2016年04月04日

4月の言葉!「昭和天皇の戦後」

「昭和天皇の戦後」

昭和20年8月15日ポツダム宣言を受諾して、大東亜戦争は終わりました。
無条件降伏といういまだかつて日本が経験したことのない状況に、天皇は自らの命をかけて国民を守ってゆかれます。
 昭和20年9月27日に食糧難であえぐ日本国民の窮状を救うため、GHQの最高司令官マッカーサーを単身で訪問されています。
マッカーサーがパイプを口にくわえ、昭和天皇と写っている有名な写真の撮られた日です。マッカーサーは昭和天皇が命乞いをしに来ると思い、面談の前にあの写真を撮らせました。しかし、実際に昭和天皇の発せられたお言葉は、
「私は戦争遂行にあたって、政治軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした。」と、今回の戦争の全ての責任は、昭和天皇ご自身にあるとした上で、
「私については、思うままになされて良い。私を絞首刑にしても良い。しかし、私の国民を飢えさせないで欲しい。」
 そう言って、マッカーサーを驚かせただけでなく後日マッカーサーをして、
「人間は所詮、欲にどこまでもつかまっているものであるから、人間が人間を救うことはできない。
神のみが人間を救い得るものだと思っていたが、日本の天皇はまさに自分の欲望を一つもお持ちにならないということを発見して、こういう立派な人が天皇である以上、この天皇によって日本国民は救われるであろうと思った。必ずお守りする。」と言わしめ、食糧の緊急援助を行なったのです。

昭和21年の元旦(終戦の翌年)の御製
     ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
       松ぞををしき 人もかくあれ
      
 戦争により、先祖からの領土を失い、多くの国民の命も奪われ、未曽有の国難に対し、昭和天皇はご退位もお考えになったと言います。しかし、今こそ天皇の責任を考えた時、それは退位することではなく、日本国民を慰め励まし生きる勇氣を与え、復興に立ち上がってもらうことこそが、自分の責任と思われ、昭和21年2月19日を振出しに、日本全国を隈なく歩く、巡幸が始まりました。
 以来、昭和29年8月北海道まで沖縄を除く、46都道府県3万3千キロに及ぶ壮大な旅が行われました。
 しかし、その旅は、ある時は列車の中で、ある時は学校の教室の板の間に泊まり、猛暑の中、厳寒の中、行われました。広島では、7万人の群衆が歓喜の涙を流したと言います。
 
     ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ
       たちなほる見えて うれしかりけり(昭和22年)

 水戸の町では槌の打つ音に、

     たのもしく 夜はあけそめぬ 水戸の町
       うつ槌の音も 高くきこえて   (昭和22年)
 しかし、まだまだ国の状況は良くなりません。又、日本に未だ帰還できない人も多くいます。

   うらうらと かすむ春べに なりぬれと
       山には雪の のこりて寒し (昭和23年)

     国民(くにたみ)と ともにこころを いためつつ
       帰りこぬ人を ただ待ちに待つ(昭和24年)
 
しかし、翌年昭和25年の歌会始めでは、

    もえいづる 春の若草 よろこびの
      いろをたたへて 子らのつむみゆ

と、日本の新世を萌え出づる若草にたとえられ、再建の希望の光が見えかけていることが感じられます。
そして、奈良のご巡幸では、

   古の 奈良の都の をとめごも
    新しき世に はた織りはげむ (昭和26年)
と詠まれ、この年日本の主権が回復されるサンフランシスコ平和条約の調印を寿(ことほ)ぎ、日本の再建を確信された念いが伺いしれます。

   空高く 生ひしげりたる 吉野杉
    世のさま見つつ いく代へぬらむ (昭和26年)

昭和27年4月28日 サンフランシスコ平和条約発動の日、待ちに待った日本の主権が回復した日でした。
    風さゆる み冬は過ぎて まちにまちし
      八重桜咲く 春となりけり  (昭和27年)
   
    国の春と 今こそはなれ 霜こほる
      冬にたへこし 民のちからに (昭和27年)

    (霜まで凍る冬の厳寒に耐えた国民の力によってやっと国の春が来た)

それを機に日本はめざましい経済発展を遂げてゆきます。

    さしのぼる 朝日の光 へだてなく
      世を照らさむぞ わがねがひなる (昭和35年)


 東京オリンピック開催では、
 
    この度の オリンピックに われはただ
      ことなきをしも 祈らむとする (昭和39年)

そして万博、

    きのふより ふりいでし雪 はやはれて
      万国博開会の 時はいたりぬ  (昭和45年)

終戦から占領、日本を覆っていた雪がようやく晴れ、世界の国々と肩を並べるまでになりました。
まさに時は至りぬです。
 そしてその年は昭和天皇70御賀の年でもありました。

   ななそぢを 迎えたりける この朝も
    祈るはただに 国のたひらぎ (昭和45年)

   よろこびも かなしみも 民と共にして
    年はすぎゆき いまはななそぢ (昭和45年)



日本の国柄とはどういうものでしょうか。
わが国は四方を海洋に囲まれ、国土は南北に連なり、豊かな自然に恵まれ、その恵みを八百万の神々に感謝し、自然と共生しつつ、農耕民族として「和の文化」を育み、培った国です。
そして、天皇が国民を我が子のように慈しみ、国民の苦しみを我が苦しみと捉え、国民の安寧を神に祈り、神の御心を以って国民を幸せにし、国民は天皇家からあふれ出る徳を以って、生活の規範とし、天皇と神と国民が一体となって栄えてきた、いや、これからも栄えていく国家なのです。

                      



                                 代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 19:30| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする