2016年11月04日

11月の言葉!「捨てる髪あれば拾う髪あり」

「捨てる髪あれば拾う髪あり」

 最近、ヘアースタイルを変えました。今までは、高校2年から左七三分けを通してきましたが、この度バッサリ(というほどありませんでしたが)切って、ほとんど丸刈り状態になりました。
 中学から高校2年の途中まで丸刈りだったように記憶していますが、それから63才の現在まで約45年間慣れ親しんだへアースタイルに別れを告げました。  
会う人会う人面白おかしくちゃかされたり、もしかして脳梗塞の手術でもしたのではないかと思われたりしていますので、経緯をご説明しておこうと思います。
 
 既に本氣9月号に書きましたが、6月16日から20日ばかり入院をしていました。その後遺症で今でも目の見え方は少し見づらい箇所があるのですが(もちろん生活に支障はありません)、なぜこんなことになったのかベッドの上で考えてみました。
 一つは、既に書きましたが、静の働き、陰の働き、すなわち休むということを非常に粗末にしていたということ。もう一つ、天は前原幸夫という男に100%の身体的能力を与えると120%無理をしてしまうので、80%の機能にしてやろうと思ったのではないかということです。目を少し見づらくし80%の機能にして、それでちょうど100%の力で生き抜いていけると少しハンデをかけたのではないかということです。
 
 ならば、外見も80%にしてみよう。不要なところあまり重要でないのにこだわっているところ、そこを削ぎ落としてしまおうと考えました。そして思い至ったのが頭髪でした。
 7月5日、退院の翌日、理容室へ直行し刈ってしまいました。
 刈って感じることは、もっと早くやればよかったということです。こんなに生活が楽になるとは思いませんでした。朝ドライヤーを使い寝ぐせを直し整髪をする必要もありません。分け目がキチッとなっているか心配することもありません。クシを使えば髪の毛2〜3本抜けてしまいます。ドキッとすることもありません。汗をかけばすぐ顔を洗うごとく一緒に頭も洗えます。風呂も洗髪しない分早くなります。乾かす必要もありません。ヘアートニック、リキッドもいりません。
1瓶12,000円もする育毛剤もいりません。毛髪にかけていた時間、お金、氣づかい、大幅になくなりました。
しかも、お世辞半分でしょうが、若くなったと大評判です。
 
「得るは捨つるにあり」という言葉があります。生まれた時には丸裸、髪の毛もほとんどない。それが服を着、少しばかりのお金や車など物を持ち、知恵をつけいろん
なものを自分のものとして成長してゆきます。
 成長する、年をとるということは、いろんなものを持つ、身に着けるということかもしれません。
 しかし、生まれた時の自分は丸裸、死んでゆく時も何も持ってゆけません。
焼いてしまえば髪の毛も煙となって消えてしまいます。
 人は、いろんな物をいろんな事をいろんな知識や知恵を持っているようで、実は皆借り物なのではないでしょうか。
 本当の自分は丸裸、何も持っていないのです。だから髪の毛をほんの少し刈っただけでこんなにも氣が楽に生きることが楽しくなるのです。(本当の自分に近づくから)

 丸山敏雄は言っています。
「世には「捨て身」などという言葉があって、何だか物すごいように聞こえたり、そんな事ができれば偉そうに見えたりするが、実は人はいろいろなものを持っているように思われていて、ほんとうは何も持っていないのである。持っているように見えるものも、取ればなくなる、捨てれば減る。そんなものは、我が物でもなんでもない。ほんとうは、人間は無くなるようなものなんか、もっていないのである。なくしたように見えるのは、実は自分の本当の姿に返ったのであり、ほんとうの自分の真面目に返ったのだから、それが、うそのない自分である。」と。

 人生も六十半ばに入ります。今まで、こびりついていたものを一つ一つ、一枚一枚削ぎ落とす人生が始まっているのかもしれません。

                           代表社員 前原 幸夫
  
posted by 前原幸夫 at 17:41| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする