2024年01月01日

今月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」

新年あけましておめでとうございます
令和6年(皇紀2684年)、西暦2024年の輝かしい幕明けです。
皆さまご健勝に新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年は、3年間苦しめられたコロナ感染症も五類扱いとなり、日常生活にも少し穏やかさを取り戻したように思います。しかしながら、中小企業を取り巻く経済状況は逆にコロナ後一層悪化しているように感じられます。
 人材不足、最低賃金アップによる人件費増、ウッドショックに見られるように、材料不足による仕入れ原価の高騰、原油やエネルギー不足による電氣代、燃料代の高騰。更には様々なコストアップは昨年の大きな課題でした。また、2024年問題、2025年問題と続きます。
 2024年問題とは労働時間の削減を中心とした働き方改革が進行すること。2025年問題とは、昭和25年生まれの方が75歳になります。これにより団塊の世代と呼ばれる人々が完全に労働人口から抜け、逆に社会保障を目一杯受ける側になります。
労働人口が減少する中、労働時間も減少。しかもなおコストアップを吸収するために今まで以上に利益を挙げてゆかなければなりません。売価の改定(値上げ)も必要でしょうが、お客様もいらっしゃいます。そう簡単には参りません。
 では何で、どういう方法で、この難局を乗り切るのか。それは生産性の向上以外にありません。令和6年は生産性向上元年になると言っても過言ではありません。
 働き方改革2024年問題に対する厚労省のパンフレットを昨年見て笑いました。そこには「労働時間が削減される中、工事を発注する側も受注する側も余裕を持った工期にしなさい」とありました。こんなことをしていたら会社はもちません。100万円の工事を現在10日で行っているものを11日、12日にしなさい。ということです。
100万円の工事を10日なら1日10万円。11日かかれば9万、12日ともなれば1日8万円の売上になります。売上も利益も確実に下がります。

 真逆で、100万円の仕事で10日かかっているものを9日、あるいは8日で済ませる生産性の向上・改革が必要です。1日当たり、1時間当たり、社員一人当り、の粗利益を今より10%〜20%アップするような工程や仕組みを作る必要があります。
 さぁ、知恵の出し所です。機械化・IT化・DX化・外注化、逆に内製化・分業化・複業化。固定費の変動費化、逆に変動費の固定費化。と様々な事が考えられます。
まず出来るところから全社一丸となって真の働き方の改革を行なう年が今年です。
 働く時間を減らし、休日を増やすことだけが働き方改革ではありません。働くやり方を変え、生産性を上げ、より利益を生み出し給与待遇を向上し、新しい人材にも注目され選んでもらえるような会社にすること。これが真の働き方改革です。もちろん働く意味、真の働きとは何かという社員教育も大切でしょう。
 お金だけ、今だけ、自分だけのために働くのではモチベーションは上がりません。世のため人のためにお金以上に価値のある仕事を感謝される喜びを感じ、10年・20年・・・いや100年・200年先の自分の生活や会社の行く末、国家の未来のために励む。そんな働く意識の改革によってモチベーションを上げてゆかなければなりません。
 真の仕事観の確立これこそが真の働き方改革です。そしてその結果、生産性が上がり利益・給与が上がり社員が生き生きと働く集団を創ってゆくのです。
 決して単なる休日を増やし、労働時間を削ることではありません。生産性向上の年、真の働き方改革元年に向け雄々しくスタートを切りましょう。
 私も70歳を超え、いつまでやるの?とよく言われます。
最近、足利の福田茂夫先生にいただいたお言葉「生涯現役、臨終退職」これで生き切ります。
今年一年、宜しくお願い申し上げます。
代表社員 前原 幸夫
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2023年12月01日

今月の言葉!「千錬万鍛」

「千錬万鍛」
 
  コロナ禍も少し和らぎ、平穏無事な日々が来ると思いきや、中小企業を取り巻く経営環境はコロナ禍の時以上に厳しくなっているように感じます。
 コロナ融資の返済が始まり、人手不足、働き方改革による人件費の高騰、ガソリン・電氣代はたまた水道代をはじめ物流費、会食費等全ての価格が上昇。
それに引き換え、売上の売価upの遅々として進まない現状。どれを見てもコロナ前に戻るどころか、コロナ禍に輪をかけて厳しさが増しています。
 「八起会」という会があります。七転八起、だるまさんの世界です。
もう40年近く前、故野口誠一氏により創られた会です。野口氏は玩具メーカーを創業。年商12億円を挙げ、業績が伸びていたにもかかわらず、ドルショックと放漫経営により会社を倒産させてしまいます。これにより自宅をはじめ全財産を処分し塗炭(とたん)の苦しみを味わいます。
 その後「八起会」を設立し、自らの経験を元に「失敗者に学べ」と経営者の相談相手、講演会を数多くこなし、平成28年 85歳でお亡くなりになりました。
 「八起会」には「八起五則」というものがあります。

早起き  笑顔  素直  感謝  いい出会い
 
 会社を潰した野口氏の、会社を潰さないための遺言です。
経営の目的は会社を潰さないことだと野口氏は言います。もっと言えば会社を潰すのは経営者だから。経営者自身が潰れないことです。
 野口氏は、年商150万円の会社を年商12億円にまでにして、マラソン・水泳などで体を鍛え、働いて、働いてお金も貯め、でも潰れました。
なぜか、野口氏は言います。「心が貧乏だったから」と。お金と体と心のバランスが悪かったから潰れた。と。

 その心を鍛えるために一番良いのが早起きです。
もう少し寝たい。もう少し・・・という自分に対する甘えを断ち、朝起きる。毎日のことですから自然と鍛えられます。また朝早く起きる為には夜早く寝ることも大切。生活のリズム・習慣も自ずと変わり良化してゆきます。
 どんな時でも(苦しく辛い時でも)笑顔を絶やさない。
明るい笑顔は、人間関係を円滑にします。暗く汚い場所には蛾やハエしか来ません。春の陽の明るく美しい花には蝶々が飛んできます。
 間違っていたら、まずかったらすぐ改める素直さ。
人間は神様ではありません。神様は完全でも人間は不完全。失敗も過ちも起こします。
しかし、それを反省し糧とし、そこから出直し完全になろうと努力することこそが大切。
 自分一人では何もできないことを自覚し、全てに感謝です。
自分を産み育ててくれた両親・祖先。温かな家庭を築いてくれる家族。自分を支えてくれる社員・友人・お客様、そして全ての人々。すべての物、すべての事象に心からの感謝を惜しまないことです。この感謝の心がゆくゆくは自らに戻ってきます。皆から「ありがとう」を言ってもらえる人に。
 そして最後はいい出会いです。
良い習慣にはいい人格を創り、良い人格はいい出会いを呼び込み、良い出会いはいい運命を引き寄せます。人生は出会いによって変わります。お金と体と心のバランスの良い鍛錬によって必ずいい出会いが待っています。
 人に笑顔を振りまけば振りまくほど、人に感謝すればするほど、その信頼や感謝がやまびこのように自分に戻ってきます。
 厳しい時代であるからこそ、倒産を体験した野口氏の遺言を、今生かしたいものです。
「会社が潰れるのは 経営者の心が潰れるから」


代表社員 前原 幸夫
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2023年11月01日

今月の言葉!「執行 草舟先生」

「執行 草舟先生」
 
  「執行草舟(しぎょう そうしゅう)」というお名前を初めて聴いた時から非常に氣になっており、10月14日(土)14時〜16時までZoomで講演会があるとのことで、申込しお話を聴くことが出来ました。
Zoomで2時間は長いな、、、と思っておりましたが、あっと言う間の2時間でした。
 執行草舟先生のHPのプロフィールには、
「昭和25年東京生まれ。立教大学法学部卒。実業家・著述家・歌人。生命の燃焼を軸とした生き方を実践・提唱している生命論研究者」とあり、多くの著書が列挙されています。
 そのベースは、7歳から読み親しんでいる「葉隠(はがくれ)」にあるようで、武士道精神をベースにした生き方を実践されておられます。講演では葉隠や武士道のことはあまり触れられていませんが、これらがベースになっているということは納得できるお話しでした。
最初、先生はしつこく何回も人生論・生命論の元についてお話しされました。
 『人生とは前人未到の航路を進んでゆくものであり、この世に生ある全ての人は誰も経験したことのない、誰も教えてくれない人生を歩み続けるものなんです。』と。
ここが理解できるかできないかで人生が大きく変わってゆくと。
前人未到ですから、これから何が起きるか自分にも、もちろん他人にも分かりません。しかし、これから人生で起こってくることは辛い苛酷で逆境の困難な苦難の道が続いているはずです。
 その逆境・困難・苦難に対する参考例や正解などありません。自分一人しか体験・経験しないのですから、他人の成功例や他人の考えはその人のもの。全く参考にはなりません。
この世にはない正解や回答が欲しいと願い苦悩することが不幸の元になると言われます。
では、どうするのか。前人未到の人生に、全力で立ち向かい体当たりして自分だけの幸福を掴むこと。これしか方法はありません!
 「人間は自己固有(自分だけの)運命を生き切らねばならぬ」人生に体当たりし、全力で立ち向かい「なるほど」という人生や運命を超越した境地に達すること。



 逆境や苦難、困難を誇れる人生を歩めるようになること、自分に次から次へと襲い掛かってくる不合理や不幸を全身で受け止め、それを讃え誇れる生き方、それしか幸せになる道はないと説かれます。なぜなら70億人地上に人間がいるならば、それぞれ全く違う70億通りの人生があり、70億人全てこれからの人生になにが起こるのか、何が始まるか分からない、不安な不幸な逆境の連続が人生だからです。
その人生を生き抜くために、先生は三つのことを挙げられました。

1) 絶対に曲げることのない一つの信念を持つこと
「つまらないことでも、悪いことでも何でもいいから魂の奥底から思うことのできる一つの信念」
2) 自分だけの圧倒的なものを築き上げる
絶対に曲げぬ信念を貫くと圧倒的なるものは必然的に身に付いてくる
3) 死する日まで絶対に満たされてはならない
死ぬまでは不滅性への渇望を保持すること。満たされざる魂を持ち続け、常に飢えて無限の成長を念じ、生き切ること

 以上の3点を日頃から実行してゆくと、必ず苛酷で困難や苦難、制約の多い人生が出現します。この人生こそが、運命の超越と逆境を誇ることの出来る人間を生み出し、自分だけの幸せな人生を送ることが出来るということです。
 2時間のお話し、まだまだ理解・納得の出来ないところが多数ありますが、学び続けよりよい豊かな人生を送っていこうと決心を新たにしています。

代表社員 前原 幸夫
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2023年10月01日

今月の言葉!「えっ! なにこれは」

「えっ! なにこれは」
 

 最近「えっ! なぜ?」と思うことがしばしばあります。
特にインボイスの導入と103万・130万円の壁の問題です。10月1日から、すでに消費税のインボイス制度はスタートしています。この必要性が私にはさっぱり解りません。

 今の消費税は、平成元年に導入されました。その4年ほど前の昭和60年、政府は売上税というものを導入しようとしましたが、反対により廃案となりました。昭和60年は、私の税理士開業の年であり、今でもよく覚えていますし、私の40年の税理士としての歩みは消費税の歩みと言っても過言ではないほど消費税の変遷に付き合いました。

 売上税は、全ての事業者に売上の1%を国に納めさせるという税金でした。製造・卸・小売・そして消費者、全ての財の移転時に1%課税し、それを消費者が負担してゆく仕組みで、税の多段階課税(税の蓄積)が問題となり廃案となりました。今思えば、この売上税が簡素でシンプルでよかったと思っています。売上税が国民の大反対に遭ったため、これに修正を加え一般消費税なるものが平成元年に登場致しました。
売上にかかる消費税から、仕入・経費等に支払った消費税を差し引き納税する方式を取り、その計算もインボイスなどは、必要のない帳簿により計算する帳簿方式で、課税売上3,000万円までは、消費税の申告・納税もしない免税事業者とし、帳簿方式が面倒な零細企業(当時課税売上5億円以下)は、簡易課税という2段階の特例計算を許容し税率も3%でした。
それから35年、帳簿方式はインボイス方式となり、免税事業者の要件は3,000万円から1,000万円に、簡易課税の要件も5億円から5,000万円に、簡易課税は2段階が6段階になりました。そして税率は3%から10%と8%の複数税率となっています。

 元々日本の消費税は帳簿方式でした。これをインボイス方式にすること自体にムリがあり混乱を招いています。インボイスなどしなくても、免税点(消費税の課税されない売上)を1,000万円から500万円または300万円に引き下げ、簡易課税制度を止め、複数税率を10%に統一する!これだけで十分事足ります。全く今回のインボイス導入の意味が解りません。

 次に、今話題となっている「103万円の壁」「130万円(106万円)の壁」の問題です。
「103万円の壁」は税制の問題、「130万円の壁」は社会保険の問題ですが、根は一緒です。
これらの制度を導入した当時、サラリーマンの夫と専業主婦の妻ということを前提に作られたのでしょう。それから何十年が経ち、社会・家族、そして女性の労働市場への進出、時代は大きく変わりました。制度自体が金属疲労を起こしているのかもしれません。
最近の最低賃金の上昇により、より短時間で103万円、130万円に達してしまうため、企業側は人手不足に拍車がかかる事にも繋がります。

 「103万円の壁」とは、妻のパート収入が103万円を超えると夫から配偶者控除を受けられないという問題です。ただしこれは別途「配偶者特別控除」というものがあり、幾分緩和されているのですが、一番の問題は、夫に配偶者手当(家族手当)の支給要件が「妻の収入は103万円以下」となっている企業が多く、この手当だけで年間12万〜24万円の夫の収入が減額になるため、103万円以上は働かないという結果になります。
「130万円の壁」は、社会保険の扶養に入れるかどうかの基準になります。妻が130万円未満のパート収入であれば、社会保険に加入する必要はなく、130万円以上の場合は加入し保険料を納めなければなりません。料率が15%くらいになりますので、約20万円の負担が増え、手取り額が大幅に減少してしまいます。
新聞報道によれば、103万円の壁に対し家族手当の新しいガイドラインを作り企業に協力を求め、130万円の壁には最高2年間は130万円以上でも扶養に入れるようにする措置を作るとされています。なんというお粗末な対応なのか。

 これらは個人単位ではなく、夫婦単位(家族単位)で控除・加入する方式にすれば解決できます。税制で言えば、夫婦二人で例えば100万円の控除を認め一人しか働かない場合は一人から100万円の控除、二人なら100万円分有利なように控除する。夫の収入、妻の収入関係なく一定の控除を行なうことで解消できます。 
                             
 社会保険では、原則全員が加入し保険料を負担してもらうか、夫婦の年収で保険料を算定してゆくのいずれかでしょう。抜本的に変えるなら厚生年金は税により最低保障年金的なものを創り、その上乗せは自助努力で各種年金保険・確定拠出年金・iDeCoなどを組み合わせて国民一人一人が自ら老後に備えてゆく。意識をしっかり持ってもらい、健康保険については、夫婦合算所得に保険料率を乗じた保険料方式とする等、抜本的な改革が必要でしょう。

 対策があまりにも場当たり的なものに驚くばかりです。

代表社員 前原 幸夫
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2023年09月01日

今月の言葉!「東條 英機」

「東條 英機」
 
皆さんは、東條 英機という人物をご存じでしょうか?
陸軍大将であり、太平洋戦争が勃発した時の日本国の総理大臣であり、日本を戦争の道へ引きずり込み、敗戦に至らしめたA級戦犯で、許すべからざる人物。こんな風に私も教えられ育ったように思います。
その曾孫(ひまご)である東條 英利さんの講演会があり参加させていただきました。ちなみに東條家では長男のみ「英」という名前を付けることが出来るようで、英利さんは東條 英機の直系の曾孫さんです。太平洋戦争に敗れ、東條 英機は法的根拠のない東京裁判で死刑となり絞首刑にされます。戦後間もない日本人は裁判で死刑になるくらいだから、極悪人、相当悪いことをした人物だと洗脳されたのです。
 英利さんの父(英機の孫)は昭和12年生まれ。昭和20年の終戦当時は小学生でした。しかし、英機の孫ということで小学校の担任のなり手がいない状態が続いたそうです。小学校でこうですから、一族は仕事に就くこともできず、極貧の生活を余儀なくされました。
英利さんは昭和47年生まれ。幼い頃から東條という姓、故のいじめの中でコンプレックスにさいなまれたと言います。例えば、歴史はあえて「日本史」を選択せず、「世界史」にする。高校も日本から国際という言葉に惹かれ埼玉県の「和光国際高校」に進学したほどです。
 しかし、海外で仕事をするうちに、自分が自分自身のアイデンティティと向き合うことが大切であり、国際人としての第一歩は自国。すなわち日本の文化・歴史、そして東條 英機という人物と向き合うことが大切だと身に染みて実感したと言います。そして現在、神社文化の評論家として日本の神道を広く世界に伝えようと顔晴っておられます。

ここでもう一つ東條 英機のことについて書きたいと思います。
東京裁判については来月号に廻すとして、東條 英機はそんない大悪人だったのでしょうか。
東條 英機は東京裁判で「真珠湾攻撃により一般市民を殺害した」という罪になりました。
確かに開戦当時、東條 英機は首相ではありましたが、真珠湾攻撃の作戦は海軍が行なったもので、首相であっても戦前の統帥権は天皇にあり参謀総長が全ての指揮命令を出していました。
東條が参謀総長を兼務するのは昭和19年2月。東條 英機は開戦には直接的にはタッチしていないのです。
 また、御前会議で天皇の終戦の聖断が下ると戦争継続に強い意志を持っていた東條 英機も、天皇の御聖断には忠実に従い中堅将校たちのクーデター計画にも「天皇の命令に背いてはならぬ」と諫めています。昭和20年8月15日、終戦を迎え「戦争責任を一身に引き受けん」と、9月11日に拳銃自殺を図るも一命を取留め東京裁判にかけられます。
東條 英機が太平洋戦争の責任が自分一人にある意思表示は次の文章からも良く解ります。

東条英機.png                       


代表社員 前原 幸夫
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2023年08月01日

今月の言葉!「40周年に向けて」

「40周年に向けて」
 
 先日6月1日弊社創業39周年の記念講演会を開催いたしましたが、会場いっぱいのお客様をお迎えして盛大に催すことができました。紙面にてではありますが心より御礼申し上げます。
 私どもは平素よりありがとう元氣玉会計事務所を自認し、ありがとう(感謝)と元氣にこだわってまいりました。「なんで39周年?」とよく言われますがサンキュー、39周年しかも
6月1日 3時39分スタート。定員も390名のご来場者と、まさにサンキューづくめでした。
講演会も2部構成で少しタイトかなという氣はしておりましたが、皆様には大変好評で、お褒めのお言葉も多数頂戴いたしました。
1部は、栃木県足利市よりお招きした福田茂夫先生による『経営に生かす山田方谷』というテーマで、コロナ禍にあえぐ中小企業と、借金であえぐ幕末の備中松山藩との絶妙なコントラスト、比較対照による様々な経営のヒントをいただきました。
2部は、元金融庁の日下智晴先生による『企業を支える会計と金融』というテーマで、金融機関と中小企業の本質的な関係性についての興味深いお話でした。
両先生には心よりの御礼を申し述べる次第です。

 さて、39周年を一つの節目として次のステップへ向かわねばなりません。
電子帳簿保存法、インボイス制度、事業承継税制への対応等、会計事務所のやるべき業務は目白押しです。従来の業務のレベルアップ、スキルアップもますます重要になっています。
 このような状況で我々にとって一番の業務はやはり税務です。税務という中小企業にとって一番身近な業務に会計事務所が寄り添い、税務援助、支援をして差し上げ、それによって築かれた信頼関係により、その周辺業務、新規業務をこなしてゆくというサイクルになります。
ベースは税務です。ここの強化がなくては次のステップはあり得ません。

このベース、基本業務をこなし、より充実させるためにここ数年は税務署OBの方を採用してまいりました。
現在、常駐税理士として3名、客員税理士として3名の方々にお手伝い願っています。
客員の方は広島等にそれぞれ居を構え必要な時にご来岡、あるいは電話、ZOOMでご相談申し上げています。
一番初めにご縁をいただいた客員税理士の方は、国税庁の査察部から大きな税務署の署長を退官され、現役時代はカミソリの〇〇さんと呼ばれていたという方で、大所高所よりご意見をいただいております。
他の2名の客員税理士の方々は50歳前後と若く、1人は国際税務の専門家、もう1人は相続税の専門家として活躍されています。この分野は特に専門性が高く、私も不勉強なところが多く助け舟を出していただいています。
 常駐の3名の方はそれぞれ岡山西支社、倉敷支社、里庄支社の代表税理士として経営にもタッチいただけています。3人とも法人税部門に40年以上勤務され退職後、弊社にお勤めいただいています。3人の内2人は同じ高校の同級生ということもあり非常にコミュニケーション、連携もスムーズで様々な税務対策を敏速に行っていただいています。
また、3人の内2人は税務調査畑ですが1人は審理担当という税務の解釈や判断を専門にしていた方です。税務調査経験豊富な2人と税務判断豊富な1人と、絶妙なコンビネーションで弊社の業務に大きく貢献してくれています。彼ら3人は仕事だけでなく趣味も豊富で、ゴルフ・刀剣収集、鑑賞・絵画・・・と本当に多趣味な方々です。
 特に絵画、それもボールペン絵画を得意とする方は、7/31まで高梁国際ホテルで個展をやっているということで、7/29拝見しに高梁へ行ってまいりました。ハガキ大に倉敷の美観地区、岡山城、京都の金閣寺、銀閣寺・・・どれもこれもお見事!お見事!!
細かい石垣、砂利の一つ一つまでも見事に描き切っておりとてもボールペンで描いたとは思えない素晴らしいものでした。
これら税務署OBの方々のご援助、ご指導の元、新たな税務の世界を作り上げようと決意し40周年目に向かっております。
私も70歳これから人生の本番、よろしくお願い申し上げます。

岡山城.jpg錦帯橋.jpg
代表社員 前原 幸夫
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2023年07月01日

今月の言葉!「なつかしい未来」

「なつかしい未来」
 
 6月21日、22日、名古屋で行われた、さだまさしのデビュー50周年記念コンサートに行ってきました。通常コンサートは一晩(一日)で終わるものですが、50周年ということで4夜行われます。他には大阪と東京の会場がありますが、我々は名古屋に行ってまいりました。
6月21日、22日 7月14日、15日 4日間通しのチケットです。(席も毎回同じ席)
 なぜか、いつ頃からなのか分かりませんが、わが妻はさだまさしを「さだ様」と呼び、ファンクラブにも入り、子育てが終わってからは年2〜3回コンサートに行き、そのお供をしてまいりました。北は北海道札幌から南は沖縄那覇まで、私はいつも旅行氣分でしたが、今回は最前列で2日間、ふたりで「さだまさし」にどっぷりつかってきました。
 さだまさしのコンサートの特徴はトークです。以前トークだけのコンサートがあったくらいです。普通歌手は歌と歌の間にトークが入りますが、彼の場合はトークとトークのあいだに歌が入るという感じです。例えば「昔新幹線に乗ったらゴルフのパターを持った人がいて、尋ねたら、ここグリーンですから・・・」と、こんなことを面白おかしくしゃべくります。

 さだまさしは1952年(S27)4月10日長崎で生まれました。
71歳、なんと私と同級生です。3歳のころからバイオリンを習い地元長崎では神童と呼ばれたようです。小学校を卒業すると単身上京し、バイオリンの修行をします。食べるものも事欠く時代にバイオリンを習い中学校から東京で一人で暮らすという、私などには考えられないような生活をしています。親から離れ、故郷を離れるという小さい頃の経験が彼の生き方のベースにあるのだと思います。しかし長崎では神童であっても大都会に出れば・・・・。

 紆余曲折を経て加山雄三の影響もあり、バイオリンからギターへ、そして大学を中退・・・
身体をこわして故郷へ帰り、そこへ学生時代のギター仲間の吉田政美がやってきて・・・
1972年20歳の時にフォークデュオ「グレープ」を結成します。そして翌年あの『精霊流し』『無縁坂』の大ヒットです。私も当時は学生時代、東京の安アパートでFM東京から流れてくるグレープの歌をよく聴いたものです。
 その後グレープは解散、ソロ活動がはじまります。
「関白宣言」「秋桜」「雨やどり」「北の国から」「奇跡」「案山子」「風に立つライオン」と次々にヒット曲を作ります。順調に歌手活動を行っていたのですが、1981年自らが監督、主演する「長江」という映画を製作します。そして35億円の大借金を作ったといいます。これは有名な話でテレビや新聞でご存知かもしれませんが。
この借金が彼の活動に更なる活力を与えたのでしょう。年100回を超えるコンサートで、この借金を1981年の映画公開から30年経って完済したそうです。

 歌手生活50年(18,250日)2,000人のホールや3万人の野外ステージ、時には出雲大社や薬師寺、春日大社、東大寺の大仏の前でもコンサートは行われ、その数4,500回を超えています。その内年一回「夏・長崎から」というコンサートは広島原爆の日に同じ被爆地である長崎から平和を願い無料で開催し、1987年から20年間続けていました。
 2008年からは「カウントダウンin国技館」も続けており、一度だけ行ったことがあります。
生の大相撲も観たこともないのに、初めての国技館が、升席でコンサート。その後そのままNHKの「年の初めはさだまさし」の生放送に参加するという超過激なスケジュール、観ている方も体力がいりました。二人共まだ若かった、い〜い思い出です。

 コンサートに行って感じることは、幼くして故郷長崎を離れたこともあり、ふるさとに対する思いの深さです。原爆にあったふるさと長崎、平和への人一倍強い思い、それを歌に託し歌を通じて人々に訴えている、そんな心の叫びを感じます。
彼も71歳になりました。しかし年を感じさせない若さがあります。私が大学生の頃ラジオで聞いていた歌声そのものを今も聞かせてくれます。
 最新アルバムは「なつかしい未来」というタイトルです。
「70歳を超えると未来はなつかしくなる」私も70歳を超えて少しはわかる世界です。

♬今日は昨日の続きだったけど、明日は今日の続きとは限らない・・・♬


なつかしい未来.jpg


 未来が我々の前にどのくらい開いているか、続いているか分かりません。
これからも、彼のコンサートを追っかけする妻にしがみついて全国を旅したいと念じています。

代表社員 前原 幸夫                              
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2023年06月01日

今月の言葉!「日本のこころの教育(境野 勝悟著)」

「日本のこころの教育(境野 勝悟著)」
 
最近ある人から境野勝悟さんの書かれた「日本のこころの教育」という本をいただき、一氣に読みました。境野さんが、あの大谷翔平選手や菊池雄星選手の母校である岩手県の花巻東高校で、高校生約700人に向けて行われた講演録でした。(その700人の生徒は声一つ立てず真剣に聞き入ったそうです)
境野さんの体験から「さようなら」の意味を問われ返答に窮した若き日の話しからでした。
 そう言えば私も、「さようなら」と普段使っていても、その意味を真面目に調べたことはないし、興味のあるところでした。英語では“グッド・バイ(good by)”ですが、元はgod byだったそうです。「神がいつもあなたの側にいて、あなたを守ってくれますように。」という意味を込めて別れたのでしょう。キリスト教の世界ですが、なんとなく分かります。
 日本語の“さようなら”は「さようならば、ご機嫌よう」の短縮されたものだということです。“さらば”は「さようならば」の「ような」が取れたもので、接続詞が単独の言葉となっためずらしい言葉です。江戸時代までは、「さらばご機嫌よう」「さようならご機嫌よろしう」などと使われていたようですが、明治時代になり男性が「さようなら」と言い、女性が「ご機嫌よう」と掛け合うように。昭和になると女性のほとんども「ご機嫌よう」とは言わず「さようなら」だけが別れの言葉になりました。確かに今でも時々ですが上品なご婦人が「ご機嫌よう」と言うのを耳にします。普段何氣なく使っている言葉にも由来があり、なおかつ面白いものです。
 また、日本についても書かれていました。
日本の日は、もちろん太陽です。日本人は古来より「太陽に感謝し、太陽のように丸く明るく豊かで、仲良く元氣に生きる。」を生活の柱においていました。この日本人を創り育てているのが太陽であり、日本人の本・基・元は太陽にあります。日本人が農耕民族だからという理由もあるでしょう。しかし、太陽がこの世に存在しなかったら我々の地球は極寒の暗闇のただの星。石の塊にすぎません。太陽が地球に命を与え生命を生み育て人類が誕生しました。


日本人はこの宇宙の原理を昔から理解していたのではないでしょうか。そして、その命の元、太陽に感謝して生きるその象徴として日の丸があり、日本国があるのです。
 「お父さん」「お母さん」のルーツも書かれてあり「お父さん」は「お尊さん」尊い人です。妻のため、子どものために一生懸命働き一家の生活を支えてくれ、家族の生活を守ってくれる尊い人です。
「お母さん」は「お日身さん(おかみさん)」すなわち太陽にあるということです。日は太陽、身は分身です。「お母さん」は一家の太陽として、いつも明るく元氣で暖かく居てくれます。お母さんの存在は地球にとっての太陽そのものに違いありません。
「こんにちは」も元々は「今日は、お元氣ですか」が短縮されたものだそうです。こんにちはの今日とは太陽です。今でも太陽のことを今日様と呼ぶ地方があるそうですが、昔は今日様が一般的だったのでしょう。「やぁ太陽さん」と呼びかけ「お元氣ですか」と氣遣う。お元氣とは元(もと)の氣(エネルギー)。すなわち太陽のエネルギーです。
ですから「やぁ太陽さん。あなたは太陽のエネルギー一杯で生かされている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒に明るく生きていますか」という挨拶です。
それに対し「はい。元氣です」「はい。太陽さんのおかげ様で元氣に生きています」と返答するのです。そして、「さようなら。ご機嫌よう」とお別れします。
「太陽と一緒に生活しエネルギーをもらっている。さようならば、さぞかしご氣分もよろしいでしょう」という意味を込めて。
 日本は四方を海に囲まれ南北に長く、国土は春夏秋冬豊かな自然の恵みを受け、それを我々の祖先はその恵みをいただき自然への恩意識、感謝の念を持ち、山にも木にも、川にも海にも岩にも、すべて神が宿ると信じ自然を畏敬・敬愛し、共生してきました。その中心が太陽であり、「初日の出」のみならず、太陽に手を合わせる民族が日本人です。
 私も七十歳になり、改めて日本・日本人・日本語の素晴らしさを思い知らされました。
日本人として生まれた誇りと喜びを持って。

代表社員 前原 幸夫
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2023年05月01日

今月の言葉!「借りたものは返さない?」

「借りたものは返さない?」
 
新型コロナウィルスの発生から3年余りが経ちました。政府は感染法上の分類を5月8日から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げることとしました。
この間、緊急事態宣言や学校の休校など様々な行動制限が行なわれましたが、これらの対策が大きく変わってゆきます。
 3年前、未知なる不安と恐怖の中、企業経営も大きな影響を受け、ダメージを受けてきました。しかし、少なくとも私の周りのお客様にコロナの影響で倒産に追い込まれたという声は聞きません。(もちろん経営悪化している企業はありますが)こんなに大きな行動制限があったにも拘らず、苦しいながら耐えてこられている中小企業の皆さまの奮斗(ふんとう)には敬意を表しますが、それを下支えした政府の融資政策も忘れてはなりません。
令和2年の5月連休前後から始まったコロナ融資です。コロナの影響で売上の下がっている企業に対し、実質金利無し(ゼロ)、無担保(ゼロ)、いわゆるゼロゼロ融資と言われているものです。ゼロゼロ融資の元金返済の据置期間は5年以内ですが、大半は3年以内で返済している企業が多く、今年からその返済が始まります。
 この3年間に比べ、少しは企業の景氣判断に明るさはみられるものの、コロナ前からの融資もありそれにゼロゼロ融資の返済が上乗せとなれば、昨年からのモノ不足、原材料・諸経費の高騰、ヒト不足、人件費の高騰と合わせ、なかなか約定通りの返済が出来ないのが中小零細企業の実情です。
アフターコロナを見据えた融資政策が必要だと思っていたら、政府系の日本政策金融公庫からは新型コロナウィルス感染症対策挑戦支援、資本強化特別貸付というものが発表され、また岡山県信用保証協会(以下、保協)からは継続型短期資金保証なる保証制度が発表されました。

 制度の詳細はそれぞれの金融機関か取引先銀行、あるいは弊社担当者にお聴きいただくとして、簡単に言えば前者(日本政策金融公庫)の貸付は資本性劣後(しほんせいれつご)ローンと言われるものであり、元金は5年1ヶ月・7年・10年・15年の一括償還(毎月の返済無)、無担保・無保証という長期間の据置型の安定資金です。
何より借り手は、借入金なのに金融査定上は資本とみなされ、自己資本とみなされるため財務状態を毀損せず、資金調達できる点が、長期間返済が不要という点と合わせ大きなメリットとなり、一方保協の継続型短期資金保証は、売上の2か月分以内で5,000万円あるいは1億円以内の融資に対し、保協が信用保証し、その保証は1年毎更新(借換)することが出来るというものです。もちろん銀行への利息と保協に対する保証料は毎年発生しますが、元金の返済は理論上永久にないというものです。

 「借りたものは返す」という当り前のことが、当り前でなくなりつつあり、少し首筋にウスら寒いものを感じますが、コロナで痛めつけられた企業にとっては朗報となるかもしれません。
 元金を据置く(返済しない)ことは目的ではなく手段です。
元金を据え置いている期間に経営の体制を整え、利益の出る企業、借入金の返済ができる企業に創り変えなければなりません。これらの制度には伴走型と言って毎月の経営状態を金融先へ報告し指導を仰ぐという手間?も必要となります(モニタリング)。
叡智を結集して企業の再建・再生・創生に取り組みましょう。
借金ゼロの企業を目指して。

                     代表社員 前原 幸夫
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2023年04月01日

今月の言葉!「魂の編集長」

「魂の編集長」

 私は現在新聞を4紙取っています。やはり経済の動きを知るためには日本経済新聞。
地元岡山の出来事が多く載っている山陽新聞、妻が四コマ漫画「コボちゃん」が好きなので読売新聞。それに加え週刊ですが日本講演新聞という少し変わった新聞の4紙です。
 日本講演新聞の社長であり、魂の編集長と言われている水谷もりひとさんの講演会と交流会が、先日倉敷でありましたので参加して来ました。
この新聞、以前は宮崎中央新聞といっていました。上記3紙と違い世の中の出来事、(特に暗い)殺人だの災害だのというような事件・事故は全く扱ってなく、色々な講演会を取材し、面白かった話、感動し心温まった話などを掲載している新聞です。
 例えば、2969号(3月20日号)は、鉄道デザインの水戸岡鋭治さんの『だから日本には「美しい文化」が必要だ』というお話がメインで、編集長 水谷さんの社説『ネット検索で見つからない問い」やコラムがブランケット版両面2ページに渡り満載です。
なぜこんな変わった新聞を発行するようになったのか、訊いてみたい疑問の一つでした。
水谷さんの講演の中で、学生時代すでにフリーペーパーを発行しており、そこで知り合った現会長の松田くるみさんと結婚され、お子さまが産まれた後、郷里の宮崎へ帰り、宮崎中央新聞社(その当時は山陽新聞と同じ地方紙)へ就職。会社は発行部数も少なく赤字。平成2年バブル崩壊の中、水谷さんが経営を引き継ぎ現在のスタイルに変更し30年を過ぎたと言われ疑問の一つが解決しました。
最初は発行部数も少なく、奥様の松田くるみさんが、1日100軒の飛び込み営業(しかも一軒も飛ばさず)を3年間やったと言います。
だんだんと読者が増え、今では全国に1万5千部発行。社員も14名ということでした。

 水谷さんのお話しの中で一番印象に残ったのは水谷さん自身が単なる編集長ではなく、”魂の“という冠をつけ「魂の編集長」と名乗る魂についての話しでした。「心を込めて料理を作ります」とは言うけれど、「心を込めて日本刀を作ります」とは言いません。やはり日本刀のようなものは「魂を込めて」と言います。なぜ、どう違うのか。心を込めるというのは、自分の念いを自分個人の心をそのものに込めるということ。魂を込めるということは、自分一人の念いだけでなく、先人たちの念いや技、先祖の志・歴史・文化、それら全てを込めるということだと言われます。講演をされ記事にさせていただく方の念いのみならず、その方の全ての関わりのある方々、恩師や先達、ご先祖までの念いを込めて紙面づくりをしているのでしょう。まさに魂の紙面です。
 今の豊かさや自由や平和は私たちが創り上げたものではありません。長い歴史、先人・先祖の皆さんの命、犠牲、ご苦心、言葉では言えない御恩で築かれ私たちは今こうして仕事をし、生活しています。そうだとしたら今の生活や仕事、それらは先人や先祖の方々が本当にやりたかったことであり、在りたかったことではないのか。だからこの豊かさ、自由さ、平和に安住することなく魂をつかわなければならない。まさに魂を人の為に燃えたたせ、削りつくし、燃えつくさなければならないと魂の編集長は言われます。人の為に自分の命を、人の幸せのために自分の魂を燃え尽すこと、これが生きる価値かもしれません。

その例えとして、一人のご身内のお話しをされました。
水谷さんご夫婦のご長女の義母にあたる増田芳子さんのお話しでした。水谷さん夫婦の長女さんは大学3年の時妊娠しお腹が大きくなったと言います。ご夫婦は長女へ2つの事を厳命します。一つは、好きなように、思うとおりにしなさい。それを我々はどんなことがあっても応援する。二つ目は大学だけは卒業すること。この二つです。

長女さんは出産を決意し大学を卒業しました。お腹の大きいまま教職課程の教育実習にも行ったそうです。そして、今は教師をやっておられます。
 その長女さんが出産し、義娘を義母である増田芳子さんが産後のお世話をするため宮崎の片田舎から鹿児島まで来られたそうです。長女さんと孫の世話をした後に入院され、半年経たずにお亡くなりになられました。末期がんだったとのこと。
増田さんは自ら末期がんであることを誰にも言わず、自らの力の続く限り義娘とお孫さんのお世話をしておられたのです。
長女さんが大学3年で妊娠し学業をしながら出産したからこそ、このご主人のお母様 増田芳子さんに孫の顔を見せてあげることが出来た。増田さんに初孫を抱かせることが出来たのです。それに応え、増田さんも自分の命を顧みず、孫や産後の義娘の世話をまさに命を削りながら魂を燃えたたせながら行ったのでしょう。そして、命を削り尽くし、魂を燃やし尽くし天国に召されました。

 人生は人との出会いによって変わると言います。
日本講演新聞は、毎週毎週その人との出会い、普段出会うことのない人との出会いを提供してくれます。月額1,300円です。
この新聞が10万部、100万部となる事を祈って倉敷を後にしました。

代表社員 前原 幸夫

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