2019年10月02日

10月の言葉!「コスモロジーの創生」

「親が幼い子を虐待死させる」「子が親を殺す」「あおり運転」といろいろ新造語が作られるくらいストレスを受けながら運転し、少し氣に入らないことがあれば威嚇し暴力を振う、挙げれば切りのないニュースがあふれています。
「今、これを直さなければ日本という国はこの地上に存在する意味がない。」そんな念いでペンを走らせています。せかっく令和という新しい時代を迎え「和を以て貴しとなす」の世を創っていこうと国民が決意している内での出来事です。何をすればいいのでしょう。何を変えればいいのでしょう。それはずばり!「人間観」「人生観」「死生観」等々を含めた宇宙観すなわちコスモロジーの変革ではないでしょうか。我々は産業革命以降、物質的な豊かさばかり追求してきたように思います。そして、近代科学は人間をより豊かに便利にしてきました。しかし、モノというものに偏りすぎたため、人間もモノだとして捉えてしまったようです。
人間はモノに過ぎないという唯物論です。私も学生時代、左翼的思想を持っていましたのでよく分かります。この世は目に見える世界のみであり、目に見えない世界などない。目に見えない世界の存在を認知する心も、脳の働きであり脳もモノであるから、死と共に消滅してします。全て物質であり精神的なもの絶対的なものはない。
この世はモノの存在を通してモノがなくなるまでの生命であり、相対的な意味、価値しかない。だから、人間も絶対的なものではなく、人生も絶対的な価値、絶対的な意味を持たない。死んだから終りになる程度の価値を持った人間だから、生まれた意味も生きている意味も死んでゆく意味もない。ただモノとしてある時間をなんとか氣晴らしで過すしかない。自分が一番大切にしている一番楽しいことをして過す(相対的価値観)自分だけの価値観ですから、それが他人に受け入れられなくとも構わない(丁度、ゴミ屋敷の住人のようにゴミでいっぱいの自宅に住み、これはゴミではないと言い張り、周りの住民の迷惑を顧みないように)自分だけというエゴイズムが拡散してゆくのです。
自分は所詮、この世から消えてなくなってしまう存在だから、命ある限り、エゴと快楽で生きようと考えるのは辛いので、エゴや快楽を生きがいと置き換えて(ごみを集めることが生きがい)ぼやかして生き延びているのです。その置き換えがうまくいかなくなった時、人は自殺を考えるのではないでしょうか。ではどうしたらいいのでしょう。それは、コスモロジーの変革、宇宙観の変革です。この世は、私の存在はバラバラに存在しているのではなく、一体一つながりの存在なのだという自覚です。事実、1947年ガモフの「ビッグバン仮説」により、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったものであり、全て宇宙は一つであると説きました。
人間が精子と卵子の結合により、一つの細胞が出来、それが分裂し、手足顔・・・が出来ているように、元は一つなのだということです。細胞が分裂し、眼が出来ました。眼そのものはそれだけ見ると全体ですが、顔と 

いう全体から見ると部分です。顔も全体ですが、身体から見ると部分です。私の身体も全体ですが岡山市という全体から見れば部分です。岡山市も全体ですが、日本という全体から見れば部分です・・・宇宙は一つだからです。
あたかも地球上に海というものがあり、海上に露出している部分を見れば、別々の島であり国に見えますが、目に見えない海の底では全てが繋がり一つであるように。さらに一つのものだから、目に見えない世界では繋がっているのだから、「死んだら終り」ではなく「生命は生き続ける」という確信です。これも科学的に言えば、アインシュタインの相対的理論です。詳しいことは分かりませんが、宇宙のエネルギーの総和が一定のものであれば、私が死に65kgという質量を持った人間がいなくなれば、宇宙のエネルギーは65kg分減少するはずです。しかし、変わらないというのは私が姿を変え、私のエネルギーはこの宇宙のどこかに存在しているからです。心というエネルギーで存在し続けるのです。しかも地球上、生命が誕生した40億年生き続けているのです。これは、最近のDNAの研究で明らかにされているそうです。死んだら終りではなく、宇宙という故郷に還るだけだそうです。このDNAの研究により、地球上の全ての生命のDNAはたった一匹の単細胞微生物に遡るそうです。つまり、全ての生命が一つの家族なのです。しかも、その家族は互いに補い合いながら生き続けています。「食物連鎖」つまり、食べて食べられて・・・という関係があり、自分は他者のためにこの世に生まれて生きている、そしてその役割を終えたら宇宙という故郷に帰り次の役割を持つ、そんな存在なのだということです。
この宇宙観から見れば、40億年という宇宙のビッグバン(進化)のその方向性に沿った生き方(あるがまま)が善であり、その進化の方向性から逸脱すること(わがまま)が悪であるという結論が出ます。すなわち、絶対的価値観の創造です。この宇宙は目に見える世界は、仮の姿であり目に見えない世界こそ真の世界である。この宇宙は始めは小さな一つの塊であったものが、ビッグバンとしてだんだんと大きくなりエネルギーの歪曲により、様々なものが存在しているが、元は一つのものであり、互いに補完補充し合い、数億年も生き続け又これからも生き続けてゆくものです。そう考えれば、心は脳の働きではなく、宇宙エネルギーの最高傑作であり、宇宙進化の極みであると言わなければなりません。心こそが宇宙の一部であり。心が宇宙を宇宙として認識していることになるのです。

我々は、宇宙の一部であり、過去・現在・未来と生き続ける心を他の生き物・物体と相互補充し合う心であると捉えれば、今のままの心でよいのでしょうか。エゴと快楽のみを求める心でよいのでしょうか。今こそ、宇宙という絶対的なものを認識し、絶対的な価値観を創生する時なのかもしれません。

代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 14:27| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする