2020年03月05日

3月の言葉!「サムシング グレート」

新型コロナウイルスが流行っています。
最初報道を聞いた時は、トヨタが新型の車を発表したのかと思いましたが、今はそんな冗談を言っている場合ではなくなりました。

 連日イベント、セミナーなど人の集まるものは中止。小・中・高校も3月2日から春休みまで休校ということです。中・高校とか大学の入学試験、期末試験はどうなるのか。個人の評価はどうするのか。様々な難問が待ち構えています。

 この時期、所得税の確定申告があり、連日遅くまで作業に追われていますが、3月15日が申告期限ですが、なんとそれを1ヶ月延ばすという措置がとられます。これも異例中の異例です。1ヶ月延ばすということは税収入も1ヶ月延びるということですから、国の財布も心配になります。 

中国の武漢が発生源ということで、中国では街自体を封鎖しています。2月23日で1ヶ月が過ぎました。住民は外出を厳しく制限され、空港や駅、高速道路が閉鎖され、不自然な生活を余儀なくされています。
武漢以外の都市でも、人の集まるホテルや玄関、公園、レストランなどは休業し、武漢ほどではないにしろ、封鎖状態にあり、経済活動も停滞しているようです。

我々の周りにメイドインチャイナの多いことに改めて氣づかされますし、その影響が段々と出始め、建設業では浴槽等の納入が間に合わず、
家の引き渡しが遅れるとか、中国からの冷凍食品や野菜が入ってこないため、物流の量が減少し、スーパーでも売るものがなくなるとか、車や電子部品のパーツが揃わないとか、様々な影響が出ており、日本経済に大きな影響を落としています。

極めつけは東京オリンピックの開催です。もし、開催されないとなれば・・・日本の被る痛手は図りしれないものになります。今は感染防止のため、出来る事はなんでもやるという時期なのでしょう。

 私たちはこのウイルスの拡がりから学ぶ必要があります。一つはリスク管理、いやクライシス管理です。最悪の状態を常に考え、経営をやってゆくことです。2ケ月や3ヶ月収入が「0」でも廻る財務の構築、これも必要です。身体の免疫力ばかりでなく、経営の免疫力を付けなければなりません。
 国もクライシス的な状況に対応する補償体制の構築も必要です。官民あげて対応してゆかなければなりません。公助と自助どちらも必要となるでしょう。

 もう一つは、この状態をプラスと捉えることです。好調な時には見えなかったものが、極限状態になればあぶり出されるように見えてきます。
自社の弱点が浮き出てきます。
仕入・調達に片寄りがあるのか、販売ルートに片寄りがあるのか商品力がないのか・・・何かが足らないから、いざという時にダメージを受けるのです。ダメージを受けている個所をしっかりと見てみましょう。必ず原因があるはずです。そこを直してゆけば新しいビジネスチャンスがあるはずです。

今の状況、これから更に厳しくなる状況をしっかり喜んでウェルカムで迎えてゆきましょう。「打つ手は無限」です。

そして目に見えないものにもっと注意をすることです。
ウイルスは目には見えません。どんな人から感染するかもわかりません。
あるいは、誰に移すもわかりません。自分は一人で生きているのではありません。周りとの関係性の中で生きています。もう一度この関係性を深くみてゆきましょう。親、祖先との時間を越えた関係性、今はほとんど会わない遠くに住んでいる友人恩人との関係性。もっと言えば、自分を生かしてくれている様々な目には見えないもの、例えば空気、熱、光・・・
そして神や仏・・・

目に見えないものにもっと目を向ける、もっと大切にせよ、もっと尊敬せよという天の啓示として、このウイルスの蔓延を促えるのも一つではないでしょうか。

目に見えないものに心を配ることにより、免疫力は上がります。企業も目に見えない信用や人間力を強化することにより、免疫力が上がります。
何が起こっても不思議ではない今日、免疫力を強化し生きましょう。

一刻も早い新型コロナウイルスの撲滅を願って・・・


代表社員 前原 幸夫
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2020年02月04日

2月の言葉!「エンディングノート」

私は今、私の町内会の会計というお役をお受けしています。
岡山市郊外の玉柏の河本という昔からの町内で180世帯くらいあります。最近新しい方も少しずつ増えて来ましたが、それでも何十年も住み続けている方がほとんどです。会計をやる前、今から10年くらい前、4年間会長を務めました。岡山市が勧める電子町内会という制度の為、私に白羽の矢が立ちました。私はAさんという方を推薦したのですが、Aさんはまだこの町内に来て日が浅いということでダメだと言われました。日が浅いって何年ですかと聞いたら、まだ30年くらいだいうことで少し驚いたことがあります。

 そんな昔ながらの町内ですが、昨年の決算(12月末日が締め)をやっていて初めてのことがありました。収入の部にいつも寄付金、しかも香典返しが必ず計上されていたのですが、なんと昨年はゼロ。亡くなった方がいなかった訳ではありません。何人いたか詳細は分かりませんが、皆さん家族葬で、町内にも亡くなった方の葬儀の案内をせず、身内で済ませたことによるものでした。確かに、亡くなってから何日もして、激しい方は何ヶ月もして亡くなったことを知り、香典やら弔問やらどうしようかと話し合った方もいたなぁと思い出しました。
ひと昔であれば、農作業を共同でやり、各家で毎月お講という集まりをし、ひとたび町内の方がなくなれば、それこそ町内総出で葬儀の準備、進行、後始末をしていたことを思い出しますが、えらく変わったものだと驚かされますし、少し寂しい思いもします。

近年家族葬が流行りです。それが良いとか悪いとか言うことは差し控えますが、私が若い時に教えてもらったことがあります。
「葬儀の連絡があった時は必ず参列しなさい、慶事は2度3度あるかもしれないが、葬儀は一回限りだ」と。同じ町内で昔から顔なじみの方、お世話になった方の葬儀にも出られないとは悲しく思います。
家族葬も葬儀屋さんに聞くと決まった形があるわけではないといいます。同居の方だけ、親族だけ、縁の深い方だけ・・・色々あるようです。家族葬の良い所は、ほんの少数の人だけで故人をしのべるという点にあると思います。
私も親戚の家族葬に行き、久しぶりに会う「いとこ」や他の親族と昔話に花を咲かせたこともあります。
また、費用の面や氣を使わなくても良い点、経済的にも精神的にも体力的にも負担が少ないことは良い事でしょう。



他方、参列できなかった故人の友人などは、葬儀の知らせを後日聞き、自宅を訪問したり、中には故人から自分の両親の葬儀の時には、香典をいただいたのにせめてと思う方もあると思います。
私の住む昔からの町内でも家族葬が増えているのですから、都会は…
と思い巡らします。

葬儀をせず直接火葬場へ行く直葬というのもあるようです。墓じまいなんて言葉もよく聞きます。
先祖、家族、地域そして子孫との繋がりが薄くなりつつあります。

人間は自分で生まれて自分で死んでゆくのではありません。親祖先の命をずっと受け継ぎ自分がおり、またその命を後世に繋いでゆきます。現世ではその命を近隣の方、地域の方に育み育ててもらいます。そして、その命を地域や日本、大きく言えば世界の為に使い役立ててゆきます。自分一人の命ではありません。その命が終る時、最後のけじめをしっかりつけることも大切ではないでしょうか。

故人の一生を讃美し感謝する式が葬式だとしたら故人の生涯を讃美し、感謝し、存在の証としての記念碑が墓だとしたら、葬儀やお墓に対する考えも少し変わるのではないかと思います。

私も自分の葬儀の事を考える年になりました。
しっかりとエンディングノートをしたため残してゆこうと思います。

私の命が永遠に残るように…



代表社員 前原 幸夫
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2020年01月01日

新年あけましておめでとうございます

 令和2年、令和になり初めての新春を皆様ご健勝にお迎えのこととお慶び申し上げます。
 昨年は平成から令和へまさに大転換の時でありました。平成の30年間スマホに見られるように我々は便利さ、効率の良さをどんどん追及してきました。いわば「やり方」の転換です。しかしこれもAIやロボットの出現により、もはや人以上にAIやロボットが仕事を行う時代になりました。囲碁や将棋などもAIの方が強いのです。自動車の運転や仕訳入力もロボットがやってしまいます。では人間は何をすべきでしょうか。令和の時代、自らのあり方、家庭のあり方、企業経営の在り方等々、やり方からあり方への転換を行う必要があります。そしてAIやロボットでできない人間の本当の仕事を見つけ出し、付加価値をつけ販売してゆかなければなりません。AIやロボットが行う業務は付加価値が低くなります。しかし、人間の行う仕事、あなたにしかできない仕事は付加価値が高くなってゆくでしょう。令和の時代、付加価値の高い仕事、業務へ転換が不可欠となってゆきます。そして災害や「もしも」に対する備えです。リスクマネジメントからクライシスマネジメントへの転換です。今や日本は地震大国、暴風雨洪水大国です。いつ自分の家、会社が壊れ水没するかわかりません。
又、今の国際状況はいつ何が起こるか予測不可能です。今まで仲の悪かった米朝が近づこうとし、今まで仲の良かった米中や日韓、米とEUが仲たがいをし、足を引っ張り合い経済の悪化を招いています。自社の壊滅的なダメージを受ける事を想定して物の備え、行動の備え、心を備えて行く必要があります。生半可な中途半端な備えではなく、徹底的な危機管理が求められます。
昨年の天皇陛下のご譲位ご即位それに伴う様々な式典、ラグビーのワールドカップ、渋野選手の大活躍、プレミアムベースボール大会等々、慶ばしいことの連続で、世の中は浮足立っています。
今年はいよいよ東京オリンピックです。マイナス金利状態が続き不動産投資や建築投資も盛んです。しかし、決して浮ついてはいけません。しっかり地に足をつけ前に進んで参りましょう。今の状態がいつ崩れるか分かりません。まさにクライシスマネジメント。今の延長線上に未来はありません。不連続の時代「まさか」に対応できる巾を拡げましょう。物(金)の準備、行動の準備、心の準備はその巾の拡さで決まります。想定するまさかの巾を拡げ対応の巾を拡げてゆきましょう。今年がその最後の年になるかもしれません。
出来るうちに日が高いうちに明るいうちに、しっかり着実に対応しなければなりません。
必ず朝が来ると同時に必ず夜も来ます。
今年一年が皆様にとってすばらしい一年でありますことをご祈念申し上げます。

令和2年 元旦 
税理士法人 久遠
代表社員 前原幸夫
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2019年12月03日

12月の言葉!「日暮れ前」

平成31年、令和元年も暮れようとしています。
歴史の大きな節目に立ち合うことが出来きた年であり、感動的な一年が終わろうとしています。

今年の新年のご挨拶で申し上げたように、日本の国柄を再認識した一年でした。日本人としての誇り、日本に生まれたことの喜びを充分堪能されたのではないでしょうか。

心配された消費税の増税、しかも複数税率の導入もなんとか対応されているようです。(地場の景氣も住宅建築を中心に底堅いものがあります)

天皇の御譲位、御即位等々の式典の他にも今年は日本として日本人としての一体感を醸成するイベントがいくつかありました。

ラグビーのワールドカップベスト8入りとか野球のプレミアムリーグ優勝とか、国民が一つになり、日の丸を握り応援し見事な成果を上げてくれました。特にラグビーは、にわかファンを増やし多くの国民をテレビの前に釘付けにし、魅了してくれました。ワンチームという今、日本国が、いや日本中の企業が家族が地域が一番欲っしているものを見事に見せてくれました。「こうするんだよ」「こうすれば一つになれるんだよ」と多くの国民に見せてくれました。
それは、明確なゴールをチーム会員が共有し、仲間を信じ、勇氣を持って全力で事にぶつかることです。全力で走ってくる100kgをはるかに超える巨人にタックルしてゆく。その勇氣、逃げない心、それをまず持つこと。そして自分の出すボール、蹴り上げるボールは必ず味方(仲間)がキャッチしてくれるという信じる心、そしてなによりトライするんだという強固な意志。しかもトライした後、ガッツポーズなどは見せず、トライ出来たのは仲間のおかげ様だと謙虚に喜びを仰え、まさにワンフォーオール、オールフォアワンの戦いに徹し切ることです。

なかには日本が南アフリカに勝った試合を「野球に例えるなら高校野球の県予選ベスト4の高校が、プロ野球ソフトバンクに勝つようなもの」と言った人もいました。

岡山出身の女子プロゴルファー渋野日向子選手の活躍も素晴らしいものがありました。まさに彗星のごとくプロデビュー後、勝利を重ね全英で優勝するなんて、本当にシンデレラガールです。
しかも誰をも魅了した笑顔。お母様が、あまり可愛くないのでせめて笑顔だけでもと厳しくしつけられたそうです。(あまり可愛くないとは余計ですが)しかし、いつもいつもそう簡単には笑えません。時にはうまくいかない時、人から悪く言われた時・・・色んなことが日常生活で起こって

きます。でも、なにが起ころうと笑顔です。これには笑顔を作ろうというエネルギー、力が必要です。そこまでしてと思うかもしれませんが、笑うことが習慣になることでツキを味方にできます。

「人生の質は笑う量による」と言う人もいます。「楽しいから笑うのではない 笑うから楽しい」と言う人もいます。

笑っている人としかめっ面をしている人、どちらと付き合いたいですか?どちらの商品を買いたいですか?
笑っている人の方に決まっています。そして自分の笑顔は周囲を明るく元氣にします。そしてツキが入ってくるのです。渋野選手がいい見本です。決して可愛くなくても決して上手でなくても、笑うことによりツキが味方になり、実力以上のものが発揮でき、美しさも増してくるのです。

笑顔は人間に与えられた能力であり権利です。

今年も外交問題はこじれ、ノートルダム大聖堂や首里城は被災し暴風雨は荒れ狂い大麻薬物汚染は拡がり、あおり運転、子どもの虐待、いじめ、暴力的な指導等々、暗いニュースも多くありました。
しかし、そんな世相を一蹴する笑顔、笑いで年を越してゆきましょう。

来年はオリンピックです。
来年もきっといい年になります。

良いお年を。


代表社員 前原 幸夫
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2019年11月01日

11月の言葉!「永遠のY」

令和元年5月1日 第126代の天皇陛下が誕生し、10月22日天皇が御即位されたことを内外に公に宣明される「即位礼正殿の儀が」行われました。
当日は朝から台風の影響による雨が激しく降っていたのですが、式が始まる午後一時頃には雨は上がり青空が拡がり、富士山が見え虹がかかったそうです。その時、東京から見えた富士山は初冠雪だったそうで、雨・晴天・虹・雪の富士山と日本のすばらしい自然そのものが天皇の御即位をお祝いしているかのようでした。
 式典の参列者は約2000名。外国の賓客も190ヶ国400名にのぼったそうです。 イギリスのチャールズ皇太子を初め、世界中の国々が一同に介し祝福したのです。
 なぜこれ程まで多くの国々がこの式に臨席されたのでしょうか。
それは、日本の皇室は世界の中で特別な存在だからです。
 2600年余り続いている皇室は他にはありません。この皇室に対する敬意の表われです。それはもちろん日本や日本国民に対する敬意でもあります。
国際的には敬意の象徴はその国(王室)の長さ伝統です。当日夜に行われた「饗宴の儀」の天皇陛下のお隣、主賓の席はブルネイのボルキア国王であり、皇后陛下のお隣はスウェーデンのグスタフ国王でした。
 参加されていた国王国家元首の内、在位が最も長いのがボルキア国王、その次がグスタフ国王だからです。
 ちなみに、日本国の天皇は初代神武天皇が即位され2679年ですが、2位はデンマーク約1000年、イギリスは約950年、アメリカにいたっては240年程です。
 しかも、日本の天皇はただ長いというだけではありません。126代全ての天皇は男系だということです。男女平等の世の中に、なにが男系かといわれる意見も多くあり、又、最近の世論調査でも女系天皇を容認する意見が多数派です。
 しかし、男系天皇でなくてはならないのです。「いままでそうだったからこれからも」ではありません。
 男系天皇ということが日本のあり方、日本の国がら日本の本質、日本の寄って立つ拠なのです。
 女性天皇は過去もいらっしゃいましたし、今でもありだと私も思います。しかし、女系天皇はいらっしゃいません。女性天皇も男系であることが必要ですし、今まではすべて男系でした。
なぜ男系でなければならないのか。それは、天皇のお役目責務がそうさせるのです。天皇の真の使命は祭祀です。日本は祭りの国です。全国各地でさまざまな祭りが行われます。その土地その土地で人々の絆を育み、住民の安寧や幸を願い、五穀豊穣を祈りそして感謝し、時には罪やけがれを祈りにより祓うのです。その頂点に立つ方が天皇です。



「国安かれ民安かれ」と毎日毎日神に祈り民の喜びを、そして民の苦しみも、自分の喜び苦しみに置きかえ、日本国を日本国民を守り続ける使命が天皇にはあります。
 己れを無にし、100%公的な存在であり、私的な時間は持たず、すべて公の時間として己を律し、超世俗的な公的な存在が求められるのです。
 この条件を満たすには一朝一夕で皇室になった者で果たせるはずはありません。(失礼ですが小室さんのような?)
 皇統、万世一系の血筋が必要なのです。もっというと遺伝子が必要なのです。学習して得られるものではないものであり、生まれた時には既に持ち備わっている国民に対する慈悲の心、慈愛の心、いたわりの心、寄り添う心・・・様々な精神力、心(神)力が天皇には必要なのです。
男性と女性と染色体が違います。
男性はYとX、女性はXとX。男性の持っているYと女性のXが結合されれば、男性が生まれ、男性のXと女性のXが結ばれれば女性が生まれます。すなわち、男系ということは万世一系ということは、このYの染色体の遺伝子を脈々と引き継いでいる。126代2600年遡れば、このYは神武天皇がお持ちだったYにつながることを意味するのです。
 他のYではだめなのです。永遠のYが必要なのです。

最後に1922年日本を訪問したアルバート・アインシュタイン博士が早稲田大学で行なった講演をご紹介します。

1922年、日本を訪問したアルバート・アインシュタインは、早稲田大学の大隈講堂で行った講演で次のように語っている。
「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。果せるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通じて一系の天皇をいただいていることが、今日の日本をあらしめたのである」

 天皇は日本のみならず、人類共有の貴重な財産です。それは日本の自然の摂理と社会の仕組から生まれた「和」の日本文化の象徴であり日本文化であり、日本国そのものなのです。



代表社員 前原 幸夫
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2019年10月02日

10月の言葉!「コスモロジーの創生」

「親が幼い子を虐待死させる」「子が親を殺す」「あおり運転」といろいろ新造語が作られるくらいストレスを受けながら運転し、少し氣に入らないことがあれば威嚇し暴力を振う、挙げれば切りのないニュースがあふれています。
「今、これを直さなければ日本という国はこの地上に存在する意味がない。」そんな念いでペンを走らせています。せかっく令和という新しい時代を迎え「和を以て貴しとなす」の世を創っていこうと国民が決意している内での出来事です。何をすればいいのでしょう。何を変えればいいのでしょう。それはずばり!「人間観」「人生観」「死生観」等々を含めた宇宙観すなわちコスモロジーの変革ではないでしょうか。我々は産業革命以降、物質的な豊かさばかり追求してきたように思います。そして、近代科学は人間をより豊かに便利にしてきました。しかし、モノというものに偏りすぎたため、人間もモノだとして捉えてしまったようです。
人間はモノに過ぎないという唯物論です。私も学生時代、左翼的思想を持っていましたのでよく分かります。この世は目に見える世界のみであり、目に見えない世界などない。目に見えない世界の存在を認知する心も、脳の働きであり脳もモノであるから、死と共に消滅してします。全て物質であり精神的なもの絶対的なものはない。
この世はモノの存在を通してモノがなくなるまでの生命であり、相対的な意味、価値しかない。だから、人間も絶対的なものではなく、人生も絶対的な価値、絶対的な意味を持たない。死んだから終りになる程度の価値を持った人間だから、生まれた意味も生きている意味も死んでゆく意味もない。ただモノとしてある時間をなんとか氣晴らしで過すしかない。自分が一番大切にしている一番楽しいことをして過す(相対的価値観)自分だけの価値観ですから、それが他人に受け入れられなくとも構わない(丁度、ゴミ屋敷の住人のようにゴミでいっぱいの自宅に住み、これはゴミではないと言い張り、周りの住民の迷惑を顧みないように)自分だけというエゴイズムが拡散してゆくのです。
自分は所詮、この世から消えてなくなってしまう存在だから、命ある限り、エゴと快楽で生きようと考えるのは辛いので、エゴや快楽を生きがいと置き換えて(ごみを集めることが生きがい)ぼやかして生き延びているのです。その置き換えがうまくいかなくなった時、人は自殺を考えるのではないでしょうか。ではどうしたらいいのでしょう。それは、コスモロジーの変革、宇宙観の変革です。この世は、私の存在はバラバラに存在しているのではなく、一体一つながりの存在なのだという自覚です。事実、1947年ガモフの「ビッグバン仮説」により、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったものであり、全て宇宙は一つであると説きました。
人間が精子と卵子の結合により、一つの細胞が出来、それが分裂し、手足顔・・・が出来ているように、元は一つなのだということです。細胞が分裂し、眼が出来ました。眼そのものはそれだけ見ると全体ですが、顔と 

いう全体から見ると部分です。顔も全体ですが、身体から見ると部分です。私の身体も全体ですが岡山市という全体から見れば部分です。岡山市も全体ですが、日本という全体から見れば部分です・・・宇宙は一つだからです。
あたかも地球上に海というものがあり、海上に露出している部分を見れば、別々の島であり国に見えますが、目に見えない海の底では全てが繋がり一つであるように。さらに一つのものだから、目に見えない世界では繋がっているのだから、「死んだら終り」ではなく「生命は生き続ける」という確信です。これも科学的に言えば、アインシュタインの相対的理論です。詳しいことは分かりませんが、宇宙のエネルギーの総和が一定のものであれば、私が死に65kgという質量を持った人間がいなくなれば、宇宙のエネルギーは65kg分減少するはずです。しかし、変わらないというのは私が姿を変え、私のエネルギーはこの宇宙のどこかに存在しているからです。心というエネルギーで存在し続けるのです。しかも地球上、生命が誕生した40億年生き続けているのです。これは、最近のDNAの研究で明らかにされているそうです。死んだら終りではなく、宇宙という故郷に還るだけだそうです。このDNAの研究により、地球上の全ての生命のDNAはたった一匹の単細胞微生物に遡るそうです。つまり、全ての生命が一つの家族なのです。しかも、その家族は互いに補い合いながら生き続けています。「食物連鎖」つまり、食べて食べられて・・・という関係があり、自分は他者のためにこの世に生まれて生きている、そしてその役割を終えたら宇宙という故郷に帰り次の役割を持つ、そんな存在なのだということです。
この宇宙観から見れば、40億年という宇宙のビッグバン(進化)のその方向性に沿った生き方(あるがまま)が善であり、その進化の方向性から逸脱すること(わがまま)が悪であるという結論が出ます。すなわち、絶対的価値観の創造です。この宇宙は目に見える世界は、仮の姿であり目に見えない世界こそ真の世界である。この宇宙は始めは小さな一つの塊であったものが、ビッグバンとしてだんだんと大きくなりエネルギーの歪曲により、様々なものが存在しているが、元は一つのものであり、互いに補完補充し合い、数億年も生き続け又これからも生き続けてゆくものです。そう考えれば、心は脳の働きではなく、宇宙エネルギーの最高傑作であり、宇宙進化の極みであると言わなければなりません。心こそが宇宙の一部であり。心が宇宙を宇宙として認識していることになるのです。

我々は、宇宙の一部であり、過去・現在・未来と生き続ける心を他の生き物・物体と相互補充し合う心であると捉えれば、今のままの心でよいのでしょうか。エゴと快楽のみを求める心でよいのでしょうか。今こそ、宇宙という絶対的なものを認識し、絶対的な価値観を創生する時なのかもしれません。

代表社員 前原 幸夫
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2019年09月03日

9月号の言葉!「スマイル シンデレラ」

今、日韓問題が騒々しい限りですが、ことの発端は戦時中、朝鮮半島出身の「旧民間人徴用工」をめくる韓国内での裁判でした。
日本の戦後補償は、1965年「日韓請求権協定」で全て解決済とする日本に対して、韓国の最高裁は2018年「戦時中に強制的に日本で働かされた」という労働者に日本企業が補償金を支払うという判決を出しました。国としての請求権は解決済ですが、個人としての請求権、企業としての支払義務は解決していないという理屈です。
韓国人に補償が必要なら、日本が多額のお金を韓国に支払っているのですから、その中から支払えばよいとするのが日本の立場で、実際1965年日韓基本条約により国交が正常化した時、約11億ドルにものぼる補償が行われています。
これは当時の韓国の国家予算の2.3倍。日本としては外貨が18億ドルしかない時代、まさに身を切る出費だったわけです。
なぜこんなにも韓国は日本に補償を求めるのでしょうか。
今、日本と韓国で懸案となっている問題は大きく6つあります。
1.竹島問題
2.慰安婦問題
3.徴用工問題
4.貿易問題
5.日本海呼称問題
6.仏像盗難事件
もっともっとあるのかも分かりません。
これほど今、日韓は関係が崩れています。それは、日本人の韓国国民に対する感情の崩壊、同時に韓国国民の日本国民に対する感情の崩壊なのでしょうか。今に始まったことではありません。
2013年 韓国内で日韓併合を生きた95才の老人が「日本の植民地時代は良かった」という発言をしていたら、30代の男がその老人の枝を奪い撲殺したという事件が起こりました。実際に経験した人の話を実際に経験していない人が力で押し殺す象徴的な事件です。
なおかつ、その30代の男性の刑罪は懲役5年という軽いものだったそうです。これを韓国の新聞は重刑と書き、ネット上では犯人を擁護するコメントに満ち溢れたということです。
様々な問題の根底には日本が韓国を併合していた35年(36年という人もいます)すなわち、1910年〜1945年までの35年と11日 日本は韓国を併合していました。すなわち、韓国は日本でした。韓国人は日本人だったのです。しかもその間、日本は韓国に対して、様々な改善、改革を行います。
しかし韓国はそれを七奪と言います。「すなわち日本は韓国から7つのものを奪った」と。7つのものとは、「主権」「国王」「国語」「人命」「姓名」「土地」「資源」の7つです。日本から言うと奪ったものは何一つありません。当時、清の属国であった朝鮮を日清戦争により独立させ主権を与えさせたのです。大韓帝国の始まりです。ただ日本もロシアに歩み寄ろうとする大韓帝国に対し、日露戦争が起こり、1905年 大韓民国を保護国とします。当初、併合までは考えていなかった日本ですが、1909年併合に反対していた伊藤博文が朝鮮人に暗殺されて一氣に併合へ舵が切られました。「主権」をはじめ、日本は何一つ奪ってはいないのですが、作家 百田尚樹氏に言わせれば、あまりにもおせっかいが過ぎたといいます。韓国人の氣持ちも考えず日本流にあまりにも余計な事をし過ぎたため、韓国国民が日本に嫌悪感を持ち反日的な行動に走らせたというものです。
先日、清水英雄先生から一枚のFAXが送られてきました。読売新聞の8月18日の記事でした。そこには14代沈寿官(本名 大迫恵吉)さんのことが取り上げられていました。
16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れてこられた陶工を開祖する薩摩焼宗家の14代当主の方だそうです。今から50年程前、ソウル大学に招かれた時、日本に統治された35年の圧政を語る学生に対し、未来志向の重要性を説き「あなた方が35年を言うなら私は370年を言わなければならない」370年とは沈さんの先祖が日本に連れてこられて過ごした年月です。
日韓両国を「私の人生を豊かにしてくれた2つの祖国」と語り文化的交流の重要性を説きお互い認め合うことで新しい関係を創っていこうというメッセージが込められていました。
今、日本と韓国の関係は悪化の一途をたどっています。お互い非難合戦、中傷合戦です。百田尚樹は「ごめん、そしてさらば」と言おうといいます。しかし、私は更に続けて日韓関係、もっと言えば中国ロシア、アメリカ等々に対しても日本が真に尊敬される国になる必要があるのではないかと思います。
経済面で優位に立つことはもはや無理があります。札束で他国の頬を打つなどということは、今の日本には出来ません。ならば、日本が古来より持ち続けている精神的、文化的な面で優位に立ち韓国はじめ諸外国から尊敬される国になる道しかないのではないでしょうか。道義や倫理にあふれ地球上一番笑顔に満ち溢れ、誰もが喜びに満ち溢れ働いている姿を全世界に見せることです。
その為にもまず、日本の歴史をしっかり学び正しい歴史認識を持ち日本国民、日本国に対し尊敬と敬意を持つということです。そのことは裏返して他国をべっ視し、卑下することではありません。まず、自らの国を尊びそれにより他国をも尊べるということです。笑顔、喜び、幸せに満ちた日本を、令和の時代に導き上げてゆきましよう。幸せ度ナンバーワンの日本国が幸せ度ナンバーワンの地球を創り上げます。
代表社員 前原 幸夫
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2019年08月01日

8月号の言葉!「やればできる」

10年ぶりに中国の内モンゴル、ゴビ沙漠の一つ、クブチ沙漠とウランプハ沙漠へ植林のために行って参りました。

7月4日に福岡空港を立ち、北京一泊、翌早朝に北京を立ち、クブチ沙漠の恩格貝へ。ここで「地球倫理の森」創成プロジェクト20周年の祝賀会を行い、翌7日、ウランプハ沙漠へ移動し、植林を二日間、また、北京に戻り、翌日帰国というハードなスケジュールでした。

(一社)倫理研究所が行っている植林活動は20周年ですが、この植林の生みの親、故遠山正瑛氏が最初に沙漠へ植林に行ったのは、今から約35年前、遠山正瑛氏が80才の時でした。
その頃の内モンゴルは、中国政府も沙漠化を食い止められず、街は激しい砂嵐によりゴーストタウン化し、2,000万人以上の人々が飢えた難民となっていた、「死の土地」でした。
しかも、クブチ沙漠だけで、四国ほどの面積があり、その中を遠山先生はスコップ一本を持ち、日中40度を越える中、毎日数十キロ歩き、手作業で水源を探り木を植えたといいます。それが今の恩格貝というところです。

10年前にも一度行ったことがあるのですが、その時とは様変わりし、ポプラは幹が太く背丈も20〜30mと成長し、周囲は青々とし、今や中国の子供さんの研修の地になっているということ。本当に驚きました。ここ恩格貝での植林作業は沙漠へ到達するまでの距離が長すぎるため、今はここから3時間ほど奥地に行ったウランブハ沙漠で行っているとのことです。(もちろん我々の植林もウランブハで行いました)

10年前とは見違える沙漠、いや緑の大地です。包頭(パオトウ)という飛行場のある都市から恩格貝まで10時間以上かかり、黄河を渡るときには、バスから降り、(バスが浮橋を渡るため重量を軽くするため)悪路をバスに揺られながら行っていましたが、今は高速道路がつき、約3時間で到着。そのバスから見える光景も、延々ととうもろこし畑や野菜畑が拡がり、遥か彼方まで太陽光発電の施設が拡がるという有様です。かつての沙漠は豊かな大地と変貌していました。





10年前は帰国の途につく時、現地の人々に汗まみれの下着をおいていって欲しいと頼まれ、こんなものでいいの?と思いながら、下着を置いて帰った記憶もありますが、今はそんな必要もなく、家も前は泥を塗りたくったような家でしたが、今はカラフルな立派な家が立ち並び、車もあり、本当に豊かな生活になったんだなと実感しました。

これも、何も取れなかった沙漠から緑の豊かな大地になったご褒美なのだと確信しました。今は、青々とした森がどこまでも続き、とうもろこしが実り、水路がはりめぐらされ、交通道路が引かれている沙漠ですが、遠山先生が着手した35年前は全くの沙漠。木が一本も生えていない沙漠でした。

ここに80才の老人が一本一本ポプラを植え、多数の日本人が中国に渡り、これを支援し今では中国の国家的行事となっているようです。
最初の一本。これを植えようと思う意志の強さ、志の高さ。これには敬服以外の何ものもありません。中国で生前に銅像の立った人物は二人。一人は毛沢東、一人は遠山先生だそうです。

緑豊かな恩格貝にその遠山先生の銅像はあります。
2004年(平成16年)2月27日97才で亡くなられました。

スコップを持ち、ポプラを植えておられました。スコップを持った先生の像は、青々とした沙漠の方を向いて微笑みかけているように見えました。

そして
「やればできる やらなければできない」
「やめた時が失敗 やり続けていれば成功」
と我々を励ましているようでした。





代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月02日

7月号の言葉!「チャリティー二人会」

令和元年6月1日 私どもの創業満34年でした。

毎年なにがしかのイベントを行っているのですが、今年は倉敷、特に真備町の水害もあり倉敷でチャリティー講演会を企画しました。

真備町は私の母の実家のある町で、幼いころから交通の便が悪い母の実家へ手を引かれながら歩いて通った記憶があります。ですから、あの水害の映像をみて、あつ有井だ、辻田だと地名が出てくるくらい、鮮明な記憶のある町です。倉敷の復興に少しでも協力したいという念いでの今回の企画となりました。

講師の方、内容をどうしようと思っていた3月9日(ありがとうの日)東京で清水英雄先生が主催する有賀燈の会があり、そこに檜山うめ吉さんが参加されていました。檜山うめ吉さんは倉敷市出身であり、現在倉敷市の観光大使を務めており、出会った瞬間「この人だ」と直感し、6月1日のオファーをし、快諾をいただきました。

着物で日本髪を結い、三味線を弾き、端唄・民謡・都々逸等々。純和風のアーティストであり、日頃なかなか接することのない世界と思い、当日を楽しみにしていました。

私も、うめ吉さんの三味線で都々逸を練習したことがあり、日本文化ともいえる粋な世界は日常の憂さを忘れるには絶好のものですし、又、日本人を自覚するのに十分なものがあります。
ちなみに、都々逸は、江戸時代末期、初代都々逸坊扇歌(1804年〜1852年)によって、大成された口語による定型詩七・七・七・五が基本で、寄席などでは演じられることもあるようですが、今ではあまりなじみのない俗曲となりました。

主に男女間の恋愛を題材としたものが多く粋な世界がそこにはあります。少しご紹介すると、

 惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
いやなお客の 親切よりも 好いたお方の 無理がよい
 あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
 あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
サザンオールスターズのこんなものもあります。
恋の花咲くロマンの都 女ばかりに氣もそぞろ 
夢もほころぶ小意氣なジルバ君と銀座のキャフェテラス

高杉晋作の有名な都々逸
三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい

当日は約一時間、俗曲を解説しながら唄ったり踊ったりと日本の古典芸能の世界を満喫させていただきました。

会場はお陰様で超満員。チャリティーということをしつこくアナウンスしたため、募金額も213,855円とかなりな金額に達しました。それに私どもの社員そして会社からも捻出し、合計100万円を、6月13日に倉敷市の方へ寄付させていただきました。当日は伊東市長自ら受け取っていただき、「まだ、仮住まいをされている皆様方のご支援に使わせていただきます」というお言葉をいただきました。

その折、小田川の決壊箇所の修復工事がやっと終わったところですというご報告もいただきました。
晴れの国岡山は災害とは無縁の地と私自身も思っていましたが、かくももろくも、崩れ去った今、まさかは常に起こると心して対処する必要を再び確認させていただきました。堤防は水の侵入から我々を守ってくれているのではなく、
水の侵入する時の避難する時間をかせいでくれていると心して対応しなければなりません。また7月6日7日がやって来ます。
どうか、自然の力を甘く見ず、早めの対応を心がけましょう。


6月1日 チャリティー二人会へのご協力に心より感謝申し上げます。





代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 15:34| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月03日

6月号の言葉!「ヒカリ届けます 遥かカナタまで」

ヒカリカナタ募金いうNPO法人が岡山にあります。
これは発展途上国の盲目の子どもたちを手術により目が見えるようにしよう、そしてその手術費用を皆様からの寄付によって捻出しようと、意図して創られたNPO法人です。これまでに125人の子供さんの目が見えるようになったとのことです。

理事長は竹内昌彦先生です。先生も全盲です。
1945年、お父様の赴任先である中国天津で生まれ、終戦を迎え、日本に引き揚げてこられました。その船中、肺炎を患い瀕死の状態で帰国、その高熱が原因でほとんどの視力を失い、その後完全に失明。 

東京パラリンピックで金メダルを取られた後、盲学校の教師となられ結婚。そして長男誕生。しかし、長男は重度の脳性小児マヒに侵されており、7年後には余りにも早い別れ。岡山盲学校で教師を務める傍ら、「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに講演活動を続けられ、
その後20年でなんと2000回。私も今から30年程前、岡山ももたろうL.C主催で、先生の講演会を企画させていただいたのが最初の出会いでした。

そうした収益金や寄付金などを基に、2011年にモンゴルに盲学校を設立、また2015年にはキルギスにも設立し、発展途上国の目の見えない人々の自立支援に携わってこられました。ある時、その盲学校に入学希望する全盲の子供たちの中に、手術すれば治り、目が見えるようになる子どもたちがたくさんいることに氣づき、手術費用を集めるために「ヒカリカナタ募金」を設立されました。

今まで125人が手術を行い、目が見えるようになりました。手術すれば目は見えるようになるのに、その手術代がないのです。
しかも、程度の差はあるものの、手術にかかる費用は日本円で1人3万円前後です。手術すれば治るのにその子も辛いでしょうが、その子供さんに寄り添うご両親は一層辛い思いをされていることでしょう。

愛する我が子のために、手術代を用意することができない。どんなに悲しく辛かったことかと思います。




125人のうち一人、ミャンマーのヤンゴン国立眼科病院で手術をし、目の見えるようになったピピ君(8才)影像がHPにあります。

手術が終わりその翌日、目を覆っている厚い包帯が取り除かれます。「こわいこわい」と目をなかなか開けないピピ君。
「目を開けてごらん」と促されやっと目を開けます。
医師が手を拡げ何本?と問いかけます。ピピ君は「5本」とはっきり答えます。その傍らで、心より喜び抱きついてゆく老婆の姿がありました。なんとも感動的なシーンです。

老婆は言います。
「この子の目が見えないと分かった時、この子より先に死ねないと思いました。私が死んだら誰がこの子を守ってくれるのかと。この子に将来の希望が持てました。こんな日が来るなんて」と満面の笑みです。

3万円の浄財は、この少年の目を見えるようにしただけではありません。この少年やそれを取り巻く多くの人々を絶望から希望へと導いたのです。3万円は決して少額ではありません。しかし、今の日本の人々の3万円とモンゴルやキルボス、ミャンマーの人々の3万円とは大きく違います。どうか、少し生活を切り詰め、ほんの少し節約いただき、厚かましく振替用紙を同封していますが、ヒカリカナタ募金への御寄附をお願い申し上げます。


「ヒカリ届けよう 遥かカナタまで」






代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 16:19| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする