2020年02月04日

2月の言葉!「エンディングノート」

私は今、私の町内会の会計というお役をお受けしています。
岡山市郊外の玉柏の河本という昔からの町内で180世帯くらいあります。最近新しい方も少しずつ増えて来ましたが、それでも何十年も住み続けている方がほとんどです。会計をやる前、今から10年くらい前、4年間会長を務めました。岡山市が勧める電子町内会という制度の為、私に白羽の矢が立ちました。私はAさんという方を推薦したのですが、Aさんはまだこの町内に来て日が浅いということでダメだと言われました。日が浅いって何年ですかと聞いたら、まだ30年くらいだいうことで少し驚いたことがあります。

 そんな昔ながらの町内ですが、昨年の決算(12月末日が締め)をやっていて初めてのことがありました。収入の部にいつも寄付金、しかも香典返しが必ず計上されていたのですが、なんと昨年はゼロ。亡くなった方がいなかった訳ではありません。何人いたか詳細は分かりませんが、皆さん家族葬で、町内にも亡くなった方の葬儀の案内をせず、身内で済ませたことによるものでした。確かに、亡くなってから何日もして、激しい方は何ヶ月もして亡くなったことを知り、香典やら弔問やらどうしようかと話し合った方もいたなぁと思い出しました。
ひと昔であれば、農作業を共同でやり、各家で毎月お講という集まりをし、ひとたび町内の方がなくなれば、それこそ町内総出で葬儀の準備、進行、後始末をしていたことを思い出しますが、えらく変わったものだと驚かされますし、少し寂しい思いもします。

近年家族葬が流行りです。それが良いとか悪いとか言うことは差し控えますが、私が若い時に教えてもらったことがあります。
「葬儀の連絡があった時は必ず参列しなさい、慶事は2度3度あるかもしれないが、葬儀は一回限りだ」と。同じ町内で昔から顔なじみの方、お世話になった方の葬儀にも出られないとは悲しく思います。
家族葬も葬儀屋さんに聞くと決まった形があるわけではないといいます。同居の方だけ、親族だけ、縁の深い方だけ・・・色々あるようです。家族葬の良い所は、ほんの少数の人だけで故人をしのべるという点にあると思います。
私も親戚の家族葬に行き、久しぶりに会う「いとこ」や他の親族と昔話に花を咲かせたこともあります。
また、費用の面や氣を使わなくても良い点、経済的にも精神的にも体力的にも負担が少ないことは良い事でしょう。



他方、参列できなかった故人の友人などは、葬儀の知らせを後日聞き、自宅を訪問したり、中には故人から自分の両親の葬儀の時には、香典をいただいたのにせめてと思う方もあると思います。
私の住む昔からの町内でも家族葬が増えているのですから、都会は…
と思い巡らします。

葬儀をせず直接火葬場へ行く直葬というのもあるようです。墓じまいなんて言葉もよく聞きます。
先祖、家族、地域そして子孫との繋がりが薄くなりつつあります。

人間は自分で生まれて自分で死んでゆくのではありません。親祖先の命をずっと受け継ぎ自分がおり、またその命を後世に繋いでゆきます。現世ではその命を近隣の方、地域の方に育み育ててもらいます。そして、その命を地域や日本、大きく言えば世界の為に使い役立ててゆきます。自分一人の命ではありません。その命が終る時、最後のけじめをしっかりつけることも大切ではないでしょうか。

故人の一生を讃美し感謝する式が葬式だとしたら故人の生涯を讃美し、感謝し、存在の証としての記念碑が墓だとしたら、葬儀やお墓に対する考えも少し変わるのではないかと思います。

私も自分の葬儀の事を考える年になりました。
しっかりとエンディングノートをしたため残してゆこうと思います。

私の命が永遠に残るように…



代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 10:11| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする