2018年02月06日

2月の言葉 2月の言葉!「平成時代その1」

「平成時代その1」

 今年の年賀状のキャッチコピーは「そうか!平成30年か!」でした。
 そして、平成31年(2019年)4月30日、あと1年と少しで平成の時代も終わりです。まだ後1年4ヶ月ありますので、大きく変化し、変動してゆくでしょうが、それを承知の上で、この30年を簡単に振り返ってみました。

 昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇崩御され昭和は終わりました。
 当時の小渕官房長官が平成と書かれた額を持ち、テレビに映っていた姿を思い出します。
 平成元年当時の総理大臣は第74代竹下登氏です。
 平成元年4月から消費税が3%で導入され、まさにこの年は消費税元年となりました。この年12月29日、株価の終値は38,915円87銭と史上最高値を記録しています。
 バブルの絶頂、いやバブル崩壊の始まりの年でもありました。
正式には、バブルと呼べる年は前年の昭和63年(1988年)と平成元年(1989年)というのが通説です。
これは昭和63年1月から平成元年12月まで、24ヶ月連続で株価が上がり続けたことを持って言うそうですが、昭和63年1月スタートの株価は、21,564円でしたから、なんと2年で17,351円80%の上昇というもの凄い時代でした。
それからバブル崩壊へと向かいますが、平成元年の6月には総理大臣が蜂の一刺しの宇野宗佑氏に変わり、69日の寿命のあと、76代総理は政治改革を唱える海部俊樹氏、平成元年(1989年)8月から平成3年(1991年)5月まで在職。
その間、湾岸戦争があり、アメリカはクリントンが大統領となり、それに応じるかのように平成3年11月、宮澤喜一氏が総理大臣になります。
証券会社や銀行の不良債権が表面化し、経済に強いと評判の宮澤氏の出番でした。
しかし、一度転がった経済は止まりません。不動産価格が下落し、融資が焦げ付き始め、株価も平成4年(1992年)8月には14,309円という安価を付けました。
3年前と比べ24,000円も下がってしまいました。
これに驚いた宮澤総理は株の売り出しを手控えて欲しいと金融機関をはじめ、民間企業に要請をするというドタバタぶりでした。
そんな自民党内閣に国民の審判が下ります。
平成5年(1993年)、なんと日本新党の細川護煕氏が79代、羽田孜氏が80代と席に座りますが、日米の自動車摩擦など内外に多くの難問を抱えている中、寄り合い所帯のパフォーマンス政権は長続きしません。
しかも、下野した自民党が総理に担ぎ出したのは社会党の第81代村山富市氏でした。(平成6年6月〜平成8年1月)
その間、阪神淡路大震災やオウム真理教事件等、経済の下落と共に世相を暗示するような事件が起こりました。
この内閣は自民党、社会党、さきがけの連立政権でしたが、その後第1次、第2次橋本内閣が終了する平成10年(1998年)半ばまで続けられます。
村山総理の後、平成8年(1996年)からは橋本龍太郎の登場です。
橋本内閣は平成8年(1996年)1月から平成10年(1998年)7月まで続きますが、バブル崩壊を身にしみて感じる時代でした。
平成9年(1997年)4月、日産生命が経営破綻、11月には三洋証券の倒産直後、北海道拓殖銀行の破綻、そして山一証券の破綻、平成元年には38,000円の株価は10年で15,000円まで下がっていました。
それから、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、次々に金融機関が破綻してゆきます。
そんな中、財政再建を掲げる橋本総理は消費税を3%から5%に上げます。これが更にデフレを加速したと言われています。
平成10年(1998年)にはあの平成を宣言した小渕恵三氏が第84代の総理に就任します。小渕内閣は平成12年(2000年)4月まで続きます。
21世紀の幕開けの総理大臣です。しかし小渕氏は脳梗塞で倒れ職務不能となり、急遽、森 喜朗が小渕内閣を引き継ぐ形で総理大臣を務めます。
結局、森氏は平成13年(2001年)4月まで総理の座に居ますが、失言癖があり、ハワイ沖で水産高校の実習船が沈没した「えひめ丸事件」の際、ゴルフ中であったと非難され、内閣支持率が低下し総辞職に追い込まれました。
その後登場したのがあの小泉総理です。

今月はここまでとさせていただきます。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする