2018年11月01日

11月の言葉!「みちのく紀行」

「みちのく紀行」

 私の妻がさだまさしの大ファンということは以前何度かご紹介したと思います。さだまさしのコンサートを追いかけて日本全国に行くわけです。もちろん一人では行けないため(方向音痴)いつも私が同伴します。私は岡山の周辺会場よりも出来るだけ遠くに旅行を兼ねて計画します。
 今回も青森のコンサート会場を押さえ、十和田湖へという予定を立てま
した。その話を聞きつけ私の同級生、うどん名玄の平井さんご夫妻も連れ
だっての旅となりました。
2泊3日、初日はコンサートがありますので、コンサート会場近くのホ
テルに宿泊。コンサートが終り近くの寿司屋で一杯、みちのくの味を堪能し、次の日は十和田湖です。
レンタカーに乗り、ナビ頼りの旅ですが、平井さんご夫妻が同行した
いと言われた時、私に一つのアイデアが浮かびました。私も以前行なったのですが、平井ご夫妻に続婚式(・・・)をやらせようと。
 ご夫妻の仲睦まじさは相変わらずですが、彼らの指には以前の私たちのように結婚指輪がありません。
 うどんをこねるという関係からかもしれませんが、以前から私は氣になっていました。
 続婚式の話をするとすぐに乗り氣で結婚(続婚)指輪を購入し、今回の旅行となりました。本人たちの希望により、神前が良いということで、青森市内の由緒ある神社に伺ったのですが、あいにくその日は大祭の日であえなく断られ、それならと地図で探すと、十和田湖畔に十和田神社があることが分かり車を走らせました。

 外国人のお客様が多い中、十和田神社の参道で(その日平井夫人は足を怪我しており神殿までの長い階段を上ることが出来なかったもので)
行ないました。私たち夫婦が仲人役、指輪の交換、誓いの言葉をお互い交わしキスの代わりに握手を。その近くの土産物屋の食堂でお神酒で乾杯で終了です。今も二人の指には真新しい指輪が輝いています。

 2日目の宿はあの有名な酸ヶ湯(すかゆ)温泉!
何で有名かというと、冬には4mを超える積雪で冬場にテレビによく出てくる温泉宿です。もちろん、私の行った時は雪はありませんが。
「混浴ヒバ千人風呂」という開湯以来300年以上経つ湯治場です。
豪華さはありませんが、昔ながらの湯治の湯にひたり、混浴にドキドキしたりと、それはそれで楽しい一泊でした。
 最終日、青森空港発の飛行機は夕方ですので時間もたっぷりあり、どこへ行こうかと考えていた時、平井さんが道路標識を見つけ、そこへ行こうということになりました。私は「え〜っ」と思いましたが、他に当てもないため、言うことに従い行ってみました。
 
そこは、三内丸山遺跡(さんないまるやま)という縄文時代の大規模な集落の跡です。縄文時代前期〜中期、今から約5,500年前から、4,000年前です。
5,500年から1,500年間ここの集落は続いていたそうです。
縄文時代、これまでの私のイメージでは縄文時代、人々は洞穴に住み、貝や獣を捕り生活しているという暗いイメージを持っていましたが、ここ三内丸山は違いました。
 集落の広さは約40ヘクタール、竪穴式の住居、墓、高床式建物(倉庫のような)、それから地上12mにも達する堀立柱建物(祭祀用で使ったのではないかと言われています)、数多くの住居跡があり(なんと柱の間隔は全て4.2m長さの尺度があったことを伺わせます)、数多くの板状の土偶や交易をうかがわすここでは取れない翡翠や黒曜石なども出土し、展示されていました。
村人は約500人に達し、自家栽培した粟を主食に、クルミ・とち・えごま・瓢箪、牛蒡、豆そして海が近いこともあり魚を捕って食べていたということです。

 驚くべきは、1,500年間に亘り、平和で穏やかな生活がここで営まれていたという点です。
 多分、上下・貧富・争いなどなかったのではないかと想像できます。
 なぜならば、この遺跡からは人を殺傷するよう武器は出土されていないということ。食料を貯蔵する倉庫があり、皆が平等に食し、住居跡も大小さまざまありますが、特権階級が済むような住居跡はありません。

 その頃、今から5,000年前と言えば、メソポタミアやエジプトでは王が居て、奴隷が居て、富める者と貧しい者の階級がはっきりしていたことを思えば、なんと素晴らしい遺跡であることかと改めて驚き畏れ入ります。
そこに住んでいた人々は、定住もせず原始的な生活をしていたというイメージを遥かに覆す文化的で科学的で健康で平和で豊かな共同体生活を5,000年前から続けてきたのだということに驚かされ、もっと日本人のルーツに近づきたいと思った旅でした。


代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:43| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする