2023年09月01日

今月の言葉!「東條 英機」

「東條 英機」
 
皆さんは、東條 英機という人物をご存じでしょうか?
陸軍大将であり、太平洋戦争が勃発した時の日本国の総理大臣であり、日本を戦争の道へ引きずり込み、敗戦に至らしめたA級戦犯で、許すべからざる人物。こんな風に私も教えられ育ったように思います。
その曾孫(ひまご)である東條 英利さんの講演会があり参加させていただきました。ちなみに東條家では長男のみ「英」という名前を付けることが出来るようで、英利さんは東條 英機の直系の曾孫さんです。太平洋戦争に敗れ、東條 英機は法的根拠のない東京裁判で死刑となり絞首刑にされます。戦後間もない日本人は裁判で死刑になるくらいだから、極悪人、相当悪いことをした人物だと洗脳されたのです。
 英利さんの父(英機の孫)は昭和12年生まれ。昭和20年の終戦当時は小学生でした。しかし、英機の孫ということで小学校の担任のなり手がいない状態が続いたそうです。小学校でこうですから、一族は仕事に就くこともできず、極貧の生活を余儀なくされました。
英利さんは昭和47年生まれ。幼い頃から東條という姓、故のいじめの中でコンプレックスにさいなまれたと言います。例えば、歴史はあえて「日本史」を選択せず、「世界史」にする。高校も日本から国際という言葉に惹かれ埼玉県の「和光国際高校」に進学したほどです。
 しかし、海外で仕事をするうちに、自分が自分自身のアイデンティティと向き合うことが大切であり、国際人としての第一歩は自国。すなわち日本の文化・歴史、そして東條 英機という人物と向き合うことが大切だと身に染みて実感したと言います。そして現在、神社文化の評論家として日本の神道を広く世界に伝えようと顔晴っておられます。

ここでもう一つ東條 英機のことについて書きたいと思います。
東京裁判については来月号に廻すとして、東條 英機はそんない大悪人だったのでしょうか。
東條 英機は東京裁判で「真珠湾攻撃により一般市民を殺害した」という罪になりました。
確かに開戦当時、東條 英機は首相ではありましたが、真珠湾攻撃の作戦は海軍が行なったもので、首相であっても戦前の統帥権は天皇にあり参謀総長が全ての指揮命令を出していました。
東條が参謀総長を兼務するのは昭和19年2月。東條 英機は開戦には直接的にはタッチしていないのです。
 また、御前会議で天皇の終戦の聖断が下ると戦争継続に強い意志を持っていた東條 英機も、天皇の御聖断には忠実に従い中堅将校たちのクーデター計画にも「天皇の命令に背いてはならぬ」と諫めています。昭和20年8月15日、終戦を迎え「戦争責任を一身に引き受けん」と、9月11日に拳銃自殺を図るも一命を取留め東京裁判にかけられます。
東條 英機が太平洋戦争の責任が自分一人にある意思表示は次の文章からも良く解ります。

東条英機.png                       


代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 00:00| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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