2017年04月05日

4月の言葉!「倉敷支社」

「倉敷支社」

税理士を目指したのが高校2年の時でしたので、かれこれ50年になろうとしています。
開業して33年目に入り、大きな転換期を迎えようとしています。現在、税理士法人久遠は岡山市南区に本社を置き、北区富田町に岡山中央支社、里庄町に里庄支社と3拠点でやっており、又税理士の有資格者も私を含め6名となりました。
 私は、今まで5年間里庄支社を管轄する税理士として中国税理士会玉島支部へ所属していましたが、里庄支社の税理士横山が結婚をし子供も生まれ、税理士として十二分の技量が出来たため、本社に異動することになりました。

 しかも、強力な人財が増えました。一人は育ち、一人は入社して参りました。
 この二人を中心にして倉敷に4番目の拠点を作ることとし、4月1日開設の運びとなりました。
 新戦力のうち一人は公認会計士の田邉上智です。彼は8年前の平成20年12月に久遠に入社しました。
 彼はもともと経理学校の先生をしながら公認会計士を目指しており、公認会計士を受験したものの自分では合格に達していないと判断し、税理士の道を選び我が社に入ってきました。
 ところが、なんと公認会計士の合格発表に彼の名前があったのです。合格していたのです。
 公認会計士の資格は試験に合格するだけではもらえません。監査法人等で監査実務を2年やり、3年の実務補習の後に修了考査に合格することが必要です。
 税理士事務所では資格要件を満たさないため、1年で我が社を退社し、日本でもナンバーワンの監査法人トーマツに入社し、監査実務を7年経験、晴れて公認会計士の資格を取得し、ついで税理士の資格も取得し、我が社への入社となったものです。
 彼はつくづくツイている人間だと私は思います。彼が受験し、我が社に入社した2008年当時はアメリカの圧力もあり、日本側が公認会計士の数を増やすと約束した頃であり、今までの合格者約1,000人をはるかに超える3〜4,000人の合格者を輩出していた頃でした。
 9年間の苦学はあったのですが、枠の拡大も一役買っていたのではないかと思います。しかも、我が社に在籍1年の後、監査法人の採用試験を受けたのが2009年です。
 2008年はリーマンショックがあり、監査法人の採用枠は最低でした。採用どころか大量退社という時代、監査法人は狭き門でした。
 しかし、ここでも彼はツイています。我が社に居た1年の経験が生きたのです。
 彼が我が社に入社してくれるという時期に、大規模でしかも難しい原価計算が必要なお客様から関与の依頼がありました。
 私は、田邉ならできると関与を引き受けさせていただき田邉に任せました。この1年の経験をトーマツは評価し、入社が決定したそうです。しかも、先輩の会計士が大量退社後ですから、入社即大きな上場企業を担当し、公認会計士の腕を磨くことができたと言います。
 このツキも実力のうちです。このツキを我が社でも充分に生かしてもらいたいと思います。

 もう一人は、山本という男です。彼は、田邉が担当した難解な原価計算を必要とする企業に勤めていました。元々、管理会計や中小企業診断士を目指していたらしくその企業を退職し、我が社へ入社してきました。勉強しているぞ!と表に見せるタイプではなく、私も彼が中小企業診断士を受験していたことを忘れていたくらいです。
 しかし、昨年朝6時頃ある社員が出社したら、なんと山本が事務所のフロアーに意識不明で倒れていました。救急車で病院に運ばれ、少し病院で休み即日退院ということになったのですが、その原因が勉強のし過ぎ、その日も夜(明け方)まで自宅で勉強し、事務所へ出てきてトイレに行こうとした時、意識不明になり倒れたといいます。
 そんなに勉強していたのかという驚きと、それを少しも表わさない彼の強い精神力に驚かされたものです。 その事件があって数か月後、彼は見事に中小企業診断士に合格し、経営改善計画等これからどんどん中小企業の成長発展に貢献してくれるものと信じています。
 これ以外にも、税理士業界は私よりも長い経験を持つ吉本、がんばり屋の佐藤、彼らを補佐する若手の大室、福田、新婚の井上という7名でのスタートです。
 地域1の事務所を目指して願晴りますよろしくお願い申し上げます。

                             代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 19:47| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする