2015年09月30日

10月の言葉!「公助、共助、互助、自助」

「公助、共助、互助、自助」

 酷暑が過ぎ、空には満月が美しく、野には彼岸花が咲き、夜長に虫の音が耳に心地よく、とんぼがゆらゆらと宙を舞うそんな秋になりました。
 私の住む岡山市北区玉柏は、私の生まれ故郷であり、今もなお昔の面影を残すところです。岡山駅から県道吉井線で北へ約10キロ。金山や笠井山を背にし、前には旭川の流れがあり、その山川にはさまれた田園地帯にあります。
 生まれてから、18〜27才までは、東京暮らしでしたが、人生60年の内のほとんどをこの地で過ごしています。今日9月27日(日)は、岡山市内一斉清掃の日であり、我が町内も皆、総出で道端の草むしりや清掃を行ないました。秋祭りが、翌々週にあるため、昔からやっていた行事です。

 子供の頃、行事と言えば、春は花見、夏は水神様、秋はお祭り、奉納相撲、冬は畑讃談と、四季折々に合せ自然や神仏との関わり、感謝を子供の頃から無意識の内に、植えつけてゆく慣わしがありました。
 春の花見は、子供たちが裏山に数カ所竹で陣地をつくり、野山をかけめぐり、戦の模擬のようなもの(サバイバルゲーム)で、昼にはおにぎりをほおばり、年長者は年下をかばい合いながら、かなり本格的にチャンバラをし合うというものでした。
 夏の水神様は、お寺の境内に小屋を作り、そこで1日共同生活をし、川で泳いだり、一緒に食事をするというものです。秋の祭りは、これは今でも行われていますが、だんじりを引き、そしてお宮の境内で奉納相撲を行なうものです。大人たちの作ってくれた土俵に赤白のふんどしを締めて小1〜小6まで、私達の頃には大勢の豆力士でしたが、今はソフトボールやサッカー大会が休みに重なり、4〜5人の参加者で、しかも、ふんどしは半パンの上から締め、上にも半袖のシャツを着ての相撲で我々の頃とはだいぶ様変わりしています。
 冬の畑讃談は、今は子供会のクリスマス会になっていますが、私達の頃は町内のお宅を借り、そこにみんな集まって1日共同生活をするというものでした。
 このように、春には陽光の下で野山をめぐり、春のおとずれに感謝し、夏は川遊びを中心に、水への感謝を知り、秋は神への奉納相撲で、豊かな実りを祈り、冬には収穫されたものを一緒にいただき、田畑の実りに感謝するというように四季への感謝を行事に表わし、子供たちに体感させるという昔の人の知恵があったのだと思います。
 もう50年前になりますが、私もこういう行事を通して友人との助け合い、先輩後輩との上下関係、地域の絆の強さ、神仏への祈り、田畑や山川の自然のありがたさ、畏敬の念、こういうものが培われたのだと思います。
 
 今から10年程前、町内の長老が3人私の家にやってきて、何事かと思えば、なんと町内会長をやってくれという依頼でした。丁度、岡山市が電子町内会というものを推奨し、町内会をメールやインターネットでつなげ、町内の各家々、又、町内と岡山市をネットでつなごうという試みを始めた時期でした。
 急なことでしたが、前述のように、町内へのご恩を感じておりましたし、皆様方の助力を条件にお引き受けしました。そして、最初にやったのが、県道吉井線の草刈りでした。
それまでは、旭川の堤防が道路であり、片道一車線だったのが、朝のラッシュ時大渋滞が起きており、この解消に、片道二車線にする拡幅工事が終了した頃で、立派な道路が町内の南側に造られました。
 しかし、片道一車線の頃は、道路ののり面は両サイドとも草刈りをしてくれていたのが、片道二車線になった途端、旭川に面している側は草刈りをするが、町内に面している方は出来ないということになりました。
理由を聞けば、片道一車線は道路でなく、堤防とみなされ、堤防の管理は国土交通省なので予算も十分あり、両サイドを刈っていたのが、片道二車線になれば、堤防ではなく道路として取り扱うため、旭川に面した方は国交省管理、町内に面している方は県道
なので、県管理(今は政令指定都市になりましたので岡山市)になり、県管理になると予算上全部は刈れず、県道通行に支障のない程度、具体的には道路面から1mのみ草を刈るということでした。
 実際、県は上部1mのみ刈り、あとはそのままでした。県道から町内に降りてくるロータリーは県管理ではないので、伸び放題という有り様でした。
雑草が生い茂る姿は見苦しいということで、町内で草刈り隊を結成し、自主的にやろうということになりました。最初は役員4〜5人でやっていましたが、今は30人ぐらいの方が自発的に出て下さり、年3回程行うようになりました。何しろかなり斜度のキツイのり面ですから、危険もあるし、体力もかなり必要で、皆様の協力に感謝しています。
 
 それにしても、行政のつれなさ。杓子定規な取り扱いには腹を立てながら、一方で町内の意思疎通が良くなり、ボランティア精神の養成には非常に良いイベントになっています。
 久しぶりに会う先輩、同級生、町内の人々と昔話に花を咲かせ、肉体労働をする。
そして、終わった後の爽快感は何物にも代えられません。少子高齢化が進み、公の予算がどんどん削られてゆく中、自助努力(自分1人や自分の家族の力)だけでは、充分な社会生活は営めません。地域での共助、隣人との互助が必要不可欠となってきます。  
公助から地域の共助、住民の互助、そして自助。このバランスが大切になります。
 是非、地域の町内会の隣組の絆をもっともっと深め、より豊かな老後が送れるような社会を作ってゆく必要があります。
 結局“人のために”が、“自分のため”になるのだと信じて。
                           

                            代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 18:13| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

9月の言葉!「男は男、女は女」

「男は男、女は女」

 八月が終わろうとしている今、私は年老いた母のために晩御飯を作っています。
 お風呂の掃除をし、台所の片付けをし、味噌汁を作って仕事に出かけます。
 女房に逃げられた訳ではありません。出雲にいる長女が4日間程、福岡へ出張しなければならず、その間、1歳の孫を妻が面倒を見る事になったからです。
 
 大量のサトウのごはんや、レトルト食品を冷蔵庫に買い込んで、妻は8月25日に台風の中出発しました。残されたのは、85歳ヨボヨボの母と初老の私。元来、料理は好きな方ですが、いざ毎日となると氣が進まないものの、仕事もそこそこに切り上げ、夕げの支度です。掃除や片付けも嫌いな方ではありませんが、これも毎日となると何か億劫になってきます。
 趣味でゴルフをやれば楽しいけれど、それが職業になると辛く感じるように、家事もそうなんでしょうか。今更ながら、我が妻の有り難さを痛感させられています。
 
 だいぶ前ですが、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本を読んだことがあります。
 男と女の特性がよく書かれており、特に、私と妻にピッタリという内容でした。男と女の性差は、はるか昔からの行動様式、役割の違いからくるものだということです。 男は外に出て狩りをし、女は家にいて子育て家事をしてきました。 サルの時代から言えば何十万年もこの状態が続いていたのです。DNAに染み込んでいるのでしょう。

 男はいつも自分が今どこに居て、どういう経路で家にたどり着けるかということを、脳が自動的に察知する能力を持つようになったといいます。脳の中にレーダーがあるようなものです。
 事実、住所とか大体の場所を聞けば、地図はなくてもたどり着いていたように思います。(最近はナビという便利なものに頼り切っていますが)
 そして、一度狩りの現場に立てば、いつ獣が襲ってくるか分かりません。無駄口をたたいている暇はありません。周りに神経を集中して、少しの物音にも敏感に反応するという習性がついたのでしょう。
 したがって、隣の人とペチャクチャ会話を楽しむことなどなかったと思います。
 
 それに引きかえ、女性は1日中家に居て、子育てや家事を取り仕切ります。今回のことで良く分かりましたが、起きてから寝るまで、家事は結構重労働です。
 まして、電氣もガスもない頃、まず火をおこし、食事を作るのも大変。洗濯機のない時代、洗濯も大変。大変づくしの家事業務です。遠方へ女性が出ることなどなかったでしょう。そうなると楽しみは家族との会話や、近所の女性との会話です。
 もちろん方向感覚は0です。私の妻などは、ナビを設定してもその目的地にたどり着かないというほどの方向音痴。それもうなづけます。
 日々の濃厚な人付き合いの中で女性は、相手の感情を読む能力を高めてゆきました。外で男が少しでも変なことをして帰ってこようものなら、全てお見通し。
 視覚も聴覚も嗅覚も五感、いや六感までも相手の感情を読み取れるようになっているのです。(怖いことです)
 
 男はと言えば、狩り(仕事)一筋です。話もしない、意思疎通よりも獲物の有りかを探し、取る技術を磨いてゆく。感性よりも技能です。眼だって近くのものを見る能力より、遠くを見る能力が増してゆきます。(女性は近くを見る能力、すなわち家具とか子どもとか、周りのものを見る能力が増す)
 皮膚だって違います。毎日毎日、大自然の中を男は動いているわけですから、固く厚くなってゆきます。女性は、薄く柔らかでスキンシップしたくなります。子どもが母とじゃれるのに都合がいいように。
 言葉使いも異なります。男は狩りに必要な事しかしゃべりません。したがって、言語能力が、女性が1日2万語しゃべるのに対し、男性は3分の1の7千語だそうです。
 ですから、女性がしゃべらなくなったら、その時は危機的状態です。(男性に敵意を感じているか、相当身体がまいっているかです)
 疲れた時の対処法も違います。男は年がら年中、駆け廻ってますので、家ではのんびり横になります。何も考えずに。これを粗大ごみと言われたら情けなくなります。
 女性は違います。疲れを癒すのは喋ることです。自分の特性である喋ることで癒します。
この対処法の違いは家庭の不和につながります。夫も妻も元氣のない時、妻はよりおしゃべりに徹しますが、夫は何も聞いていません。ボーっとしたいのですから・・・。
 これが、たまの日曜日に起こると悲惨です。あなたは私の言うことに一つも耳を傾けてくれないというヒステリックな状態になります。
 睡眠も男は完全に脳を休めますが、女性は断続的、あるいは仮眠状態です。家の中では、男はリラックスしていられますが、女性は子どもの事が氣になりますので、脳はいつも動いています。私など、4〜5時間の睡眠で十分なのですが、女房はいくら寝ても眠そうに起きて来ますので、その通りなんだと確信をいたしました。
 
 最近は、男女平等、ジェンダーとか言って、「男は女は」と言うことは差し控えるべきとの意見もあります。 それでも、人間は太古から、男は外、女は内という生活をやって来ました。
 それが、ここ50年や100年で変わるわけがありません。男女の差に眼をつぶるより、男女の差、役割の違いをしっかり認め合うことの方が大切なのではないでしょうか。
 男女の権利(受けるべきもの)は平等、しかし義務(しなければならないこと)は異なるのではないでしょうか。

                               代表社員 前原 幸夫 
posted by 前原幸夫 at 17:26| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月05日

8月の言葉!「職場の教養」

「職場の教養」

 私どもでは、活力朝礼という元氣のよい朝礼を毎日行っていますが、そこで輪読、三分間スピーチ用として「職場の教養」という小冊子を使っています。
毎月送られて来て、365日一日一話があります。短い文章で深い内容の文章が毎日毎日綴られています。
  
 例えば、6月4日は「雨の贈り物」という表題で以下のようものでした。

 レストランを経営するY氏は、毎年夏が近づくと、憂鬱な氣分になります。
 一年の中でも特にジメジメとして、湿度が高くなるこの時期は、食材の保存や管理にも神経質になります。
 何より氣が重いのはトイレの清掃です。毎日、開店前にきれいに磨きあげるのですが、日中になると、床が湿気でぬれて、滑りやすくなります。また、雨の日に来店したお客様の靴で、床が汚れてしまうのです。
 6月のある日、開店当初から応援してくれている商店街の役員が来店しました。その役員も同じようにレストランを経営しています。
 「この時期は氣持ちも体も滅入るけれど、雨も必要があって降ってくれているんだよな」と独り言のようにつぶやいた言葉に、Y氏はハッとしました。
 「そうか、雨が降るからお米や野菜が育つのだ。トイレが汚れるのも、雨なのにお客様が来てくれるからだ。ありがたい」
 見方が変って、Y氏の心も晴れやかになったのです。

 梅雨時は、お客様の濡れた靴で床が汚れます。その汚れをいやいやながら掃除をするお店と、雨の中わざわざお客様が傘を差し、靴を濡らしてまでこの店にお越し下さる。ありがたいという思いで掃除するお店と、売上に差が出ないはずはありません。
 
 私の娘が高校生の頃、時々私が学校まで送ってゆくことがありました。学校の近くのコンビニで降ろすのですが、そこにコンビニは2軒並んであり、娘は必ず1つのコンビニに行っていました。
 理由を聞くと、そのコンビニは買い物をし店を出る時、笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれるからとのことでした。
 中小企業が出来る差別化はわずかです。微差力です。ほんの少し違うことを本氣でやり続けることです。日常のほんの少しの心のあり方が大きな差になってしまいます。

 こんな事もありました。7月17日(金)は「空を見る」というタイトルで元氣のない時、空を見上げて深呼吸をすることを勧められ、実際屋上でやってみると、氣分が清々しくなり、仕事にも覇気が生まれたという内容でしたが、何か青春ドラマ風で、3分間スピーチ担当者もスピーチしづらそうでした。
 その日は丁度台風11号が岡山を直撃した日であり、事務所へ朝行くと、入り口あたりのカーペットがずぶ濡れ、雨が相当吹き込んで来たのだと思いながら、新聞紙や雑巾で乾かしていました。
 昼前に帰社した社員が、大きな声で「アレっ、雨が漏っている」と天井を指さし、その方を見ると、大きなシミが天井に描かれており、カーペットの雨水はドアからではなく、天井からだったのかと氣付きました。
 それまでは、ドアに隙間もないのにどこから入ったのか不思議でしたが、謎が解けました。私をはじめ、社員は皆ドアの隙間ばかり見て、カーペットの濡れた原因に首をかしげていたのですが、天井とは氣付きませんでした。たまには上を向け、見方を変えろという良き教訓をいただきました。

 最後に私の一番好きな話をご紹介します。もう2年程前の職場の教養に載っていたものです。ある村で、年一回村人全員で酒盛りをやるのですが、その年は不作で、村で酒を用意できないため各自家から酒を持ち寄り、樽の中に入れ、それを分けて乾杯を行ないました。飲んでみると水だったということです。
 
 村人が100人いたとすれば、他の99人は酒を持って来るだろうから、自分1人くらい水を持って行っても分かりはしないと思った村人が100人だったということです。
 99人は水を持って来るかもしれないけれど、せめて自分1人だけでも酒を持って行こうと思って酒を持参したならば、酒の樽になっていたことでしょう。
 
 どうせ1人位と思うか、せめて自分1人だけはと思うかで世の中大きな違いになります。
 私もせめて自分1人だけでもという心構えで生きてゆきます。
 この「職場の教養」毎月180万部出版されているということです。
 是非お手にして朝礼等でご活用下さい。

                        
                                   代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 17:17| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

7月の言葉!「活力朝礼コンテスト」

「活力朝礼コンテスト」

 当社では、毎朝8時30分から50分まで清掃、8時50分から9時まで活力朝礼を行ない業務に入ります。もう10年以上行なっていますが、弊社が所属している岡山県倫理法人会では、広くこの活力朝礼を普及させるため、昨年に続き、第2回活力朝礼コンテストを6月26日(金)18時30分より国際交流センターで行ないました。 参加社数は5社でしたが、我が社も手を挙げ、参加いたしました。

 我が社が活力朝礼を導入したきっかけは、「職場の教養」という冊誌でした。
 365日、毎日簡単な文章の中に含蓄のある深い内容が込められています。この職場の教養を使い、大きな声を出し、キビキビとテンポ良く、元氣に行なわれる朝礼を活力朝礼といいます。
 我が社の朝礼の流れは次のようなものです。進行係が自分の所属の会社と名前を名乗り、経営理念の唱和、朝の挨拶、クレドの唱和、挨拶の実習(月曜日は褒めトレ)、職場の教養輪読、感想発表、クレド実践報告、事務連絡、終了というように簡単なものです。
 時間にして10分程度です。社員は手の指はキチッと揃え(密指)、お辞儀の角度、タイミングを合せ、声は大きく、笑顔も絶やさず、かなり氣を入れてやっています。
 クレドにあるように、「責め心なき厳しさ」により細かい点も注意し合い、行なっていきます。

朝礼の効用(目的)は4つあります。

➀合せることの大切さを学ぶ
 お辞儀の角度、スピード、ハイの返事のタイミングを合わせることです。自分勝手にやると合いませ ん。会社でも、家庭でも、自分一人では出来ないことも人の手を借りれば出来ます。しかし、その時他人を自分に無理矢理合せさせるのではなく、自分が他人に合せていくことが大切になります。朝礼は進んで人と合せることの大切さを学ぶことができます。
Aモチベーションを上げる
 社長の訓話や職場の教養輪読の後、他の社員の感想を聞くことにより、自らを鼓舞してゆけます。自分のエネルギーを上げることにより、周りの人も上がってくるでしょう。 又、元氣な声を出すことにより、さらに元氣が生まれてきます。 
B凡事徹底を図る
 毎日ほぼ同じことを繰り返すことによって、基本動作を身につけてゆきます。
「おはようございます」「ありがとうございます」「お元氣さまです」毎朝、毎日毎日これらの言葉を唱和  し、チェックし合います。
Cスイッチを入れる
 プライベートな時間から、オフィシャルな時間へとスイッチを入れる。
 まさに朝礼を通じて、スイッチオンの状態になってゆきます。

  コンクール当日、各社はそれぞれ特色のある朝礼を披露してくれました。当社は残念ながら選にはもれま したが、私自身は非常にいい出来だったと思います。
  さわやかな朝一番の朝礼、会社によっては社長の訓示や叱責が長かったり、声がなかなか出なかったり、 お辞儀の角度やタイミング、スピードがバラバラだったり、覇気が感じられなかったり、様々な問題点があ るようです。
  要は社長のヤル氣です。試されているのは、社員のヤル氣ではありません。社長がよし、活力朝礼をやろ うと決心覚悟することです。(私もそうでした。)
  まるで軍隊のような大きな声を出させ、強引にさせて社員が離反してゆかないかと心配する社長も少なく ないと思います。
  各社、それぞれ事情がありますから、一概には言えませんが、朝礼で声が小さい会社は、普段の業務でも 声が小さいのではないでしょうか。お辞儀が合わないのは、普段の業務でも社員がバラバラではないのでし ょうか。キチッとメリハリのきいたマニュアルに沿った朝礼が出来ないのは、普段の業務でもダラダラして いるのではないでしょうか。
 一事が万事です。たった10分間の朝礼さえも声が出ず、隣の人に合わすことが出来ず、キチッとしたこと が出来ない社員が、いい仕事、元氣な接遇ができるわけがありません。
  まず、10分間の活力朝礼です。軍隊式のどこが悪いのでしょう。一番強い組織は軍隊です。我々は常在 戦場です。
  強い軍隊式の組織を作る必要があります。凡事を実践継続し、身も心も磨き上げた人財を作り上げねばな りません。それには毎朝の活力朝礼が私の知る限り、一番の近道だと思います。

 (インターネットで「活力朝礼」で検索していただくと、素晴らしい朝礼が動画で見れます。是非、ご参考に  して下さい。)


 先生原稿使用画像A.JPG先生原稿使用画像➀.JPG                                                                 代表社員 前原 幸夫 
posted by 前原幸夫 at 19:54| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

6月の言葉!「創業30周年」

「創業30周年」

 6月6日、創業30周年の感謝を込めて、午前、午後2つの講演会を開催させていただきました。
午前中は、会計事務所向けに、栃木県足利市よりお越し下さった福田茂夫先生による「元氣玉財務コンサルティングセミナー」
 午後は東京よりお越し下さった清水英雄先生による「ありがとう講演会」です。
 大勢の会計事務所、大勢の皆様にご参加いただき、盛況の内に終わることが出来ました。

 両先生とも20年来のお付き合いで、今の我が社をここまでの事務所に育てていただいた大恩人といっていい方々です。
 福田茂夫先生からは会計人としての志を、清水英雄先生からはありがとうの心を学んで参りました。
 
 そしてその後、社内でのささやかな30周年のパーティーを開催しました。20周年の時は大勢のお客様をお呼びして開催させていただき、25周年ではいろいろな事情で、我が社を巣立っていったOB、OGの社員さんや、社員の家族の方々をお呼びしてのパーティーでしたが、今回は社員だけのごくごく身内のみのパーティーでした。
 これは、特に私が30周年の御礼を、今を共にする社員の皆様に申し上げたい、今までの30年、これからの30年を共有して欲しいとの念いからでした。

 組織も大きく変わりました。今年6月1日で、今まで税理士法人久遠を支えていた平田企業会計、ナガオ財務会計、NIKKO会計、CFO、Linkという会計法人が1つになりました。    
平島を社長に、潟`アーズジャパンという会計法人に統合され、今までの縦割りから機能別に部門を再編し、大きな変化、大激震となりました。
 今こそ、更なる団結、チームワークが必要となります。今までは1人1社でお客様と接していましたが、これからは1社に2〜3人が関わるという組織になります。当然、他部門との連携、コミュニケーションの徹底、充実が必要となります。そんな意味もあり、身内のみのパーティーとなりました。
 
 いつもパーティーでは、多くのサプライズがあります。25周年の時には、等身大の坂本龍馬の写真に、顔だけ私の写真をはめ込んだ合成のパネルを作っていただきましたし、今回は秘かに何だろうと、期待を込めて待っておりました。パーティーも終盤にかかる頃、私と妻が壇上に呼ばれ、「おっ、いよいよか」と思っていたところ、今回は社員全員が私たち2人に1本ずつバラの花をプレゼントしてくれるというものでした。
 1人ずつ、私と妻にバラの花を渡してくれ、握手をし、一言二言・・・ところが2〜3人いただいた頃から感極まって目頭が熱くなり、又、涙もこぼれてきました。だんだんと抱えているバラの花が多くなると両手をふさがれ、涙も鼻水も拭く事が出来ず、声もかすれる中、全員と熱い握手の交流をさせていただきました。花束を想像していたのですが、1本1本手渡しとは、1本取られました。

 その後、さらに妻から私へのメッセージのプレゼント。30周年にちなみ、前原幸夫の良いところ30項目と今の彼女の念いを書いた手紙が添えられていました。
 なるほど、こんな風に見ているのかと心に当たる節もあれば、おやっという文章もありました。
 
 少しご紹介します。

前原幸夫の良いところ
 3、仕事と遊びの境をつけないで、何時でもその時その場を楽しんでいる
    →これは私が最も心がけている「遊働一致」の境地です。
 7、何があっても冷静に対処する
    →内心ドキドキなんですが…。
 9、時間の使い方が上手である
    →そうかなぁ、いい加減ですが…。
 14、オムレツを上手においしく作ってくれる
    →休みの日の朝ごはんは私の手料理です。あまり休みの日がありませんが。
 15、出張中は必ず、朝、夜に連絡してくれる
    →家を空けることが多いもので、申し訳ないという念いを込めて。
 16、さださま(さだまさしさん)のコンサートには必ず付き合ってくれる
    →妻の1番好きな事には、ハイ、喜んでお付き合いします。
 23、話題が豊富で話をしていて飽きない
    →もっと話をして欲しいという意味??

 等々です。又、30周年への念いの中には、
「親は子育てはもちろん、その子供が我が子を立派に育てるところ「孫育て」までが本当の親の仕事だと聞いたことがあります。これから私たちの仕事は潟`アーズジャパンの成長をサポートしていくことですね。そのためにも健康寿命をのばしてゆきましょう。お互いに。」
と、結んでありました。
 
 おいしいオムレツをもっともっと作れるよう、もっともっと会話がはずむよう、そして、税理士法人久遠が、潟`アーズジャパンが、もっともっとよりお客様のお役に立てるよう、健康に注意し、これからの人生を妻と2人、手と手を取り合い生きてゆく覚悟です。
 創業30周年に寄せられた皆様のご厚情に感謝申し上げますとともに、これからの30年、ますます精進してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
 ありがとうございます。
                                   代表社員 前原 幸夫
                     先生原稿使用画像5.jpg                                        
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2015年05月01日

5月の言葉!「チアーズジャパン」

「チアーズジャパン」

 今年6月1日、創業30周年を迎えます。これもお客様、お取引先様の皆様のおかげ様であると心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
 
 そして、私も62才になりました。昭和60年6月1日、32才の時でした。
 昭和という響きも何かしら遠く感じられますが、私の父の会社(町工場)ともう1社のお客様の2社からのスタートでした。そして30年過ぎた今、多くのお客様、大勢の社員、多くのお取引先様、いろんな方々に支えていただき、成長させていただいたと改めて実感しています。
 30年という節目は大きなものです。企業30年説もあります。過去の成功体験の延長線上に未来は有り得ません。大きく変化、激変している世の中に合せ、我々も変化進化して行かなければなりません。

 平成11年泣宴Cトアームを設立しました。会計事務所で重要業務だけれど、生産性の上らない入力業務。
この業務をパートさんを中心にして、出来高払(1入力いくら)でやったらという思いつきで作った会社です。
 作ってみると、業務効率の良化もさることながら、泣宴Cトアームの社長 林の成長はすばらしいものがありました。社員を成長させるには社長にすればいい。そんな思いが湧いてきました。それから分社化の準備に入りました。
 誰を社長にし、誰がその下につくか、いろんな試行錯誤をしました。ただ原則がありました。社長は手を上げる人しかしない、私から指名はしないということです。
 能力よりもヤル氣。最初から社長になる氣のない人を社長にしてもうまくいくはずがありません。平成18年4人の社長が手を上げ、従来よりあった椛O原会計が、兜ス田企業会計、潟iガオ財務会計、劾IKKO会計、海FOと5社に分社されました。

 その後、各社の動きの中で氣になる事がありました。それは入社3〜5年目の30才前後の若手社員の動きです。分社しそれぞれ社長、課長がいて、その次、あるいは次の次が彼ら若手社員です。能力もヤル氣もあり、これからの我が社を背負ってもらわねばならない彼らが、上からの重みで動きが鈍いように感じられました。
 そして、平成23年貝inkを立ち上げ、30代の若手社員3人を各社より、引き抜き取締役にして、上司は私だけという会社を作りました。
 しかも、この貝inkは、平成27年5月31日に解散するという限定的なものでした。今年の6月1日、30周年は多分新しい組織が必要だとの認識は分社した当時はありませんでしたが、貝inkを立ち上げる頃には明確になっていました。平成27年6月1日は我社の大激変の日にしようと。
 そして、未来ビジョン委員会を作り、幹部社員でこれからのあるべき姿、方向性を私抜きで議論してもらいました。毎月1回、1年、2年と積み重ねられた結果の組織になりました。
 今までの5社の会社を1つにし、6月1日からは潟`アーズジャパンとして生まれ変わります。
 社長も自らが選び、社名も自らが付け、組織、方向性、手段、、、全てを社員達で議論し、考え抜いた結果のものです。
 もちろん私の念い、方向性と全く一致しています。分社化で一定の成果はありました。社員の成長も素晴らしいものがあり、手応えは十分感じていました。ただ分社のいずれの会社も、同じ業務をこなしている。どこを切っても同じ金太郎あめでは、これだけ質量ともに揃った社員の力を発揮するには不十分であり、それぞれの社員の能力、質に合わせた組織づくりが必要になってきたということです。

 各社各人が同一のサービスを提供する、自分は自分、人は人という世界から各人がそれぞれ自分の能力を十二分に引き出せる業務を行ない、人の仕事は自分の仕事、自分の仕事は人の仕事という、互換互恵、Win-Winの関係を築くことにより、より高度な専門業務から、日常必須業務まで、幅広い奥深い業務をこなし、お客様へのサービスも多様化できると確信したからです。

 6月1日、潟`アーズジャパンが誕生します。チアーズ、まさに日本を元氣付ける勇氣づける会社。
 その先頭には平島がなります。彼は現在50才。平成13年3月2日白血病を発症し、まさに生死を彷徨い、奇跡的に1年半の闘病生活の後、復帰してくれた男です。全幅の信頼を置いています。
 もちろん、私と手法は違います。エッと思うところもあります。しかし、目指すべきところは、一致しています。
 「日本を元氣にするには、中小企業が元氣にならなければならない。中小企業の元氣とは社長の元氣である。社長を元氣にするのは我々会計事務所の役目である。我々会計人が元氣になり、中小企業の経営者を中小企業をそして日本を元氣にする。」
 そして、その手段として財務があり、
「経営改善は財務改善、財務改善はB/Sの勘定科目の改善」
との、理念、方向性はしっかりと共有しています。
 
 お前は何をやるのか…と言われれば、私がやるのは次の2つです。
 1つは税理士法人の強化です。我々は税理士業務がベースです。これが基本にあり、ここを差別化してゆきます。現在6名の税理士を10名〜15名にしてゆきます。
 税務署OBの方々にも入っていただき、より税務のプロ化、専門化を目指します。
 もう1つは、セミナー。後継者塾、経営者塾と言った今までのノウハウ、経験を生かした個別指導を中心にしてゆこうと思っています。キメ細やかな対面的な業務を増やすことです。
 出来れば、久遠クラブのようなものを立ち上げ、30名様限定で様々な学びもしていこうと思っています。
 いずれにせよ、30周年、会社も私もより高いものを目指し、成長進化してゆく所存です。今までの30年に寄せていただいたご厚情を上廻るさらなるご厚情をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 


                                代表社員 前原 幸夫 
posted by 前原幸夫 at 16:39| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

4月の言葉!「バングラデシュセミナー」

「バングラデシュセミナー」

 5月25日(月)午後2時〜4時、岡山商工会議所でバングラデシュセミナーを行ないます。
 なんで?と思われるかもしれませんが、実は2月にバングラデシュに行って参りました。印刷業者の視察旅行に便乗させてもらい、行って来ました。バングラデシュと聞いた時、
大体の場所は分かりましたが、正確な場所は地図を見て確認するようなことでした。
 バングラデシュはインドの東隣にあり、昔は東パキスタンと呼ばれていました。パキスタンから1971年に独立して、まだ45年ほどの若い国です。
 若いと言えば、人口構成も若く、人口は日本の40%ぐらいの土地に、1億5千万人が暮らしているという状態。失業率も高く労働人口にはこと欠きません。

 今回、印刷業界の方々が中心の団体旅行にあえて参加した私の目的は、世界の最貧国と言われた国を見ておきたいという思いと、最近この貧しい国で倫理研究所のテキストを学ぶグループがダッカ大学を中心にできたということを聞いたからでした。
 日本全国から約20名の視察団でした。現地の最新の印刷工場(といっても日本とは比べものにならない程遅れている)を3ケ所見学したり、工業特区を管轄する政府機関やバングラデシュの印刷組合の関係者との懇談と盛りだくさんの行事でしたが、当日政府に対する抗議のデモがあるとの情報で、あまり遠出は出来ず、ある程度限られた範囲での行動を余儀なくされ、ダッカ大学への訪問も取りやめざるを得ませんでした。
 ちなみに、この国ではデモは日常茶飯事で2大政党がシーソーのごとく政権を奪い合い、その度ごとに反政府勢力が政権打倒を叫び、デモを繰り返しているということでした。

 月給は月1万円、しかもその口に有りつければまだいい方で、街には物乞いが大勢たむろし、車が信号待ちで止まろうものなら、何人もの物乞いが我々の乗っている車の窓に顔をつけ、お金をせびりにくる有様でした。
 印刷工場もインクの臭いがもの凄く、肺は大丈夫かと心配になったり、うず高く積まれた印刷用紙は砂で汚れ、商品価値はあるのかと心配する程、いい加減な管理の中での製作でした。
 街はゴミと車であふれ、乾期の終り頃ということで、木の葉は茶色に砂で汚れ、心を癒すものは何もないという凄まじいところでした。
 ただ、経済的には全くこれからで、繊維産業(ユニクロ)が少しある程度で、これから日本からの投資を国を挙げて歓迎するという態度でしたし、事実我々の行動がテレビのニュースで流れるというように日本(外国)の投資を待ちかねているようでした。

 5月25日のセミナーの講師をしてもらうタミハド・モイヌル氏は36歳、ダッカ大学から日本の大学を出、住友電工、ボッシュを経て、オンラインの英会話事業を起こし、筑波大学の大学院を出、現在日本とバングラデシュの経済のかけ橋となりたいとJBBC(ジャパンバングラデシュビジネスセンター)の代表をしています。
 視察団のガイド、通訳もやってくれた好青年でした。通訳で思い出しましたが、バングラデシュは英語が公用語ですが、政府高官や印刷組合との懇談の中で、こちらの視察団のメンバーはほとんど英語がしゃべれない人ばかりでバングラデシュ人から見ると、技術的に世界の最先端を行く日本人が英語をしゃべれないことに驚きを持って見たようでしたし、少しあざけりの笑みを感じ、英語はこれからの時代必須だなとつくづく感じました。

 中国は共産主義、しかも賃金が高くなり、タイも飽和状態。ベトナム、インドネシア、その次はバングラデシュ?との思いで今回のセミナーを企画しました。
 若い労働力は有り余るものがあり、宗教はイスラム教ですが、原理主義的なものではなく、貧しく勤勉なバングラデシュはこれからの投資先の一つではないかと思います。
 まだまだインフラが整っていない中、条件はあまり良くありませんが、一度お話を聞いていただけたらと思います。
 朝昼晩、カレーのような食事も飽きますし、宗教でアルコールも原則禁止、私には耐えられない国ではありますが、あの若くエネルギッシュな民族と日本との融合は有りかなと思っています。
 
モイヌル氏も優秀で信頼のおける企業家です。祖国バングラデシュと第二の祖国日本の橋渡しを本氣で考えている好青年です。
 彼に会うだけでもおもしろいと思います。 よろしくお願いします。 
                
                                     代表社員 前原 幸夫

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posted by 前原幸夫 at 16:25| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

3月の言葉!「大塚騒動」

「大塚騒動」

 最近、とみに企業の事業承継についてのご相談が多くなっています。
 1つは社長の年令、1つは今年から相続税の基礎控除が引下げられたことに対する増税感からだと思います。
 企業30年説というのがありますが、よく言ったもので、30代で創業し、それなりに成長させてこられた社長さんも60代後半を迎え、そろそろリタイアを考えられる方が多いということでしょう。
 しかし、ここで数々の問題があります。
 大きなものは、譲る側の年令、健康と譲られる側の経営者の力量です。
 今の70才はお若い。
 ですから、さっとリタイアというわけには行きません。それが60代ならばもっと若く、子供さんに社長の座を譲った後も実質的に社長。何の為の社長交代か分かりません。
 しかし、譲る側の社長にも言い分があります。
「後継者の我が子を見ていると、まだまだ社長の器ではない。老骨にムチ打って、私がガンバラねば!」との思いが強くあります。
 一方、後継者の側は、社長になったものの「以前と役割はほとんど変わらず、先代の社長、現会長は自分のやることなすこと、こと細かくチェックし修正をかける。何の交代か分からない。」
「これほど時代が変わっているのに、先代の行っていた経営手法でやりたがり、新しい経営スタイルをなかなか認めてくれない」と、不平不満を持つ後継者も多いのが現実です。

 まさに今の大塚家具の騒動そのものです。
 先代社長が一代で作り上げてきたものを、一橋大学、都市銀行出身の才女が後を継ぐという傍目には何ともうらやましく思われるものが、当人同士、怨念とも言えるような確執が繰り広げられています。
娘二人で身内の後継者がいない私なんぞ、あんな優秀な娘が後を継いでくれたらいいなぁと思いますし、又、創業者の私にとってはないないづくしのスタートでしたから、あれだけの巨大企業を作り上げてくれた先代がいたら、さぞかし経営は楽だろうにと、父と娘、共方うらやましい限りです。
 ところが、現実は逆で先代は後継者が行うことが不安で不安でたまらず、後継者は先代を古くさい目の上のタンコブと思うようです。
 
 大塚家具にしても、現会長の親は、タンス職人だったと言います。多分、その父の念いはタンス職人の後を継いで欲しかったに違いありません。
 しかし、大塚勝久会長は父の作るタンスの販売をし、その間学んだ家具販売のノウハウをもって、1969年独立したのです。親からの独立です。その時多分勝久氏の父親も不安いっぱいだったに違いありません。
 それから快進撃を続け、2003年には売上730億円を上げましたが、2013年には562億円と経営不振に陥りました。
 この難局をいかに乗り切るか、従来の成功体験を元にしたやり方か、時代の変化に見合う経営の見直しをするのか、ここが親子の対立だと思います。どの企業にもありそうな話です。

 それではお前はどうするのかと聞かれたら、私ならこうします。
 勝久氏が今の手法で十分この難局は乗り切れると判断するなら、より大塚家具の強味、特徴に磨きをかけることです。
 ニトリや、IKEAにはないもの、大塚家具でしか得られないものに。
 それは徹底した仕入に対する目利きであり、高いもの、いいものをより安くという高級化であり、会員制を利用した限定的な顧客の絞り込み、会員としてのステイタスの向上、顧客密着度を上げることによる家具というものではなく、ライフスタイルそのものの提案力の強化です。
 しかし、それだけでは今の変化には対応できないでしょう。
 従来の販売手法に磨きをかける一方、住宅建築戸数の減少(少子化、高齢化)、まとめ買いから単品購入、氣にならない接客、自由な買い物ができる売り場づくり、高いというイメージの払拭等、久美子社長の言うこともうなづけます。  
 だとしたら、第二創業を久美子社長は、大塚家具というブランドではなく、自らのブランドとして立ち上げ、店舗展開をしてゆく。手法の違う二つの企業がお互いライバルとなり、補完し合い、事業を展開してゆくことが、いいのではないのでしょうか。
 二者択一ではなくいいものが残る、そして、お客様に支持されないものは自然になくなるという当たり前の原理原則どおりやってみることです。
 泥試合こそ最も避けなければならないものです。

 以前、ある後継者の社長から、こんな話を聞いたことがあります。
 ある日、先代の社長お父様から、お前が社長をやれと、まだ30代の前半の時言われ、それと同時に会社の実印と通帳、そして父名義の○千万円残高のある定期預金とその印鑑を渡され、その日からお父様は会社に出て来なくなってしまったそうです。
 急な事で驚いたと同時に、父の自分に対する信頼を痛いほど感じ、もちろん父名義の預金には一切手を付けることなく、30年以上一所懸命やってきたということです。

 又、創業50周年、60周年というお祝いに、ご招待されることもよくあります。
その場で目にすることは先代や先々代に対する恩の披歴、感謝の式です。現社長が今こうやって隆々とやってられるのも全て先代や先々代のご苦労、ご苦心の賜物との念いが式全体のベースになっています。
 創業者もいくら立派に大きく企業を成長させたとしても、永遠に社長でいるわけにはゆ
きません。必ず、承継は必要になります。
 その時、俺なんか苦労の連続だったのに、こんな立派な会社の経営をやれるのだから、お前は幸せ者だと、後継者に恩を売る(請求書の発行)のでななく、何があってもお前を信じ、バックアップする。
そして自分が創った会社、自分が継いだ会社を継いでいただくことだけで有り難い。そんな思い(領収書の発行)も必要なのではないでしょうか。

 それと同時に継ぐ立場の方も、親や先祖に対し、こんな立派な会社を継がせていただくことに感謝し、必ずこれを次の代に継なげてゆくことを先代の前で誓うことも必要なのではないでしょうか。
 泥のかけ合いでなく、感謝のかけ合い、親は子を信頼信愛し、子は親を尊敬崇拝することにより、スムーズな事業承継が行なわれるのではないかと思います。
 社長は有限されど、企業は無限です。
真の事業承継とは父が子に継がせるだけでなく、その子が孫に継ぐことで完結されると私は教えていただきました。
 真の事業承継を私も行なう決心覚悟です。


                           
                           代表社員 前原 幸夫 
posted by 前原幸夫 at 10:23| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

2月の言葉!「暖春」

「暖 春」

 TVや新聞の報道を見るにつけ、新春から人殺しや戦争等、辛く悲しくなるものばかりですので、口直しと言ってはなんですが、最近見聞きした心暖まる話を3編読んでいただたこうと思います。

 まず、第一はアサヒビール名誉顧問、故中篠高徳氏のエッセイからです。
 
 友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。
彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、

「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。
父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子どもの分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、『子を思う親の真(愛)情』が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。
 その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」
という。

 それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身は少ないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意氣な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。

 この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」の妙法であり、「慎独」の実践なのである。

 次は、一般社団法人倫理研究所が昭和22年9月より発刊している「新世」の平成24年7
月号の巻頭言に載った「母に宛てた三千枚のハガキ」というものです。

 「七十四歳になるY子さんの母親は、二年前に九十九歳という天寿を全うされた。長野県に
暮らす母親は、いつしか耳がよく聞こえなくなり、家族や友人との会話も少なくなってしまっ
た。電話で孤独を嘆く声を聞いたY子さんは『母が元氣になるのなら、毎日ハガキを出してみ
よう』と決意したのだ。

 ところが毎日書いていると、もう書くことがなくなってしまう。生活倫理相談を受けると、今朝の味噌汁の味を書いても何でもよいから、とにかくつづけるようアドバイスされた。
明治生まれのその母親は山奥の過疎地に育ち、字を習わなかったのでまともに文章が書けない。それでも年に二、三度は返信がきた。よほど練習して書いたらしい。文頭にはいつも『あの子がどうぞ読めますように』と書かれていたという。

 毎日同じ時刻にハガキを投函していると、不思議な出会いがあった。見ず知らずの女性から声を掛けられ、親へ一日通信していることを語ると、『あなたの母親の住所を教えて欲しい』と言われたのだ。するとその女性からYさんの母親へ、ハガキと一緒に菓子やソバが届けられ、母子で喜び合ったという。
Y子さんがなにより嬉しかったのは、一日通信によって、母親が喜んでくれるだけでなく、昔日の思い出の数々が呼び起されたことだった。おのずと感恩の氣持ちが深まる。
毎日の通信は足掛け十年にも及び、ハガキの数は三千枚をゆうに超えた。その全てを母親は大切に保管し、こう語っていたという。『ハガキはあの世に旅立つときには持っていくから、必ず持たせておくれ』『お前のハガキのお陰で生きてこられた。あの世へ行っても、高い所からお前たちを見守っているからな・・・・・』。
 母親の亡きあとも、Yさんはつねに守られている実感を抱きつつ、明るく暮らしている。親の為にと思って始めた一日通信は、実は自分の為でもあったのだと、感無量に述べていた。」 

 最後は、一般社団法人倫理研究所の丸山敏秋理事長がお話しになったものです。

「老人が死を前にして自分の人生を振り返りました。すると足跡が浜辺の砂の上に、ずっと続いていました。しかもそれは二人分。一人はもちろん自分、もう一人は神様でした。今も彼のそばに神様はいます。しかし、彼がよく見てみると、その足跡が所どころ、一人になっている時期があることに氣づきました。しかも、その時期は彼が病氣したり、会社が倒産したりした苦しい時期だと分かりました。
死を直前にした老人は、自分のとなりにいる神様に『神よ。なぜあなたは私の一番苦しい時、私のそばにいてくれなかったのですか』と責め心で問いかけました。
神様は一瞬困ったような顔をし、少し間を取り、やさしく彼に言いました。
『そうではないんだよ。あなたの一番苦しい時、あなたが一番悩んでいた時、私はあなたを背負って歩いていたんだよ。』と。」

 以上三編。もう一度、心を洗い清め、その心を家庭に会社に地域に世界に発信してゆきましょう。
 すばらしい地球、世の中を創るために。 


                             
                              代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 17:30| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

1月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」

「新年あけましておめでとうございます」

 数年に一度という猛寒波の襲来をまともに受けております日本列島ですが、皆様におかれましては、健やかに和やかな新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年を表す一言は「税」でした。4月に消費税が8%になり、その反動による消費減退により、今度は当初予定していた10%への増税を1年半先送りするという、一見ちぐはぐに見える対応が印象深かったものと思います。
 又、年末の総選挙、自公連立政権の圧勝に終り、これから少なくとも2年間は安倍内閣の元での経済政策が推し進められます。大企業の収益力は良化していますので、株主対策としての増配や自己株の買入れよりも、労働者の賃金を上げることを企業側が優先すればアベノミクス第3の矢も成功の割合は上昇するのではとの期待を込め、企業側の選択を待ちたいと思います。
 ただ、少し氣がかりなのは、原油価格の低下から来るロシアをはじめとする新興国、およびギリシャをはじめとするEUの債務返済能力です。特にロシアはOPECとアメリカ、石油とシェールガス対決のあおりをモロに被った格好になり、その財務内容に関心がいっています。 

 今年2015年は、1945年日本敗戦から70年の節目です。
 昭和25年生まれの人々が65才となり、年金や医療費、そして介護費用に多大な出費を要する年へと突入します。
 大激変が待っています。円安は進み、120円台が常態になります。原油が下がっているのがせめてもの救いですが、輸入品は上ってゆきます。
 政府も今年一年で結果を出すべく、あの手この手を出して来るでしょう。昨年内にまとめ上げられた税制改正大綱も経済・景氣対策がズラリと並んでいます。これらの活用を楽しみにしています。

 我が社は、今年6月1日、創業30周年を迎えます。昭和60年6月1日、32才で独立開業して以来30年です。お礼の言葉をいくつ重ねても足りませんが、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
 私も今年62才です。そろそろ後進に道を譲ることも考えなければなりません。もちろん、生涯現役、生涯税理士として働く覚悟ですが、組織の活性化、組織の弾力化のために、半歩だけ身を引こうかとも考えています。

 今まで、私のやりたい放題で、組織づくりをしてまいりました。それが間違っているとは思っていませんが、社長を育てようと税理士法人の下に7社の会計法人、1つの入力代行法人を作り、経営してまいりました。今年はこれらを統合し、総合的、多角的なサービスが提供できる組織、人財を育成するための準備期間に入ります。3年はかかるでしょう。

相続とか、経営計画とかを専門的に行なうグループ。入力し月次・年次の決算書を作成するグループ。そしてそれを持参し、経営会議等を行うグループ。
今までの縦割りの組織から、横割りの組織への転換です。正に180度の方向転換です。
人財も充実してきました。いや、今が一番旬かもしれません。40代、50代のベテラン、30代の中堅、皆それぞれ心・技・体、兼ね備わった人財になりつつあります。しかし、これにあぐらをかくわけには行きません。
この中から、リーダー選び、新しいリーダーの基、今までとははるかにレベルアップした戦略で、全く今までとは異なる組織・サービスを作って行かなければなりません。服のデザイン、大きさ、材質が今までとは違います。それにピッタリの人財を見つけ、それが最も似合う人財にその服を着てもらう必要があります。

 今年は大仕事が待っています。企業30年説、まさに実感です。 昨年、我が社において一番大きな出来事は、第2回会計事務所甲子園に出場したことです。最初は興味本位でしたが、1次予選、2次予選、準決勝、そして渋谷公会堂での決勝と、だんだんと社員も熱をおび、熱くなって戦い抜きました。結果、優勝は逃したものの準優勝。全国の会計事務所から注目されました。
 そこで得たものは確信でした。我が社の経営理念が今までのやり方が間違っていなかった。組織や戦略は変わっても、「中小企業が元氣になれば、日本は岡山は元氣になる。その中小企業を元氣にするには、中小企業の経営者を元氣にする。そのために我々会計人が元氣になる」という基本的な考え方は、これからも堅持し、より進化発展させていかなければならないということが、社員一同、皆肝に落ちたという確信です。

 2015年、大激変の幕明けです。どんなことが起ころうとそれを喜んで、真正面から受け、その中に無限の可能性、打つ手があり、全て自社にとって絶好のチャンス到来とモロ手を上げて、その風に向ってゆく時、道は必ず拓けます。大切なことは何が起きても、喜んで対処するということです。不透明な時代を不安がらず、恐れず、心配せず、臆病にならず、傲慢にならず、謙虚にもならず、ただただ喜んで朗らかに、一瞬一瞬対処してゆく。こんな動じない人間力が必要です。目まぐるしく動く環境だからこそ、どっかと腰を据えた対応が必要となります。
 
 今年、我が社にとっても大激変の時です。しかし、それを乗り越えることにより、より充実したサービスを提供できる元氣会計事務所となり、中小企業の経営者をそして中小企業を、ひいては岡山を日本を元氣にすることができるという確信を高めながら、進んでまいります。
 共に風を真正面から喜んで受け、邁進してゆきましょう。明るい未来のために。

今年一年よろしくお願い申し上げます。


                                 平成27年 元旦 
                                代表社員 前原 幸夫
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2014年12月01日

12月の言葉!「サクラ、サクラ」

「サクラ、サクラ」

 11月1日〜5日まで、パラオに行って来ました。清水英雄先生以下7名での訪問でした。
 人呼んで7人の侍。
 清水英雄先生が「太平洋協会」の理事(ちなみに理事長は森元首相)をされており、パラオとは30年来の交流があり、又、来年4月天皇陛下が慰霊にお出かけになるという情報を聞いての訪問でした。
 
 11月1日、成田を夜の8時20分発。時差はなく、4時間30分かかってパラオ着。
 夜(朝)の3時頃ホテルへ到着。翌朝、早速パラオ観光です。
 日差しの強い中、シュノーケルやボートで楽しみ、身体は日焼一色。翌朝、髪にくしを入れると痛い。何か傷でも?と思い、触っても正常。しかし、髪をとかす度に痛い。後で見てもらうと頭のてっぺんが日焼けとのこと。日焼けというより、火焼け。やけどみたいなもので、髪が少ない哀れさを思い知った次第でした。

 頭のてっぺんにやけどを負いながらも、次の日はパラオの大統領との謁見です。大統領の官邸と国会議事堂がある島へ車で移動。小山の上に、日本の国会議事堂を2廻りも3廻りも小さくしたような国会議事堂と大統領府が並んでありました。前日の夕食の時、清水英雄先生の長年の友人であるパラオの元駐日大使ウエキさんに先導されての面会です。何せ、このウエキさん、現在御年83才。日本の小学校で学び、医学博士で日本語ペラペラ。
 パラオの初代の国会議員もされ、絶大な人脈をお持ちの方です。何せ2万人の島国ですから、大統領、大臣みな知り合い(後輩)という方、心強い限りでした。

 ウエキさんのご案内で、国会議事堂を見学させていただいた後、大統領の会見、主に清水英雄先生とのやりとりで、こちらの出る幕はありませんでしたが、大統領の日本に対する要望は3つ。
 1つは、観光にもっと来て欲しい。2つ目は、ODAがもっと欲しい。3つ目は、民間の投資がもっと欲しいというおねだりばかり。
 観光が唯一最大のパラオにとって、日本は大のお客様。     
 近年、中国人の来客が増えているそうですが、規制をかけているとのこと、それ程日本人に氣を配っているという感じでした。

 3日目は、いよいよペリリュー島へ慰霊の旅です。今回の旅行は、これがメインです。
 今から70年前、1944年11月24日、ペリリュー島守備隊が玉砕しました。その4ケ月程前、1944年7月7日、サイパン島が占領され、次の目標がパラオでした。
 パラオは1919年(大正8年)、第一次世界大戦でドイツが敗れ、それ以来、日本が統治しており、今でも日本風の建物があり、日本人の苗字らしい方も結構おられる親日国です。したがって、日本軍の重要基地があるペリリュー島は、アメリカ軍の格好の目標となりました。
 
 ペリリュー島の守備隊、指揮官は中川州男(くにお)陸軍大佐です。彼は、島内をくまなく歩き、数々の洞窟や鍾乳洞を発見します。島は隆起が激しく、河川はありませんが、1日に1回必ず降るスコールにより、飲み水には困りません。
 今までの日本軍の戦法は上陸してくるアメリカ軍を水際で攻撃し、上陸させない戦術でしたが、中川大佐は洞窟を利用し、地下にもぐり徹底抗戦で、持久戦を試みました。
 島内に500ほどある洞窟を地下でつなげ、島全体をトーチカ要塞にするというわけです。 

 1944年9月12日、ペリリュー島守備隊8,978名に向い、アメリカ軍の総攻撃が開始されます。
 当初、アメリカ軍は3日か4日で占領できるだろうと考え、総攻撃の前日はステーキでカンパイを上げたといいます。
 空母8隻を始め、300隻以上の艦隊、3日間で17万発、約4,000tの砲弾が小島に降り注ぎました。しかし、日本軍は地下へ潜り、じっと我慢の持久戦。無数の機雷をくぐり抜けて、上陸してくるアメリカ軍に必死の抵抗。アメリカ軍が今まで経験したことのない頑強さで、海岸はアメリカ軍の死体で血に染まったといいます。

 連日連夜の激しい戦闘の中、次第に兵力も弾丸も食糧もなくなってゆきます。
 戦線開始から72日目の11月24日、もうこれまでと覚悟した中川大佐は、全員玉砕を意味する「サクラ」という暗号を発信、洞窟の奥に進み、軍旗に深く頭を垂れ、その後日本本土の方向へ向かい深く一礼した後、割腹し、自決しました。
 その後も、一部の日本軍人はペリリュー島に潜み、戦い続けましたが、1947年(昭和22年)4月21日34名が洞窟で発見され、ペリリュー島の戦いは終りました。

 我々は、今でも70年前日本軍が使用した食器や空き瓶の残る洞窟や、ゼロ戦の残骸、戦車の残骸、山をくり抜いて作った高射砲陣地、滑走路の跡、そして、中川大佐が自決した終焉の地(洞窟)をめぐり、涙し、般若心経を唱えさせていただきました。

 サイパンに続き、天皇陛下は来春、パラオにも慰霊のため訪問されます。
 来年は終戦から70年、戦闘は終わったけれども、戦争は続いているとの印象は深く私の心に刻まれました。
     
                             代表社員 前原 幸夫    
posted by 前原幸夫 at 15:31| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

11月の言葉!「昭和100年」

「昭和100年」

 私は、以前70年周期説というものをご紹介しました。今から約140年前、明治10年(1887年)西郷隆盛が蜂起した西南の役、これを境に武士の世の中から、明治新政府へと完全に時代は移りました。それまでの鎖国政策から文明開化、ヨーロッパの列強へ、追いつけ追い越せとばかり、富国強兵の政策をおし進めてきました。
 その行き着く先は、第二次世界大戦でした。そして明治10年(1877年)から約70年後1945年、第二次世界大戦に負けた日本は、自由と平等という相反する理念の基、今度はアメリカを手本とする大量生産、大量消費へと大きく舵を切りました。
 日本人本来の美徳を捨て、ひたすらエコノミックアニマルと化し、資本主義をおし進めてきました。そして行き着いたところは、少子高齢化社会、借金大国、核家族化、格差社会でした。

 1945年から来年2015年は70年です。
 これまでの70年間、日本人としての美徳を捨て、日本人としての誇りを奪われ、日本人としての背骨を抜かれ続け、自分さえよければよい、使い捨てが当たり前の日本人となり下がりました。
 しかし、我々は今までの価値観では、幸せになれないことに氣づき、大きく舵を切り直す必要があると思い始めています。
 経済成長が人の幸せと連動しないこと、いや、経済成長以外に、人の幸せのバロメーターを見出す(見出さざるを得ない)必要がでてきました。
 2015年からの10年間、ここが勝負です。新しい価値観、新しい幸福観、新しい事業観・・・等々新しい思考の枠組み、パラダイムシフトが必要となります。
 
 例えば、より安くよりいい物を買おうとする消費行動。
 安いものは全て中国、ベトナム、カンボジア等からの輸入品です。日本人が丹精込めたものが、中国や東南アジアでできたものの値段で売れるわけがありません。
 いい物(日本製)は高いのです。今までは大量生産、大量消費の名の下、安いものイコールいいこという風潮でしたが、人口減少の今、大量な消費はありえません。
 身の丈に合った消費でいいのです。まとめ買いをし、大きな冷蔵庫がいっぱいになっていた我が家も、85歳の母と還暦を過ぎた我々夫婦にとっては、半分いや1/3でいいのです。その代り、少しだけ高価なものを、その都度買い求めるという消費行動になります。
 地域の人々が丹精こめて作った米や野菜、肉、魚。10年に1本買い替えればいいジーンズ。いい物を少量買って、長く使う。持つ幸せから、使う(活かす)幸せへの転換です。

 又、働くということも変わってきます。昔は60歳で定年退職、年金をもらいながら(女性は55歳でした)悠々自適。今こんな老後は望めません。
 一つは財政上、一つは健康上の理由からです。財政的には、ご承知の通りの日本国の状態です。頼りにするほうが無理です。年金も介護も医療も切り下げが必要です。
年金が少なくなれば、働かねばなりません。
 介護、そして医療給付が切り下げられれば、健康でいなければなりません。
健康でいるためには、身体を動かすことを嫌がっていてはいけません。人のために身を動かし、少しばかりのお金が入り、いつまでも健康でいて、介護や、医療保険のお世話にならない人生。それは働くことです。
死ぬまで働くことです。この喜働観がこれからの日本には必要です。
 これからの10年、特にパラダイムシフト(思考の枠組みの変化)が必要となります。
 個から衆へ、遊から働へ、捨から拾へ、持つから借りる、都会から田舎へ、お金から心へ・・・
 
 1945年から70年後の来年2015年、ここから10年後の2025年。
 この年は、今2025年問題としてクローズアップされていますが、昭和25年生まれの団塊の世代が75歳を迎えます。
 75歳以上の後期高齢者と呼ばれる老人が2200万人。日本の人口の1/5は75歳以上になります。(65歳以上は30%)
 年金、介護、医療の負担はうなぎ昇り、赤字財政はますます増大、インフレによる物価高、もうお金で解決することは困難です。では何で・・・・、それは人の心です。
人を思いやり、人のために人生を使う。これがなければ、もうお金がないのですから。地域の介護は地域で行う。地域の医療も地域で格安で行う。耕作できない農地は、地域の人々が耕し、農作物を自給自足する。人口減により余った民家は、安く若夫婦に貸し出す。
 自分だけいい物を着、いいものを食べたいという欲望から、皆でそれなりのものを着て皆でおいしく食べるという喜び。

 日本人が本来持っていた人の和、人との共生、共栄を一番に考える行動様式が必要となります。
 2015年は、来るべき2025年へ向けてのパラダイムシフトへの準備期間です。しっかりと準備をしてゆきましょう。物の準備、体の準備、心の準備をです。
 それには、日本古来の生活風俗、生活習慣に学ぶ必要があります。もったいない精神、男女老若の順序、目上の方への尊敬の念、共同体意識、地域愛、祖先崇拝、すべて日本人が持っていたものです。
 この10年で思い出し、動いていきましょう。
 2025年は、ちょうど昭和100年です。

 

                            代表社員   前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする