2022年01月05日

今月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」

新年あけましておめでとうございます


昨年の終盤、ワクチン接種等の対策が功を奏したのか、コロナの新規感染者数が激減し、少し安堵していたところ年末からオミクロン株などという新種が発生し、世界を騒がせています。これら変異株はウィルスの特徴であり変異するのが当たり前だという前提で右往左往せずどっしりと地に足をつけて参りましょう。
コロナが発生してから早や2年近くになります。「もういい加減に」という思いは世界中が持っていると思います。しかし、これからが踏ん張りどころです。自分一人が苦しい訳ではありません。皆苦しみや我慢の真っ只中です。今年こそ差をつけるチャンス。マラソンでは35`過ぎです。ここからゴールまでいかに踏ん張り、いかに駆け抜けるかで勝負が決まります。弱音は禁物です。必ず打つ手はあります。いや、打つ手を打ち続けることです。打つ手を打てる手を次から次へと繰り出しこの難局を乗り切って参りましょう。
5Dは禁句です。(だって、でも、どうせ、だめだめ、出来ない)
 我々中小企業は、いつ・いかなる時でも事業を成長発展させる必要があります。なぜなら会社の存在、成長発展と自分の人生とはほとんどイコールだからです。いい人生、素晴らしい人生を送るためには自社企業の成長発展は必要条件です。
 コロナであろうと地震や風水害が来ようと、それをチャンスと捉え前に向かってゆかなければなりません。そのために、この2年間やってきたことに更に磨きをかけましょう。店にお客様が来られないならテイクアウトや宅配、ネット販売と様々な努力をこの2年間皆様方はやってこられました。この新しい種をもっと大きく実らせる必要があります。しかも、コロナが治まり日常に戻れば従前の商いも販売スタイルも復活させなければなりません。
コロナ以降生まれた新しいビジネスモデルとコロナ以前からの旧いビジネスモデルとの共存、どちらも共生させなければなりません。


 今までの2倍の労力・手間が必要です。休んでいる暇はありません。24時間働けとは言いませんが、効率よく優先順位をつけ、生産性をあげなければなりません。
 もう一つ、「捨てる覚悟」も必要です。事業の棚卸をすることです。商品・お客様・社員・仕入先・等々・・・
優先順位をつけ下位にランクされるものは切ることも必要です。コロナ前後のビジネスモデルが共存する中、膨らんだ業務・商品・お客様・商圏・販売法など・・
伸ばすべきは伸ばし、捨てるべきものは捨てる。そんな一年になると思います。
経営者にとって日々の経営に真面目に取り組み全身全霊を尽くすだけでは50点です。5年、10年先を見据えたビジョンも同様に創りあげなければなりません。将来の商売の種蒔きも大切な仕事です。
5Dは禁物(どうせ、だって、でも。だめ、出来ない)!
やらない言い訳ばかりするのではなく、今ここが最大のビッグチャンスと捉え、やってやってやり抜く、打つ手を打って打って打ち続けることです。


苦しい時代だからこそ笑顔で乗り切りましょう
 我が社も昨年庭瀬に岡山西支社を立ち上げ、今年は笠岡市にも支社を出す予定です。税務署OBの方等の新しい税理士も補強してゆく予定です。益々お客様の身近でよりお客様に寄り添える会計事務所を目指し精進して参ります。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

代表社員 前原 幸夫

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2021年12月01日

今月の言葉!「ルーズベルトニ興フル書」

「ルーズベルトニ興フル書」

 昭和16年(1941年)12月8日、あの真珠湾攻撃から、今年は80年目にあたります。アメリカは日本との戦争を睨み、ハワイ・オアフ島にオアフ要塞と呼ばれる強固な基地を作りました。今でいう敵地攻撃を山本五十六は決意し、大東亜戦争の火蓋が切って落とされました。
 その後、戦況はご存じの通り、昭和20年8月15日敗戦を迎えることになるのです。その戦争末期昭和20年3月、硫黄島で玉砕戦死した市丸利之助海軍少将が玉砕寸前の硫黄島で時のアメリカ大統領ルーズベルトに宛てた「ルーズベルトニ与フル書」が今もアナポリス博物館に保管されています。まさに市丸少将の遺言です。以下、口語訳で全文をご紹介します。

私は今、わが戦いを終えるに当たり、一言あなたに告げることがある。
日本がペリー提督の下田入港を機会に、広く世界と国交を結ぶようになってから約百年、この間、日本の国の歩みは困難をきわめ、自ら望んだのではないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争を経て、不幸にもあなたの国と戦争するに至った。
これによって日本を見て、あるいは好戦的国民だとし、あるいは黄禍だと言って貶め、あるいは軍閥の専断だとする。考えの足りないこと甚だしいと言わざるを得ない。
あなたは真珠湾の不意打ちを、対日戦争唯一の宣伝材料としているが、日本が自滅を免れるためこの行動に出るほかない窮地にまで追い詰めた諸種の情勢は、あなたの最もよく熟知しているところだと思う。
おそれおおくも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、正義・明智・仁慈を三つの原則とする、八紘一宇[天下を一つの屋根の下に]の文字によって表現される統治の計画に基づいて、地球上のあらゆる人間にその分に従い、その郷土において、生まれながらの生きる権利を認め、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願となさっているのに他ならない。



かつての「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」[私は世界中が皆兄弟姉妹だと思っているのに、なぜ戦乱が起こるのだろうか]という明治天皇の和歌(日露戦争中の作)は、あなたの叔父セオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を呼んだところであり、あなたもまた熟知の事実であるはずだ。
私たち日本人はそれぞれ階級がある。さまざまな職業に従事しているが、結局はその職業を通じてこの天皇の統治の計画、つまり天皇の仕事を補佐しようとするのに他ならない。
われわれ軍人もまた、武器を使って天皇の仕事を広めることをつつしんで承っているに他ならない。
私たちは今、物量に頼ったあなたの空軍の爆撃と艦砲射撃の下、外形的には後退するのやむなきに至っているが、精神的にはいよいよ豊かになり、心はますます明朗になり、歓喜を抑えられないものがある。
これは天皇の仕事を補佐するという信念に燃える日本国民共通の心理であるが、あなたやチャーチル氏らの理解に苦しむところだろう。今ここにあなた方の精神的貧弱を憐れみ、以下一言しばらく教えさとそうと思う。
あなた方のすることを見れば、白人とくにアングロサクソンで世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現の前に奴隷化しようとするに他ならない。
このために卑劣な策をもって有色人種を欺き、いわゆる悪意の善政によって彼らの本心を失わせ無力化しようとしている。
近世に至り、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、とくに東洋民族をあなた方の束縛から解放しようと試みたところ、あなた方は少しも日本の真意を理解しようと努めることなく、ただあなた方にとって有害な存在だとして、かつての友邦を仇敵野蛮人と見るようになり、公然と日本人種の絶滅を叫ぶようになった。これは果たして神の意思にかなうものだろうか。
大東亜戦争によっていわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、その中の各民族は私たちの善政を謳歌し、あなた方が今これを破壊することがなければ、全世界にわたる恒久的平和の到来は決して遠くない。

あなた方はすでに十分な繁栄にも満足することなく、数百年来のあなた方の搾取から逃れようとするこれら憐れむべき人類の希望の芽をなぜ若葉のうちに摘み取ろうとするのか。
ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。
あなた方はどうしてこのように貪欲でしかも狭量なのか。
大東亜共栄圏の存在は、少しもあなた方の存在を脅かさない。むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものであり、日本天皇の真意もまったくこれ以外にないことを理解する雅量が[あなた方に]あることを希望してやまないものである。
翻って欧州の事情を観察しても、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛嘆せざるをえない。
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次欧州大戦開戦の原因が第一次欧州大戦終結に際して、その開戦の責任のいっさいを敗戦国ドイツのせいにし、その正当な存在を極度に圧迫しようとしたあなた方の先輩の処置に対する反発に他ならなかったことは看過してはならない。
あなた方がよく戦って、ヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリンを首領とするソ連と協調しようとするのか。
およそ世界を強者の独占するものにしようとすれば、永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。
あなた方は今、世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方の得意は想像できる。しかしながら、あなた方の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。
願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないことを。
市丸海軍少将
【Wikipedia「ルーズベルトニ与フル書」より】

 戦後の私たちが小学校や中学校で習った近代史は、戦後アメリカによって作られた近代史です。真珠湾攻撃から80年。我々日本人から見た大東亜戦争に対する見方も必要なのではないでしょうか。新たな史記を構築するためにも…
代表社員 前原 幸夫
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2021年11月01日

今月の言葉!「努力」

「努力」

 「努力」などという言葉を久しく耳にしていないし、今では死語になったのかと思っていましたが、オリンピック・パラリンピックを見て「努力」という言葉を再認識致しました。もちろん選手のみならず、晴れの舞台しかもコロナで1年以上延期された舞台を作った人々の努力も素晴らしいものであったと思います。メダルを取った選手は周囲の人々へ感謝の言葉と今までの努力、そしてそれが報われたことに対する喜びの言葉を口々に発しています。
 柔道女子78キロ超級金メダリストの素根輝選手は身長が163センチと重量級では小柄なため男子選手と稽古をくり返すなど「人の3倍は努力する」というのが口癖だったと言います。水泳の池江璃花子選手などもいい例です。
 パラリンピックの選手などは肉体的ハンディキャップを乗り越えて手や足、目や耳が不自由でも走り、泳ぎ、ボールを追い、車いすに乗り競技をする選手たちには想像を絶する努力の日々があったことを感じずにはおられませんでした。
 そんな折、毎月送られてくる雑誌『致知』の11月号のテーマがなんと「努力にまさる天才なし」というテーマで、その文字が飛び込んで来ました。『致知』は毎月毎月テーマに即した人が登場し対談形式で構成されていますが、本誌を捲り目に留まったのが、ボクシングの村田諒太選手と保険代理業で伝説的な数字を挙げた金沢景敏(かなざわ あきとし)氏の対談でした。現在、WBA世界ミドル級スーパー王者の村田選手と保険営業マンとの異色の対談です。
 村田選手はスポーツマンですから、練習などにおけるその努力は本人曰く「妥協せず自分との戦いに勝利し、人より1%プラスの101%の努力をしたからたまたま運とか縁に恵まれた」と振り返りました。

 金沢さんの営業成績は紙面には出てきませんでしたが、対談の内容から推測するに、年間5億円程度の生命保険手数料収入を挙げていたようです。(今は生命保険業を辞め生涯価値を最大化するお仕事を起業されています)
 なぜそのような成果を生命保険業界で出せたのか金沢さんは言います。「どんな営業マンよりも人に会っているからだ」と「会っている人の数は一番多いという自信がある」とそして「まず母数が絶対に必要」
すなわち数が必要ということです。人に会う量、電話をかける量、手紙やハガキを出す量、その量があって質や確率も上がってゆきます。最初は足し算であったものが、一定の量を超えると掛け算になります。
 ランチェスターの法則にも成果=質×量2という法則があります。量は2乗で効いてくる。人が8時間働くところを12時間、1.5倍働けば、1.5倍の成果ではなく、1.52=2.25倍の成果になるといいます。(スーパーマーケット等の店舗面積がいい例で、イオンなどがバカでかいスーパーを郊外に作ります。2倍の面積なら4倍の売上があるということです)
 金沢さんは続けて、誰よりも人に会おうとすれば、起きている時間にしか会えないわけで、起きている時間は人に会い、人が寝ている時に仕事をし、入社1年目で日本一になって以来、8年間ずっと会社に寝袋で寝泊まりをしていたといいます。何がなんでもやるという自己決定力が大事だと言います。
 私も前出の二人やオリパラ選手の足元にも及びませんが「やったなぁ」と今思い出すことが一つあります。

 それは大学3年から4年に上がる3月の事、高校2年から税理士を目指していたにも拘らず学生運動華やかなりし折、学校も開いてないしアルバイト三昧。氣がつけば大学3年が終わろうとしていた時、ふとこれではダメだと税理士試験の勉強を始めました。
2月の終わりから3月いっぱい、夕方5時に起き一晩中勉強し、朝8時ごろに寝る。そしてまた夕方5時頃起きるという昼夜逆転した生活を一カ月超したことがあります。ある日の真夜中、今まで解らなかった会計学がストンと腹に入りました。「あっこういうことか」一瞬のブレークスルーです。悶々としていたものが霧が晴れて行くように解決できました。おかげさまで大学4年の8月に受けた税理士試験2科目に合格(3年間遊んでいたにも関わらず)あのブレークスルーは多分徹底的に勉強したから起こったものだと思います。中途半端ではなく徹底的に一つのことに打ち込むことにより奇跡的なことは起こるのかもしれません。


 今コロナで未曽有の経営を強いられている中小企業の皆さん、
今が踏ん張りどころです。弱音や愚痴を言う時間などありません。全身全霊をかけて経営に取り組むことです。徹底的に経営と向き合うことです。「今それをやらなければ、いつやるか」です。
「努力にまさる天才なし」 運命を切り開くは己である。境遇を作るもまた自分である。己が一切である。努力がすべてである。
やればできる!!です。


代表社員 前原 幸夫
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2021年10月01日

今月の言葉!「喜んで…」


「喜んで…」


法人税率の推移.jpg

上のグラフは法人税率の推移です。数字は法人税(国税)のみのもので、これに法人事業税と法人市・県民税(地方税)が上乗せされます。
 私が事務所を開業した昭和の時代、ある社長さんが「法人税は利益の90%が課税される」と言われたことがあります。その会社はかなり利益を上げていた会社でしたので、約40%の法人税プラス地方税、その頃、留保金課税というものもあり60%を超える法人税を支払い、かつ半年後その1/2、30%の予定納税を支払わなければならないということで、90%の税率だと言われたのでした。なるほど。経営者の感覚からすれば汗水垂らして稼ぎ出した利益に対し、半年間で90%もの税金が課かる、なんとも口惜しい思いをされてのお言葉だったと思います。


しかし、今やご覧の通り法人税は23%程度となり、地方税を入れても35%くらい。中小法人の年800万円以下の部分については20%そこそことかなり低くなりました。
以前は高い法人税を避けるため、社長の給与をしっかり上げ、法人の利益を低く抑えるということが一般的でした。しかし、今や社長が給与を上げればそれに課かる所得税・住民税、そして社会保険料の負担が大きくなり、かえって不利になるケースもあります。
 法人税率が半減する中、社長の給与を多額にし法人の利益を圧縮することより、むしろ適正に社長の給与は支給し、法人に利益が残れば喜んで法人税を支払う時代が来ました。
 企業は社会の公器であり、社員やお客様の幸せのみならず市や県、そして日本国のために存在し、市や県・国を豊かにする義務責務を負っています。また、企業の様々な経済活動をする上に社会の資本を使っていることは明白です。道路・港湾という社会的インフラだけでなく様々なサービスを企業は受けています。それらに対するお返しが「税」です。喜んで法人税を支払い、残りを内部留保し、強靭な企業体質を構築する時代が来ました。
 それだけではありません。毎月毎月、給与という形で受けるより、しっかり内部保留した資金を20年、30年後退職金という形でもらう方が社長が支払う税金としても安く、手取りは大きくなります。
 細かい計算は省略しますが、今の給料に毎月25万円増額し20年間給与という形で支給し続けた場合と、25万円もらわず(下げて)20年後(25万×12カ月× 20年=6,000万円)をまとめて退職金という形で受けた場合を比較したものが次項の表になります。退職金には社会保険の負担もありませんから、約1,100万円の差が出てきます。


比較表.png

 もう法人税を恐れ、嫌う時代ではありません。喜んで法人が利益を出し、喜んで税金を支払い、喜んで内部留保に努め、喜んで強い経営体質を創る時代です。
でも、そんなに内部留保したら相続税も大変だし、その内部留保にあとあと課税されるのではとおっしゃる方がおられるかもしれません。
その方には後継者が居て、内部留保の積み上がった法人を継承してゆく場合には事業承継税制でその株式に係る相続税・贈与税を納税猶予するという特別措置も出来ました。
 又、後継者が居なくて、会社を手離さなければならない場合、いわゆるM&Aを行う場合その内部留保に価値があり高い金額で会社を買ってもらうことが出来ます。しかもその株式の譲渡益に課かる所得税は20%です。80%は手取りとなります。
なんとハッピーなことではありませんか。
 コロナもそろそろ終息に向かうことでしょう。
さぁ!もう一度会社を起し、スタートを切ったその燃えるような創業の精神で、しっかり利益を出し、喜んで納税し、喜んで内部留保し、喜んで会社を強くし、喜びに満ち溢れた人生を送りましょう。
 それが、喜びに満ち溢れた強い日本を創ることにもなるのですから。

代表社員 前原 幸夫
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2021年09月01日

今月の言葉!「難、有るを喜ぶ」


「難、有るを喜ぶ」

 コロナの猛威の中、子どもたちの夏休みが終了しました。私が小学生の頃、春には山に入り陣地を作り、チャンバラで攻め合う、花見というものがあり、夏はお寺に集まって水神様という行事、秋はお宮の境内で奉納相撲を中心とした秋祭り、冬は今年一年の豊作に感謝する畑(はたけ)讃嘆(さんだん)と、四季それぞれに行事がありました。そこには常に神仏と共に生きる生活があったのです。
 コロナで大変な苦しみを受けている今こそ、この日本の古来からの風習の考え方を見てみたいと思います。
 日本は八百万(やおよろず)の神々がおられると信じてきました。本居宣長は「すぐれたるもののみを神というのではない、悪いもの奇(あや)しきものなど世にすぐれて畏(かしこ)きをば神というなり」と記し、カミは上であり至高至貴の意味ではなく、人の上に立つものを皆カミと称えました。
 したがって国の神、自然界の神、文化的な神、様々な神様を我々日本人の祖先は祭り崇めてきたのです。
その中には死神や禍神、貧乏神も神としてあるのです。なぜこのような神が存在するのでしょうか。それは、死や災い、貧苦、苦難に対する日本人の考え方、苦難観によるものです。
 病氣や死、災害、貧苦・・・苦難はいっぱいあります。一つ解決したらまた一つ現れます。災害もそうです。地震・水害・風害・干ばつ、様々な災いが毎年毎年日本列島を襲います。コロナもその一つです。 

 苦難観については現在様々なものが日本中に拡散されています。
例えば・・・
@ 人の不幸災難は前世の罪咎による業(ごう)の報いである。したがって現在の苦難はあきらめるしかなく、仏に帰依し、来世は極楽浄土に行くよう努力しようとする方法
A 人は始祖以来罪人であり、苦難も当然であり神の御前に懺悔し罪を詫び全能の神にすがり許しを乞うより外ないという考え方

B 苦難こそ人間を玉成しめんとする天の試練であり敢然とこれに当たり鍛錬修養の好機と捉えるという考え方
C 病は細菌、貧困は怠惰、災害は自然現象であり、不可抗力なものであり人力をもってはいかんともし難いものであるという考え方
大雑把に言えば、@は因果応報的 Aは原罪 Bは修身 Cは現象的・近代的な苦難観です。
 様々な苦難の見方はありますが、我が日本人本来の考え方は上のいづれにも属さずこれらとは全く異にするものです。

 それは、宇宙の原理原則にその実生活を当てはめたものでした。すなわち全てに両面がありそれを認めること、それを合一することにより宇宙は磨き高まってゆくという考え方です。「生き」あるいは「息」という言葉自体「行く(いく)(吐く)」と「来る(きる)(吸う)」という全く相反する行為のおかげで我々は酸素を取り入れ、体内の不要なものを排出して成長進化しているのです。
 宇宙は波動です。昼夜のめぐり、月の満ち欠け、四季のめぐり、雨が降りその地上の水分が熱せられ空に舞い上がり、又地上に雨となって降りてくる。「空に上がることと空から降りてくる」この両方がなければ我々は存在できないし、この両方のおかげ様で我々は生きて行き進歩発展できるのです。
 宇宙の意志はこの波動を通し、良きものになってくれ、良き宇宙に成長発展してくれという願いにも似た、確固たるものです。
 この世に存在するものは、一方が悪く一方が良いというものはないのです。どちらも良いのです。晴れの日もいいし、雨の日もいい、金のある日も良いし、金のない日も又よしです。どんな悪人でも「もっと悪くなろう」と思って生きている人はいません。人は生きている限りもっと幸せになろう。もっと善人になろうと生きているはずです。その過程の一つとして罪を犯してしまうのかもしれません。




コロナをはじめ様々な苦難が私たちを襲います。しかし、その苦難は私たちを苦しめたり、貶めたりするものではなく少し方向が違うぞ、今改めなければだめだぞという天の、あるいは宇宙の赤信号、警報のようなものです。
 例えば車が故障している時の異常音やボンネットから出る煙のようなものです。
もしエンジンやブレーキが故障していてもなんの異常音、なんの煙異変がなかったら車の故障に氣付かず運転を続けます。そして、大事故に繋がってゆきます。大事故にならないように、異常音や煙で運転者に車の不調を知らせてくれているのです。
 苦難もそれと同じです。自分の生活のあやまりに行いの不自然なところ、これを諫め知らせてくれる天の啓示です。だとしたらその苦難(病氣、災難、貧苦・・・)をありがたく受け、自ら真正面から立ち向かいその苦難の原因を一つ一つ取り去ってゆかねばなりません。そして、その苦難の向こうには光明、歓喜の舞台が用意されています。

 苦難は自分の眼前に立ちはだかる壁ではありません。ドアです。ノブも付いています。「エイッ」とノブを回し精一杯の力でドアを開けましょう。きっとその向こうに素晴らしい明日・未来があるはずです。
 それが宇宙の真理であり、我々日本人の祖先の教えだからです。
  
代表社員 前原 幸夫
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2021年08月02日

今月の言葉!「藤田神社」

藤田神社

 岡山の方で、「藤田傳三郎」という名を知らない人はいないと思います。児島湾の干拓を行ったことで有名であり、この干拓地に作られた村には「藤田」の名が付けられ、今でも「岡山市南区藤田」としてその名は残っています。
 そして、この干拓事業の成功と干拓地の守護神として、大正4年藤田神社がこの地に建立されました。つい最近、藤田神社の今井宮司とご縁を頂き、又7月3日藤田傳三郎の生誕180周年の記念行事が行われるというので、私も協賛させて頂き、祝賀会にも参加して参りました。

 私は藤田傳三郎が児島湾干拓に尽力したことぐらいは知っていましたが、より身近に感じたのは今から10年くらい前の東北(みちのく)一人旅の折でした。盛岡に用事があり前泊してレンタカーを借り十和田湖へ行き、その帰途道路標識に「小坂」という地名を目にしました。
 小坂は秋田県にあり、むかし金や銀の採れる鉱山であり私の妻の父親がここで働いており、私の妻も小坂で生まれ2歳頃まで住んでいた地でした。それほど遠くないので行ってみようと思い、少し寄り道をしました。
 小坂の町へ行ってびっくりしました。なんと明治時代から金や銀、そして銅や亜鉛の生産で栄え山の中へ多くの労働者を集める必要があったためアパート、劇場、映画館、芝居劇場、病院や鉄道など近代的なインフラが整備されこれらは今も立派に保存され一大観光地となっていました。
 その豪華な建物の一つに小坂鉱山の旧事務所があり、そこに小坂鉱山の歴史が展示されていました。何氣なく入ったそこに、なんと藤田傳三郎の名前がありました。1884年(明治17年)それまで明治政府直営だったものが、傳三郎が経営する藤田組に払い下げられたのでした。
「なるほど!」すごく腑に落ちた瞬間でした。
藤田組(のちの同和鉱業)が経営する小坂鉱山に義父が就職し、そこで義母と出会い2人の娘が産まれ、そして、傳三郎が干拓した岡山の地に彼自身が経営する同和鉱業の工場を作り、妻の両親は幼子2人を連れて秋田県から岡山県へ引越し、岡山で成長し私と出会ったということが。
私と藤田傳三郎が繋がった瞬間です。

そして、傳三郎のことについてもっと知りたいと思い、書物をあたりました。今大河ドラマで渋沢栄一をやっていますが、傳三郎は渋沢栄一に負けない商才ある実業家でした。
傳三郎は1841年(天保12年)山口県萩市に生まれ、高杉晋作に師事し明治政府の高官との人脈を活かし様々な企業を興します。軍靴製造は後のリーガルに、フジタ観光、東洋紡、南海電鉄、大成建設、山陽鉄道、毎日新聞、三菱UFJに関西電力。
そしてその中心が藤田組、現DOWAホールディングです。五代友厚のあと大阪商工会議所第2代会頭にもなっています。

そして、その財を元に1899年(明治32年)児島湾の干拓に着手。
5,500町歩(5,676ha)の広大な海を1区から7区に分け、藤田組の単独事業の5区までが1950年(昭和25年)に完成。農林省との共同事業である6区、7区が完成したのは、着工以来65年経った1963年(昭和38年)であったといいます。
 まだコンクリートも無い時代、粗朶や捨石により堤防を海の中に築き、又その堤防が工事の最中底なしの干潟の泥に埋まるという難工事。傳三郎は私財を投入し、借金を重ねながら工事を進めていったといいます。又、干拓地の水を供給するため昭和25年、国は児島湾を締め切り、海水を遮断し巨大な淡水湖(当時世界第2位)を作り、田畑の用水を確保できるようにしました。

 傳三郎の手で海が農地となった5,500町歩の田には、今、田植が終り、青々とした苗がゆっくり風に煽られ揺らいでいます。
 傳三郎に感謝するように。

代表社員 前原 幸夫
 
posted by 前原幸夫 at 16:49| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月01日

7月の言葉!「アフターコロナ」


アフターコロナ

 「ワクチン打った?」これが最近の挨拶です。私も6月末には2回目を打ち終わり7月中旬にはとりあえずコロナについては安心な状態になります。日本全体でみても7月には65歳以上の方が終了、11月頃までには大方の人々が終了するというスケジュールが示され、ワクチンによる集団免疫が形成されようとしています。
この一年半、中小企業も国民一人ひとりも歯を食いしばり、耐えに耐え抜いて戦ってきたコロナとの戦いも、終わりが近づき光が見えて来ました。
コロナ終息の後、アフターコロナの準備をしなければなりません。この一年半で大きな傷を負いました。一つは経済的な傷、もう一つは心の傷です。
コロナで休業や営業時間の短縮、移動の禁止による観光へのダメージ。外出でさえ必要やむ得ない場合以外はダメ。これでは飲食業だけでなく小売り、卸売業やサービス業等など、幅広い業界が大きなダメージを被っています。       又、我々も飲みに行けない、会合はない、人に会うことも出来ない、旅行や映画などの娯楽も控えるという日々が続いていました。これが解禁されます。ワクチンを2回打った方から解禁です。大爆発が起こります。飲みに行く、食事に行く、コンサートや旅行、あるいは子や孫に会う。大移動が起こります。人が移動すればそれだけで経済は活性化します。この大爆発に備える必要があります。
 この一年半、中小企業は様々な取り組み、イノベーションを行って来ました。傍から見てもこの底力、変革力にはただただ頭が下がります。
例えば飲食店の場合、店舗で飲食される方は激減しました。そこでテイクアウトという販売方法を模索したり、お店側から出向くデリバリーやケータリングをされた方もいらっしゃいます。
既存の商品サービスを新しい販売方法で売る、そして新しい商品サービスを加えなんとか切り抜けて来ました。
 これからは、この3種の商品・サービス、コロナ前の商品・サービスにもう一度磨きをかけ、売り方にも磨きをかけねばなりません。当然来店されるお客様も増えます。このお客様をきっちりファンにすることが最低限必要です。また、テイクアウト、デリバリー等新しい取組もブラッシュアップが必要です。店売りだけの1種類の販売方法から、3種類に武器は増えました。
飲食店を例にしましたが、それ以外の業界でも様々な変革・イノベーションがあるはずです。Zoom等を使ったオンライン営業等もその一つです。コロナ前、コロナ後の変化をしっかり把握し、コロナ前の商品・サービス・販売方法にもしっかり取り組み直さなければなりません。もちろんコロナによりイノベートされた商品・サービス・販売方法もです。
コロナのおかげ様で‼このチャンスを、このイノベーションを突き進まなければなりません。
 次は心の傷です。この一年半、人に会うことを禁止されステイホーム・テレワークで会社に行くことを禁止され飲み会や会合….全てなし。
あるいはZoom等という新しい武器でコミュニケーションを取って来ました。自分の存在が人と直接触れるのではなく、薄く軽くなったような氣がします。人との絆も薄くなったような氣がします。組織的な動きがなくなり一人ぼっちの疎外感を感じ本当に自分は社会から必要ととされているのかという疑念さえ持たざるを得ない状況になりました。
 さぁ、これからこの絆を深めてゆきましょう。人に会い、会合に参加し、家族や親戚が集まり、町内や学校で各種活動を再開し、人と人が会うことで、自分はやはり様々な組織の一員、様々な共同体の一員、そこを通じてかけがえのない存在なんだという自己存在の確認。共同体のために自分が出来ることやらなければならないこと、人の為に、その組織共同体のために自分は存在するという喜びを感じてみましょう。
 経済的な復興、人間復活の道であり経済的イノベーション、人間的イノベーションをコロナのおかげ様で成し遂げれる良いチャンスなのだと感謝してコロナを味わい、勝ち抜いてゆきましょう。より素晴らしい明日のために。

代表社員 前原 幸夫
 
             
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2021年06月01日

6月の言葉!「身延山久遠寺」

身延山久遠寺

 私が税理士事務所を独立開業したのは昭和60年(1985年)、32歳の時でした。それから36年が経ち37年目に入りました。「思えば遠くへ来たもんだ」という歌詞がありますが、誠にその通りでこれもひとえにお客様、お取引先様、社員の皆様のおかげさまと厚く御礼申し上げます。
もちろん開業当初は前原幸夫税理士事務所という個人事業でした。その後冨山税理士、砂田税理士とともに税理士法人を設立「税理士法人前原冨山パートナーズ」として平成15年12月に新たなスタートを切りました。
その後里庄の藤原会計と合併することとなり、平成21年11月、法人名を『久遠』と改めました。今まで社名が長かったので、短い方がいいということで、「愛」とか「ありがとう」が候補に挙がりましたが、言葉の響きや意味するところから『久遠』という社名に決めました。お客様やご縁のある方々と未来永劫お付き合いさせていただく事務所でありたい。
未来永劫、成長・発展・進化してゆく事務所でありたい等の願いを込めてのものでした。
『久遠』という社名にしてから、私の中では是非行ってみたい場所ができました。それは日蓮宗の総本山である『身延山久遠寺』です。山梨県にあるこの寺にはなかなか伺うチャンスもなく10年が過ぎてしまいました。私は真言宗なので宗派としては関係ありませんが、それでも『久遠』という名前をお借りしているというような思いもあり、チャンスがあればと思っていました。それが今回叶いました。思い通りにはならないが思った通りになるといわれますが、今回いろいろなご縁がありお参りさせていただくことが出来ました。
私は30年ほど倫理法人会という会に入会しており、今はその母体である一般社団法人倫理研究所の監事というお役をいただいています。監事の役目は会計や業務の監査が主ですが、月に2〜3回各地の倫理法人会を訪れます。一泊二日で、前の日夜6〜7時から役員さん向けに研修を行い、翌日朝6時からはモーニングセミナーでお話をさせていただきます。
倫理法人会は、北は北海道から南は石垣島まで約700か所ありますので、どこが割り当てられるか分かりません。それがなんと4月23日甲府市南倫理法人会へ出張することになりました。身延山までJR身延線で甲府から特急で1時間。そこからバスでという道のり。結構遠く、また特急の本数も少なく大変だとは思いましたが長年の夢であり今回を逃したらいつになるか、そうそう行けるところではないのでぜひともと計画を立てました。
24日のモーニングセミナーを終え、甲府駅のコインロッカーに荷物を預け、身延駅まで特急で行きそこからはバスかタクシーに。その日は岡山に帰れそうにないので石和温泉に一泊と綿密な計画を立てました。
そして4月24日、甲府市南倫理法人会のモーニングセミナーが開かれる会場に行ってみると、なんと身延町からお二人の会員さんが参加されており、私が身延山へ行きたいと知って案内をしてくれるということになりました。
しかもその内一人の方は久遠寺が経営する身延山高校の元校長先生、山内先生した。車でも1時間以上かかる会場にたまたま身延の倫理法人会の催し物の案内で来られていたのです。特急電車とバスを乗り継いで行くところを車で送っていただき、しかも行って分かったことですが、久遠寺に勤めているお坊さんはほとんど山内先生の教え子で、法務部長というお偉い役職の青山さんという方を電話で呼び出し、お寺を案内させてくださいました。普段一般の方は入れない部屋や場所にも連れて行って下さり、本当に恐縮の限りです。加山又造画伯が書かれた襖絵のある部屋は、歴代法主が住まいされているという日蓮上人の自画像がかかっている部屋。加山又造画伯の墨龍が天井に描かれている部屋などお寺の隅々まで案内していただきました。本当に感謝!感激!感動!の嵐でした  
これからも『久遠』という社名に恥じないよう努力精進することを誓い下山いたしました。


代表社員 前原 幸夫
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2021年05月01日

5月の言葉!「どうなる?贈与税」

「どうなる?贈与税」


 さまざまな相続税の節税対策が税務当局から網をかけられている今日、一番手軽で効果的な方法が生前贈与であり、しかも毎年連続して贈与を繰り返す手法です。
 年110万円までの贈与額に対して贈与税はかかりませんし、複数の子や孫に贈与することによりその効果は増してゆきます。
 子や孫に毎年110万円ずつ現金を贈与します。子どもが2人、孫が3人いるとしたら、1年間に110万円×5人=550万円無税で贈与できます。
 これを10年続ければ、550万円×10年=5,500万円となります。こんなものでは物足りないと言われる方には贈与税を支払っての贈与ということになります。
 110万円の基礎控除を差し引いた金額が200万円までは税率が10%です。
 仮に年310万円の現金を贈与したとしたら、
 310万円−110万円=200万円 200万円×10%=20万円 となり20万円の贈与税が課せられます。20万円÷310万円=約6.45%の税率です。
 これを子や孫5人とすれば年間に310万円×5人=1,550万円(贈与税額20万円×5人=100万円)となり、10年間続けるとしたら1,550万円×10年=1億5千500万円贈与できます。(相続財産が減少します)
 これに対する贈与税は100万円×10年=1,000万円となり、1億5千500万円の財産を1,000万円の贈与税で移転することができます。子や孫、時にはひ孫がいて年数を長くすれば効果は一層上がります。
 しかしこの贈与税少し雲行きが怪しくなっています。
今年度の自民党・公明党の与党税制調査会の令和3年税制改正大網の、「令和3年度税制改正の基本的考え方」にこんな記述があるからです。

(3)相続税・贈与税のあり方
 @教育資金、結婚・子育て資金の一括贈与に関わる贈与税の非課税措置の見直し(本文省略)
 A資産移転の時期の選択に中立的な相続税・贈与税に向けた検討
 「高齢化等に伴い、高齢世代に資産が偏在するとともに、相続による資産の世代間移転の時期がより高齢期にシフトしており、結果とし 
  て若年世代への資産移転が進みにくい状況にある。高齢世代が保有する資産がより早いタイミングで若年世代に移転することになれば、  
  その有効活用を通じた、経済の活性化が期待される。
  このため、資産の再分配機能の確保に留意しつつ、資産の早期の世代間移転を促進するための税制を構築することが重要な課題となって  
  いる。
  わが国の贈与税は、相続税の累進回避を防止する観点から、高い税率が設定されており、生前贈与に対し抑制的に働いている面がある。一 
  方で、現在の税率構造では、富裕層による財産の分割贈与を通じた負担回避を防止するには限界がある。
  諸外国では、一定期間の贈与や相続を累積して課税すること等により、資産の移転のタイミング等にかかわらず、税負担が一定となり、同
  時に意図的な税負担の回避も防止されるような工夫が講じられている。
  今後、こうした諸外国の制度を参考にしつつ、相続税と贈与税をより一体的に捉えて課税する観点から、現行の相続時精算課税制度と暦年 
  課税制度のあり方を見直すなど、格差の固定化の防止等に留意しつつ、資産移転の時期の選択に中立的な税制の構築に向けて、本格的な検 
  討を進める」(『令和3年度税制改正大綱』より一部抜粋)
                       

ここにいう「本格的な検討を進める」という文言が税制調査会の意氣込みであり、あまり遠くない時期に改正が行われるのではという見方です。
上記Aの文章の概要は財産をいっぱい持っているのはお年寄りなのに、長生きするのでその資金財産が若い世代に廻らない。若い世代にもっと早く多くの財産が移転すれば経済活性化に寄与するので、早期の世代間移転を促進するための税制の構築が大切であると言いながら、そう言っても今の生前贈与はお金持ちが毎年分割して贈与を繰返すと相続税の負担回避を招いている。これに対して一年毎に(暦年で)贈与税を課税してゆく今の仕組みを見直し、一定期間5年以内とか10年以内とかに贈与したものは相続税に加算して課税するとか(今でも相続開始前3年以内に相続人に贈与した財産は相続財産に加算される)
 暦年課税の税率を全て、例えば55%の最高税率にし、届出があれば納税猶予的に無税にし、その無税となった贈与財産額を相続財産に加算してゆく制度とかいろいろ考えられます。
要は世代間移転を早く多額にし、かつ相続税と贈与税を一体的に課税し、財産の移転時期により課税の不公平が生じない制度となれば後者が有力と思われます。

すなわち贈与の届出さえすれば、毎年は無税で子や孫に贈与することができるようにして、いつでも誰にでも無税で財産移転を行えるようにし、その代わりその移転(贈与)された財産は後で相続税に加算して相続税を課税するという制度なら上記2つのニーズを同時に満たすことになります。
(もちろん届出をせず財産を移転する場合は高い贈与税を支払ってもらうという補充も必要となりますが)
いずれにせよこれからの改正、目が離せません。

                                          代表社員 前原 幸夫
 
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2021年04月06日

4月の言葉!「かあさんの歌」

かあさんの歌
詩・曲 窪田 聡

かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした

かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

かあさんのあかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃもうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
懐かしさがしみとおる


 皆様は、「かあさんの歌」をよくご存じだと思います。いつ聴いても心に響き、少し胸が熱くなってくるのは私だけでしょうか。

 私はこの歌に鮮烈な思い出が2つあります。
 1つは中学1年生の時、秋の日帰り遠足だったように記憶していますが、あいにくの大雨で・・・目的地についても止むことはなく
 バスから一歩も出られず、皆がかくし芸的な事をして時間を潰しました。
 ハーモニカを2個持参してそれを同時に吹くやつがいたり、歌を歌ったり。
 その中に一人、私が好意を寄せていた(片想いの)女の子が歌ったのが、この「かあさんの歌」でした。私は初めて聴いた歌ですが、
非常に心に残り、それから幾度となく口ずさんでいました。
 もう1つは大学1年生の時です。東京に初めて独り住まいするようになって慣れない生活で故郷の岡山が恋しくなっていた頃、
 母からお菓子とか着る物などが送られてきました。
 その中に励ましの手紙が添えられてあり、思わず涙したことがあります。
 そんな思い出と歌詞が何とも言えずマッチしていて、良い曲だとずっと思っていました。
 なんとこの曲の作詞作曲者の窪田聡氏が、私の属している岡山県倫理法人会のモーニングセミナーに来られ、この歌を歌ってください
ました。

 窪田氏はご健在で、岡山の牛窓町に住んでいらっしゃるということで、これまた大感激でした。

 窪田氏は、1935年(昭和10年)東京都向島のお生まれ、御年86歳。東京都生まれなのに、雪国の歌詞ですが、窪田氏は小学生の頃、太平洋戦争の戦禍を逃れるため、1年間長野県へ疎開されたそうで、その時見聞きしたものがベースになっているということです。

 「かあさんの歌」は1956年(昭和31年)の作といいますから、なんと21才の時の作品です。1988年“相棒”の篠田澄江さんと岡山県牛窓に移住してこられ、今もここで「鈍工房」という音楽の企画出版の工房を運営されています。
 モーニングセミナーにも“相棒”の篠田さんも来られ、窪田氏のアコーディオンの伴奏でお二人仲睦まじく、「かあさんの歌」と「あたりまえの地球」と2曲歌っていただきました。
 1988年からですから、もう30年以上岡山にお住みなのですが、
 私は全く存じ上げず、感動的な対面をさせていただきました。

 歌詞もいいですよね!
 1番の「ふるさとの便りは届く いろりの匂いがした」というくだりは、私も母から小包みをもらって開けた時、焼麩のにおいがしたことを覚えています。(私の実家は焼麩を製造しています)
 また、2番の「せめてラジオ聞かせたい」この頃、窪田さんが一番欲しかったのがラジオだったと言います。
 初任給でラジオを買った思い出があるそうです。私も初任給でラジカセ付のステレオを買いまいした。3番は、「あかぎれ痛い 生味噌をすりこむ」とあります。なにか味噌を塗ると痛いように思いますが、生味噌はまだ塩や添加物を入れず加熱もしていない味噌だそうです。
 長野県に疎開の時の食べ物だったようです。(今では高級食材ですが)
 事実、あかぎれには生味噌が良く効くそうです。(切り傷やしもやけにも)

 厳しい冬、かあさんは一日麻糸つむぎ、父さんは土間で藁打ちをする、外の寒さに比べ、家庭のなんと暖かなことか。
 あかぎれの手は痛いけれど、かあさんは生味噌を塗って水仕事に精を出す。まだ春は遠いけれど、根雪が溶け春は必ずやってくる。
 人生厳しいけれど、苦しいけれど、辛いけれど、かあさんの便りやプレゼントは全ての人に必要な時、必要な量だけ届けられる。
 それを信じて生きてゆこうという応援歌にも聞こえます。コロナ禍で耐えしのぶ今、真に厳冬かもしれませんが、春はそこまで来ています。   
 小川のせせらぎを心に聞きながら乗り越えてゆきましょう。かあさんからの便りを楽しみに。



                                                  代表社員 前原 幸夫






posted by 前原幸夫 at 13:27| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする