだけで抽象的に考える習慣をやめよう。
第9条   知識はすぐに使う習慣をつくろう。
      ペーパー知識のままで孤立させておく習慣をやめよう。
第10条  できるだけたくさんの物事に首を突っ込む習慣をつくろう。
      なるべく余計なことに関心を持つまいとする習慣をやめよう。
第11条  できるだけたくさんの人に会う習慣をつくろう。
    少数の人とつき合うだけで、交際範囲を広げまいとする習慣をやめよう。


 世の中の大革新、大転換についてゆくためには、テクノロジー、テクニックの大革新、イノベーションも必要ですが、それと同時に価値観、物の見方考え方の大革新も必要となってきます。
 そのスタートは自分の価値観は低いという認識です。いくつになっても、まだまだ成長発展する(出来る)余地は残っているという信念です。挑戦しようとする意欲です。

「なにを言うか、私の今身に着けている価値観、物の見方は、私が何十年かけて磨いてきたすばらしい価値観なんだ。それを否定するのか」とお怒りの声があるかもしれません。しかし敢えてお叱りの言葉を甘んじて受ける覚悟で言えば、私たちが今身に着けている価値観は全て借物であり、人からの借用物だということです。もっと言えば、その借り物を自分の都合のいいところだけ切り取り、継ぎ合わせて真にパッチワークのような価値観が形成されているのです。

 よく考えてみて下さい。自分の名前でさえ自分では知らずに、人から教えてもらったものです。生まれた時につけていただいた名前。しかし、生を受けしばらくして、周りの人が自分のことを、私なら「幸ちゃん、幸ちゃん」と呼んでくれる。あぁ、私は幸ちゃんていう名前なんだと知り、「ぼく」と言う単語を知る前に、「幸ちゃんは」と自分のことを言ってしまう。自分の名前でさえ人から教えてもらうのです。
 親・先生・書物・テレビ・友人・周りの人々・・・いろんな人に教えてもらった(借りている)知識で全て構成されています。
だったら、その価値観は最善最高のものと思わず、まずその借物を新しくす
ることから始めなければなりません。

 死ぬまで革新、イノベーション(あの世に行っても大革新、大イノベーション)です。


                                                      代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:25| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

5月の言葉!「今、ここ・・・」

「今、ここ・・・」

 久しぶりに、乗り物の中で泣きました。号泣です。
 先日、東京経由で小樽に行く用があり、そのつれづれにと持参した本の一冊「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」という題名の本が号泣の理由です。
 以前もう15年位になりますか、新幹線の中で「上杉鷹山」の本を読んだ時以来の涙の移動でした。

 本の中味は現実にはありそうもないストーリーでしたが、それでも現代の世相、親子関係の疎遠さ、人間関係の希薄さが描かれており、また二転三転そしてどんでん返し、物語に引き込まれてゆく感じでした。
 現実的ではない展開ではあるものの様々な苦悩、逆境を抱え生きている登場人物は、あたかも現実を生きている私を含め、実在する人々の模写であるような氣がしました。
 過ぎ去ってしまったもう取り返すことのできない、もうやり直すことのできない様々な出来事に悔いることなく、未来のこれから起こってくるであろう、いや起こってくるか何か分からないことに怯え、不安になるのではなく、「今」というこの時に「ここ」というこの場所に全生命、全精力を傾けて生きて行こうという教えなのかもしれません。
 
「たとえ明日世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」という言葉はドイツで宗教改革を行なったルターの言葉らしいのですが、日本にも「この秋は雨か嵐かしらねども今日のつとめに田草取るなり」という二宮尊徳の有名な歌があります。「人事を尽くして天命を待つ」とでも言う心境なのでしょう。
 結果は考えず、今やるべきことを「今、ここ」でやるということです。
「今」しか人間の生きている空間はありません。自分の生命は昨日でも明日でも今日、今日しか生はありません。
 しかも「今、ここ」がベスト、最良、最善の時であり場なのだということです。今という一瞬一瞬が一番いい時、チャンスの時であり、今立っている場所、ここが一番いい場所、チャンスの場だと捉えるということです。

 自分の道にチャンスの道とピンチの道が2本あり、そのどちらかを選んでゆくのではありません。自分の前に道はありません。ただあるのは今、自分の立っている場所がチャンスなのかピンチなのか、という念いです。
 不渡手形をもらい、もうダメだと思えば自己破産の道しかありません。
 しかし、値切るばかりする、クレームばかりで手間のかかるお客様から手が離れ、新しいお客様へ事業展開することができると捉えれば、それは不渡手形をもらったことがチャンスとなり打つ手は無限となります。

 「今、ここ」が一番いい時、いい場であり、最善のチャンスが訪れている時、場であるならば、その延長線上にある1時間後はもっといい時であり、いい場所に自分は居ることになります。明日はもっといい時もっといい場、一年後はもっといい時もっといい場所・・・となると人生で一番いい時、いい場は死ぬ直前ということになります。
 
 もっと言えば、死後あの世があるとすれば行っての楽しみですが、そこが一番いい時、いい場だということにもなります。
 明日世界が滅びようとも全精力を傾けてリンゴを植えましょう。
今年の秋、台風や水害が来て稲が全滅するかもしれませんが、今田の草を取り、田植えの準備をしましょう。
 それが自分の生命、天命を花開かせる最善の道だから、それが幸せな人生を生きる最善の方策だからです。
 なぜなら、今ここがベストの時、ベストな場に我々は生きているからです。




                          代表社員 前原 幸夫
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2018年04月06日

4月の言葉!「前期高齢者」

「前期高齢者」


 今年3月25日、満65才になりました。世に言う前期高齢者への仲間入りです。60才還暦の年にはあまり老いという感じはありませんでしたが、病氣をしたせいもあり、65才という年が少し身に染みる今日この頃です。
 とは言っても元氣さ(心の元氣、身体の元氣、経済的元氣)は人一倍あるつもりです。その話を少し書こうと思います。

 まずは、早寝早起きです。今我が家は、65才の私、66才の妻、88才の母の3人暮らしです。
 しかも、三人三様それぞれ持病もちという家族です。夕食は(会合等なければ)19時頃に終わり、テレビを観るでもなく、21時頃には就寝。目が覚めるのが3時か4時。私は目覚まし時計はかけません。

 目が覚めたらとりあえず1階に降り、トイレを済ませたり、お茶を飲み時間を確認します。3時39分前だったらもう一度ベッドへ、それ以降だったら新聞も来ますので起床です。
 今、この原稿も平成30年3月30日午前3時39分から書き初めました。

 私は2年前に軽い脳梗塞を患いました。
 その時お医者様から、「前原さん、今回が2度目の脳梗塞ですよ。一度二度は軽かったですが、三度目があれば半身不随かあの世行きですよ」と宣告されています。朝、目が覚めずあの世に行く可能性も他の人より多いのですから、朝、目が覚めることだけでもありがたい、そんな念いで一日を迎えられるのも、年のせい、病のせい、と感謝するばかりです。

 次は、死というものに近さを感じます。若い頃は死ぬなんてことは考えてもいませんでしたが、今はいつ死を迎えるかわからない、そんな思いは常にあります。    
 逆に若い頃は死に対する漠然とした恐怖がありましたが、死が近くなった今、それは薄らいでいくように感じます。死を喜んで迎える心の準備が老いてゆくということかもしれません。又、物事、人に対する考え方も大きく変わりました。

 若い頃は全て二つに分けて考える習慣がありました。この人は敵か味方か、いい人か悪い人か、この花は美しいか醜いか、この状態はいい状態か悪い状態か・・・。  
 善悪、美醜、好き嫌い、幸不幸、良し悪し・・・。しかし、今は全て善、全て善人、全て美、全て幸、全て良し・・・と思えるようになりました。

 私は永い間、高校受験で朝日高校に落ち、関西高校に入学したことを不運、ダメな人生だと劣等感を持っていましたが、今では関西高校へ行ったからこそ今日がある。朝日高校を落ちたことが本当に良かったと、心の底から思えるようになりました。まさに全肯定です。これがよい、目の前にいる人、モノ、状況、全てが自分を善くしてくれる為にあるのだと思っています。

 最後にもう一つ。やはり後に繋げるということです。
 これは会社だけでなく、家や自分のやっている役職。例えば町内の役職であったり、ボランティア団体・福祉法人・中高の学校の役員、色々なお役を受けています。これを後に繋げるということを意識するようになりました。

 我が家は娘二人です。二人とも嫁いで県外に居ます。また会社は岡山県内に4拠点総勢70名という世帯になりました。町内会のお役も中学校高校のお役も、何年もお受けしています。そろそろ代替りが必要です。

 しかしここで重要だと思っていることがあります。
 次の適当な人を探すことも大切ですが、私が私の次を探し、次の人に繋がるということよりも、私が私の前の方(人)に繋がることが大切だと思っています。すなわち、家であれば両親やご先祖様、会社であれば職親、過去の上司、町内会や学校であれば今までの役員の方々、しっかり、私が上に繋がることにより、下が出来ていくのだという確信があります。

 裸で生まれて来た身、また裸で死んでゆきます。老いるとは、生まれてから今まで身につけていたもの、薄汚れたシミや汚れや垢を一つ一つ削ぎ落としてゆくことかもしれません。

 人が純真無垢で何の汚れも恐れも知らず生まれてきたように。

                                代表社員 前原 幸夫

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2018年03月02日

3月の言葉!「平成時代その2」

「平成時代その2」

 前月号で平成の振り返りをやり、今月号はその続きです。

 平成13年4月、第85・86代 森 喜朗氏が総辞職した後、登場したのが小泉純一郎氏です。小泉氏は在任期間も長く(1980日)人氣もあり、政策的にもどんどん社会を動かし、安定感があった時代です。

 郵政の民営化をそれに反対する自民党の議員に刺客を立てるという手法で強引に行い(強いリーダーシップとも言えますが)、貴乃花がケガを押して優勝すれば、土俵上で感動・感激を素直に表現する庶民性も持ち合わせていました。
 一番の功績は北朝鮮に拉致された5人(後にそのご家族も)を日本に連れ戻したことでしょう。北朝鮮との厳しい交渉は想像を絶するところですが、よく願晴ったと思います。余計なことですが、帰国者の一人、蓮池さんは私と同じ大学で同級生になります。
 ただ、聖域なき構造改革と称し、規制改革を行ないましたが、今岡山の両備バスが31路線を廃止するという申請をしたことで、顕著にそのひずみが表れているように思います。小さな政府、官から民へ、この流れは正しいとしても、セーフティネットは、やはり政治が作っていかなければならないし、政治の役割だと思います。

 小泉純一郎の長期政権が終り、平成18年9月26日から安倍晋三現総理大臣が366日、福田康夫氏が平成19年9月26日から365日、麻生太郎氏が平成20年9月24日から358日、総理大臣を務めます。
 丁度図ったように一年周期でコロコロ内閣が変わり、国民は自民党に愛想をつかしてしまいます。ただこの3人、小泉政権では要職を歴任しており、小泉後の準備はしっかりしていたはずですが、安倍氏は消えた年金や、ご自身の健康問題で、福田康夫氏はリーマンの救済とアフガニスタン派遣を日本に迫るアメリカに対抗するために、麻生氏は漢字の読み間違えや、バーでの飲みを食いに難癖をつけられる形で、退陣に追い込まれました。

 平成21年7月に行なわれた、第45回衆議院の総選挙で、自民党が惨敗し、民主党が308議席を獲得し、民主党政権ができ上がります。
 それから「失われた3年」とはよく言ったもので、トップバッターの鳩山由紀夫氏は、子供手当で国債を乱発。
 事業仕分けという名目で科学技術の振興が遅れ、沖縄の基地は最低でも、県外へと全く出来もしない無知というより他にない暴言で退陣。
 次は菅直人総理大臣、中国漁船と日本の巡視船との衝突事故や、東日本大震災に対する対応のまずさ、最後に登場した野田氏の頃には支持率も急落し、とても政権を担える状況ではありませんでした。
 民主党政権の最大の失敗は、脱官僚です。明治以降、脈々と作り上げた官僚の役割と、官僚のノウハウを使うことをやめたことです。
 民主党政権に対する国民(私も含まれますが)の淡い期待は裏切られ、民主党政権は平成24年12月26日で終わりを迎えます。

 そして登場するのが、現総理大臣、安倍晋三氏です。民主党政権が良かった点を敢えて言えば、この3年間、自民党が下野し、もう一度日本の未来、日本の経済、日本の外交、様々な問題を想定し、方向性を見出す時間を持てたということかもしれません。
 事実、安倍内閣、自民党政権になって、円安誘導、株価上昇、雇用の増大、企業収益の良化、また、少ないかもわかりませんが、賃金の上昇・・・
 今まで鬱積していたもの、閉塞感を一機に解放したように思います。

 コンクリートから人へで、激少した公共事業。このあおりで地場の小さい建設土木業の方々は、辛酸をなめさせられました。それが太陽光はじめ、さまざまな設備投資の税制上の後押しもあり、また、公共投資の回復もあり、この数年かなり良化しているのは事実です。

 平成の時代、様々な失敗や過ちを各総理大臣は犯してきました。しかし、その中でもキラリと光るすばらしい政策もあったはずです。
 良いところは活かし悪いところは他山の石として見直し、素晴らしい日本を作っていくことを願いながら、平成の後の時代に夢を託したいと思います。




                           代表社員 前原 幸夫
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2018年02月06日

2月の言葉!「平成時代その1」

「平成時代その1」

 今年の年賀状のキャッチコピーは「そうか!平成30年か!」でした。
 そして、平成31年(2019年)4月30日、あと1年と少しで平成の時代も終わりです。まだ後1年4ヶ月ありますので、大きく変化し、変動してゆくでしょうが、それを承知の上で、この30年を簡単に振り返ってみました。

 昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇崩御され昭和は終わりました。
 当時の小渕官房長官が平成と書かれた額を持ち、テレビに映っていた姿を思い出します。
 平成元年当時の総理大臣は第74代竹下登氏です。
 平成元年4月から消費税が3%で導入され、まさにこの年は消費税元年となりました。この年12月29日、株価の終値は38,915円87銭と史上最高値を記録しています。
 バブルの絶頂、いやバブル崩壊の始まりの年でもありました。
正式には、バブルと呼べる年は前年の昭和63年(1988年)と平成元年(1989年)というのが通説です。
これは昭和63年1月から平成元年12月まで、24ヶ月連続で株価が上がり続けたことを持って言うそうですが、昭和63年1月スタートの株価は、21,564円でしたから、なんと2年で17,351円80%の上昇というもの凄い時代でした。
それからバブル崩壊へと向かいますが、平成元年の6月には総理大臣が蜂の一刺しの宇野宗佑氏に変わり、69日の寿命のあと、76代総理は政治改革を唱える海部俊樹氏、平成元年(1989年)8月から平成3年(1991年)5月まで在職。
その間、湾岸戦争があり、アメリカはクリントンが大統領となり、それに応じるかのように平成3年11月、宮澤喜一氏が総理大臣になります。
証券会社や銀行の不良債権が表面化し、経済に強いと評判の宮澤氏の出番でした。
しかし、一度転がった経済は止まりません。不動産価格が下落し、融資が焦げ付き始め、株価も平成4年(1992年)8月には14,309円という安価を付けました。
3年前と比べ24,000円も下がってしまいました。
これに驚いた宮澤総理は株の売り出しを手控えて欲しいと金融機関をはじめ、民間企業に要請をするというドタバタぶりでした。
そんな自民党内閣に国民の審判が下ります。
平成5年(1993年)、なんと日本新党の細川護煕氏が79代、羽田孜氏が80代と席に座りますが、日米の自動車摩擦など内外に多くの難問を抱えている中、寄り合い所帯のパフォーマンス政権は長続きしません。
しかも、下野した自民党が総理に担ぎ出したのは社会党の第81代村山富市氏でした。(平成6年6月〜平成8年1月)
その間、阪神淡路大震災やオウム真理教事件等、経済の下落と共に世相を暗示するような事件が起こりました。
この内閣は自民党、社会党、さきがけの連立政権でしたが、その後第1次、第2次橋本内閣が終了する平成10年(1998年)半ばまで続けられます。
村山総理の後、平成8年(1996年)からは橋本龍太郎の登場です。
橋本内閣は平成8年(1996年)1月から平成10年(1998年)7月まで続きますが、バブル崩壊を身にしみて感じる時代でした。
平成9年(1997年)4月、日産生命が経営破綻、11月には三洋証券の倒産直後、北海道拓殖銀行の破綻、そして山一証券の破綻、平成元年には38,000円の株価は10年で15,000円まで下がっていました。
それから、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、次々に金融機関が破綻してゆきます。
そんな中、財政再建を掲げる橋本総理は消費税を3%から5%に上げます。これが更にデフレを加速したと言われています。
平成10年(1998年)にはあの平成を宣言した小渕恵三氏が第84代の総理に就任します。小渕内閣は平成12年(2000年)4月まで続きます。
21世紀の幕開けの総理大臣です。しかし小渕氏は脳梗塞で倒れ職務不能となり、急遽、森 喜朗が小渕内閣を引き継ぐ形で総理大臣を務めます。
結局、森氏は平成13年(2001年)4月まで総理の座に居ますが、失言癖があり、ハワイ沖で水産高校の実習船が沈没した「えひめ丸事件」の際、ゴルフ中であったと非難され、内閣支持率が低下し総辞職に追い込まれました。
その後登場したのがあの小泉総理です。

今月はここまでとさせていただきます。

代表社員 前原 幸夫
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2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます

 平成30年の輝かしい幕明けです。皆様お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 平成も30年、しかも後16カ月の命です。平成31年5月1日には、平成から年号が変わります。振り返ってみますと、平成元年は消費税元年でもありました。3%という税率でスタートした消費税も一応の打ち止め感のある10%移行が平成31年(元号は変わりますが)10月1日から実施とは何か不思議なものを感じます。消費税が10%になれば、消費税の税収が所得税を抜き、日本国の税収源ではトップに立ちます。とりあえず当分の間は10%を据え置くでしょうから、平成はまさに消費税の時代といっても過言ではないでしょう。バブルそして崩壊、長いデフレ、政権交代そして自民党再奪還、金融大緩和、円安、株高政策によりデフレ脱却景氣回復と目まぐるしく変わってゆく平成でした。
 その一方、世界は二極対立(東西冷戦)から極内対立とでもいうべき状況が表われました。
 今まではロシア、中国を中心とする共産圏とアメリカ、EU、日本を中心とする資本主義圏の対立だったものが、今やアメリカ国内でEU加盟国内で、資本主義国同志が対立し、二分化されています。統合へ向うべきなのに・・・。
 これも統合へ迎う一つのステップでしょうが、年末のエルサレムをイスラエルの首都と認めたトランプ大統領の英断?により更に混迷を深め、これが中東状態の不確定性を増し、原油の生産調整とからめ石油の高騰を招いています。
 今年もこの流れはより加速し、自国至上主義、自国ファースト主義が益々進行してゆくのではと危惧いたします。
 このような状況の中、日本国内では人づくり生産性革命が叫ばれています。
 戦後の団塊の世代がリタイヤし、生産人口が減少する中、その大勢の人達を養ってゆく必要上、減ってゆく 生産人口と増えてゆく消費人口の間の中で一人当たり生産性の向上が不可欠となってきました。
 私も開業して33年目に入りますが、この間コンピューターの進歩、スマホをはじめとする通信機器の進歩は目を見張るものがあります。
 しかも、この進歩により生産性は向上してきましたが、中味はどうでしょうか。
 この30年間、技術の進歩に見合う質的上昇はあったでしょうか。
 残念ながらそんなに質は上っていません。中小企業は例外なくそうだと思います。
 それは何故か一言で言えば、技術の進歩で便利になった分、技術の進歩で時間が節約できた分、価格に転換せず、処理件数(販売数)を増やしたことにあります。
 新しい技術に見合う付加価値業務をやってこなかった、いやしなくても市場が拡大し生産性は向上し、売上・利益は確保できたからです。
 もっといえば付加価値の上がる業務を拡大せずに従前の業務をスピードよく処理できた分、処理件数(販売数量)を増やしていったということです。平成の時代は良かったかもわかりませんがこれからは通用しません。
 何故ならば消費人口が減少するからです。消費能力が減退するからです。
 市場の拡大は難しく販売数量が下がる以上、販売価格を上げてゆかなければなりません。
 価格の上昇をしてゆかなければなりません。そのための人財育成、人づくりです。
 AIや最新のPC、通信機器を使いこなせるだけでなく、それらを使って売上を上げてゆく、それらを使って新規の売上を増やしてゆく人財の育成が急務です。販売数量から販売単価へのシフトのはじまりです。人財育成元年です。
 私どもも、今年より様々な学びの機会をご提供いたします。一緒に学び成長してゆきましょう。
 今年一年よろしくお願い申し上げます。


                            代表社員 前原 幸夫
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2017年12月01日

12月の言葉!「労働生産性」

「労働生産性」

最近、「労働生産性」という言葉が飛び交っています。
安倍内閣の打出した「働き方改革」も労働生産性の向上がなければできません。そもそも労働生産性とは何でしょうか。
 まず、生産性とは何か。
生産性=(算出(output))/(投入 (input)) であり労働生産性とは、社員1人当たりの生産性です。
社員1人当たりの産み出す成果ということもできます。
数字に置き換えれば1人当たり付加価値額です。色々、付加価値額の定義はありますが、ここでは売上−仕入(材料費)−外注費=付加価値額とし、それを社員の数で割ったものを1人当たりの労働生産性として話を進めます。
(一定時間に物を生産する量や販売金額を基にする物的生産性というものもあるようですが。)
(売上−仕入−外注費)÷社員数という1人当たりの労働生産性を上げるにはどうすればよいか。

 1つ目は、大幅な機械化やIT化です。ますます少子高齢化は進行してゆきます。人がしなければならない業務と、機械でもできる業務、機械に任せることのできる業務との分別です。作業効率のアップ、これが不可欠です。
我々の業界も今から40年前は全てが手書き、手集計(そろばん)でした。1人が担当できる件数は10~15社くらいでした。それが、コンピュータ
が導入され、1人30社くらいは優に担当しています。
 2つ目は、商圏の拡大です。岡山市のみで商売していた時代から、今や世界相手です。インバウンドもあります。いい情報はネットにより瞬時に日本全国、世界中に流れます。商圏、販売方法の見直し、これも大切です。
 3つ目は人財育成です。社員数を減らせば1人当たりの労働生産性は上がりますが、中小企業では人は宝、易々とクビは切れません。社員1人1人を戦力として育て上げなければなりません。
それには教育です。売り方や、作り方などを教えるのも大切ですが、なぜ働くのか、なぜ売上を上げるのか、なぜこの会社の利益が必要なのか等々、根本的な人間教育が必要です。
 
有名な話ですが、ある靴の販売員が2人してアフリカの原住民に靴を売りに行った話です。アフリカから帰って社長に報告します。1人は「あそこに靴は売れませんよ。誰も靴を履いていませんから」と言い、1人は「社長、すごい市場です。誰も靴を履いていませんから」と真反対の報告をしたということです。靴を履いていない、裸足の原住民を見て1人は売れない、1人は売れると判断したのです。
 この判断力、現状認識力の差で企業は進む方向が違ってきます。
 成果=能力×ヤル氣×考え方 です。能力の教育だけでなく、ヤル氣や考え方の教育、これも大切です。いや中小企業では、このヤル氣や考え方の教育の方が大切かもしれません。
 なぜならば、大企業の社員は、大企業に入ったという帰属意識(誇り)が高く、又、同期入社の社員も100〜200人。会社によっては1,000人といるわけですから、自然と競争し合い、勤労意欲を上げてゆきます。ヤル氣満々の社員団が形成されます。

しかし、中小企業は残念ながらそんなモチベーションはありません。名も知られていない会社に入り、競争し合う仲間もいない。自ずと勤労意欲は上がりません。
ヤル氣や考え方が低レベルであればいくら能力があっても宝の持ちぐされ、能力を発揮してもらえません。
又、能力を高めるためには時間がかかります。ヤル氣や考え方のアップはやり様によっては一瞬で変わります。瞬時にアップします。氣を変ればいいのですから。
社長が社員をその氣にさせ、社員の氣を変えてゆく、この人間教育です。それは社長自らが行なう必要があります。
コンサルタント(借り物)では効果は薄いでしょう。 社長が自分の言葉で人生観や職業観、人間観や利益観、様々な念いを熱く語ることです。ここで大切なことが一つあります。
それは、心の底から社員の成長を願い教育することです。ある歯科医院の話ですが、その医院では毎朝、朝礼を行ない挨拶や返事、笑顔の創り方、院長スピーチ等々行なっているのですが院長先生は次のようにおっしゃいました。
「この朝礼はある意味社員研修なのです。しかし、私のために医院の為に若い女性たちに強いているのではありません。若い女性スタッフがやがて結婚し、子どもが出来た時、お辞儀や挨拶、返事や笑顔をしっかり身に付けた妻や母親になってもらいたいという念いからなんです」
社長のために会社のための教育ではなく、社員の将来のために、社員が自社を辞めた時にも役立つようなそんな人間教育をやっていきたいものです。
そのことが取りも直さず、労働生産性を上げる近道なのですから。

                            代表社員 前原 幸夫
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2017年11月01日

11月の言葉!「教育力」

「教育力」

 近年の教育の荒廃・世相の乱れは目を覆うばかりです。
いじめも教育の荒廃の象徴でしょうが、服装の乱れ、先生への暴力、親子関係の殺人、公共マナーの欠如、性の乱れ等、嘆かわしいかぎりです。
 教育力の低下が進んでいるといってもいいでしょう。教育の場としての空間の減少と、それを教える側の人間力低下があると考えます。

 教育の場は、昔(特に江戸時代)は家庭があり、地域があり、寺子屋や藩校という学校があり、士農工商全てが教育を施されていました。
 それぞれが上下の秩序を重んじ、ヨコの連帯感を養っていました。いざというときには藩(国)を守るために。

 しかし今、家庭は核家族、両親は生活にあくせくし、子どもの教育どころではありません。学校に任せっきりです。
 その学校は、先日も映像が流れていたように、生徒が先生を殴る蹴るの状態。先生は生徒に体罰が許されないことを生徒は知っているため、生徒はやりた
い放題です。

 地域も、昔はウルサイおじいさんやおばあさんがいて、口うるさく叱ったものですが、今や大人は無関心。見て見ぬふりや、関わりを持たないようにと疎遠な地域社会が形成されています。
 企業はというと、特に大企業はそんな教育などにはお構いなし。
歩合給的な売上至上主義、あるいは能力至上主義(教育しなくともいい人財は勝手に入ってきてふるいにかける仕組みですから)で、電通等に見られるように、人を人と思わない働かせ方で業績最優先の経営です。

 こういう状況の中、中小企業だけは違います。かけがえのない人財です。年に一人か二人しか入ってこない人財を、易々と辞めさせるわけにはいきません。
 しっかり教育し、素晴らしい人財に育て上げなければ、企業の存続発展はありません。
 そのためにはまず教える側の人間、すなわち社長が教育力を向上させることです。教育力を向上させるには、まず自らが学び、教育を受けることが必要です。謙虚に学び、自らの人間力を上げる必要があります。それが不可欠な理由は中小企業の特質からも見ることができます。
 大企業と比べ、中小企業には次のような特質があると思います。
 
1.連帯保証を社長は負う
無借金の中小企業は少ない中で借入を行うには、銀行は社長の連帯保証を要求してきます。
もし、会社がうまくいかなかったら、社長はその借金を負わなければなりません。家屋敷をかけ、時には  自らに生命保険をかけ、命がけで経営をしているのが、中小企業の社長です。

2.社長と社員が毎日顔を合わせる
トヨタの社長が、一工員と顔を合わせることなどまずあり得ません。
しかし中小企業は毎日顔を合わせます。
社長は2つの眼で社員を見ていますが、社員の側は10人なら20個、30人なら60個の眼で社長を見  ています。
社長はすべて、いつも見られています。それに耐えうる行動や立ち振る舞いが求められます。いつも社   員に面接されているようなものです。

3.誘因は社長
誘因とは、社員の労働意欲を駆り立てる誘発的要因、換言すれば、社員の眼の前にぶら下げるものです。
大企業に比べ給料やボーナスは低く、休暇もなかなか取れず、福利厚生施設もなく、老後の保障も少ない  のが中小企業です。でも社員には大企業に負けない働きを要求します。
では何をもって社員の勤労意欲を動機付けるのか、それは社長自らの存在です。
社長のような人間になりたい、社長のような人生を送りたいと思わせることです。社長と社員という関係  を師匠と弟子の関係にすることです。それには、社長の人間力の向上、素晴らしい人間力の醸成が不可欠  です。

4.商品の差別化
他社と何が違うのか。大企業にはそれぞれ特色ある商品、サービス、売り方、店舗等がありますが、中小  企業は売り物がほとんど差別化できていません。
  
 ではなぜ、お客様は当社を選ばれるのか。それは社長を買うのです。社員さんを買っていただいているの です。商品はどこで買っても一緒なのに、誰から買うかの差別化です。まさに人間力勝負です。
 中小企業かの特質から見ると、社長や社員の人間力が不可欠の要因となり人間教育こそがまさに生死の分 かれ目と言っても過言ではありません。
 社長が自らを教育し、自らの教育力を挙げ、社員の師となり、社員を教育し、お客様から選ばれる会社作りをしてゆかなければ、中小企業は生き残れないということです。

 また、今の世の中、家庭でも地域でも、学校でも大企業でもできない人間教育を中小企業が行ない、家庭を、地域を、そして日本を良くしてゆかなければならない教育機関としての機能も持たざるを得なくなっているということです。中小企業の人間教育で、企業の発展はもとより地域の発展にも寄与できることを確信して学んでゆきましょう。


                           代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 12:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする