2022年11月02日

今月の言葉「丁稚」!

「 丁 稚 」

 「働き方改革」の波に真逆を行く会社があります。
神奈川県にある有限会社 秋山木工です。創業は、1971年、昨年創業50周年を迎え、社員数25名ながら年商20億円を稼ぎ出す超一流の家具職人集団です。
 創業者は秋山利輝さん。昭和18年、奈良県明日香村の貧しい家庭に生まれ、教科書やノートを買うお金もなく、成績は小中通じてオール1。中学校を卒業し手先の器用さを見込まれて家具木工所へ丁稚として就職、住み込みでの修業で職人としての腕を磨き、秋山社長が27歳の時に秋山木工を立ち上げます。
 そのとき秋山社長は、「日々食べる米にすら困る子ども時代を過ごしたにも拘らず、今、こうして家具職人として食べるものにも苦労しなくなった。職人となり色々な方に教えて頂き、お世話になり、技術を磨き人間性を高めることが出来たおかげ。その恩返しをしよう。そして、自分を超える職人をつくっていこう」
これが秋山社長の天職だと決意したと言います。
 そして創り出した制度が丁稚制度でした。あんな未熟だった自分が丁稚という修業時代を通し、技術だけでなく多くのことを学び人にも優しく、人間的にも優れた本物の職人になることが出来た。この丁稚制度を自社に取り入れたのでした。
 秋山木工へ入社すると、最初の5年間は丁稚として修業します。この間は男も女も丸刈りで、全員寮に住み込み、携帯電話も恋愛もご法度。親との面会もなし。(ただし、手紙はどんどん書く)朝は、5時起床、約2`ランニングのあと朝食(食事は丁稚が当番制で自炊)仕事に就く前に清掃。近所の草取りもします。風邪をひくこともダメ。2回風邪をひいたら減給、3回目はクビだそうです。
 仕事を終えても、夜はカンナやノミの練習・技術の勉強。土日は「技能五輪全国大会」に向けての練習や新しい技術の習得に充て、休みは盆と正月のみ。
盆と正月は実家に帰り、墓参りや親孝行をします。実家では両親にゆっくりしてもらうため親の代わりに料理も作ります。

 こんな修業期間を5年過ごし、試験に合格すれば「職人」として認められ家具作りをしますが、秋山木工にいられるのは通算8年だけだそうです。
丁稚修業を5年間し、その後3年間更に技術を高め8年経つと独立するか、他の会社に移るか、海外で活動するか進路は自由ですが、秋山木工に在籍できるのは8年間だけです。「一人前になったら辞めてもらう」システムなのです。
なぜ8年なのかというと、8年間で一人前の職人になった後が一番伸びる時期であり、その時期に色々な職場を体験し、多くの人と出会うことにより、より高度な技術や経験を積んで欲しいという思いがあるからです。
 秋山社長の天命、「人育て、職人育て」の一端を見ることが出来ます。
入社して最初に「職人心得30か条」というものを、全員暗記し朝礼で唱和します。


一流を育てる秋山木工の「職人心得30か条」
1) あいさつの出来た人から現場に行かせてもらえます
2) 連絡/報告/相談の出来た人から現場に行かせてもらえます
3) 明るい人から現場に行かせてもらえます
4) 周りをイライラさせない人から現場に行かせてもらえます
5) 人の言う事を正確に聞ける人から現場に行かせてもらえます
6) 愛想よく出来る人から現場に行かせてもらえます
7) 責任を持てる人から現場に行かせてもらえます
8) 返事をきっちり出来る人から現場に行かせてもらえます
9) 思いやりがある人から現場に行かせてもらえます
10) おせっかいな人から現場に行かせてもらえます
11) しつこい人から現場に行かせてもらえます
12) 時間を氣に出来る人から現場に行かせてもらえます
13) 道具の整備がいつもされている人から現場に行かせてもらえます
14) お掃除・片付けの上手な人から現場に行かせてもらえます
15) 今の自分の立場が明確な人から現場に行かせてもらえます
16) 前向きに事を考えられる人から現場に行かせてもらえます
17) 感謝のできる人から現場に行かせてもらえます
18) 身だしなみの出来てる人から現場に行かせてもらえます
19) お手伝いの出来る人から現場に行かせてもらえます
20) 自己紹介が出来る人から現場に行かせてもらえます
21) 自慢の出来る人から現場に行かせてもらえます
22) 意見が言える人から現場に行かせてもらえます
23) お手紙をこまめに出せる人から現場に行かせてもらえます
24) トイレ掃除が出来る人から現場に行かせてもらえます
25) 道具を上手に使える人から現場に行かせてもらえます
26) 電話を上手にかける事が出来る人から現場に行かせてもらえます
27) 食べるのが早い人から現場に行かせてもらえます
28) お金を大事に使える人から現場に行かせてもらえます
29) そろばんの出来る人から現場に行かせてもらえます
30) レポートがわかりやすい人から現場に行かせてもらえます


 人としての基本、それをしっかり叩き込むことの大切さを秋山木工に見ます。
時代と逆行しているかもしれませんが、どんな時代においても「人創り」の基本は変わりません。秋山木工のような会社を大切にしたいと思います。
非難するばかりでなく。

代表社員 前原 幸夫
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2022年10月01日

今月の言葉!「今日は何の日」

「今日は何の日」
 
 8月28日、認定NPO法人ヒカリカナタ基金の活動報告会がありました。
 この基金は以前もご紹介しましたが、岡山盲学校の元教頭、竹内昌彦先生が設立され、モンゴル・キルギス・ミャンマー等で目の見えない子どもさんに手術代を援助し、手術して目が見えるようにするという基金です。私どもも認定NPO取得時からご縁を頂きささやかながらご支援申し上げております。もともと先生はモンゴルやキルギスに盲学校を建てていました。目の見えない人を教育し自立してもらうのが狙いでした。その活動をしているうちに実は目の不自由な子どもの中に手術をすれば見えるようになる子どもが大勢いることが分かったと言います。白内障で、日本円にして3万円の手術代が出せないため、盲人になっている子どもがいることを知った先生は、この基金を通じて現在485人の子どもたちに光を与えてこられました。

 
途上国に住む盲目の子どもたちに光を届けたい。
そして自分の眼で世界を見せてあげたい。
「届けましょうヒカリを 遥かカナタまで」  
                           竹内先生の念願です。

 
その活動報告会で、一般社団法人日本記念日協会の理事長 加瀬清志氏の講演もありました。なんと「ヒカリをカナタに届ける日」の制定が8月25日に決まったとの事でした。記念日の認定があり、それを登録する団体があるとは驚きです。
 そういえば点字ブロックの日もあるんだと言われました。道路や駅のホームでよく見かける点字ブロック発祥地は岡山の原尾島の交差点であり、その日は初めて敷設された1967年3月18日にちなみ、3月18日が点字ブロックの日だそうです。
「○○の日」というのはいっぱいあるなぁ。と感じています。

 私の同級生で、平井でセルフうどん屋を経営している「名玄」はセルフうどん発祥の店として登録され、セルフうどんの日は10月8日ですし、税理士記念日は2月23日です。1年365日、毎日が「○○の日」です。それはカレンダーというものを人間が創り出したことによる文化です。
 点字ブロックの日があることによりその由来や歴史を語り継ぐことが出来ますし、点字ブロックに益々意識が向き向上してゆきます。一年に一度の記念日を大切にしてゆきたいものです。
 人間でいえば、「誕生日・結婚記念日・命日」これらが人生の大きな記念日だと思います。誕生日は自分がヒトとして生を受けた日、両親に産んでいただいた御礼と感謝を言い、立派な人間として生きる誓いを立てる日でしょう。結婚記念日は、良き伴侶を得たことに感謝し幸せな人生を二人して築いて行こうと誓い合う日なのかもしれません。命日は亡くなられた方を偲び、死を生に変える日なんでしょう。
 ちなみに私は今年結婚40周年ですが、25周年は銀婚式、50年は金婚式、40年はルビー婚式らしいです。残念ながら妻にルビーの指輪は贈りませんでしたが、金婚式を目指してゆきます。
 結婚記念日はどんなのがあるか調べてみました。

    結婚1周年 紙婚式
    結婚2周年 綿混式・藁婚式
    結婚3周年 革(皮)婚式
    結婚4周年 花婚式・書籍婚式
    結婚5周年 木婚式
    結婚6周年 鉄婚式
    結婚7周年 銅婚式
    結婚8周年 ゴム婚式・青銅婚式・電気器具婚式
    結婚9周年 陶器婚式
    結婚10周年 鍚婚式
    結婚11周年 鋼鉄婚式
    結婚12周年 絹婚式・亜麻婚式
    結婚13周年 レース婚式
    結婚14周年 象牙婚式
    結婚15周年 水晶婚式
    結婚20周年 磁器婚式
    結婚25周年 銀婚式
    結婚30周年 真珠婚式
    結婚35周年 珊瑚婚式・翡翠婚式
    結婚40周年 ルビー婚式
    結婚45周年 サファイア婚式
    結婚50周年 金婚式
    結婚55周年 エメラルド婚式
    結婚60周年 ダイヤモンド婚式
    結婚65周年 碧玉婚式・ブルースターサファイア婚式
    結婚70周年 プラチナ婚式
    結婚75周年 ダイヤモンド金婚式
    結婚80周年 樫婚式・オーク婚式

 80周年「オーク婚式」は樫(かし)の木です。
仮死かと思いました(冗談です、失礼)が、実は樫が生活の様々なものの原材料として使われていることから「周囲の人たちに支えられて日々の生活を送れることに感謝する日」として名付けられたそうです。
 オーク婚式を目指し、顔晴りましょう!

代表社員 前原 幸夫

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2022年09月01日

今月の言葉!「念ずれば花ひらく」

「念ずれば花ひらく」
 
 今年7月9日から9月4日まで高梁市成羽美術館で、「−念ずれば花ひらくー詩人 坂村真民の世界」と題した特別展が行なわれており、私も先日行って参りました。
成羽美術館は、旧成羽町の時代に安藤忠雄の設計により平成6年に新築されています。
 坂村真民先生(以下敬称略)は、明治42年(1909年)熊本県荒尾市で生まれ、8歳の時に小学校の校長をしていた父親を亡くし、一家の生活は急変、残された長男の真民を頭に5人の幼子を母が女手一つで育てたといいます。当時家は貧しく、しかし母は愚痴ひとつ言わず懸命に働き「念ずれば花ひらく」と唱えながら5人の子供を育て上げました。
真民の詩魂に火をつけ、詩道一筋に歩む原点が母親の存在にあったようです。
苦学し、昭和6年神宮皇学館を卒業、熊本の小学校の教師になります。25歳の時教員として朝鮮に渡り、昭和10年、26歳の時に久代(18歳)と結婚。昭和20年戦後朝鮮より引き揚げ一旦は熊本へ帰り、就職先を探したのですが見つからず愛媛県三瓶町の山下高等女学校にやっと職を見つけ、昭和21年幼子を連れ四国にやってきました。
初めは短歌を創っていたようですが、昭和25年、41歳の時、詩誌「ペルソナ」を創刊、詩人として歩み始めます。平成18年、97歳で亡くなるまで796冊にも及ぶノートに約1万篇の詩を残しています。
 仏教詩人、国民詩人、心の詩人・・・いろいろ冠は付きますが、たぶんご本人は人に褒められようとか、詩で稼ごうとかそんな邪念は微塵もなく「人間としていかに生きるか」「本当の幸せとはなにか」を詩に見出そうとしていたのではないかと思います。
 私が成羽美術館を訪れたとき、偶然幸いにも真民の晩年の生活の地、愛媛県砥部町にある坂村真民記念館の西澤館長がおられ、作品の案内もして頂きました。
西澤館長の奥様は、真民の三女 真美子さんです。奥様にもお会いでき本当にラッキーな一日でした。(二人の馴れ初めのお話も興味深いものがあるのですが)

以下、私の好きな詩を数点ご覧下さい。


 


「念ずれば花ひらく」
  念ずれば
  花ひらく

  苦しいとき
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった


「かなしみはいつも」
  かなしみは
  みんな書いてはならない 
  かなしみは
  みんな話してはならない 
  かなしみは
  わたしたちを強くする根
  かなしみは
  わたしたちを支えている幹
  かなしみは
  わたしたちを美しくする花
  かなしみは
  いつも枯らしてはならない
  かなしみは
  いつも湛えていなくてはならない
  かなしみは
  いつも噛みしめていなくてはならない


「タンポポ魂」
  踏みにじられても
  食いちぎられても
  死にもしない
  枯れもしない
  その根強さ
  そしてつねに
  太陽に向かって咲く
  その明るさ
  わたしはそれを
  わたしの魂とする

 
「帯と愛」
  体を結ぶものは帯
  心を結ぶものは愛


「大事なこと」
  真の人間になろうとするためには
  着ることより
  脱ぐことの方が大事だ
  知ることより
  忘れることの方が大事だ
  取得するより
  捨離することの方が大事だ


「しんみん五訓」
  クヨクヨするな
  フラフラするな
  グラグラするな
  ボヤボヤするな
  ペコペコするな


「飯台」
  何もかも生活のやり直しだ
  引き揚げて五年目
  やっと飯台を買った
  あしたの御飯はおいしいねと
  よろこんでねむった子供たちよ
  はや目をさまして
  珍しそうに
  楽しそうに
  御飯もまだ出来ないのに
  自分たちの座る場所を
  母親にきいている
  わたしから左回りして
  梨恵子
  佐代子 
  妻
  真美子の順である
  温かいおつゆが匂っている
  おいしくつかった沢あん漬けがある
  子供たちはもう箸をならべている
  ああ
  飯台一つ買ったことが
  こうも嬉しいのか
  貧しいながらも
  貧しいなりに育ってゆく子の
  涙ぐましいまで
  いじらしいながめである


「鳥は飛ばねばならぬ」
  鳥は飛ばねばならぬ
  人は生きねばならぬ
  怒濤の海を
  飛びゆく鳥のように
  混沌の世を生きねばならぬ
  鳥は本能的に
  暗黒を突破すれば
  光明の島に着くことを知っている
  そのように人も
  一寸先は闇ではなく
  光であることを知らねばならぬ
  新しい年を迎えた日の朝
  わたしに与えられた命題
  鳥は飛ばねばならぬ
  人は生きねばならぬ


「たんぽぽのうた」
  みんな
  寒い寒いと
  言っているが
  何だか
  ぽかぽか
  してくるね
  どうして
  こんなに
  俺たちだけが
  ぽかぽか
  してくるのかね
  待っているからだよ
  希望があるからだよ
  そうだね
  まったくそうだね


「尊いのは足の裏である」
  1
  尊いのは
  頭でなく
  手でなく
  足の裏である

  一生人に知られず
  一生きたない処と接し
  黙々として
  その努めを果たしてゆく
  足の裏が教えるもの
 
  しんみんよ
  足の裏的な仕事をし
  足の裏的な人間になれ

  2
  頭から光が出る
  まだまだだめ
  額から光が出る
  まだまだいかん
  足の裏から
  光が出る
  このような方こそ
  本当に偉い人である


「存在」
  ザコはざこなりに
  大海を泳ぎ

  われはわれなりに
  大地を歩く


「二度とない人生だから」
  二度とない人生だから
  一輪の花にも
  無限の愛を
  そそいでゆこう
  一羽の鳥の声にも
  無心の耳を
  かたむけてゆこう






 コロナやウクライナ侵攻、色々な出来事があります。それが生きているということ。これが生きるということ。真民の詩はそんなことを教えてくれていると改めて感じています。97歳の真民はいまだ生きて、我々を叱咤激励してくれています。
ありがとうございます。
代表社員 前原 幸夫
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2022年08月01日

今月の言葉!「凶弾はだれに命中するのか」

「凶弾はだれに命中するのか」
 

令和4年7月8日11時31分、奈良の近鉄大和西大寺駅前で安倍晋三元総理大臣は銃で背後から2発撃たれ亡くなられました。
 「21世紀、令和の日本でこんなことが起きるのか」誰もがそう思ったに違いありません。公然と白昼堂々と近距離で大勢の人前で・・・あり得ない事件だと憤りと残念な思いでいっぱいです。
 安倍氏は私より一年下の昭和29年9月21日生まれ、満67歳でした。
 政界のサラブレッド中のサラブレッド。父は元外務大臣の安倍晋太郎氏、その父(祖父)は元衆議院議員 安倍寛氏、母洋子さんの父(母方祖父)は元総理大臣の岸信介氏、その弟は佐藤栄作氏という3代に亘る政治家一族です。
 安倍氏の政治家としての最初の大仕事は、2002年官房副長官として小泉元総理の北朝鮮訪問に随行し、金正日総書記との会談に同席した時でしょう。この時安倍氏は「安易な妥協をすべきではない」と毅然とした対応を主張し、拉致被害者5人の帰国を実現し、北朝鮮との対話路線を唱える議員が多かった中、この5人を北朝鮮に一時帰国させる方針に頑強に反対し、日本に留めたことは大きな功績です。
 その後、幹事長、官房長官等を歴任し、小泉内閣を引き継ぐ形で総理大臣になります。2度総理になられていますが、この一度目は若さが目立ち、地に足が付いていなかったように思います。
理想に燃え内政外交に果敢に取り組みましたが、相次ぐ閣僚のスキャンダルや体調の悪化で辞任に追い込まれました。さぞかし無念だったことでしょう。そして、自民党は政権を民主党に明け渡し、東北での大震災を経験し、2012年9月、当時野党であった自民党の総裁となり再び政権を奪取し、2回目の総理大臣になります。
 この時は前回の経験も踏まえ、また下野していた時政策を暖めておいたのか、重厚さが目立ちました。どっしりとした受け答え、時にははぐらかし時には真正面から反論するという雄弁さも目立っていました。

 東京オリンピックや大阪万博を招致し、アベノミクスといわれる大胆な金融緩和によるデフレ脱却をやってのけ、外交面でも各国首脳との積極的な交流を通し信頼関係を築き日本の相対的評価を高らしめたと思います。事実、死後各国の弔辞は儀礼を超えたものがあります。
首相通算在職日数は、歴代総理大臣中最長の2,887日を務め上げ2020年8月、再び体調不良により辞職されます。前回と違い、もちろん心残りは多少あったでしょうが、かなりの部分満足感の中での辞職のように見受けられました。
そして、今回の事件です。
私怨に満ちた暴漢による殺人。元総理大臣が無防備・無警戒で大勢の人前で白昼近距離から凶弾に倒れるなんて。まさかの連続です。
しかしこれは今の日本そのものを暗示しています。今の日本、どの国も攻めてこない周りの国々への警戒心もない。だれも国を守るという意識すらもない。
そんな日本人に対する警告のように思えてなりません。
ロシア・中国・北朝鮮・・・皆、日本を虎視眈々と狙っています。自衛隊任せ、アメリカ頼り、日本を守ることに日本人が他人事のように振舞い日本を守ることに無関心、無警戒、無防備な状態です。
 「こんなことではだめだ! 日本人一人一人が日本を守るという決心・覚悟を持て」と安倍元総理は自分の命と引き換えに我々に教え悟しているように思います。
日本の防衛を自衛隊や日米安保にのみ任せているのではなく、日本人一人一人が日本を守るという氣概と責任と強い決心・覚悟を持たなければなりません。
 安倍元総理の死はそれを我々に教えんがための命がけの遺言なのではと私は思います。日本を日本人が守らなくて日本として存在し続けることはあり得ません。
2,600年以上続く、この美しい国、日本を!!

代表社員 前原 幸夫

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2022年07月01日

今月の言葉!「日下企業経営相談所」

日下看板.png

 先日、所用で熱海に行きました。往復の新幹線も金曜土曜ということもあり満席に近い状態。熱海の駅もごった返すというありさまでした。2年半続いたコロナによる経済停滞もようやく回復の兆しが見えてきたように思います。
 思えばこの2年半、金利や返済不要のコロナ融資で資金を賄い、雇用調整助成金や家賃補助金さらには各種給付金でなんとか切り抜けている会社も多いことでしょう。しかし、2年前に借りた緊急融資の返済はこれから始まります。ウクライナや円安の影響で物の値段は上昇あるいは物自体が入らない状況が続く中で経営の舵取りが益々厳しくなってきています。

 そんな中7月より「日下経営研究会」なるものを発足させます。これは元金融庁監督地局域金融企画室長の日下智晴先生を中心に税理士5人、銀行マン5人、経営コンサルタント5人の合計15名で勉強会を立ち上げるものです。事の発端は昨年日下先生が金融庁を退庁され郷里広島へ戻られたと聞き、今年6月1日私どもの創立記念日に講演会を企画したことでした。不躾にもFacebookを検索しメールし、お会いするアポを取りました。昨年11月「広島駅の星乃珈琲に朝7時にいるのでそこで会いましょう」との返事が来ました。朝7時に広島へ行くには当日移動では間に合いません。前泊し次の日に星乃珈琲でお会いしました。
残念ながら講演会は応諾頂けませんでしたが、先生は勉強会なら岡山へ行っても良いと話されました。人間には人間ドック
があり、身体の悪いところを見つけ処方箋を書き、病院やクリニックで手当てし治療するが、企業にはそういう仕組がない。
それを作りたいというものでした。私も即座に賛同し、仲間を集めますので、ぜひ日下先生にご来岡頂くという約束をし帰岡しました。

3月は確定申告があり、私の手に原因不明の痛みがあったりで準備が大幅に遅れ、この度発足に漕ぎつけました。
 日下先生はもともと広島銀行の行員でした。金融庁の森長官に懇願され金融庁に入り、初代地域金融企画室長として地域金融の改革の方向付けをしたお方です。
 それまでの金融機関が貸出をする際重視しているものは担保や保証人であり十分に返済可能な財産の引き当てでした。
しかし、日下先生は担保・保証人に偏っている金融行政を中小企業の事業の内容や成長可能性まで適正に評価し、融資や助言を行い、企業の成長を支援してゆくものであり、そうすることで地域経済の発展を促進させようとするものでした。この取り組みを現在各金融機関は積極的に行っています。
 不良債権を整理し、強い金融機関を創り上げスムーズな融資を積極的に行なえる環境を作ろうとした今までの方針と180度違い、まず融資先の中小企業を成長・発展させ、それにより地域金融機関を強くするという転換に日下先生は尽力されました。
 金融機関が貸出先の中小企業の事業性評価を行なおうとすれば、日頃から企業の経営実態の把握が必要であり企業を日常的に理解し時にはアドバイスや相談に乗るといったお金の貸借を超えた日常的な付き合いが必要となります。今までの単なる財務分析的、定量的な企業評価ではなく、中小企業の特性を加味した評価方法になりました。この方針転換に当たり、日下先生の果たした役割は大きなものがありました。

 地域金融機関出身の日下先生だから出来たと思います。しかし、その裏には先生のDNAがあります。先生のお父様は税理士でありおじい様は経営コンサルタントだったということを今回初めて知りました。
先生の名刺を頂いた際、表題にあります「日下企業経営相談所」の文字が古臭く(失礼)現代的ではないと感じ質問したところ昭和初期におじい様が使っていた看板の文字そのものを使用しているということでした。3代に亘り地域の中小企業の成長・発展を心より願うそんなDNAを感じました。

日下先生の念いである地域中小企業の活性化・再生・再構築・持続的発展の一助となるよう15名の勇士が研究・努力する会にしたいと念願しております。
70歳を前に、私のライフワークの1つに出会った思いです。
これからの人生も顔晴ります。

代表社員 前原 幸夫
 
             
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2022年06月01日

今月の言葉!「常識」

「常識」


 今年6月1日で、昭和60年(1985年)開業以来満37年(数え38年)になります。思えば遠くに来たものだと思いますが。その間様々なことがありました。
 平成元年前後のバブル時代、消費税の導入、失われた20年と言われるデフレ時代、リーマンショック、阪神・東日本大震災・・・
 この間税務を取り巻く環境も変わりました。そして多くの節税と称される手法や商品も開発され、その度に国税局の網が被せられイタチごっこの有様でした。私は税法の前に常識があるとよく言ってきました。「江川の一日」のようなものです。
 法律上いくら適法であってもその行為が常識とかけ離れておれば、それは常識に従う方が正しいと思っています。今回その通りの事件がありました。
 北海道札幌市に住む90歳のご老人が亡くなる3年前に借入をして東京都内のタワーマンションを約8億で、又神奈川県のマンションを5億で買い、94歳でお亡くなりになりました。そして相続人は9か月後(相続税の申告期限を待たずに)マンションの一つを5億円で売却しました。タワーマンション2室を購入することにより本来納めるべき2億円の相続税はゼロになりました。
 これに国税局は反発しました。
確かに、タワーマンションを相続税の評価通達通りに評価すれば、購入価格13億円の財産がなんと3億円となり、10億円の節税効果が得られます。そして、納付税額はなしになりました。
 土地・建物は原則時価(実際の取引価格)で評価するのが建前ですが、現実には時価が不明です。公平性を重視する税法は一定の計算方法を示し我々も100%これに従って申告しています。この相続人もこの計算方法に従ったまでで相続税額がゼロになっても何も違法な特例な計算をしている訳ではないのです。

問題は13億のマンションが一夜にして(相続税の計算となれば)3億になってしまうこのカラクリ及びその背景にある納税者の意図が問題だったのでしょう。
 今年4月19日、最高裁で判決があり、このマンションは12億7千万円が正しいとして、相続税3億円以上の追徴が確定しました。
 
★北海道に住んでいる90歳を超えたご老人が10億円を超える借金をしてマンションを経営するのか。13億の買い物をするのに、現物を見にも行っていないではないか
★しかも、ご老人が亡くなる直前に購入し、相続が発生してから一室はすぐ売却している。ずっと持っておくものではないのではないか
★相続税額をゼロにするというのは行き過ぎている

 等々このタワーマンションの購入は90歳の所有者が自発的に購入するというより、2人の相続人(子)が、相続税を無理やり(不当に)減少させるための行為であって正常な経済活動ではないという見解なのでしょう。
 ある意味納得のいく判決であり、まさに常識的な判決だと思います。これからも様々な取引があります。保険を使ったり金融商品を使ったり、このように不動産を使ったり。要は節税という名を借りた租税回避行為は後を絶ちません。常識の範囲内がどこなのか一定の判断基準が必要です。これは不変です。その線引きは難しいものがありますが、常識を磨くという当り前のことを当たり前にやりたいものです。


代表社員 前原 幸夫


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2022年05月01日

今月の言葉!「明日は我が身」

「明日は我が身」

 
ロシアは2月24日突然ウクライナに攻め込み戦争が始まりました。この21世紀にまさかという思いがしますし、ウクライナ市民の犠牲者は増えるばかり。国際社会はウクライナに対し支援をすると同時にロシアを厳しく非難しています。
 ウクライナはかつてロシアを中心とするソ連の構成国でしたが、ソ連が崩壊したことで独立し、今のゼレンスキー政権は親欧米派であり、NATOへの加盟を目指していました。ロシアと国境を接し古くからロシアとの一体性が強いウクライナがNATOに加盟しロシアと敵対することをプーチンが許さなかったことが原因とはいえ、主権国であるウクライナに武力をもって侵攻・侵略するなどもってのほか、許されるはずはありません。
 当初プーチンはクリミヤと同じく、1週間もあれば首都のキーウ(キエフ)を落としウクライナを制圧できると見込んでいました。それもそのはず約20万人のロシア兵が投入され130の大隊に分れ、ベラルーシからウクライナの北部に侵攻し南下する北方ルート、ドンバス地方から侵攻する東方ルート、そしてクリミア半島から北上する南方ルートの3方向に分れて一氣に攻め込んだのですから。
しかし、ウクライナ軍は勇敢でした。特に首都キーウへの北方ルートは完全にウクライナ軍が持ちこたえロシア軍を撤退へと追い込みました。
 ロシア軍の兵站(後方支援)のまずさ、特に食料や燃料の補給ルートの未整備が撤退の一因とも言われていますが、私はウクライナ兵とロシア兵の士氣の違いがなにより大きかったと思います。これだけの強大な戦車・軍隊、強大な兵力・軍事力を以てすれば、ウクライナなんぞ朝飯前という心に隙のあるロシア兵と、まさに命がけ、命を捨てても母国や家族を守ろうと必死の抵抗を試みるウクライナ兵とでは闘いの勝敗は火を見るよりも明らかです。

 日本人は、戦後アメリカの教育を受け「命よりも大切なものはない」と叩き込まれました。自分の「命」が一番大切でありこれに勝ものはないと。確かに命は大切なものであり決して粗末にしてはいけません。
しかし、この大切な命を懸けて守るべきものはこの世に多く存在します。命を懸けるに値するもの、命を懸けるに価値のあるもの、そのためには命を失くしても良いとするものです。愛する人のため、家族のため、自らが経営する会社のため、日本国のため・・・多くあるはずです。
 今、ウクライナの人々は計り知れない犠牲者を出し、想像を絶する困難な状況におかれています。しかし、すべての国民は自分の国を守るため、自分の子孫を守るために立ち上がり銃を手にしロシアに立ち向かっています。
 それに引き換え我々日本人はどうでしょう。
ロシアの侵攻は対岸の火事ではありません。ロシアとウクライナという特別な地域の特殊な出来事でもありません。明日は我が身です。
 その守りを自衛隊任せにしている風潮があります。もちろん日本の防衛は自衛隊がその中心ではありますが、日本国民全員が国を守る、愛する家族を守るという氣概が必要です。国や家族を守るために命を懸けようという覚悟が必要です。
 ロシアは北海道を狙い、北朝鮮は核で脅し、中国は台湾そして沖縄を狙っています。
まさに日本はちょうどよい標的です。地図を逆さにすれば日本列島はロシア・北朝鮮・中国からみれば不沈空母。邪魔な存在です。日本を侵略したいと思うのは当然です。
明日は我が身です。

一方、今回のロシアの侵攻に対して、国際社会の経済制裁が行なわれています。エネルギー(石油・石炭・天然ガス等々)の多くをロシアに依存しているヨーロッパ、日本の諸国は及び腰です。こんな暴挙は絶対許さない。国際的な秩序の枠組から外れた国は武力だけではなく、経済的にも破滅することを立証する必要があります。そのためには少々国民が辛い思いをしようと経済的にダメージを受けようともっともっと厳しい制裁をロシアにかけてゆくべきです。
岸田首相はロシアから石炭の輸入を禁止しました。これを高く支持しますが、もっともっと厳しい手が必要です。それは当然制裁をする国にも多くのダメージをもたらすでしょう。しかし今が踏ん張りどころロシアの暴挙を、目論見を阻止するために命を懸けて立ち上がる必要があります。それがウクライナを支援することであり、日本を守ることです。
 今こそ命がけの時です!!
代表社員 前原 幸夫
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2022年04月01日

今月の言葉!「決心と決断」

「決心と決断」

 先月3月25日で満69歳になりました。古希です。昔、人生50年という時代70歳まで生きるというのは相当長命でしたし、「古より稀なり」です。しかし、人生100年の現代、まだまだ古希は高齢者の入り口に過ぎません。これからの生き方で晩年が決まる。そんな思いです。
 そこで、一つの決心と、一つの決断をしました。「決心」とはこうしようとやることを決めること。「決断」とは断つこと。すなわちやめること、断つことを決めることです。 

 一つの決心とは税理士法人久遠の後継者です。開業以来皆様方のお陰様で事務所も岡山に2か所、倉敷・里庄そして今年は笠岡に設ける予定であり、社員数もグループで80名になろうという規模にまで成長させて頂きました。
 古希という大きな節目、このグループを率いてもらう若きリーダーを指名致しました。リーダーとして税務知識はもちろん最低限必要ですが、これから10年先、20年先を見通し、戦略を立て、社員を一つに束ねリードしてゆく人間力が必要です。行き先の分からないバスには誰も乗りたくありません。しっかり行き先や途中の停留所を明示し、バスを先導してゆくリーダーシップが必要です。
 ここ2〜3年考えてきましたが、1人の男性税理士に決め、社員に発表しました。彼は43歳、10年ほど前に当社で勤務していたのでが、現在は彼の父の経営している会計事務所に勤務しており、直ぐに久遠に入社というわけには行きませんので、じっくり時間をかけ後のやり方、あり方を詰めてゆこうと思っています。
決定次第、本人の紹介も兼ね皆様にご報告致します。

 また、一つの決断とは車を手放すということです。これもここ5年くらい考えていたことでが、昨年12月母が亡くなり玉柏の実家には私と妻と二人住まいになりましたし、これを機に車に乗らない生活に挑戦しようと思います。5年前軽い脳梗塞を患い、別に身体は不自由なところは無いのですが、目が少し見えない部分があり、運転中アッと思うこともたまにあります。池袋で元通産相の高級官僚が暴走事故を起こし、90歳にして収監されるという事件がありました。まさに「晩節を汚す」です。


人生の最後を・・・と思うと他人事ではありません。又、ライフスタイルを見直すという良いきっかけにしたいと思っています。
 岡山市内の中心部に部屋を借り、バスやタクシーで移動(時には自転車)。SNS・Zoomをフル活用し新しいビジネススタイルが出来ないか考えています。まさに実験です。
(どうしても車が必要なら妻の車を使います)

 人生には3つの幸せがあるといいます。
人生100年時代。産まれてから30歳くらいまでは他人様にしてもらう幸せを感じるときです。両親・学校の先生・職場や地域の人々、いろんな人々に迷惑をかけながら様々な教育を受け成長してゆきます。
 そして、その教えを知恵に変え60〜70歳くらいまでは自分でできる幸せを感じる期間だと思います。自分で意思決定し、自分の足で立ち、自らのために行動してゆく期間です。
 それから老後、今までのような動きは出来なくなり体力は確かに低下してゆきます。活動量も低下せざるを得ないでしょうが、60年、70年蓄えた知力・判断力・洞察力…等々経験や知識・知恵を思う存分世の為人の為に活用することは出来ます。もっともっと人のお役に立ちたいという、人のために出来る、人のためにさせて頂く幸せを感じる時代があるのではないかと思っています。私の場合、車を捨て50年税務や経営に携わった知識・経験・知恵を皆さまのためにお役立てすることこそこれからの人生の生きがい、やりがいだと確信しています。
 社員と食事をしたり、Zoomで交流したり、時には自転車で乗り付けたり、一社一社丁寧に問題と向き合い税理士として本来の志事を遂行してゆく所存です。
 新しいライフスタイル、ビジネススタイルを行なうため車を捨てる決断をしました。
ご不便をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願い致します。


代表社員 前原 幸夫
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2022年03月02日

今月の言葉!「慈母」

「慈母」

 昨年12月19日、私の母が他界しました。91歳でした。
晩年は寝たきりで、週5日ショートステイ、週2日は我が家で介護という生活だったのですが、12月17日、介護施設から救急車で病院に運ばれ、19日未明に死亡するというあっけない幕切れでした。入院した日たまたまた病院の近くで仕事をしていたもので、直後病院に顔を出しましたが、思いのほか元氣で、これなら年を越せるな、と思いましたので、急変には驚き、まさかという感じでした。
 母は昭和5年2月12日真備町のドが付くほどの田舎に生まれました。父親を早くなくし1男5女の子だくさん。10歳で前原へ養女として入りました。
前原の養父母は母と同じ昭和5年に女の子を出産したのですが、その子(花子)が早逝し、それから10年間子どもができないので母を養女にしたそうです。養女になった途端、母の弟が産まれました。母は生前「私は友一の面倒をみるために養子になったようなものだ」と言っていました。母が10歳の頃から友一を背負って小学校へ通ったと言います。その後、昭和27年私の父が前原の養子となり私が産まれたということです。
 私はこの話の中で一つ不思議に思い母に尋ねたことがあります。母が養女になり、前原家の長男友一が産まれたのだから母はその時前原家には不要ではなかったのかという疑問です。長男友一が産まれた時、養父は母に言ったそうです。「お前が来てくれたから友一は産まれた。お前は福の神だ」と。
 養父は私が小学校に入る時に亡くなり、あとは養母と母の女の闘いでした。私が物心ついた時には、養母と母のケンカはものすごく、しかもしょっちゅうでしたので、後になって何が福の神かと思いました。私が中学校に入る頃私の父は製麩業を独立して事業を始めました。創業当初はお金もなく、母のアルバイトでパートの女性の給料を払ったといいます。それから50年母は働き詰めの人生を送ってきました。
父・母・パートの女性一人という家内工場です。朝早くから夜遅くまで麩を焼き、袋詰めをし、田畑もありましたので、休日には稲作や枇杷、桃、梅の手入れ、3人の男兄弟を育てながらですからその大変さは想像を絶します。本当に働き詰めの人生だったと思います。
 母が亡くなった直後、短歌を30首詠みました。拙歌ですがご覧下さい。

代表社員 前原 幸夫


『救急で 入院せし母泣くじゃくる 病室なれどあの世に見えしか』
『病院へ 見舞いし母は涙ぐむ 二度と帰れぬ我が身思うか』
『母見舞う 人は三人選べという 血の濃さのみでは役に立たぬか』
『救急で 母施設から病院へ 家には戻れぬ旅の始まり』
『一年が 終わろうとする師走月 母の命も暦通りか』
『コロナにて 入院せし母会えぬ孫 帰省も叶わずラインに手合わす』
『正月は 孫やひ孫に会えるよと 元氣づけしが母年越さじ』
『思い出す 母の小言と叱る声 心配しすぎか我かけすぎか』
『臨終の にぎる母の手暖かく まだ生きてると医者を見上げる』
『九十年 働き続け母は逝く 親の使命か女の意地か』
『どれにする 遺影の写真探しつつ 若かりし日の母蘇る』
『これいいね ありし日の父母お揃いの 浴衣でくつろぐ旅の思い出』
『父逝きて 一七年目に母が追う あの世で再び夫婦げんかか』
『先立ちし 父が見かねて母まねく よくがんばったよ側に来休めと』
『寝たきりの 母の介護を妻一人 よくぞやりしと遺影ほほえむ』
『ゆかんして 白き着物に紅きべに 死出の準備の母美しき』
『死化粧 淡く塗られし母の顔 選びし遺影にまさる若さか』
『通夜式を 終えて一人式場に 母と最期の一夜を過ごす』
『あす出棺 母との最期二人きり 甘まえて添い寝す幼き頃の』
『棺桶の 母を飾らん美しき ありったけの花摘んでたむけん』
『火葬場の 喪主のつとめかスイッチを 母に感謝とお詫びで廻す』
『母の骨 これはあれはと説明が 空ろに聞こゆ箸もふるえて』
『行くときは 四人でかかえし母なれど 骨なりし後我一人抱く』
『新年の あいさつはなし母の喪に 寒中見舞いにあわてて代えり』
『葬式も 初七日も過ぎし今やっと 悲しみ心にあふれて出ずる』
『母の愛 なくして想うその広さ その深さ未だ我は見えざり』
『難産で 我を産みにし母なれば あの世からさえ我を導く』
『病弱の 我を懸命育てしか 「かあちゃんおかげでこんなに元氣」』
『逝く母に 感謝を込めてありがとう あなたの愛には全く足らぬが』
『古希なりて 残り少なき人生を 完全燃焼亡き母に誓う』
posted by 前原幸夫 at 09:23| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月01日

今月の言葉!「そうなった贈与税」

「どうなった贈与税」

 昨年の本氣5月号「どうなる贈与税」で贈与税の抜本的な改正が令和4年に行われるのではないかとお知らせしましたが、結局「令和4年税制改正では改正されず検討を継続」することになりました。
 令和3年度の税制改正大綱では

「諸外国では、一定期間の贈与や相続を累積して課税すること等により資産の移転のタイミング等にかかわらず、税負担が一定となり、同時に意図的な税負担の回避も防止されるような工夫が講じられている。
 今後、こうした諸外国の制度を参考にしつつ、相続税と贈与税をより一体的に捉えて課税する観点から、現行の相続時精算課税制度と暦年課税制度のあり方を見直すなど、格差の固定化の防止等に留意しつつ、資産移転の時期の選択に中立的な税制の構築に向けて、本格的な検討を進める。」


とあり、令和4年の改正によりその内容と施行日が明示されると推測していましたが、はずれてしまいました。
 菅政権から岸田政権に変わり今夏の参議院選挙も睨んだのか、検討継続ということになりました。しかし、改正はしないのではなく検討を継続し改正を行なうことには変わりありません。
 近々贈与税の改正が行なわれるという前提で贈与を考えてゆく必要があります。
また、昨年12月31日で期限が来た住宅取得等資金の贈与は令和5年12月31日まで2年間存続します。 非課税限度額は1,000万円と下がるものの、受贈者の年齢は、成人年齢の引下げに伴い18歳以上となります。
贈与税の改正の方向性については、2つの考え方があります。
一つは、毎年110万円の基礎控除のある暦年贈与を廃止し生前贈与は全て相続時に加算し相続税を課税するというもの。
もう一つは、暦年贈与は残し相続人が亡くなる一定期間(今は3年)内の贈与は相続財産に含めて相続税の課税を強化するものの2つです。(例えば10年とか15年とか)
 前者の場合、改正前に贈与した財産が相続財産に加算されることはないでしょうが、後者の場合、改正前の贈与は対象外にするか、相続財産に加算するかは議論を持たなければなりません。



いずれにせよ(後者の場合であっても改正前の贈与は加算されない可能性もあるため)今年も贈与をしっかり実行してゆくことが大切です。
 改正が来年かもしれません。110万円という非課税枠に囚われることになく多額の贈与を行なうことも必要になります。
 両親と子ども2人の家族で、父が亡くなり母が1/2相続(母は相続税0円)し、残りを子ども2人が1/4づつ相続したとした場合、3億円の課税財産のある方だと、子どもに510万円ずつ贈与し、贈与税50万円×2人=100万円納めても、相続税は510万×17.5%=892,500円となり、892,500円−500,000円=392,500円×2人=785,000円節税となります。詳しい計算は略しますが、以下のようになります。

 相続人が配偶者と子ども2人の場合
課税価格1億円 1人1,100千円の贈与で2人で2,200千円贈与で  166千円節税
課税価格2億円 1人3,100千円の贈与で2人で6,200千円贈与で  376千円節税
課税価格3億円 1人5,100千円の贈与で2人で10,200千円贈与で 786千円節税
課税価格5億円 1人7,100千円の贈与で2人で14,200千円贈与で1,218千円節税

 配偶者がおらず子ども2人が相続人の場合
課税価格1億円 1人3,100千円の贈与で2人で6,200千円贈与で  530千円節税
課税価格2億円 1人7,100千円の贈与で2人で14,200千円贈与で 2,460千円節税
課税価格3億円 1人11,100千円の贈与で2人で22,200千円贈与で 4,680千円節税
課税価格5億円 1人16,100千円の贈与で2人で32,200千円贈与で6,290千円節税


残された時間はあまり多くないかもしれません。
110万円の枠に囚われず、自らの相続財産と相談して贈与を検討してみる必要があります。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする