6月21日、22日、名古屋で行われた、さだまさしのデビュー50周年記念コンサートに行ってきました。通常コンサートは一晩(一日)で終わるものですが、50周年ということで4夜行われます。他には大阪と東京の会場がありますが、我々は名古屋に行ってまいりました。
6月21日、22日 7月14日、15日 4日間通しのチケットです。(席も毎回同じ席)
なぜか、いつ頃からなのか分かりませんが、わが妻はさだまさしを「さだ様」と呼び、ファンクラブにも入り、子育てが終わってからは年2〜3回コンサートに行き、そのお供をしてまいりました。北は北海道札幌から南は沖縄那覇まで、私はいつも旅行氣分でしたが、今回は最前列で2日間、ふたりで「さだまさし」にどっぷりつかってきました。
さだまさしのコンサートの特徴はトークです。以前トークだけのコンサートがあったくらいです。普通歌手は歌と歌の間にトークが入りますが、彼の場合はトークとトークのあいだに歌が入るという感じです。例えば「昔新幹線に乗ったらゴルフのパターを持った人がいて、尋ねたら、ここグリーンですから・・・」と、こんなことを面白おかしくしゃべくります。
さだまさしは1952年(S27)4月10日長崎で生まれました。
71歳、なんと私と同級生です。3歳のころからバイオリンを習い地元長崎では神童と呼ばれたようです。小学校を卒業すると単身上京し、バイオリンの修行をします。食べるものも事欠く時代にバイオリンを習い中学校から東京で一人で暮らすという、私などには考えられないような生活をしています。親から離れ、故郷を離れるという小さい頃の経験が彼の生き方のベースにあるのだと思います。しかし長崎では神童であっても大都会に出れば・・・・。
紆余曲折を経て加山雄三の影響もあり、バイオリンからギターへ、そして大学を中退・・・
身体をこわして故郷へ帰り、そこへ学生時代のギター仲間の吉田政美がやってきて・・・
1972年20歳の時にフォークデュオ「グレープ」を結成します。そして翌年あの『精霊流し』『無縁坂』の大ヒットです。私も当時は学生時代、東京の安アパートでFM東京から流れてくるグレープの歌をよく聴いたものです。
その後グレープは解散、ソロ活動がはじまります。
「関白宣言」「秋桜」「雨やどり」「北の国から」「奇跡」「案山子」「風に立つライオン」と次々にヒット曲を作ります。順調に歌手活動を行っていたのですが、1981年自らが監督、主演する「長江」という映画を製作します。そして35億円の大借金を作ったといいます。これは有名な話でテレビや新聞でご存知かもしれませんが。
この借金が彼の活動に更なる活力を与えたのでしょう。年100回を超えるコンサートで、この借金を1981年の映画公開から30年経って完済したそうです。
歌手生活50年(18,250日)2,000人のホールや3万人の野外ステージ、時には出雲大社や薬師寺、春日大社、東大寺の大仏の前でもコンサートは行われ、その数4,500回を超えています。その内年一回「夏・長崎から」というコンサートは広島原爆の日に同じ被爆地である長崎から平和を願い無料で開催し、1987年から20年間続けていました。
2008年からは「カウントダウンin国技館」も続けており、一度だけ行ったことがあります。
生の大相撲も観たこともないのに、初めての国技館が、升席でコンサート。その後そのままNHKの「年の初めはさだまさし」の生放送に参加するという超過激なスケジュール、観ている方も体力がいりました。二人共まだ若かった、い〜い思い出です。
コンサートに行って感じることは、幼くして故郷長崎を離れたこともあり、ふるさとに対する思いの深さです。原爆にあったふるさと長崎、平和への人一倍強い思い、それを歌に託し歌を通じて人々に訴えている、そんな心の叫びを感じます。
彼も71歳になりました。しかし年を感じさせない若さがあります。私が大学生の頃ラジオで聞いていた歌声そのものを今も聞かせてくれます。
最新アルバムは「なつかしい未来」というタイトルです。
「70歳を超えると未来はなつかしくなる」私も70歳を超えて少しはわかる世界です。
♬今日は昨日の続きだったけど、明日は今日の続きとは限らない・・・♬
未来が我々の前にどのくらい開いているか、続いているか分かりません。
これからも、彼のコンサートを追っかけする妻にしがみついて全国を旅したいと念じています。
代表社員 前原 幸夫

