2016年07月05日

7月の言葉!「救急車にて」

「救急車にて」

「ピーポーピーポー」遠くで救急車の鳴る音が聞えます。おぼろげな意識の中であれが私を迎えに来てくれている救急車かと思って横たわっていました。

 6月16日、私は里庄支社の一泊二日の真鍋島での社員研修に参加する為、笠岡港にいました。
 その日、朝起きた時から体がだるく、あまり暑くもないのに汗はかくし、生あくびは出るしという状態でした。講師の先生を迎えに岡山駅へ行く必要もあり、「すぐに良くなるわ」という、いつもの調子で朝8時自宅を出ました。岡山駅で先生をお迎えし、笠岡港を目指しました。
 途中、私の異変に氣付かれた講師の先生が、「運転を代わろうか」と、おっしゃっていただくぐらい顔の色は青ざめていたようです。
 それでも何とか笠岡港に着き、いざ上船という時、吐血。周りの人々のおどろいた声がします。
 「血だ、血だ!!救急車、救急車!!」私は、今までに経験したことのない体のだるさを感じながら横たわったまま、薄れてゆく意識の中でいろんな方の大きな声が幾重にもこだまのように遠くに聞いていました。
 どれくらい待ったか分かりませんが、救急車が到着し血圧を測り、いろいろと問診を受け、行く病院に連絡をしてくれています。まず、倉敷中央病院に連絡しましたが、できれば他を当たって欲しいということで、川崎医大へ。
 こちらもドクターヘリの準備があるとかでダメ。もう一度倉敷中央病院へねじこんでもらいました。
 この間のやり取りが丸聞こえ。意識は薄いながら少し不安にもなってゆきます。
 救急車は高速道路をはしり、一路倉敷へ。
 その間、救急隊員の方は優しく救護してくれました。時には励ましてくれたり、時にはあと少しだからと勇氣づけてくれたり、日頃お世話にならない、それどころか車を運転していると邪魔者扱いをしてしまいがちな、救急車に本当に良くしていただき、心より感謝です。
 途中、血圧が急激に下がり体温も低くなるのを感じ、人間の最後とはこんなものかと覚悟を決めた一瞬もありましたが、無事、救急車は病院に到着。すぐに治療が開始されました。
 集中治療室に入り、胃カメラをゲェゲェいいながら飲み、氣付いたら病室。外は暗く女房が心配そうに私の顔をのぞきこんでいます。
「日頃、私の言うことを何も聞かないから」とか、「これからはムチャはやめなさいよ」とでも言っているような微笑みを投げかけてくれます。それを見てこちらも腹の痛さを感じながら微笑んで返します。
 開業して30年、土日も休まず、朝4時半に起き、昼食は食べますが、休憩も取らず働き、夜は毎日酒を飲む。 そんな生活、そんな毎日でした。(酒は40年になりますが)
 体にいいことは何一つしていないと、女房に言われるまでもなく、反省しきりでした。
 言い訳になりますが、40年間の不摂生を詫び、身体をリフレッシュしようと、まさに前日、OSKのプライベートレッスンに通いかけたばかりでした。
 今のままでは良くないという自覚が当然ありましたが、結局それも間に合わず今回の吐血となったようです。

 入院1週間もすると胃も良くなり、食事も重湯から全粥となり、そろそろ退院かと思った頃、どうも目の調子がよくありません。新聞の文字がよく見えません(いや、見える部分と見えない部分があります)。
「えっ!」と思い先生に相談すると眼科は異常なし。MRIをとると、何と脳みそに白い部分が出ています。
 軽い脳梗塞です。これにも又びっくり。何と厳しい顔をしたお医者様の口から「もし、もう少し別のところだったら半身不随ですよ」とのこと。
 幸にも、少し視界が不自由ですが、五体満足。その治療をするため、消化器病棟から脳神経病棟へ移動です。病棟のハシゴってのを初めて経験いたしました。
 今日6月25日、あと一週間〜10日の入院検査が必要とのこと。

 この本氣が皆様のお手許に届く頃には、63年間の身体にしみついた汚れやウミをしっかりきれいにして、退院している頃だと思います。何かとご不便をおかけいたしますが、何とぞご容赦下さい。又、元氣で顔晴ります。
                                代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 11:25| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする