かあさんの歌
詩・曲 窪田 聡
かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした
かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい
かあさんのあかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃもうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
懐かしさがしみとおる
皆様は、「かあさんの歌」をよくご存じだと思います。いつ聴いても心に響き、少し胸が熱くなってくるのは私だけでしょうか。
私はこの歌に鮮烈な思い出が2つあります。
1つは中学1年生の時、秋の日帰り遠足だったように記憶していますが、あいにくの大雨で・・・目的地についても止むことはなく
バスから一歩も出られず、皆がかくし芸的な事をして時間を潰しました。
ハーモニカを2個持参してそれを同時に吹くやつがいたり、歌を歌ったり。
その中に一人、私が好意を寄せていた(片想いの)女の子が歌ったのが、この「かあさんの歌」でした。私は初めて聴いた歌ですが、
非常に心に残り、それから幾度となく口ずさんでいました。
もう1つは大学1年生の時です。東京に初めて独り住まいするようになって慣れない生活で故郷の岡山が恋しくなっていた頃、
母からお菓子とか着る物などが送られてきました。
その中に励ましの手紙が添えられてあり、思わず涙したことがあります。
そんな思い出と歌詞が何とも言えずマッチしていて、良い曲だとずっと思っていました。
なんとこの曲の作詞作曲者の窪田聡氏が、私の属している岡山県倫理法人会のモーニングセミナーに来られ、この歌を歌ってください
ました。
窪田氏はご健在で、岡山の牛窓町に住んでいらっしゃるということで、これまた大感激でした。
窪田氏は、1935年(昭和10年)東京都向島のお生まれ、御年86歳。東京都生まれなのに、雪国の歌詞ですが、窪田氏は小学生の頃、太平洋戦争の戦禍を逃れるため、1年間長野県へ疎開されたそうで、その時見聞きしたものがベースになっているということです。
「かあさんの歌」は1956年(昭和31年)の作といいますから、なんと21才の時の作品です。1988年“相棒”の篠田澄江さんと岡山県牛窓に移住してこられ、今もここで「鈍工房」という音楽の企画出版の工房を運営されています。
モーニングセミナーにも“相棒”の篠田さんも来られ、窪田氏のアコーディオンの伴奏でお二人仲睦まじく、「かあさんの歌」と「あたりまえの地球」と2曲歌っていただきました。
1988年からですから、もう30年以上岡山にお住みなのですが、
私は全く存じ上げず、感動的な対面をさせていただきました。
歌詞もいいですよね!
1番の「ふるさとの便りは届く いろりの匂いがした」というくだりは、私も母から小包みをもらって開けた時、焼麩のにおいがしたことを覚えています。(私の実家は焼麩を製造しています)
また、2番の「せめてラジオ聞かせたい」この頃、窪田さんが一番欲しかったのがラジオだったと言います。
初任給でラジオを買った思い出があるそうです。私も初任給でラジカセ付のステレオを買いまいした。3番は、「あかぎれ痛い 生味噌をすりこむ」とあります。なにか味噌を塗ると痛いように思いますが、生味噌はまだ塩や添加物を入れず加熱もしていない味噌だそうです。
長野県に疎開の時の食べ物だったようです。(今では高級食材ですが)
事実、あかぎれには生味噌が良く効くそうです。(切り傷やしもやけにも)
厳しい冬、かあさんは一日麻糸つむぎ、父さんは土間で藁打ちをする、外の寒さに比べ、家庭のなんと暖かなことか。
あかぎれの手は痛いけれど、かあさんは生味噌を塗って水仕事に精を出す。まだ春は遠いけれど、根雪が溶け春は必ずやってくる。
人生厳しいけれど、苦しいけれど、辛いけれど、かあさんの便りやプレゼントは全ての人に必要な時、必要な量だけ届けられる。
それを信じて生きてゆこうという応援歌にも聞こえます。コロナ禍で耐えしのぶ今、真に厳冬かもしれませんが、春はそこまで来ています。
小川のせせらぎを心に聞きながら乗り越えてゆきましょう。かあさんからの便りを楽しみに。
代表社員 前原 幸夫