2015年04月01日

4月の言葉!「バングラデシュセミナー」

「バングラデシュセミナー」

 5月25日(月)午後2時〜4時、岡山商工会議所でバングラデシュセミナーを行ないます。
 なんで?と思われるかもしれませんが、実は2月にバングラデシュに行って参りました。印刷業者の視察旅行に便乗させてもらい、行って来ました。バングラデシュと聞いた時、
大体の場所は分かりましたが、正確な場所は地図を見て確認するようなことでした。
 バングラデシュはインドの東隣にあり、昔は東パキスタンと呼ばれていました。パキスタンから1971年に独立して、まだ45年ほどの若い国です。
 若いと言えば、人口構成も若く、人口は日本の40%ぐらいの土地に、1億5千万人が暮らしているという状態。失業率も高く労働人口にはこと欠きません。

 今回、印刷業界の方々が中心の団体旅行にあえて参加した私の目的は、世界の最貧国と言われた国を見ておきたいという思いと、最近この貧しい国で倫理研究所のテキストを学ぶグループがダッカ大学を中心にできたということを聞いたからでした。
 日本全国から約20名の視察団でした。現地の最新の印刷工場(といっても日本とは比べものにならない程遅れている)を3ケ所見学したり、工業特区を管轄する政府機関やバングラデシュの印刷組合の関係者との懇談と盛りだくさんの行事でしたが、当日政府に対する抗議のデモがあるとの情報で、あまり遠出は出来ず、ある程度限られた範囲での行動を余儀なくされ、ダッカ大学への訪問も取りやめざるを得ませんでした。
 ちなみに、この国ではデモは日常茶飯事で2大政党がシーソーのごとく政権を奪い合い、その度ごとに反政府勢力が政権打倒を叫び、デモを繰り返しているということでした。

 月給は月1万円、しかもその口に有りつければまだいい方で、街には物乞いが大勢たむろし、車が信号待ちで止まろうものなら、何人もの物乞いが我々の乗っている車の窓に顔をつけ、お金をせびりにくる有様でした。
 印刷工場もインクの臭いがもの凄く、肺は大丈夫かと心配になったり、うず高く積まれた印刷用紙は砂で汚れ、商品価値はあるのかと心配する程、いい加減な管理の中での製作でした。
 街はゴミと車であふれ、乾期の終り頃ということで、木の葉は茶色に砂で汚れ、心を癒すものは何もないという凄まじいところでした。
 ただ、経済的には全くこれからで、繊維産業(ユニクロ)が少しある程度で、これから日本からの投資を国を挙げて歓迎するという態度でしたし、事実我々の行動がテレビのニュースで流れるというように日本(外国)の投資を待ちかねているようでした。

 5月25日のセミナーの講師をしてもらうタミハド・モイヌル氏は36歳、ダッカ大学から日本の大学を出、住友電工、ボッシュを経て、オンラインの英会話事業を起こし、筑波大学の大学院を出、現在日本とバングラデシュの経済のかけ橋となりたいとJBBC(ジャパンバングラデシュビジネスセンター)の代表をしています。
 視察団のガイド、通訳もやってくれた好青年でした。通訳で思い出しましたが、バングラデシュは英語が公用語ですが、政府高官や印刷組合との懇談の中で、こちらの視察団のメンバーはほとんど英語がしゃべれない人ばかりでバングラデシュ人から見ると、技術的に世界の最先端を行く日本人が英語をしゃべれないことに驚きを持って見たようでしたし、少しあざけりの笑みを感じ、英語はこれからの時代必須だなとつくづく感じました。

 中国は共産主義、しかも賃金が高くなり、タイも飽和状態。ベトナム、インドネシア、その次はバングラデシュ?との思いで今回のセミナーを企画しました。
 若い労働力は有り余るものがあり、宗教はイスラム教ですが、原理主義的なものではなく、貧しく勤勉なバングラデシュはこれからの投資先の一つではないかと思います。
 まだまだインフラが整っていない中、条件はあまり良くありませんが、一度お話を聞いていただけたらと思います。
 朝昼晩、カレーのような食事も飽きますし、宗教でアルコールも原則禁止、私には耐えられない国ではありますが、あの若くエネルギッシュな民族と日本との融合は有りかなと思っています。
 
モイヌル氏も優秀で信頼のおける企業家です。祖国バングラデシュと第二の祖国日本の橋渡しを本氣で考えている好青年です。
 彼に会うだけでもおもしろいと思います。 よろしくお願いします。 
                
                                     代表社員 前原 幸夫

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posted by 前原幸夫 at 16:25| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

3月の言葉!「大塚騒動」

「大塚騒動」

 最近、とみに企業の事業承継についてのご相談が多くなっています。
 1つは社長の年令、1つは今年から相続税の基礎控除が引下げられたことに対する増税感からだと思います。
 企業30年説というのがありますが、よく言ったもので、30代で創業し、それなりに成長させてこられた社長さんも60代後半を迎え、そろそろリタイアを考えられる方が多いということでしょう。
 しかし、ここで数々の問題があります。
 大きなものは、譲る側の年令、健康と譲られる側の経営者の力量です。
 今の70才はお若い。
 ですから、さっとリタイアというわけには行きません。それが60代ならばもっと若く、子供さんに社長の座を譲った後も実質的に社長。何の為の社長交代か分かりません。
 しかし、譲る側の社長にも言い分があります。
「後継者の我が子を見ていると、まだまだ社長の器ではない。老骨にムチ打って、私がガンバラねば!」との思いが強くあります。
 一方、後継者の側は、社長になったものの「以前と役割はほとんど変わらず、先代の社長、現会長は自分のやることなすこと、こと細かくチェックし修正をかける。何の交代か分からない。」
「これほど時代が変わっているのに、先代の行っていた経営手法でやりたがり、新しい経営スタイルをなかなか認めてくれない」と、不平不満を持つ後継者も多いのが現実です。

 まさに今の大塚家具の騒動そのものです。
 先代社長が一代で作り上げてきたものを、一橋大学、都市銀行出身の才女が後を継ぐという傍目には何ともうらやましく思われるものが、当人同士、怨念とも言えるような確執が繰り広げられています。
娘二人で身内の後継者がいない私なんぞ、あんな優秀な娘が後を継いでくれたらいいなぁと思いますし、又、創業者の私にとってはないないづくしのスタートでしたから、あれだけの巨大企業を作り上げてくれた先代がいたら、さぞかし経営は楽だろうにと、父と娘、共方うらやましい限りです。
 ところが、現実は逆で先代は後継者が行うことが不安で不安でたまらず、後継者は先代を古くさい目の上のタンコブと思うようです。
 
 大塚家具にしても、現会長の親は、タンス職人だったと言います。多分、その父の念いはタンス職人の後を継いで欲しかったに違いありません。
 しかし、大塚勝久会長は父の作るタンスの販売をし、その間学んだ家具販売のノウハウをもって、1969年独立したのです。親からの独立です。その時多分勝久氏の父親も不安いっぱいだったに違いありません。
 それから快進撃を続け、2003年には売上730億円を上げましたが、2013年には562億円と経営不振に陥りました。
 この難局をいかに乗り切るか、従来の成功体験を元にしたやり方か、時代の変化に見合う経営の見直しをするのか、ここが親子の対立だと思います。どの企業にもありそうな話です。

 それではお前はどうするのかと聞かれたら、私ならこうします。
 勝久氏が今の手法で十分この難局は乗り切れると判断するなら、より大塚家具の強味、特徴に磨きをかけることです。
 ニトリや、IKEAにはないもの、大塚家具でしか得られないものに。
 それは徹底した仕入に対する目利きであり、高いもの、いいものをより安くという高級化であり、会員制を利用した限定的な顧客の絞り込み、会員としてのステイタスの向上、顧客密着度を上げることによる家具というものではなく、ライフスタイルそのものの提案力の強化です。
 しかし、それだけでは今の変化には対応できないでしょう。
 従来の販売手法に磨きをかける一方、住宅建築戸数の減少(少子化、高齢化)、まとめ買いから単品購入、氣にならない接客、自由な買い物ができる売り場づくり、高いというイメージの払拭等、久美子社長の言うこともうなづけます。  
 だとしたら、第二創業を久美子社長は、大塚家具というブランドではなく、自らのブランドとして立ち上げ、店舗展開をしてゆく。手法の違う二つの企業がお互いライバルとなり、補完し合い、事業を展開してゆくことが、いいのではないのでしょうか。
 二者択一ではなくいいものが残る、そして、お客様に支持されないものは自然になくなるという当たり前の原理原則どおりやってみることです。
 泥試合こそ最も避けなければならないものです。

 以前、ある後継者の社長から、こんな話を聞いたことがあります。
 ある日、先代の社長お父様から、お前が社長をやれと、まだ30代の前半の時言われ、それと同時に会社の実印と通帳、そして父名義の○千万円残高のある定期預金とその印鑑を渡され、その日からお父様は会社に出て来なくなってしまったそうです。
 急な事で驚いたと同時に、父の自分に対する信頼を痛いほど感じ、もちろん父名義の預金には一切手を付けることなく、30年以上一所懸命やってきたということです。

 又、創業50周年、60周年というお祝いに、ご招待されることもよくあります。
その場で目にすることは先代や先々代に対する恩の披歴、感謝の式です。現社長が今こうやって隆々とやってられるのも全て先代や先々代のご苦労、ご苦心の賜物との念いが式全体のベースになっています。
 創業者もいくら立派に大きく企業を成長させたとしても、永遠に社長でいるわけにはゆ
きません。必ず、承継は必要になります。
 その時、俺なんか苦労の連続だったのに、こんな立派な会社の経営をやれるのだから、お前は幸せ者だと、後継者に恩を売る(請求書の発行)のでななく、何があってもお前を信じ、バックアップする。
そして自分が創った会社、自分が継いだ会社を継いでいただくことだけで有り難い。そんな思い(領収書の発行)も必要なのではないでしょうか。

 それと同時に継ぐ立場の方も、親や先祖に対し、こんな立派な会社を継がせていただくことに感謝し、必ずこれを次の代に継なげてゆくことを先代の前で誓うことも必要なのではないでしょうか。
 泥のかけ合いでなく、感謝のかけ合い、親は子を信頼信愛し、子は親を尊敬崇拝することにより、スムーズな事業承継が行なわれるのではないかと思います。
 社長は有限されど、企業は無限です。
真の事業承継とは父が子に継がせるだけでなく、その子が孫に継ぐことで完結されると私は教えていただきました。
 真の事業承継を私も行なう決心覚悟です。


                           
                           代表社員 前原 幸夫 
posted by 前原幸夫 at 10:23| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

2月の言葉!「暖春」

「暖 春」

 TVや新聞の報道を見るにつけ、新春から人殺しや戦争等、辛く悲しくなるものばかりですので、口直しと言ってはなんですが、最近見聞きした心暖まる話を3編読んでいただたこうと思います。

 まず、第一はアサヒビール名誉顧問、故中篠高徳氏のエッセイからです。
 
 友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。
彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、

「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。
父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子どもの分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、『子を思う親の真(愛)情』が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。
 その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」
という。

 それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身は少ないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意氣な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。

 この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」の妙法であり、「慎独」の実践なのである。

 次は、一般社団法人倫理研究所が昭和22年9月より発刊している「新世」の平成24年7
月号の巻頭言に載った「母に宛てた三千枚のハガキ」というものです。

 「七十四歳になるY子さんの母親は、二年前に九十九歳という天寿を全うされた。長野県に
暮らす母親は、いつしか耳がよく聞こえなくなり、家族や友人との会話も少なくなってしまっ
た。電話で孤独を嘆く声を聞いたY子さんは『母が元氣になるのなら、毎日ハガキを出してみ
よう』と決意したのだ。

 ところが毎日書いていると、もう書くことがなくなってしまう。生活倫理相談を受けると、今朝の味噌汁の味を書いても何でもよいから、とにかくつづけるようアドバイスされた。
明治生まれのその母親は山奥の過疎地に育ち、字を習わなかったのでまともに文章が書けない。それでも年に二、三度は返信がきた。よほど練習して書いたらしい。文頭にはいつも『あの子がどうぞ読めますように』と書かれていたという。

 毎日同じ時刻にハガキを投函していると、不思議な出会いがあった。見ず知らずの女性から声を掛けられ、親へ一日通信していることを語ると、『あなたの母親の住所を教えて欲しい』と言われたのだ。するとその女性からYさんの母親へ、ハガキと一緒に菓子やソバが届けられ、母子で喜び合ったという。
Y子さんがなにより嬉しかったのは、一日通信によって、母親が喜んでくれるだけでなく、昔日の思い出の数々が呼び起されたことだった。おのずと感恩の氣持ちが深まる。
毎日の通信は足掛け十年にも及び、ハガキの数は三千枚をゆうに超えた。その全てを母親は大切に保管し、こう語っていたという。『ハガキはあの世に旅立つときには持っていくから、必ず持たせておくれ』『お前のハガキのお陰で生きてこられた。あの世へ行っても、高い所からお前たちを見守っているからな・・・・・』。
 母親の亡きあとも、Yさんはつねに守られている実感を抱きつつ、明るく暮らしている。親の為にと思って始めた一日通信は、実は自分の為でもあったのだと、感無量に述べていた。」 

 最後は、一般社団法人倫理研究所の丸山敏秋理事長がお話しになったものです。

「老人が死を前にして自分の人生を振り返りました。すると足跡が浜辺の砂の上に、ずっと続いていました。しかもそれは二人分。一人はもちろん自分、もう一人は神様でした。今も彼のそばに神様はいます。しかし、彼がよく見てみると、その足跡が所どころ、一人になっている時期があることに氣づきました。しかも、その時期は彼が病氣したり、会社が倒産したりした苦しい時期だと分かりました。
死を直前にした老人は、自分のとなりにいる神様に『神よ。なぜあなたは私の一番苦しい時、私のそばにいてくれなかったのですか』と責め心で問いかけました。
神様は一瞬困ったような顔をし、少し間を取り、やさしく彼に言いました。
『そうではないんだよ。あなたの一番苦しい時、あなたが一番悩んでいた時、私はあなたを背負って歩いていたんだよ。』と。」

 以上三編。もう一度、心を洗い清め、その心を家庭に会社に地域に世界に発信してゆきましょう。
 すばらしい地球、世の中を創るために。 


                             
                              代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 17:30| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

1月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」

「新年あけましておめでとうございます」

 数年に一度という猛寒波の襲来をまともに受けております日本列島ですが、皆様におかれましては、健やかに和やかな新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年を表す一言は「税」でした。4月に消費税が8%になり、その反動による消費減退により、今度は当初予定していた10%への増税を1年半先送りするという、一見ちぐはぐに見える対応が印象深かったものと思います。
 又、年末の総選挙、自公連立政権の圧勝に終り、これから少なくとも2年間は安倍内閣の元での経済政策が推し進められます。大企業の収益力は良化していますので、株主対策としての増配や自己株の買入れよりも、労働者の賃金を上げることを企業側が優先すればアベノミクス第3の矢も成功の割合は上昇するのではとの期待を込め、企業側の選択を待ちたいと思います。
 ただ、少し氣がかりなのは、原油価格の低下から来るロシアをはじめとする新興国、およびギリシャをはじめとするEUの債務返済能力です。特にロシアはOPECとアメリカ、石油とシェールガス対決のあおりをモロに被った格好になり、その財務内容に関心がいっています。 

 今年2015年は、1945年日本敗戦から70年の節目です。
 昭和25年生まれの人々が65才となり、年金や医療費、そして介護費用に多大な出費を要する年へと突入します。
 大激変が待っています。円安は進み、120円台が常態になります。原油が下がっているのがせめてもの救いですが、輸入品は上ってゆきます。
 政府も今年一年で結果を出すべく、あの手この手を出して来るでしょう。昨年内にまとめ上げられた税制改正大綱も経済・景氣対策がズラリと並んでいます。これらの活用を楽しみにしています。

 我が社は、今年6月1日、創業30周年を迎えます。昭和60年6月1日、32才で独立開業して以来30年です。お礼の言葉をいくつ重ねても足りませんが、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
 私も今年62才です。そろそろ後進に道を譲ることも考えなければなりません。もちろん、生涯現役、生涯税理士として働く覚悟ですが、組織の活性化、組織の弾力化のために、半歩だけ身を引こうかとも考えています。

 今まで、私のやりたい放題で、組織づくりをしてまいりました。それが間違っているとは思っていませんが、社長を育てようと税理士法人の下に7社の会計法人、1つの入力代行法人を作り、経営してまいりました。今年はこれらを統合し、総合的、多角的なサービスが提供できる組織、人財を育成するための準備期間に入ります。3年はかかるでしょう。

相続とか、経営計画とかを専門的に行なうグループ。入力し月次・年次の決算書を作成するグループ。そしてそれを持参し、経営会議等を行うグループ。
今までの縦割りの組織から、横割りの組織への転換です。正に180度の方向転換です。
人財も充実してきました。いや、今が一番旬かもしれません。40代、50代のベテラン、30代の中堅、皆それぞれ心・技・体、兼ね備わった人財になりつつあります。しかし、これにあぐらをかくわけには行きません。
この中から、リーダー選び、新しいリーダーの基、今までとははるかにレベルアップした戦略で、全く今までとは異なる組織・サービスを作って行かなければなりません。服のデザイン、大きさ、材質が今までとは違います。それにピッタリの人財を見つけ、それが最も似合う人財にその服を着てもらう必要があります。

 今年は大仕事が待っています。企業30年説、まさに実感です。 昨年、我が社において一番大きな出来事は、第2回会計事務所甲子園に出場したことです。最初は興味本位でしたが、1次予選、2次予選、準決勝、そして渋谷公会堂での決勝と、だんだんと社員も熱をおび、熱くなって戦い抜きました。結果、優勝は逃したものの準優勝。全国の会計事務所から注目されました。
 そこで得たものは確信でした。我が社の経営理念が今までのやり方が間違っていなかった。組織や戦略は変わっても、「中小企業が元氣になれば、日本は岡山は元氣になる。その中小企業を元氣にするには、中小企業の経営者を元氣にする。そのために我々会計人が元氣になる」という基本的な考え方は、これからも堅持し、より進化発展させていかなければならないということが、社員一同、皆肝に落ちたという確信です。

 2015年、大激変の幕明けです。どんなことが起ころうとそれを喜んで、真正面から受け、その中に無限の可能性、打つ手があり、全て自社にとって絶好のチャンス到来とモロ手を上げて、その風に向ってゆく時、道は必ず拓けます。大切なことは何が起きても、喜んで対処するということです。不透明な時代を不安がらず、恐れず、心配せず、臆病にならず、傲慢にならず、謙虚にもならず、ただただ喜んで朗らかに、一瞬一瞬対処してゆく。こんな動じない人間力が必要です。目まぐるしく動く環境だからこそ、どっかと腰を据えた対応が必要となります。
 
 今年、我が社にとっても大激変の時です。しかし、それを乗り越えることにより、より充実したサービスを提供できる元氣会計事務所となり、中小企業の経営者をそして中小企業を、ひいては岡山を日本を元氣にすることができるという確信を高めながら、進んでまいります。
 共に風を真正面から喜んで受け、邁進してゆきましょう。明るい未来のために。

今年一年よろしくお願い申し上げます。


                                 平成27年 元旦 
                                代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月01日

12月の言葉!「サクラ、サクラ」

「サクラ、サクラ」

 11月1日〜5日まで、パラオに行って来ました。清水英雄先生以下7名での訪問でした。
 人呼んで7人の侍。
 清水英雄先生が「太平洋協会」の理事(ちなみに理事長は森元首相)をされており、パラオとは30年来の交流があり、又、来年4月天皇陛下が慰霊にお出かけになるという情報を聞いての訪問でした。
 
 11月1日、成田を夜の8時20分発。時差はなく、4時間30分かかってパラオ着。
 夜(朝)の3時頃ホテルへ到着。翌朝、早速パラオ観光です。
 日差しの強い中、シュノーケルやボートで楽しみ、身体は日焼一色。翌朝、髪にくしを入れると痛い。何か傷でも?と思い、触っても正常。しかし、髪をとかす度に痛い。後で見てもらうと頭のてっぺんが日焼けとのこと。日焼けというより、火焼け。やけどみたいなもので、髪が少ない哀れさを思い知った次第でした。

 頭のてっぺんにやけどを負いながらも、次の日はパラオの大統領との謁見です。大統領の官邸と国会議事堂がある島へ車で移動。小山の上に、日本の国会議事堂を2廻りも3廻りも小さくしたような国会議事堂と大統領府が並んでありました。前日の夕食の時、清水英雄先生の長年の友人であるパラオの元駐日大使ウエキさんに先導されての面会です。何せ、このウエキさん、現在御年83才。日本の小学校で学び、医学博士で日本語ペラペラ。
 パラオの初代の国会議員もされ、絶大な人脈をお持ちの方です。何せ2万人の島国ですから、大統領、大臣みな知り合い(後輩)という方、心強い限りでした。

 ウエキさんのご案内で、国会議事堂を見学させていただいた後、大統領の会見、主に清水英雄先生とのやりとりで、こちらの出る幕はありませんでしたが、大統領の日本に対する要望は3つ。
 1つは、観光にもっと来て欲しい。2つ目は、ODAがもっと欲しい。3つ目は、民間の投資がもっと欲しいというおねだりばかり。
 観光が唯一最大のパラオにとって、日本は大のお客様。     
 近年、中国人の来客が増えているそうですが、規制をかけているとのこと、それ程日本人に氣を配っているという感じでした。

 3日目は、いよいよペリリュー島へ慰霊の旅です。今回の旅行は、これがメインです。
 今から70年前、1944年11月24日、ペリリュー島守備隊が玉砕しました。その4ケ月程前、1944年7月7日、サイパン島が占領され、次の目標がパラオでした。
 パラオは1919年(大正8年)、第一次世界大戦でドイツが敗れ、それ以来、日本が統治しており、今でも日本風の建物があり、日本人の苗字らしい方も結構おられる親日国です。したがって、日本軍の重要基地があるペリリュー島は、アメリカ軍の格好の目標となりました。
 
 ペリリュー島の守備隊、指揮官は中川州男(くにお)陸軍大佐です。彼は、島内をくまなく歩き、数々の洞窟や鍾乳洞を発見します。島は隆起が激しく、河川はありませんが、1日に1回必ず降るスコールにより、飲み水には困りません。
 今までの日本軍の戦法は上陸してくるアメリカ軍を水際で攻撃し、上陸させない戦術でしたが、中川大佐は洞窟を利用し、地下にもぐり徹底抗戦で、持久戦を試みました。
 島内に500ほどある洞窟を地下でつなげ、島全体をトーチカ要塞にするというわけです。 

 1944年9月12日、ペリリュー島守備隊8,978名に向い、アメリカ軍の総攻撃が開始されます。
 当初、アメリカ軍は3日か4日で占領できるだろうと考え、総攻撃の前日はステーキでカンパイを上げたといいます。
 空母8隻を始め、300隻以上の艦隊、3日間で17万発、約4,000tの砲弾が小島に降り注ぎました。しかし、日本軍は地下へ潜り、じっと我慢の持久戦。無数の機雷をくぐり抜けて、上陸してくるアメリカ軍に必死の抵抗。アメリカ軍が今まで経験したことのない頑強さで、海岸はアメリカ軍の死体で血に染まったといいます。

 連日連夜の激しい戦闘の中、次第に兵力も弾丸も食糧もなくなってゆきます。
 戦線開始から72日目の11月24日、もうこれまでと覚悟した中川大佐は、全員玉砕を意味する「サクラ」という暗号を発信、洞窟の奥に進み、軍旗に深く頭を垂れ、その後日本本土の方向へ向かい深く一礼した後、割腹し、自決しました。
 その後も、一部の日本軍人はペリリュー島に潜み、戦い続けましたが、1947年(昭和22年)4月21日34名が洞窟で発見され、ペリリュー島の戦いは終りました。

 我々は、今でも70年前日本軍が使用した食器や空き瓶の残る洞窟や、ゼロ戦の残骸、戦車の残骸、山をくり抜いて作った高射砲陣地、滑走路の跡、そして、中川大佐が自決した終焉の地(洞窟)をめぐり、涙し、般若心経を唱えさせていただきました。

 サイパンに続き、天皇陛下は来春、パラオにも慰霊のため訪問されます。
 来年は終戦から70年、戦闘は終わったけれども、戦争は続いているとの印象は深く私の心に刻まれました。
     
                             代表社員 前原 幸夫    
posted by 前原幸夫 at 15:31| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

11月の言葉!「昭和100年」

「昭和100年」

 私は、以前70年周期説というものをご紹介しました。今から約140年前、明治10年(1887年)西郷隆盛が蜂起した西南の役、これを境に武士の世の中から、明治新政府へと完全に時代は移りました。それまでの鎖国政策から文明開化、ヨーロッパの列強へ、追いつけ追い越せとばかり、富国強兵の政策をおし進めてきました。
 その行き着く先は、第二次世界大戦でした。そして明治10年(1877年)から約70年後1945年、第二次世界大戦に負けた日本は、自由と平等という相反する理念の基、今度はアメリカを手本とする大量生産、大量消費へと大きく舵を切りました。
 日本人本来の美徳を捨て、ひたすらエコノミックアニマルと化し、資本主義をおし進めてきました。そして行き着いたところは、少子高齢化社会、借金大国、核家族化、格差社会でした。

 1945年から来年2015年は70年です。
 これまでの70年間、日本人としての美徳を捨て、日本人としての誇りを奪われ、日本人としての背骨を抜かれ続け、自分さえよければよい、使い捨てが当たり前の日本人となり下がりました。
 しかし、我々は今までの価値観では、幸せになれないことに氣づき、大きく舵を切り直す必要があると思い始めています。
 経済成長が人の幸せと連動しないこと、いや、経済成長以外に、人の幸せのバロメーターを見出す(見出さざるを得ない)必要がでてきました。
 2015年からの10年間、ここが勝負です。新しい価値観、新しい幸福観、新しい事業観・・・等々新しい思考の枠組み、パラダイムシフトが必要となります。
 
 例えば、より安くよりいい物を買おうとする消費行動。
 安いものは全て中国、ベトナム、カンボジア等からの輸入品です。日本人が丹精込めたものが、中国や東南アジアでできたものの値段で売れるわけがありません。
 いい物(日本製)は高いのです。今までは大量生産、大量消費の名の下、安いものイコールいいこという風潮でしたが、人口減少の今、大量な消費はありえません。
 身の丈に合った消費でいいのです。まとめ買いをし、大きな冷蔵庫がいっぱいになっていた我が家も、85歳の母と還暦を過ぎた我々夫婦にとっては、半分いや1/3でいいのです。その代り、少しだけ高価なものを、その都度買い求めるという消費行動になります。
 地域の人々が丹精こめて作った米や野菜、肉、魚。10年に1本買い替えればいいジーンズ。いい物を少量買って、長く使う。持つ幸せから、使う(活かす)幸せへの転換です。

 又、働くということも変わってきます。昔は60歳で定年退職、年金をもらいながら(女性は55歳でした)悠々自適。今こんな老後は望めません。
 一つは財政上、一つは健康上の理由からです。財政的には、ご承知の通りの日本国の状態です。頼りにするほうが無理です。年金も介護も医療も切り下げが必要です。
年金が少なくなれば、働かねばなりません。
 介護、そして医療給付が切り下げられれば、健康でいなければなりません。
健康でいるためには、身体を動かすことを嫌がっていてはいけません。人のために身を動かし、少しばかりのお金が入り、いつまでも健康でいて、介護や、医療保険のお世話にならない人生。それは働くことです。
死ぬまで働くことです。この喜働観がこれからの日本には必要です。
 これからの10年、特にパラダイムシフト(思考の枠組みの変化)が必要となります。
 個から衆へ、遊から働へ、捨から拾へ、持つから借りる、都会から田舎へ、お金から心へ・・・
 
 1945年から70年後の来年2015年、ここから10年後の2025年。
 この年は、今2025年問題としてクローズアップされていますが、昭和25年生まれの団塊の世代が75歳を迎えます。
 75歳以上の後期高齢者と呼ばれる老人が2200万人。日本の人口の1/5は75歳以上になります。(65歳以上は30%)
 年金、介護、医療の負担はうなぎ昇り、赤字財政はますます増大、インフレによる物価高、もうお金で解決することは困難です。では何で・・・・、それは人の心です。
人を思いやり、人のために人生を使う。これがなければ、もうお金がないのですから。地域の介護は地域で行う。地域の医療も地域で格安で行う。耕作できない農地は、地域の人々が耕し、農作物を自給自足する。人口減により余った民家は、安く若夫婦に貸し出す。
 自分だけいい物を着、いいものを食べたいという欲望から、皆でそれなりのものを着て皆でおいしく食べるという喜び。

 日本人が本来持っていた人の和、人との共生、共栄を一番に考える行動様式が必要となります。
 2015年は、来るべき2025年へ向けてのパラダイムシフトへの準備期間です。しっかりと準備をしてゆきましょう。物の準備、体の準備、心の準備をです。
 それには、日本古来の生活風俗、生活習慣に学ぶ必要があります。もったいない精神、男女老若の順序、目上の方への尊敬の念、共同体意識、地域愛、祖先崇拝、すべて日本人が持っていたものです。
 この10年で思い出し、動いていきましょう。
 2025年は、ちょうど昭和100年です。

 

                            代表社員   前原 幸夫
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2014年10月03日

10月の言葉!「会計事務所甲子園」

「会計事務所甲子園」

「会計事務所甲子園」あまり聞き慣れない言葉ですが、高校野球の甲子園大会にちなみ、俳句甲子園や居酒屋甲子園など、最近流行りのようです。
 我々、会計事務所業界にも第2回目になりますが、会計事務所甲子園があると聞き、社員から参加・挑戦したいと、申し出があり、エントリーいたしました。
 
 この会の目的は、会計人が輝けるステージや、学びの場を提供し合い、いわば他流試合をやることにより、自社の良い点に氣づき、これを伸ばし、他社の良い点を吸収し、中小企業支援(志援)力を高めることにあります。
 「中小企業を元氣にする」ということが、我社の理念でもあり、会の目的に共鳴するところですので、何も分からないままエントリーをしました。
 6月エントリー終了、エントリーした会計事務所は、計49事務所でした。
7月書類審査、8月面接審査、9月地方大会、そして今年12月3日、東京渋谷公会堂で決勝大会というスケジュールです。

 まず、書類審査による1次選考、これには私はほとんどノータッチ。
社員の有志が、➀お客様満足度を上げ、お客様にどう貢献していくか Aその度合い B社員満足度への取組み C社員共育の方針等につき、文章で審査を受け、2次審査に。2次は面談です。   
8月19日、私と社員1人の2名に対し、東京から2名の審査担当者。先方の質問にこちらが答えるという2対2の面接方式。それをビデオに撮り、まとめて審査するとのこと。受ける側も大変ですが、審査する側も大変。

 2次が通れば、3次。これは東京・名古屋・大阪3ヶ所での地方大会となります。
何と8月26日、2次通過とのメール。最初は興味本位で参加していたため「エッ本当?」と言う感じでした。
 しかし、それからが大作業。何と3次はパワーポイントを使い、社員が20分間プレゼンテーションをするというものでした。
 8月31日には清水英雄先生の1日研修。9月4日からは社員旅行という中で、パワーポイントは9月3日までに作成しなければなりません。実質9月1〜3日の3日間であったにもかかわらず、出来上がったものを見て、その素晴らしさに思わず涙がこぼれました。
 我が社員の底力をしっかり見せてもらいました。
 東京4会計事務所、大阪4会計事務所、名古屋3会計事務所による地方予選です。
 9月11日、我々は大阪会場ですので、大阪へ。

 4会計事務所の個性あるプレゼンテーションが終了し、大満足。かなりの手応えでした。
 11会計事務所の地方大会でしたが、12月の決勝戦に出れるのは、5会計事務所のみ。
 私は、社員達の感動的なプレゼンを見て、選ばれることは確信していましたが、9月18日見事決勝進出とのメール。
 いよいよ、12月3日渋谷公会堂で、2,000名を目の前にしたプレゼンテーションでの競い合いです。 詳細はまだ決まっていませんが、5会計事務所の熱き戦いがくり広げられることでしょう。 我々も12月3日を目指し、顔晴る決意でおります。

 大阪予選でおもしろい(と言っては失礼)会計事務所がありました。
大阪市内の河原治税理士事務所です。何と、この会計事務所、パン屋さん専門の会計事務所です。まず、所長先生が大のパン好き。採用もパン好きかどうかが、一番のポイント。名刺もパン屋さんのマンガ。パン屋さんを食べ歩き、お客様のパン屋さんがオープンの時は全社員で応援に入り、パン屋の事は何でも分かる。パン屋の件数や情報力はbP。社員5〜6名ですのでそんなに大きな規模ではありませんが、こんな事務所があるのかと驚かされました。

 大阪予選で我が事務所と、この河原治税理士事務所が決勝に出ます。最大のライバルかもしれません。

                            代表社員   前原 幸夫
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2014年09月01日

9月の言葉!「富士登山」

 「富士登山」
 
 8月3日、4日と富士山に登って来ました。昨年のリベンジです。
昨年は、還暦ということもあり、いろんな体験をさせていただきました。3月25日還暦の日に富士山の麓での研修、5月100キロウォーク、8月富士登山、11月には出雲参拝、そして伊勢神宮の五十鈴川での水行、屋久島縄文杉登山と行事が目白押しでした。

 その中でも、富士山への登山は、100キロウォークを完歩したこともあり、ほとんど何の練習もせず臨んだ為、9合目で涙のリタイア。一人寂しく下山したという苦い思い出があり、今回は何が何でもという強い念いで行きました。もちろん練習もそれなりにはしました。
 昨年は、裏山に登ろうと行ったのですが、ほんの少し登っただけで「よし!」と降りて来ましたので、今年は、まず裏山(400m位の低い山)へ登ろうと6月下旬目指して行きました。途中、先輩に会い、山へ登ることを言うと血相を変えられる始末。よく聞くと今の時期は、上の方はマムシが多く非常に危険とのことで、裏山登山は断念。
 その代わり、我が家の前には旭川が流れ、その堤防には50数段の階段と坂道があり、ここでトレーニングをすることにしました。
 早足で30分歩き、50数段の階段を1段ずつ、2段ずつとそれぞれ変化を持たせ、5〜10往復。50mくらいの坂道をゆっくり、早足で、ランニングでと、登ったり下ったりで5〜10往復。陽は陰ったと言っても、何せ7月の真夏日の夕刻、汗びっしょりになりながらの涙ぐましい特訓でした。
 
 そんな準備をし、8月3日いざ出陣です。岡山からは、津山のラーメンファミリーを経営する河原さんと同行。途中、富士山5合目で、足利の福田茂夫先生とその社員さんで山ガールの児島さんと合流。4人で頂上を目指します。と言っても、福田先生は3度目、児島さんは初めてとは言え、日本国中の山々を制覇した強者。問題は私と河原さんでした。
 5合目到着、午後2時。5合目でも2,300mの高地の為、1時間位体を慣らし3時に出発、8合目の山小屋を目指します。昨年は、一番下の山小屋で仮眠だった為、翌日の行程が長く厳しかった苦い経験から、今年は上の方の山小屋へ。6合目まではハイキング氣分。そこからかなりの急勾配。ジグザグの道もあり、見上げると山小屋が点々とあり、その勾配のきつさを教えてくれていました。   

 天氣は非常に良く、登れば登るほど開けてくる視界に、充実感で心が癒されてゆきました。河口湖や山中湖が見事に眼下に見渡せ、とっぷりと日が暮れた7時30分(私の予定では予定通り)3,250mの山小屋へ到着。8時から食事でした。昨年はキツくてキツくて、とても食事(ましてビール)どころではなかったのですが、今年はビールで乾杯。食事もおいしくいただきました。9時過ぎ、消灯で寝ようとした瞬間、両足の太ももにひきつけ。「痛い!」と大声を上げると、どこからか救いの手が。私の大声を聞き、近くで寝ていた人が何と親切に私の足をマッサージ。      
 攣りかけていた足が何とか元通り。大過なく眠る事が出来ました。とっさのことで、この方のお名前を聞きそびれてしまいましたが、本当に心より御礼申し上げます。

 何せ、狭い仮眠部屋ですから、ほとんど寝ずに朝3時、出発の準備をし、3時半頃頂上を目指し、山小屋を後に。途中、朝焼けそして、ご来光を拝み、一歩一歩頂上へ。前日より、足取りは重く、予定の時間をはるかに超えて、午前8時頂上へ。頂上の空氣をゆっくり味わい、帰途につきました。

 今回の登山で感じた事3点。

1. 友はありがたい。昨年は3強1弱でしたが(勿論、1弱は私)、今年は2強2弱、少々時間はかかりましたが、ペースを共有してくれる仲間がいるとありがたい!!
2. とにかく空氣を出すことに専念しました。怖いのは高山病ですので、腹式呼吸がいいと教わり、大きな息をすることを心がけました。しかも大きく吸うのではなく、大きく吐き、吐ききること。「出せば入る」  まさにその通りでした。
3. 一歩一歩の積み重ね、見上げるとはるかに続く人の波。それも真上にあるような感じの急斜面。これをあそこまで登るのかと思うと、心も折れます。しかし、現実は下を向き目の前の岩場、石ころを一歩ずつ、  真にコツコツです。

 ともあれ下山し、おいしいビールにありつけました。
 来年も100キロウォーク、富士登山挑戦します。

       先生原稿使用画像@.JPG          代表社員  前原 幸夫
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2014年08月01日

8月の言葉!「喜働」

 「喜 働」

 『働き過ぎは罪悪だ、などといって仕事にいそしんでいる人を軽蔑するかのような風潮が出はじめている。あぶない、あぶない。ごまかされてはいけない。働きすぎの「すぎ」をうっかり見のがして、「働くことは罪悪だ」といった見方におち入りかかっているのではなかろうか。こうなると「怠けることはよいこと」だから「遊ぶことこそ美徳である」というようになりかねまい。』

 上記の文章は今から約40年前、1973年(昭和48年)のある方の文章です。
40年後の今まさにその風潮は蔓延しているのではないでしょうか。
「働きすぎ」のすぎはどこから来るのか。今の日本を思うとき、「すぎ」などあるのだろうかと思わざるを得ません。国家収入が約50兆円なのに、1,000兆円を超える借金を背負い、中国、北朝鮮、ロシア、韓国等々の武力的脅威に遭いながら、それでも悠々として働かない時を過ごすことが出来るのか、はなはだ疑問です。 そんな現状を思うとたまらなくなり、せめて私一人だけでもそんな風潮に警鐘を鳴らそうと思っています。
 ほんの100年200年前まで常識であったものが、現在常識でなくなっているもの、いや、脈々と日本人に流れてきたものが、ここ100年足らずで覆っているものが3つあります。

 1つ目は、農業に農薬や肥料を使うという常識です。岡山県で木村式自然農法という無肥料・無農薬で稲作を推進している団体があります。5年ほど前から作っているのですが、始めた当初、これを聞いた農協関係者に無肥料・無農薬で米は作れないと鼻で笑われたそうです。    
しかし、よく考えてみれば農薬や化学肥料を使いだしたのは、ここ100年足らずのことで米がいつごろから作り始められたかは知りませんが、何千年も人間は無肥料・無農薬で米を作ってきたはずです。当然量は少ないですが、無肥料・無農薬で米は作れますし、これがおいしく、少し高いですが飛ぶように売れているということです。
 
 2つ目は、空腹か満腹かです。今の日本人で毎日毎日お腹をすかせている人はほとんどいないと思います。空腹どころかダイエットと称して食べるものをわざと控えている始末です。
 しかし、これも多分ここ50年ほどのことだと思います。日本人が昔、狩りをしていた頃、又、農耕を覚え稲やアワやヒエを作った頃から、何万年、何千年満腹で過ごした時代などなかったはずです。ということは、空腹が当たり前(平常)であり、満腹は異常な状態なのです。ましてケーキは別腹と、満腹の上になお食べるなどということは、人間の生理に反していることなのです。いつも空腹を感じながら生活することの方が自然な生き方なのかもしれません。私も今、朝食を抜いて(午前中は排せつの時間帯だということで)一日二食。空腹を楽しんでいます。

 3つ目は働くということです。週休2日、祝日だ有給だと、いかに働かないかを競っていますが、これもここ30年くらいのことです。明治政府になり太陽暦が導入されるまで土曜日も日曜日もなかったわけで、日本人はほんの最近まで朝から晩まで、いや、夜なべ仕事までして一日中、一年中働いていたのです。休めば自分の命を縮めるというくらいの働きが、何千年も営まれていたはずです。休みは盆と正月のみ、コツコツと生活の糧を生みだしてきたのです。
 
 過労死とか、働きすぎなどという言葉はあろうはずがありません。実際人間は喜んで働けば、疲れないし働きすぎと感じません。不平不満を言いながら嫌々働いているから働きすぎ、過労死を引き寄せるのです。同じ一時間でも楽しいことをしていればすぐに時間が過ぎますが、いやなことをしていると一時間がとても長く感じる、これと同じです。
 働く時間の長さではなく、どんな心で働くかです。労働ではなく、喜働です。
日本人は昔から働くことを尊び、働くことに生きがいを見出して来ました。まさに喜働です。その上、喜働は人から喜ばれ、感謝されます。人も喜んでくれ、自分も喜びに満ちた人生を送れる。こんな素晴らしいことはありません。
 
 ここ数年、私もほとんど休みなく働いています。朝4時半に起き、夜11時頃就寝。1日19時間喜働です。昼休みも昼食を食べる以外休みません。年間家でぼ〜っとすごすことが5日くらいでしょうか。正月も3日から、お盆は町内の行事が8月14、15、16日とありますので、それ以外は喜働です。そんなに働いてもいっこうに疲れません。
 過労など感じたことはありません。それより益々健康で毎日のごはん、お酒が非常においしく60歳を超えた今も快調そのものです。ああ、今日も働けてよかった。明日も働ける。こんな喜びの働き、喜びの人生を送っています。まさに「働きは最高の幸せである」です。

                              代表社員  前原 幸夫
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2014年07月04日

7月の言葉!「三本目の矢」

「三本目の矢」

 2012年12月に安倍政権が誕生してから1年半が経過しました。高い支持率を背景に今までの政権がやってこなかった様々な改革を断行しようとしています。そのよしあしは別として、この高支持率の元はアベノミクスです。いわゆる三本の矢と言われるものです。

 最近この三本の矢を揶揄する話として次のようなことを聞きました。
三本の矢とはご存知のとおり大胆な金融政策、機動的な財政出助による景氣の底上げ、民間投資を喚起する成長戦略です。一本の矢は市場に流通する資金の量を増やし、デフレからインフレへ指向してゆくもので、これは円安指向を誘い株価も上昇しA評価。第二の矢は昨年末の補正予算そして今年度の予算と大型であり、公共投資も大型の予算組みをして経済の下支えをしてゆこうとするものでありますが、一方 赤字国債の残高が増えるという弊害もあり評価B。
三本目の矢は先日発表された骨太の方針で示されましたが、いま一つ迫力に欠け評価はE。
一本目がA、二本目がB、三本目がEでABE(安倍)という小話っぽい話ですが、ことはそんな笑いごとですまされるようなものではありません。

 特に三本目の矢、今の日本に成長を前提とした経済政策がふさわしいのかどうかです。さらに言えば成長する強い産業・企業と、その成長について行けない弱い産業・企業との二極化を助長させる政策ではないのかという点です。
 例えば、法人税の減税についても、下がるのは大企業であり、中小企業は逆に税率を上げるなど増税が検討されています。また、海外からは安い労働力を受け入れたり、ホワイトカラーエグゼンプション(いわゆる残業代「0」政策)という二極化、しかもこれらの採用によるメリットはやはり大企業に限られてくるといった風にです。そこには弱い中小企業を含めた日本の全体的な経済の底上げは期待できない(期待しない)、代わりに強い産業、強い企業にしっかり体力をつけてもらい、収益力を拡大してもらい、賃金を上げてもらい、購買力をつけてもらい、設備投資をしてもらい、経済を引っぱってもらいたいという意思が見え隠れしてなりません。
 
 しかしその目論見どおり行くでしょうか。私は今の日本が国内で経済の成長をどんどん限りなく行なってゆくことは不可能だと思っています。最近の論調は世界の経済さえも成長を前提とするのはムリがある、資本主義は終わりに近付いているといったものが見受けられます。
 これから50年というスパンでみれば、グローバル企業は東南アジアの次はインド、インドの次は中東、中東の次はアフリカと次々経済成長の源泉を求めてゆくでしょうから、成長の余地はありますが、日本国内をみれば、そのグローバルな企業の本社は確かに日本国内にあるけれども、生産拠点は世界中にあり、それぞれ現地の人を雇い、現地で設備を調達し、現地で物を売っているグローバルという名の国外活動企業です。それら企業は、収益は日本にもたらすかもしれませんが、経済成長は現地にもたらします。(それにも限度があり、100年単位でみれば終わりに近づいています)

 しかもそれは日本の国内にしか居られない中小企業群には、成長の余地はなくなりつつあるということです。今までの市場はどんどん拡大し、一人当たりの購買力も所得の上昇とともに上ってきました。それを背景に設備投資が行われ、国家財政も豊かになり公共投資に廻せる予算も増えてきて、また、経済を成長させるという好循環でした。
 
 しかし、今はどうでしょう。国の借金は1,000兆円を超し、65歳以上の高齢者が全人口の4分の1を占め、家の中を見渡しても、欲しいもの買いたいものはなし。正社員は減少し、パート・アルバイト等の非正規社員は労働者全体の3分の1を超え、しかもこの借入、高齢化率、物余り、非正規社員化がどんどん進行してゆこうとしている今の日本の国内で、企業が設備投資等をどんどん行い、賃金を上げ続け、消費者がどんどん物を買いあさり、国が公共投資等に予算をどんどんばらまき続けることなどあり得ないことです。
国は借金やこれから少子高齢化に伴い増え続けるであろう年金、介護、健保のために国民に税負担を強い、企業は海外の安い労働者にたより、日本の若者をどんどん非正規化し、賃下げを行い、増え続ける税負担に可処分所得は減り続け、グローバルな企業は海外活動を活発化させ、空洞化は進み、国の借金は増え続け予算はますます硬直化してゆき、公共投資どころか公務員の給与・年金も削られるようになり、将来を不安視する国民は消費拡大どころか生活を切り詰めやっとの生活。そんな近い将来が予想されてなりません。

 あまりにも悲観的な見方かもしれませんが、資本主義は終わりに近づき新しい経済運営が求められているように思います。
 その先頭にあるのが日本です。経済成長をよりどころとしない生活感成長。国に頼るのをやめ、地域の人々が助け合い、分け合う自助の精神の確立。量的な拡大ではなく質的な充実。物に満足を求めるのではなく、人の温かさに満たされる生活。そんな内面の豊かさ、心の豊かさを追求する時代が到来したとしたら、資本主義の次は真に心の時代と言える豊かな時代になるはずです。しかもその先頭にはいやがおうでも日本がいます。

                            代表社員  前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 16:08| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする