「コロナ禍をコロナ福へ」
2月22日、久しぶりに日本経営合理化協会の牟田太陽理事長の新春セミナーに参加しました。今年の経営環境と手の打ち方の原理原則を学ぶためでした。
コロナのパンデミックから3年、ロシアのウクライナ侵攻から1年という今年、コロナ終息による明るい展望はあるにせよ、原油高をはじめとする資源の高騰、食料穀物不足による高騰、サプライチェーンの機能マヒによる生産力の低下、物不足そして高騰、物価高・人手不足による人件費高騰、さらには円安の追い打ちと中小企業を取り巻く環境は大変厳しいものがあります。
コロナ融資も返済時期が迫ってます。金利も上昇が予想されます。
そのような中、なにか一つでも経営のヒントが欲しいとワラにもすがる思いでの参加でした。
@まず、2023年の景氣と社長の視点・手の打ち方について
GDPを100%とした場合、
公共投資が20%、個人消費は50%、設備投資20%、住宅投資10%の比率だそうです。
公共投資については、一般公共事業は増えるが災害復興費は落ち着きつつあります。
その分を国土強靭化計画による治水、道路橋梁の補修が重点配分されそうです。
全体の半分を占める個人消費については上向いてると分析されています。自動車などの耐久財も増加傾向にあり、訪日外国人も増え2023年は コロナ禍とアフターコロナの混在する重要な年になりそうです。
設備投資は日銀の短観(2022年9月)によれば、2022年は前年度比16.4%増となっており、脱炭素に向けた投資も相まって増加傾向にあると予 想されます。
住宅投資は2021年のウッドショック、ウクライナ侵攻による物資不足・物資高は今年も収まる氣配はありません。そこに、金利の先高観があ り、人口減少ともからみ都内ではマンションから郊外の一戸建てに需要が高まっているとのこと。
リモートワーク用や中古物件のリフォームなどはニーズの多様化が進んでゆくと予想しています。
どんな経営環境でも、我々中小企業は売上を伸ばし、利益を確保しなければなりません。
そのため、経営者は社員と一丸となって歯を食いしばり、全力で取り組んでゆかねばなりません。世の中の流れは激しく速く、荒々しくなっても、経営努力では如何ともし難い様々な与件は与件として受け入れ、その中で経営努力でできるころ、いや、自力で何とかできるところを見つけて様々な手を打ち、打ち続けてゆかなければなりません。
そのためにもう一度自社のあるべき姿の目標を定め、そこと現在とのギャップをしっかり確認し、その差を埋める努力をしなければなりません。
A販売戦略をしっかり立てる
どこに、何を、どれくらい、どういう方法で、だれが売るかです
「どこに、何を」は4つあります
B自社の財産の活用
一番の財産は既存のお客様、あるいはOB施主様です。
名簿を集め活用してみましょう。年賀状なんかも良いと思います。
会に入られているなら、会員名簿、小中高の同窓会名簿や町内会名簿。これらの名簿の活用で売上に結びつけ、あるいはネットワークや人脈を再確認することです。
C今年はコロナも終わります。イベントもしっかりやって、自社・自社商品・サービスをしっかり売り込みましょう。
D売り方も重層化してみましょう
売り方には5つあります。
1)店頭販売 2)訪問販売 3)媒体販売 4)配置販売 5)展示販売 です
同じ事業・同じ商品でも「売り方」を変えれば全く別のお客様を創造することが出来ます。
薬一つとっても、マツモトキヨシのように店頭で販売している会社もあれば、ジョンソンアンドジョンソンのように病院専門の訪問販売(ルートセールス)している会社、富士薬品のように配置販売している会社もあります。最近はやっている自動販売機も配置販売と言っていいでしょう。
訪問販売でいえば、社長の表敬訪問です。社長が最前線に立って販売をする。今はそんな時かもしれません。
何が何でも手を付けなければならないのが媒体販売・ネット販売・SNSを駆使した営業ブランディングです。媒体販売は人と対面せず販売する方法ですから、そこに人間的なもの、人間臭さ、人間性が垣間見られる工夫が必要かもしれません。
ターゲットをしっかり絞り、話題性豊かなものを提供して参りましょう。
2023年、コロナ禍をコロナ福へ変える大きな節目の歳であり正念場でもあります。
新しい商品、新しい市場も大切ですが、まずは現在の商品サービス、現在の市場・お客様を再分析し、深く深く掘り下げて対策を立てることからスタートです。
自らの経営努力でしかこの苦境を乗り切ることはできません。本業を磨き続けること、打つ手は無限、打つ手を打ち、そして更に打ち続けて下さい。
固い、重い、冷たい目の前のドアは必ず開いてゆくことでしょう。
代表社員 前原 幸夫
2023年03月01日
2023年02月01日
今月の言葉!「追慕」
追 慕
新年早々悲しい知らせが入りました。
この小冊子「本氣」をいつも飾っていただいている落合 勲先生がお亡くなりになられたという知らせでした。
令和5年1月9日、享年82歳でこの世を去られました。
先生は、1940年(昭和15年)三重県四日市市にお生まれ、四日市商業高校ご卒業後、三和銀行に入社。後に四日市市で「喫茶イオリ」を開業、それから「イオリ書体」という先生独特の書体を完成され「こころの文字」という世界を創り上げられました。
私どもが毎年お贈りしております「ありがとうカレンダー」の文字・デザインも落合 勲先生の作品であり、ありがとうの清水 英雄先生との絶妙のコンビは、多くの書籍カレンダーを世に送り出し好評を博しています。
落合先生との出会いも清水 英雄先生とのご縁で、当時、文字・文章の羅列であった「本氣」をもっと楽しく、お客様に感動を与えうる内容にと落合先生の二十四節氣を使わせていただくことになりました。もう10年以上、毎月毎月先生は二十四節氣を描いて、お送りくださいました。味氣ない「本氣」に彩りや華やかさ、そして命までも吹き込んでいただいた先生の御恩は一生忘れません。
「本氣」今月号は、そんな落合 勲先生の遺作ともいえる二十四節氣を一年分掲載させて頂きます。先生の長年の御恩に感謝し、ご冥福をお祈りし、2月号をお届けいたします。
二十四節氣.pdf二十四節氣-7.pdf二十四節氣-13.pdf二十四節氣-19.pdf
落合 勲先生、安らかにお眠りください。
そして、ありがとうございました。
代表社員 前原 幸夫
新年早々悲しい知らせが入りました。
この小冊子「本氣」をいつも飾っていただいている落合 勲先生がお亡くなりになられたという知らせでした。
令和5年1月9日、享年82歳でこの世を去られました。
先生は、1940年(昭和15年)三重県四日市市にお生まれ、四日市商業高校ご卒業後、三和銀行に入社。後に四日市市で「喫茶イオリ」を開業、それから「イオリ書体」という先生独特の書体を完成され「こころの文字」という世界を創り上げられました。
私どもが毎年お贈りしております「ありがとうカレンダー」の文字・デザインも落合 勲先生の作品であり、ありがとうの清水 英雄先生との絶妙のコンビは、多くの書籍カレンダーを世に送り出し好評を博しています。
落合先生との出会いも清水 英雄先生とのご縁で、当時、文字・文章の羅列であった「本氣」をもっと楽しく、お客様に感動を与えうる内容にと落合先生の二十四節氣を使わせていただくことになりました。もう10年以上、毎月毎月先生は二十四節氣を描いて、お送りくださいました。味氣ない「本氣」に彩りや華やかさ、そして命までも吹き込んでいただいた先生の御恩は一生忘れません。
「本氣」今月号は、そんな落合 勲先生の遺作ともいえる二十四節氣を一年分掲載させて頂きます。先生の長年の御恩に感謝し、ご冥福をお祈りし、2月号をお届けいたします。
二十四節氣.pdf二十四節氣-7.pdf二十四節氣-13.pdf二十四節氣-19.pdf
落合 勲先生、安らかにお眠りください。
そして、ありがとうございました。
代表社員 前原 幸夫
2023年01月05日
今月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」
新年あけましておめでとうございます
皆々様、ご健勝にて新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
昨年はコロナ禍が続く中、ロシアのウクライナ侵攻により中小企業の経営にとって2重3重の苦しい年となりました。恒例の年末に行われる日本漢字能力検定協会による2022年「今年の漢字」には「戦」が選ばれました。
まさしくコロナに対する戦い、ロシアに対する戦い、円安や物価高に対する戦い、サッカーワールドカップでの日本の戦い、大谷選手の二刀流での戦い、様々な「戦」が想い浮かびます。今年もこの流れは大きくは変わらないでしょう。
コロナも治まるどころか、中国のゼロコロナ中止を受け、大規模なパンデミックが起こるでしょう。電氣料金をはじめ、物価・原価・経費の高騰はこれからです。コストの上振れには十二分に注意する必要があります。ロシアのウクライナ侵攻は、早期の決着は難しいようです。ウクライナを世界中が支援し、ロシアを孤立化させ、外的圧力でねじ伏せるしかありません。
中国も影響力を拡大しようと躍起ですし、北朝鮮の核の脅威も増してくるでしょう。かなり厳しい経営環境が予想される今年ですが、ほんの少し好転すると見込まれるのが、コロナへの対応です。
現在、結核やSARSなどと同じ2類に分類され、就業規制や外出自粛が行なわれていますが、これをインフルエンザ並みの5類とし、行動制限をかけないようにする方向で検討が行われています。
5類になれば、今のような行動制限はなくなり、経済も少しは活発になるのではと期待しています。
昨年の一年を表す漢字が「戦」なら今年は「高」だと思います。
昨年に増して物価高、高コストの一年になりそうです。人件費のアップも避けては通れません。人材不足・物不足からくるコストアップ、
これへの対応が急務です。もちろん売価への転嫁上乗せが出来ればそれに越したことはありません。しかし、単純な値上げではお客様にそっぽ向かれ、得意先から値引要請や、取引解除となる可能性すらあります。
売価への転嫁も不可欠ですが、より付加価値を上げての値上げが必要です。客量、デザイン、パッケージ、現在の商品・サービスを見直し、よりお客様に喜ばれ、満足感を得られるものへの商品サービスの高度化が必要となります。
転嫁(値上げ)が不十分な場合、操業度を上げることも大切です。
効率up、納期短縮、生産量の増大、高生産性の確立です。
それには、事前の準備、段取りの強化、清掃・片付けによる時間ロスの徹底的な減少、社員教育の徹底により時間に対する意識の改革、工程の再検討や標準化による作業時間の短縮、機械化、ロボット化、AI化による自動化(省力化)。
人時生産性のアップです。一人の社員が一時間に稼ぐ粗利益をいかに上げてゆくか、これが勝負の分かれ目となりそうです。
高い志を持ち、高い操業度で、高い付加価値の商品サービスを、高い値段でお客様に販売する体制の構築こそが、人件費をはじめ諸経費高騰に対する王道だと確信します。
ぜひぜひ、社員一丸となって人時生産性を上げて下さい。価格転嫁には限界があります。知恵とヤル氣と汗の出し所です。
今年一年皆様方にとって良い年でありますよう
心よりお祈り申し上げます。
代表社員 前原 幸夫
皆々様、ご健勝にて新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
昨年はコロナ禍が続く中、ロシアのウクライナ侵攻により中小企業の経営にとって2重3重の苦しい年となりました。恒例の年末に行われる日本漢字能力検定協会による2022年「今年の漢字」には「戦」が選ばれました。
まさしくコロナに対する戦い、ロシアに対する戦い、円安や物価高に対する戦い、サッカーワールドカップでの日本の戦い、大谷選手の二刀流での戦い、様々な「戦」が想い浮かびます。今年もこの流れは大きくは変わらないでしょう。
コロナも治まるどころか、中国のゼロコロナ中止を受け、大規模なパンデミックが起こるでしょう。電氣料金をはじめ、物価・原価・経費の高騰はこれからです。コストの上振れには十二分に注意する必要があります。ロシアのウクライナ侵攻は、早期の決着は難しいようです。ウクライナを世界中が支援し、ロシアを孤立化させ、外的圧力でねじ伏せるしかありません。
中国も影響力を拡大しようと躍起ですし、北朝鮮の核の脅威も増してくるでしょう。かなり厳しい経営環境が予想される今年ですが、ほんの少し好転すると見込まれるのが、コロナへの対応です。
現在、結核やSARSなどと同じ2類に分類され、就業規制や外出自粛が行なわれていますが、これをインフルエンザ並みの5類とし、行動制限をかけないようにする方向で検討が行われています。
5類になれば、今のような行動制限はなくなり、経済も少しは活発になるのではと期待しています。
昨年の一年を表す漢字が「戦」なら今年は「高」だと思います。
昨年に増して物価高、高コストの一年になりそうです。人件費のアップも避けては通れません。人材不足・物不足からくるコストアップ、
これへの対応が急務です。もちろん売価への転嫁上乗せが出来ればそれに越したことはありません。しかし、単純な値上げではお客様にそっぽ向かれ、得意先から値引要請や、取引解除となる可能性すらあります。
売価への転嫁も不可欠ですが、より付加価値を上げての値上げが必要です。客量、デザイン、パッケージ、現在の商品・サービスを見直し、よりお客様に喜ばれ、満足感を得られるものへの商品サービスの高度化が必要となります。
転嫁(値上げ)が不十分な場合、操業度を上げることも大切です。
効率up、納期短縮、生産量の増大、高生産性の確立です。
それには、事前の準備、段取りの強化、清掃・片付けによる時間ロスの徹底的な減少、社員教育の徹底により時間に対する意識の改革、工程の再検討や標準化による作業時間の短縮、機械化、ロボット化、AI化による自動化(省力化)。
人時生産性のアップです。一人の社員が一時間に稼ぐ粗利益をいかに上げてゆくか、これが勝負の分かれ目となりそうです。
高い志を持ち、高い操業度で、高い付加価値の商品サービスを、高い値段でお客様に販売する体制の構築こそが、人件費をはじめ諸経費高騰に対する王道だと確信します。
ぜひぜひ、社員一丸となって人時生産性を上げて下さい。価格転嫁には限界があります。知恵とヤル氣と汗の出し所です。
今年一年皆様方にとって良い年でありますよう
心よりお祈り申し上げます。
代表社員 前原 幸夫
2022年12月06日
今月の言葉!「免税事業者といかに付き合うか」
免税事業者といかに付き合うか
来年、令和5年10月1日より消費税の税額の控除を受ける場合には、適格請求書(インボイス)を支払先より受領しなければならなくなります。
インボイスをもらい、保存していない場合には後日、税務調査などで消費税の追徴が発生する可能性があります。
適格請求書とは
@ 発行者(支払先)の氏名又は名称及び登録番号
A 取引年月日
B 取引内容(軽減税率の対象品目である旨)
C 税率(10%or8%)毎の対価の会計額と適用税率
D 税率毎の消費税額
E 受領者(自社)の氏名又は名称
が記載された請求書等です。

まず、自社の取引先がこの適格請求書を発行できるかどうかの確認が必要です。
その際、特に注意する事は取引先が「登録番号」の申請をし、番号の交付を受けているかの確認です。この申請交付は、令和5年3月31日までですので、その後取引先に文書で確認するか、国税庁のHPで確認する必要があります。
取引先が課税事業者(売上が1,000万円を超える)であっても登録番号の交付
を受けていない場合(請求書等に登録番号の記載がない場合)は支払った消費税を控除することはできず、いわば消費税の二重納付となります。
まず、番号の登録を確認し請求書等の書式の確認をすることが第一歩です。
次に登録番号の交付を受けない(インボイスを発行しない)取引先、特に売上が1,000万円以下の免税事業者に対しては、特段の注意が必要です。
商品の購入やサービスの提供を受け消費税を支払ってもインボイスがなかったら、令和5年10月1日〜3年間は支払った消費税の80%しか控除を受けられません。
すなわち、インボイスのない支払消費税が100万円だとすれば20万円の消費税は控除されず納税が発生し、その額の利益が減少することになります。
それが500万円だと100万円、1,000万円だと200万円です。
インボイスのある支払いとない支払いに分けて集計する手間もかかります。ですから免税事業者からインボイスをもらうように交渉することが大切です。どうしてももらえない場合は、この支払った消費税の20%部分の値引き交渉も必要となるかもしれません。20%部分は利益が減少するのですからこの補てんを免税事業者にやってもらう必要性も出てきます。(免税事業者との力関係にもよりますが)
ただ、現在行われている与党(自民党・公明党)の税制調査会では、この免税事業者がインボイスの発行をしないことにより取引が取りやめになる等、不利な取り扱いを受けることがないよう救済措置を検討しています。
その内容とは、現在免税事業者の方が登録番号を申請し、インボイスの発行が可能となり消費税の申告納税義務者となっても、納付税額は本来納付する税額の20%とするということです。例えば売上が800万円、受け取り消費税が80万円取引先に支払った消費税が30万円であれば、本来受け取った消費税80万円から支払った消費税30万円を控除して50万円を税務署に納めるのですが、50万円×20%=10万円を納めれば良いというものです。(これはインボイスが導入される令和5年10月1日から3年間の時限的なものになるようですが)
この案の通りになるのであれば取引先の免税事業者にインボイスの発行事業者となるよう要請しインボイスをもらえば、今までとなんら不利益はなく手間も省けます。与党税制調査会の答申は今年12月の中旬くらいに出るのか通例です。
NISAの拡充、贈与税ありの方の検討、防衛費の増額の財源等、氣になる項目も多数あります。令和5年度税制改正大綱を策定する(これにより税制は決まります)与党の税制調査会から目が離せない年の瀬になりそうです。
代表社員 前原 幸夫
来年、令和5年10月1日より消費税の税額の控除を受ける場合には、適格請求書(インボイス)を支払先より受領しなければならなくなります。
インボイスをもらい、保存していない場合には後日、税務調査などで消費税の追徴が発生する可能性があります。
適格請求書とは
@ 発行者(支払先)の氏名又は名称及び登録番号
A 取引年月日
B 取引内容(軽減税率の対象品目である旨)
C 税率(10%or8%)毎の対価の会計額と適用税率
D 税率毎の消費税額
E 受領者(自社)の氏名又は名称
が記載された請求書等です。
まず、自社の取引先がこの適格請求書を発行できるかどうかの確認が必要です。
その際、特に注意する事は取引先が「登録番号」の申請をし、番号の交付を受けているかの確認です。この申請交付は、令和5年3月31日までですので、その後取引先に文書で確認するか、国税庁のHPで確認する必要があります。
取引先が課税事業者(売上が1,000万円を超える)であっても登録番号の交付
を受けていない場合(請求書等に登録番号の記載がない場合)は支払った消費税を控除することはできず、いわば消費税の二重納付となります。
まず、番号の登録を確認し請求書等の書式の確認をすることが第一歩です。
次に登録番号の交付を受けない(インボイスを発行しない)取引先、特に売上が1,000万円以下の免税事業者に対しては、特段の注意が必要です。
商品の購入やサービスの提供を受け消費税を支払ってもインボイスがなかったら、令和5年10月1日〜3年間は支払った消費税の80%しか控除を受けられません。
すなわち、インボイスのない支払消費税が100万円だとすれば20万円の消費税は控除されず納税が発生し、その額の利益が減少することになります。
それが500万円だと100万円、1,000万円だと200万円です。
インボイスのある支払いとない支払いに分けて集計する手間もかかります。ですから免税事業者からインボイスをもらうように交渉することが大切です。どうしてももらえない場合は、この支払った消費税の20%部分の値引き交渉も必要となるかもしれません。20%部分は利益が減少するのですからこの補てんを免税事業者にやってもらう必要性も出てきます。(免税事業者との力関係にもよりますが)
ただ、現在行われている与党(自民党・公明党)の税制調査会では、この免税事業者がインボイスの発行をしないことにより取引が取りやめになる等、不利な取り扱いを受けることがないよう救済措置を検討しています。
その内容とは、現在免税事業者の方が登録番号を申請し、インボイスの発行が可能となり消費税の申告納税義務者となっても、納付税額は本来納付する税額の20%とするということです。例えば売上が800万円、受け取り消費税が80万円取引先に支払った消費税が30万円であれば、本来受け取った消費税80万円から支払った消費税30万円を控除して50万円を税務署に納めるのですが、50万円×20%=10万円を納めれば良いというものです。(これはインボイスが導入される令和5年10月1日から3年間の時限的なものになるようですが)
この案の通りになるのであれば取引先の免税事業者にインボイスの発行事業者となるよう要請しインボイスをもらえば、今までとなんら不利益はなく手間も省けます。与党税制調査会の答申は今年12月の中旬くらいに出るのか通例です。
NISAの拡充、贈与税ありの方の検討、防衛費の増額の財源等、氣になる項目も多数あります。令和5年度税制改正大綱を策定する(これにより税制は決まります)与党の税制調査会から目が離せない年の瀬になりそうです。
代表社員 前原 幸夫
2022年11月02日
今月の言葉「丁稚」!
「 丁 稚 」
「働き方改革」の波に真逆を行く会社があります。
神奈川県にある有限会社 秋山木工です。創業は、1971年、昨年創業50周年を迎え、社員数25名ながら年商20億円を稼ぎ出す超一流の家具職人集団です。
創業者は秋山利輝さん。昭和18年、奈良県明日香村の貧しい家庭に生まれ、教科書やノートを買うお金もなく、成績は小中通じてオール1。中学校を卒業し手先の器用さを見込まれて家具木工所へ丁稚として就職、住み込みでの修業で職人としての腕を磨き、秋山社長が27歳の時に秋山木工を立ち上げます。
そのとき秋山社長は、「日々食べる米にすら困る子ども時代を過ごしたにも拘らず、今、こうして家具職人として食べるものにも苦労しなくなった。職人となり色々な方に教えて頂き、お世話になり、技術を磨き人間性を高めることが出来たおかげ。その恩返しをしよう。そして、自分を超える職人をつくっていこう」
これが秋山社長の天職だと決意したと言います。
そして創り出した制度が丁稚制度でした。あんな未熟だった自分が丁稚という修業時代を通し、技術だけでなく多くのことを学び人にも優しく、人間的にも優れた本物の職人になることが出来た。この丁稚制度を自社に取り入れたのでした。
秋山木工へ入社すると、最初の5年間は丁稚として修業します。この間は男も女も丸刈りで、全員寮に住み込み、携帯電話も恋愛もご法度。親との面会もなし。(ただし、手紙はどんどん書く)朝は、5時起床、約2`ランニングのあと朝食(食事は丁稚が当番制で自炊)仕事に就く前に清掃。近所の草取りもします。風邪をひくこともダメ。2回風邪をひいたら減給、3回目はクビだそうです。
仕事を終えても、夜はカンナやノミの練習・技術の勉強。土日は「技能五輪全国大会」に向けての練習や新しい技術の習得に充て、休みは盆と正月のみ。
盆と正月は実家に帰り、墓参りや親孝行をします。実家では両親にゆっくりしてもらうため親の代わりに料理も作ります。
こんな修業期間を5年過ごし、試験に合格すれば「職人」として認められ家具作りをしますが、秋山木工にいられるのは通算8年だけだそうです。
丁稚修業を5年間し、その後3年間更に技術を高め8年経つと独立するか、他の会社に移るか、海外で活動するか進路は自由ですが、秋山木工に在籍できるのは8年間だけです。「一人前になったら辞めてもらう」システムなのです。
なぜ8年なのかというと、8年間で一人前の職人になった後が一番伸びる時期であり、その時期に色々な職場を体験し、多くの人と出会うことにより、より高度な技術や経験を積んで欲しいという思いがあるからです。
秋山社長の天命、「人育て、職人育て」の一端を見ることが出来ます。
入社して最初に「職人心得30か条」というものを、全員暗記し朝礼で唱和します。
一流を育てる秋山木工の「職人心得30か条」
1) あいさつの出来た人から現場に行かせてもらえます
2) 連絡/報告/相談の出来た人から現場に行かせてもらえます
3) 明るい人から現場に行かせてもらえます
4) 周りをイライラさせない人から現場に行かせてもらえます
5) 人の言う事を正確に聞ける人から現場に行かせてもらえます
6) 愛想よく出来る人から現場に行かせてもらえます
7) 責任を持てる人から現場に行かせてもらえます
8) 返事をきっちり出来る人から現場に行かせてもらえます
9) 思いやりがある人から現場に行かせてもらえます
10) おせっかいな人から現場に行かせてもらえます
11) しつこい人から現場に行かせてもらえます
12) 時間を氣に出来る人から現場に行かせてもらえます
13) 道具の整備がいつもされている人から現場に行かせてもらえます
14) お掃除・片付けの上手な人から現場に行かせてもらえます
15) 今の自分の立場が明確な人から現場に行かせてもらえます
16) 前向きに事を考えられる人から現場に行かせてもらえます
17) 感謝のできる人から現場に行かせてもらえます
18) 身だしなみの出来てる人から現場に行かせてもらえます
19) お手伝いの出来る人から現場に行かせてもらえます
20) 自己紹介が出来る人から現場に行かせてもらえます
21) 自慢の出来る人から現場に行かせてもらえます
22) 意見が言える人から現場に行かせてもらえます
23) お手紙をこまめに出せる人から現場に行かせてもらえます
24) トイレ掃除が出来る人から現場に行かせてもらえます
25) 道具を上手に使える人から現場に行かせてもらえます
26) 電話を上手にかける事が出来る人から現場に行かせてもらえます
27) 食べるのが早い人から現場に行かせてもらえます
28) お金を大事に使える人から現場に行かせてもらえます
29) そろばんの出来る人から現場に行かせてもらえます
30) レポートがわかりやすい人から現場に行かせてもらえます
人としての基本、それをしっかり叩き込むことの大切さを秋山木工に見ます。
時代と逆行しているかもしれませんが、どんな時代においても「人創り」の基本は変わりません。秋山木工のような会社を大切にしたいと思います。
非難するばかりでなく。
代表社員 前原 幸夫
「働き方改革」の波に真逆を行く会社があります。
神奈川県にある有限会社 秋山木工です。創業は、1971年、昨年創業50周年を迎え、社員数25名ながら年商20億円を稼ぎ出す超一流の家具職人集団です。
創業者は秋山利輝さん。昭和18年、奈良県明日香村の貧しい家庭に生まれ、教科書やノートを買うお金もなく、成績は小中通じてオール1。中学校を卒業し手先の器用さを見込まれて家具木工所へ丁稚として就職、住み込みでの修業で職人としての腕を磨き、秋山社長が27歳の時に秋山木工を立ち上げます。
そのとき秋山社長は、「日々食べる米にすら困る子ども時代を過ごしたにも拘らず、今、こうして家具職人として食べるものにも苦労しなくなった。職人となり色々な方に教えて頂き、お世話になり、技術を磨き人間性を高めることが出来たおかげ。その恩返しをしよう。そして、自分を超える職人をつくっていこう」
これが秋山社長の天職だと決意したと言います。
そして創り出した制度が丁稚制度でした。あんな未熟だった自分が丁稚という修業時代を通し、技術だけでなく多くのことを学び人にも優しく、人間的にも優れた本物の職人になることが出来た。この丁稚制度を自社に取り入れたのでした。
秋山木工へ入社すると、最初の5年間は丁稚として修業します。この間は男も女も丸刈りで、全員寮に住み込み、携帯電話も恋愛もご法度。親との面会もなし。(ただし、手紙はどんどん書く)朝は、5時起床、約2`ランニングのあと朝食(食事は丁稚が当番制で自炊)仕事に就く前に清掃。近所の草取りもします。風邪をひくこともダメ。2回風邪をひいたら減給、3回目はクビだそうです。
仕事を終えても、夜はカンナやノミの練習・技術の勉強。土日は「技能五輪全国大会」に向けての練習や新しい技術の習得に充て、休みは盆と正月のみ。
盆と正月は実家に帰り、墓参りや親孝行をします。実家では両親にゆっくりしてもらうため親の代わりに料理も作ります。
こんな修業期間を5年過ごし、試験に合格すれば「職人」として認められ家具作りをしますが、秋山木工にいられるのは通算8年だけだそうです。
丁稚修業を5年間し、その後3年間更に技術を高め8年経つと独立するか、他の会社に移るか、海外で活動するか進路は自由ですが、秋山木工に在籍できるのは8年間だけです。「一人前になったら辞めてもらう」システムなのです。
なぜ8年なのかというと、8年間で一人前の職人になった後が一番伸びる時期であり、その時期に色々な職場を体験し、多くの人と出会うことにより、より高度な技術や経験を積んで欲しいという思いがあるからです。
秋山社長の天命、「人育て、職人育て」の一端を見ることが出来ます。
入社して最初に「職人心得30か条」というものを、全員暗記し朝礼で唱和します。
一流を育てる秋山木工の「職人心得30か条」
1) あいさつの出来た人から現場に行かせてもらえます
2) 連絡/報告/相談の出来た人から現場に行かせてもらえます
3) 明るい人から現場に行かせてもらえます
4) 周りをイライラさせない人から現場に行かせてもらえます
5) 人の言う事を正確に聞ける人から現場に行かせてもらえます
6) 愛想よく出来る人から現場に行かせてもらえます
7) 責任を持てる人から現場に行かせてもらえます
8) 返事をきっちり出来る人から現場に行かせてもらえます
9) 思いやりがある人から現場に行かせてもらえます
10) おせっかいな人から現場に行かせてもらえます
11) しつこい人から現場に行かせてもらえます
12) 時間を氣に出来る人から現場に行かせてもらえます
13) 道具の整備がいつもされている人から現場に行かせてもらえます
14) お掃除・片付けの上手な人から現場に行かせてもらえます
15) 今の自分の立場が明確な人から現場に行かせてもらえます
16) 前向きに事を考えられる人から現場に行かせてもらえます
17) 感謝のできる人から現場に行かせてもらえます
18) 身だしなみの出来てる人から現場に行かせてもらえます
19) お手伝いの出来る人から現場に行かせてもらえます
20) 自己紹介が出来る人から現場に行かせてもらえます
21) 自慢の出来る人から現場に行かせてもらえます
22) 意見が言える人から現場に行かせてもらえます
23) お手紙をこまめに出せる人から現場に行かせてもらえます
24) トイレ掃除が出来る人から現場に行かせてもらえます
25) 道具を上手に使える人から現場に行かせてもらえます
26) 電話を上手にかける事が出来る人から現場に行かせてもらえます
27) 食べるのが早い人から現場に行かせてもらえます
28) お金を大事に使える人から現場に行かせてもらえます
29) そろばんの出来る人から現場に行かせてもらえます
30) レポートがわかりやすい人から現場に行かせてもらえます
人としての基本、それをしっかり叩き込むことの大切さを秋山木工に見ます。
時代と逆行しているかもしれませんが、どんな時代においても「人創り」の基本は変わりません。秋山木工のような会社を大切にしたいと思います。
非難するばかりでなく。
代表社員 前原 幸夫
2022年10月01日
今月の言葉!「今日は何の日」
「今日は何の日」
8月28日、認定NPO法人ヒカリカナタ基金の活動報告会がありました。
この基金は以前もご紹介しましたが、岡山盲学校の元教頭、竹内昌彦先生が設立され、モンゴル・キルギス・ミャンマー等で目の見えない子どもさんに手術代を援助し、手術して目が見えるようにするという基金です。私どもも認定NPO取得時からご縁を頂きささやかながらご支援申し上げております。もともと先生はモンゴルやキルギスに盲学校を建てていました。目の見えない人を教育し自立してもらうのが狙いでした。その活動をしているうちに実は目の不自由な子どもの中に手術をすれば見えるようになる子どもが大勢いることが分かったと言います。白内障で、日本円にして3万円の手術代が出せないため、盲人になっている子どもがいることを知った先生は、この基金を通じて現在485人の子どもたちに光を与えてこられました。
途上国に住む盲目の子どもたちに光を届けたい。
そして自分の眼で世界を見せてあげたい。
「届けましょうヒカリを 遥かカナタまで」
竹内先生の念願です。
その活動報告会で、一般社団法人日本記念日協会の理事長 加瀬清志氏の講演もありました。なんと「ヒカリをカナタに届ける日」の制定が8月25日に決まったとの事でした。記念日の認定があり、それを登録する団体があるとは驚きです。
そういえば点字ブロックの日もあるんだと言われました。道路や駅のホームでよく見かける点字ブロック発祥地は岡山の原尾島の交差点であり、その日は初めて敷設された1967年3月18日にちなみ、3月18日が点字ブロックの日だそうです。
「○○の日」というのはいっぱいあるなぁ。と感じています。
私の同級生で、平井でセルフうどん屋を経営している「名玄」はセルフうどん発祥の店として登録され、セルフうどんの日は10月8日ですし、税理士記念日は2月23日です。1年365日、毎日が「○○の日」です。それはカレンダーというものを人間が創り出したことによる文化です。
点字ブロックの日があることによりその由来や歴史を語り継ぐことが出来ますし、点字ブロックに益々意識が向き向上してゆきます。一年に一度の記念日を大切にしてゆきたいものです。
人間でいえば、「誕生日・結婚記念日・命日」これらが人生の大きな記念日だと思います。誕生日は自分がヒトとして生を受けた日、両親に産んでいただいた御礼と感謝を言い、立派な人間として生きる誓いを立てる日でしょう。結婚記念日は、良き伴侶を得たことに感謝し幸せな人生を二人して築いて行こうと誓い合う日なのかもしれません。命日は亡くなられた方を偲び、死を生に変える日なんでしょう。
ちなみに私は今年結婚40周年ですが、25周年は銀婚式、50年は金婚式、40年はルビー婚式らしいです。残念ながら妻にルビーの指輪は贈りませんでしたが、金婚式を目指してゆきます。
結婚記念日はどんなのがあるか調べてみました。
結婚1周年 紙婚式
結婚2周年 綿混式・藁婚式
結婚3周年 革(皮)婚式
結婚4周年 花婚式・書籍婚式
結婚5周年 木婚式
結婚6周年 鉄婚式
結婚7周年 銅婚式
結婚8周年 ゴム婚式・青銅婚式・電気器具婚式
結婚9周年 陶器婚式
結婚10周年 鍚婚式
結婚11周年 鋼鉄婚式
結婚12周年 絹婚式・亜麻婚式
結婚13周年 レース婚式
結婚14周年 象牙婚式
結婚15周年 水晶婚式
結婚20周年 磁器婚式
結婚25周年 銀婚式
結婚30周年 真珠婚式
結婚35周年 珊瑚婚式・翡翠婚式
結婚40周年 ルビー婚式
結婚45周年 サファイア婚式
結婚50周年 金婚式
結婚55周年 エメラルド婚式
結婚60周年 ダイヤモンド婚式
結婚65周年 碧玉婚式・ブルースターサファイア婚式
結婚70周年 プラチナ婚式
結婚75周年 ダイヤモンド金婚式
結婚80周年 樫婚式・オーク婚式
80周年「オーク婚式」は樫(かし)の木です。
仮死かと思いました(冗談です、失礼)が、実は樫が生活の様々なものの原材料として使われていることから「周囲の人たちに支えられて日々の生活を送れることに感謝する日」として名付けられたそうです。
オーク婚式を目指し、顔晴りましょう!
代表社員 前原 幸夫
8月28日、認定NPO法人ヒカリカナタ基金の活動報告会がありました。
この基金は以前もご紹介しましたが、岡山盲学校の元教頭、竹内昌彦先生が設立され、モンゴル・キルギス・ミャンマー等で目の見えない子どもさんに手術代を援助し、手術して目が見えるようにするという基金です。私どもも認定NPO取得時からご縁を頂きささやかながらご支援申し上げております。もともと先生はモンゴルやキルギスに盲学校を建てていました。目の見えない人を教育し自立してもらうのが狙いでした。その活動をしているうちに実は目の不自由な子どもの中に手術をすれば見えるようになる子どもが大勢いることが分かったと言います。白内障で、日本円にして3万円の手術代が出せないため、盲人になっている子どもがいることを知った先生は、この基金を通じて現在485人の子どもたちに光を与えてこられました。
途上国に住む盲目の子どもたちに光を届けたい。
そして自分の眼で世界を見せてあげたい。
「届けましょうヒカリを 遥かカナタまで」
竹内先生の念願です。
その活動報告会で、一般社団法人日本記念日協会の理事長 加瀬清志氏の講演もありました。なんと「ヒカリをカナタに届ける日」の制定が8月25日に決まったとの事でした。記念日の認定があり、それを登録する団体があるとは驚きです。
そういえば点字ブロックの日もあるんだと言われました。道路や駅のホームでよく見かける点字ブロック発祥地は岡山の原尾島の交差点であり、その日は初めて敷設された1967年3月18日にちなみ、3月18日が点字ブロックの日だそうです。
「○○の日」というのはいっぱいあるなぁ。と感じています。
私の同級生で、平井でセルフうどん屋を経営している「名玄」はセルフうどん発祥の店として登録され、セルフうどんの日は10月8日ですし、税理士記念日は2月23日です。1年365日、毎日が「○○の日」です。それはカレンダーというものを人間が創り出したことによる文化です。
点字ブロックの日があることによりその由来や歴史を語り継ぐことが出来ますし、点字ブロックに益々意識が向き向上してゆきます。一年に一度の記念日を大切にしてゆきたいものです。
人間でいえば、「誕生日・結婚記念日・命日」これらが人生の大きな記念日だと思います。誕生日は自分がヒトとして生を受けた日、両親に産んでいただいた御礼と感謝を言い、立派な人間として生きる誓いを立てる日でしょう。結婚記念日は、良き伴侶を得たことに感謝し幸せな人生を二人して築いて行こうと誓い合う日なのかもしれません。命日は亡くなられた方を偲び、死を生に変える日なんでしょう。
ちなみに私は今年結婚40周年ですが、25周年は銀婚式、50年は金婚式、40年はルビー婚式らしいです。残念ながら妻にルビーの指輪は贈りませんでしたが、金婚式を目指してゆきます。
結婚記念日はどんなのがあるか調べてみました。
結婚1周年 紙婚式
結婚2周年 綿混式・藁婚式
結婚3周年 革(皮)婚式
結婚4周年 花婚式・書籍婚式
結婚5周年 木婚式
結婚6周年 鉄婚式
結婚7周年 銅婚式
結婚8周年 ゴム婚式・青銅婚式・電気器具婚式
結婚9周年 陶器婚式
結婚10周年 鍚婚式
結婚11周年 鋼鉄婚式
結婚12周年 絹婚式・亜麻婚式
結婚13周年 レース婚式
結婚14周年 象牙婚式
結婚15周年 水晶婚式
結婚20周年 磁器婚式
結婚25周年 銀婚式
結婚30周年 真珠婚式
結婚35周年 珊瑚婚式・翡翠婚式
結婚40周年 ルビー婚式
結婚45周年 サファイア婚式
結婚50周年 金婚式
結婚55周年 エメラルド婚式
結婚60周年 ダイヤモンド婚式
結婚65周年 碧玉婚式・ブルースターサファイア婚式
結婚70周年 プラチナ婚式
結婚75周年 ダイヤモンド金婚式
結婚80周年 樫婚式・オーク婚式
80周年「オーク婚式」は樫(かし)の木です。
仮死かと思いました(冗談です、失礼)が、実は樫が生活の様々なものの原材料として使われていることから「周囲の人たちに支えられて日々の生活を送れることに感謝する日」として名付けられたそうです。
オーク婚式を目指し、顔晴りましょう!
代表社員 前原 幸夫
2022年09月01日
今月の言葉!「念ずれば花ひらく」
「念ずれば花ひらく」
今年7月9日から9月4日まで高梁市成羽美術館で、「−念ずれば花ひらくー詩人 坂村真民の世界」と題した特別展が行なわれており、私も先日行って参りました。
成羽美術館は、旧成羽町の時代に安藤忠雄の設計により平成6年に新築されています。
坂村真民先生(以下敬称略)は、明治42年(1909年)熊本県荒尾市で生まれ、8歳の時に小学校の校長をしていた父親を亡くし、一家の生活は急変、残された長男の真民を頭に5人の幼子を母が女手一つで育てたといいます。当時家は貧しく、しかし母は愚痴ひとつ言わず懸命に働き「念ずれば花ひらく」と唱えながら5人の子供を育て上げました。
真民の詩魂に火をつけ、詩道一筋に歩む原点が母親の存在にあったようです。
苦学し、昭和6年神宮皇学館を卒業、熊本の小学校の教師になります。25歳の時教員として朝鮮に渡り、昭和10年、26歳の時に久代(18歳)と結婚。昭和20年戦後朝鮮より引き揚げ一旦は熊本へ帰り、就職先を探したのですが見つからず愛媛県三瓶町の山下高等女学校にやっと職を見つけ、昭和21年幼子を連れ四国にやってきました。
初めは短歌を創っていたようですが、昭和25年、41歳の時、詩誌「ペルソナ」を創刊、詩人として歩み始めます。平成18年、97歳で亡くなるまで796冊にも及ぶノートに約1万篇の詩を残しています。
仏教詩人、国民詩人、心の詩人・・・いろいろ冠は付きますが、たぶんご本人は人に褒められようとか、詩で稼ごうとかそんな邪念は微塵もなく「人間としていかに生きるか」「本当の幸せとはなにか」を詩に見出そうとしていたのではないかと思います。
私が成羽美術館を訪れたとき、偶然幸いにも真民の晩年の生活の地、愛媛県砥部町にある坂村真民記念館の西澤館長がおられ、作品の案内もして頂きました。
西澤館長の奥様は、真民の三女 真美子さんです。奥様にもお会いでき本当にラッキーな一日でした。(二人の馴れ初めのお話も興味深いものがあるのですが)
以下、私の好きな詩を数点ご覧下さい。
「念ずれば花ひらく」
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
「かなしみはいつも」
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
「タンポポ魂」
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
「帯と愛」
体を結ぶものは帯
心を結ぶものは愛
「大事なこと」
真の人間になろうとするためには
着ることより
脱ぐことの方が大事だ
知ることより
忘れることの方が大事だ
取得するより
捨離することの方が大事だ
「しんみん五訓」
クヨクヨするな
フラフラするな
グラグラするな
ボヤボヤするな
ペコペコするな
「飯台」
何もかも生活のやり直しだ
引き揚げて五年目
やっと飯台を買った
あしたの御飯はおいしいねと
よろこんでねむった子供たちよ
はや目をさまして
珍しそうに
楽しそうに
御飯もまだ出来ないのに
自分たちの座る場所を
母親にきいている
わたしから左回りして
梨恵子
佐代子
妻
真美子の順である
温かいおつゆが匂っている
おいしくつかった沢あん漬けがある
子供たちはもう箸をならべている
ああ
飯台一つ買ったことが
こうも嬉しいのか
貧しいながらも
貧しいなりに育ってゆく子の
涙ぐましいまで
いじらしいながめである
「鳥は飛ばねばならぬ」
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
「たんぽぽのうた」
みんな
寒い寒いと
言っているが
何だか
ぽかぽか
してくるね
どうして
こんなに
俺たちだけが
ぽかぽか
してくるのかね
待っているからだよ
希望があるからだよ
そうだね
まったくそうだね
「尊いのは足の裏である」
1
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
2
頭から光が出る
まだまだだめ
額から光が出る
まだまだいかん
足の裏から
光が出る
このような方こそ
本当に偉い人である
「存在」
ザコはざこなりに
大海を泳ぎ
われはわれなりに
大地を歩く
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
コロナやウクライナ侵攻、色々な出来事があります。それが生きているということ。これが生きるということ。真民の詩はそんなことを教えてくれていると改めて感じています。97歳の真民はいまだ生きて、我々を叱咤激励してくれています。
ありがとうございます。
代表社員 前原 幸夫
今年7月9日から9月4日まで高梁市成羽美術館で、「−念ずれば花ひらくー詩人 坂村真民の世界」と題した特別展が行なわれており、私も先日行って参りました。
成羽美術館は、旧成羽町の時代に安藤忠雄の設計により平成6年に新築されています。
坂村真民先生(以下敬称略)は、明治42年(1909年)熊本県荒尾市で生まれ、8歳の時に小学校の校長をしていた父親を亡くし、一家の生活は急変、残された長男の真民を頭に5人の幼子を母が女手一つで育てたといいます。当時家は貧しく、しかし母は愚痴ひとつ言わず懸命に働き「念ずれば花ひらく」と唱えながら5人の子供を育て上げました。
真民の詩魂に火をつけ、詩道一筋に歩む原点が母親の存在にあったようです。
苦学し、昭和6年神宮皇学館を卒業、熊本の小学校の教師になります。25歳の時教員として朝鮮に渡り、昭和10年、26歳の時に久代(18歳)と結婚。昭和20年戦後朝鮮より引き揚げ一旦は熊本へ帰り、就職先を探したのですが見つからず愛媛県三瓶町の山下高等女学校にやっと職を見つけ、昭和21年幼子を連れ四国にやってきました。
初めは短歌を創っていたようですが、昭和25年、41歳の時、詩誌「ペルソナ」を創刊、詩人として歩み始めます。平成18年、97歳で亡くなるまで796冊にも及ぶノートに約1万篇の詩を残しています。
仏教詩人、国民詩人、心の詩人・・・いろいろ冠は付きますが、たぶんご本人は人に褒められようとか、詩で稼ごうとかそんな邪念は微塵もなく「人間としていかに生きるか」「本当の幸せとはなにか」を詩に見出そうとしていたのではないかと思います。
私が成羽美術館を訪れたとき、偶然幸いにも真民の晩年の生活の地、愛媛県砥部町にある坂村真民記念館の西澤館長がおられ、作品の案内もして頂きました。
西澤館長の奥様は、真民の三女 真美子さんです。奥様にもお会いでき本当にラッキーな一日でした。(二人の馴れ初めのお話も興味深いものがあるのですが)
以下、私の好きな詩を数点ご覧下さい。
「念ずれば花ひらく」
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
「かなしみはいつも」
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
「タンポポ魂」
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
「帯と愛」
体を結ぶものは帯
心を結ぶものは愛
「大事なこと」
真の人間になろうとするためには
着ることより
脱ぐことの方が大事だ
知ることより
忘れることの方が大事だ
取得するより
捨離することの方が大事だ
「しんみん五訓」
クヨクヨするな
フラフラするな
グラグラするな
ボヤボヤするな
ペコペコするな
「飯台」
何もかも生活のやり直しだ
引き揚げて五年目
やっと飯台を買った
あしたの御飯はおいしいねと
よろこんでねむった子供たちよ
はや目をさまして
珍しそうに
楽しそうに
御飯もまだ出来ないのに
自分たちの座る場所を
母親にきいている
わたしから左回りして
梨恵子
佐代子
妻
真美子の順である
温かいおつゆが匂っている
おいしくつかった沢あん漬けがある
子供たちはもう箸をならべている
ああ
飯台一つ買ったことが
こうも嬉しいのか
貧しいながらも
貧しいなりに育ってゆく子の
涙ぐましいまで
いじらしいながめである
「鳥は飛ばねばならぬ」
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
「たんぽぽのうた」
みんな
寒い寒いと
言っているが
何だか
ぽかぽか
してくるね
どうして
こんなに
俺たちだけが
ぽかぽか
してくるのかね
待っているからだよ
希望があるからだよ
そうだね
まったくそうだね
「尊いのは足の裏である」
1
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
2
頭から光が出る
まだまだだめ
額から光が出る
まだまだいかん
足の裏から
光が出る
このような方こそ
本当に偉い人である
「存在」
ザコはざこなりに
大海を泳ぎ
われはわれなりに
大地を歩く
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
コロナやウクライナ侵攻、色々な出来事があります。それが生きているということ。これが生きるということ。真民の詩はそんなことを教えてくれていると改めて感じています。97歳の真民はいまだ生きて、我々を叱咤激励してくれています。
ありがとうございます。
代表社員 前原 幸夫
2022年08月01日
今月の言葉!「凶弾はだれに命中するのか」
「凶弾はだれに命中するのか」
令和4年7月8日11時31分、奈良の近鉄大和西大寺駅前で安倍晋三元総理大臣は銃で背後から2発撃たれ亡くなられました。
「21世紀、令和の日本でこんなことが起きるのか」誰もがそう思ったに違いありません。公然と白昼堂々と近距離で大勢の人前で・・・あり得ない事件だと憤りと残念な思いでいっぱいです。
安倍氏は私より一年下の昭和29年9月21日生まれ、満67歳でした。
政界のサラブレッド中のサラブレッド。父は元外務大臣の安倍晋太郎氏、その父(祖父)は元衆議院議員 安倍寛氏、母洋子さんの父(母方祖父)は元総理大臣の岸信介氏、その弟は佐藤栄作氏という3代に亘る政治家一族です。
安倍氏の政治家としての最初の大仕事は、2002年官房副長官として小泉元総理の北朝鮮訪問に随行し、金正日総書記との会談に同席した時でしょう。この時安倍氏は「安易な妥協をすべきではない」と毅然とした対応を主張し、拉致被害者5人の帰国を実現し、北朝鮮との対話路線を唱える議員が多かった中、この5人を北朝鮮に一時帰国させる方針に頑強に反対し、日本に留めたことは大きな功績です。
その後、幹事長、官房長官等を歴任し、小泉内閣を引き継ぐ形で総理大臣になります。2度総理になられていますが、この一度目は若さが目立ち、地に足が付いていなかったように思います。
理想に燃え内政外交に果敢に取り組みましたが、相次ぐ閣僚のスキャンダルや体調の悪化で辞任に追い込まれました。さぞかし無念だったことでしょう。そして、自民党は政権を民主党に明け渡し、東北での大震災を経験し、2012年9月、当時野党であった自民党の総裁となり再び政権を奪取し、2回目の総理大臣になります。
この時は前回の経験も踏まえ、また下野していた時政策を暖めておいたのか、重厚さが目立ちました。どっしりとした受け答え、時にははぐらかし時には真正面から反論するという雄弁さも目立っていました。
東京オリンピックや大阪万博を招致し、アベノミクスといわれる大胆な金融緩和によるデフレ脱却をやってのけ、外交面でも各国首脳との積極的な交流を通し信頼関係を築き日本の相対的評価を高らしめたと思います。事実、死後各国の弔辞は儀礼を超えたものがあります。
首相通算在職日数は、歴代総理大臣中最長の2,887日を務め上げ2020年8月、再び体調不良により辞職されます。前回と違い、もちろん心残りは多少あったでしょうが、かなりの部分満足感の中での辞職のように見受けられました。
そして、今回の事件です。
私怨に満ちた暴漢による殺人。元総理大臣が無防備・無警戒で大勢の人前で白昼近距離から凶弾に倒れるなんて。まさかの連続です。
しかしこれは今の日本そのものを暗示しています。今の日本、どの国も攻めてこない周りの国々への警戒心もない。だれも国を守るという意識すらもない。
そんな日本人に対する警告のように思えてなりません。
ロシア・中国・北朝鮮・・・皆、日本を虎視眈々と狙っています。自衛隊任せ、アメリカ頼り、日本を守ることに日本人が他人事のように振舞い日本を守ることに無関心、無警戒、無防備な状態です。
「こんなことではだめだ! 日本人一人一人が日本を守るという決心・覚悟を持て」と安倍元総理は自分の命と引き換えに我々に教え悟しているように思います。
日本の防衛を自衛隊や日米安保にのみ任せているのではなく、日本人一人一人が日本を守るという氣概と責任と強い決心・覚悟を持たなければなりません。
安倍元総理の死はそれを我々に教えんがための命がけの遺言なのではと私は思います。日本を日本人が守らなくて日本として存在し続けることはあり得ません。
2,600年以上続く、この美しい国、日本を!!
代表社員 前原 幸夫
令和4年7月8日11時31分、奈良の近鉄大和西大寺駅前で安倍晋三元総理大臣は銃で背後から2発撃たれ亡くなられました。
「21世紀、令和の日本でこんなことが起きるのか」誰もがそう思ったに違いありません。公然と白昼堂々と近距離で大勢の人前で・・・あり得ない事件だと憤りと残念な思いでいっぱいです。
安倍氏は私より一年下の昭和29年9月21日生まれ、満67歳でした。
政界のサラブレッド中のサラブレッド。父は元外務大臣の安倍晋太郎氏、その父(祖父)は元衆議院議員 安倍寛氏、母洋子さんの父(母方祖父)は元総理大臣の岸信介氏、その弟は佐藤栄作氏という3代に亘る政治家一族です。
安倍氏の政治家としての最初の大仕事は、2002年官房副長官として小泉元総理の北朝鮮訪問に随行し、金正日総書記との会談に同席した時でしょう。この時安倍氏は「安易な妥協をすべきではない」と毅然とした対応を主張し、拉致被害者5人の帰国を実現し、北朝鮮との対話路線を唱える議員が多かった中、この5人を北朝鮮に一時帰国させる方針に頑強に反対し、日本に留めたことは大きな功績です。
その後、幹事長、官房長官等を歴任し、小泉内閣を引き継ぐ形で総理大臣になります。2度総理になられていますが、この一度目は若さが目立ち、地に足が付いていなかったように思います。
理想に燃え内政外交に果敢に取り組みましたが、相次ぐ閣僚のスキャンダルや体調の悪化で辞任に追い込まれました。さぞかし無念だったことでしょう。そして、自民党は政権を民主党に明け渡し、東北での大震災を経験し、2012年9月、当時野党であった自民党の総裁となり再び政権を奪取し、2回目の総理大臣になります。
この時は前回の経験も踏まえ、また下野していた時政策を暖めておいたのか、重厚さが目立ちました。どっしりとした受け答え、時にははぐらかし時には真正面から反論するという雄弁さも目立っていました。
東京オリンピックや大阪万博を招致し、アベノミクスといわれる大胆な金融緩和によるデフレ脱却をやってのけ、外交面でも各国首脳との積極的な交流を通し信頼関係を築き日本の相対的評価を高らしめたと思います。事実、死後各国の弔辞は儀礼を超えたものがあります。
首相通算在職日数は、歴代総理大臣中最長の2,887日を務め上げ2020年8月、再び体調不良により辞職されます。前回と違い、もちろん心残りは多少あったでしょうが、かなりの部分満足感の中での辞職のように見受けられました。
そして、今回の事件です。
私怨に満ちた暴漢による殺人。元総理大臣が無防備・無警戒で大勢の人前で白昼近距離から凶弾に倒れるなんて。まさかの連続です。
しかしこれは今の日本そのものを暗示しています。今の日本、どの国も攻めてこない周りの国々への警戒心もない。だれも国を守るという意識すらもない。
そんな日本人に対する警告のように思えてなりません。
ロシア・中国・北朝鮮・・・皆、日本を虎視眈々と狙っています。自衛隊任せ、アメリカ頼り、日本を守ることに日本人が他人事のように振舞い日本を守ることに無関心、無警戒、無防備な状態です。
「こんなことではだめだ! 日本人一人一人が日本を守るという決心・覚悟を持て」と安倍元総理は自分の命と引き換えに我々に教え悟しているように思います。
日本の防衛を自衛隊や日米安保にのみ任せているのではなく、日本人一人一人が日本を守るという氣概と責任と強い決心・覚悟を持たなければなりません。
安倍元総理の死はそれを我々に教えんがための命がけの遺言なのではと私は思います。日本を日本人が守らなくて日本として存在し続けることはあり得ません。
2,600年以上続く、この美しい国、日本を!!
代表社員 前原 幸夫
2022年07月01日
今月の言葉!「日下企業経営相談所」
先日、所用で熱海に行きました。往復の新幹線も金曜土曜ということもあり満席に近い状態。熱海の駅もごった返すというありさまでした。2年半続いたコロナによる経済停滞もようやく回復の兆しが見えてきたように思います。
思えばこの2年半、金利や返済不要のコロナ融資で資金を賄い、雇用調整助成金や家賃補助金さらには各種給付金でなんとか切り抜けている会社も多いことでしょう。しかし、2年前に借りた緊急融資の返済はこれから始まります。ウクライナや円安の影響で物の値段は上昇あるいは物自体が入らない状況が続く中で経営の舵取りが益々厳しくなってきています。
そんな中7月より「日下経営研究会」なるものを発足させます。これは元金融庁監督地局域金融企画室長の日下智晴先生を中心に税理士5人、銀行マン5人、経営コンサルタント5人の合計15名で勉強会を立ち上げるものです。事の発端は昨年日下先生が金融庁を退庁され郷里広島へ戻られたと聞き、今年6月1日私どもの創立記念日に講演会を企画したことでした。不躾にもFacebookを検索しメールし、お会いするアポを取りました。昨年11月「広島駅の星乃珈琲に朝7時にいるのでそこで会いましょう」との返事が来ました。朝7時に広島へ行くには当日移動では間に合いません。前泊し次の日に星乃珈琲でお会いしました。
残念ながら講演会は応諾頂けませんでしたが、先生は勉強会なら岡山へ行っても良いと話されました。人間には人間ドック
があり、身体の悪いところを見つけ処方箋を書き、病院やクリニックで手当てし治療するが、企業にはそういう仕組がない。
それを作りたいというものでした。私も即座に賛同し、仲間を集めますので、ぜひ日下先生にご来岡頂くという約束をし帰岡しました。
3月は確定申告があり、私の手に原因不明の痛みがあったりで準備が大幅に遅れ、この度発足に漕ぎつけました。
日下先生はもともと広島銀行の行員でした。金融庁の森長官に懇願され金融庁に入り、初代地域金融企画室長として地域金融の改革の方向付けをしたお方です。
それまでの金融機関が貸出をする際重視しているものは担保や保証人であり十分に返済可能な財産の引き当てでした。
しかし、日下先生は担保・保証人に偏っている金融行政を中小企業の事業の内容や成長可能性まで適正に評価し、融資や助言を行い、企業の成長を支援してゆくものであり、そうすることで地域経済の発展を促進させようとするものでした。この取り組みを現在各金融機関は積極的に行っています。
不良債権を整理し、強い金融機関を創り上げスムーズな融資を積極的に行なえる環境を作ろうとした今までの方針と180度違い、まず融資先の中小企業を成長・発展させ、それにより地域金融機関を強くするという転換に日下先生は尽力されました。
金融機関が貸出先の中小企業の事業性評価を行なおうとすれば、日頃から企業の経営実態の把握が必要であり企業を日常的に理解し時にはアドバイスや相談に乗るといったお金の貸借を超えた日常的な付き合いが必要となります。今までの単なる財務分析的、定量的な企業評価ではなく、中小企業の特性を加味した評価方法になりました。この方針転換に当たり、日下先生の果たした役割は大きなものがありました。
地域金融機関出身の日下先生だから出来たと思います。しかし、その裏には先生のDNAがあります。先生のお父様は税理士でありおじい様は経営コンサルタントだったということを今回初めて知りました。
先生の名刺を頂いた際、表題にあります「日下企業経営相談所」の文字が古臭く(失礼)現代的ではないと感じ質問したところ昭和初期におじい様が使っていた看板の文字そのものを使用しているということでした。3代に亘り地域の中小企業の成長・発展を心より願うそんなDNAを感じました。
日下先生の念いである地域中小企業の活性化・再生・再構築・持続的発展の一助となるよう15名の勇士が研究・努力する会にしたいと念願しております。
70歳を前に、私のライフワークの1つに出会った思いです。
これからの人生も顔晴ります。
代表社員 前原 幸夫
2022年06月01日
今月の言葉!「常識」
「常識」
今年6月1日で、昭和60年(1985年)開業以来満37年(数え38年)になります。思えば遠くに来たものだと思いますが。その間様々なことがありました。
平成元年前後のバブル時代、消費税の導入、失われた20年と言われるデフレ時代、リーマンショック、阪神・東日本大震災・・・
この間税務を取り巻く環境も変わりました。そして多くの節税と称される手法や商品も開発され、その度に国税局の網が被せられイタチごっこの有様でした。私は税法の前に常識があるとよく言ってきました。「江川の一日」のようなものです。
法律上いくら適法であってもその行為が常識とかけ離れておれば、それは常識に従う方が正しいと思っています。今回その通りの事件がありました。
北海道札幌市に住む90歳のご老人が亡くなる3年前に借入をして東京都内のタワーマンションを約8億で、又神奈川県のマンションを5億で買い、94歳でお亡くなりになりました。そして相続人は9か月後(相続税の申告期限を待たずに)マンションの一つを5億円で売却しました。タワーマンション2室を購入することにより本来納めるべき2億円の相続税はゼロになりました。
これに国税局は反発しました。
確かに、タワーマンションを相続税の評価通達通りに評価すれば、購入価格13億円の財産がなんと3億円となり、10億円の節税効果が得られます。そして、納付税額はなしになりました。
土地・建物は原則時価(実際の取引価格)で評価するのが建前ですが、現実には時価が不明です。公平性を重視する税法は一定の計算方法を示し我々も100%これに従って申告しています。この相続人もこの計算方法に従ったまでで相続税額がゼロになっても何も違法な特例な計算をしている訳ではないのです。
問題は13億のマンションが一夜にして(相続税の計算となれば)3億になってしまうこのカラクリ及びその背景にある納税者の意図が問題だったのでしょう。
今年4月19日、最高裁で判決があり、このマンションは12億7千万円が正しいとして、相続税3億円以上の追徴が確定しました。
★北海道に住んでいる90歳を超えたご老人が10億円を超える借金をしてマンションを経営するのか。13億の買い物をするのに、現物を見にも行っていないではないか
★しかも、ご老人が亡くなる直前に購入し、相続が発生してから一室はすぐ売却している。ずっと持っておくものではないのではないか
★相続税額をゼロにするというのは行き過ぎている
等々このタワーマンションの購入は90歳の所有者が自発的に購入するというより、2人の相続人(子)が、相続税を無理やり(不当に)減少させるための行為であって正常な経済活動ではないという見解なのでしょう。
ある意味納得のいく判決であり、まさに常識的な判決だと思います。これからも様々な取引があります。保険を使ったり金融商品を使ったり、このように不動産を使ったり。要は節税という名を借りた租税回避行為は後を絶ちません。常識の範囲内がどこなのか一定の判断基準が必要です。これは不変です。その線引きは難しいものがありますが、常識を磨くという当り前のことを当たり前にやりたいものです。
代表社員 前原 幸夫
今年6月1日で、昭和60年(1985年)開業以来満37年(数え38年)になります。思えば遠くに来たものだと思いますが。その間様々なことがありました。
平成元年前後のバブル時代、消費税の導入、失われた20年と言われるデフレ時代、リーマンショック、阪神・東日本大震災・・・
この間税務を取り巻く環境も変わりました。そして多くの節税と称される手法や商品も開発され、その度に国税局の網が被せられイタチごっこの有様でした。私は税法の前に常識があるとよく言ってきました。「江川の一日」のようなものです。
法律上いくら適法であってもその行為が常識とかけ離れておれば、それは常識に従う方が正しいと思っています。今回その通りの事件がありました。
北海道札幌市に住む90歳のご老人が亡くなる3年前に借入をして東京都内のタワーマンションを約8億で、又神奈川県のマンションを5億で買い、94歳でお亡くなりになりました。そして相続人は9か月後(相続税の申告期限を待たずに)マンションの一つを5億円で売却しました。タワーマンション2室を購入することにより本来納めるべき2億円の相続税はゼロになりました。
これに国税局は反発しました。
確かに、タワーマンションを相続税の評価通達通りに評価すれば、購入価格13億円の財産がなんと3億円となり、10億円の節税効果が得られます。そして、納付税額はなしになりました。
土地・建物は原則時価(実際の取引価格)で評価するのが建前ですが、現実には時価が不明です。公平性を重視する税法は一定の計算方法を示し我々も100%これに従って申告しています。この相続人もこの計算方法に従ったまでで相続税額がゼロになっても何も違法な特例な計算をしている訳ではないのです。
問題は13億のマンションが一夜にして(相続税の計算となれば)3億になってしまうこのカラクリ及びその背景にある納税者の意図が問題だったのでしょう。
今年4月19日、最高裁で判決があり、このマンションは12億7千万円が正しいとして、相続税3億円以上の追徴が確定しました。
★北海道に住んでいる90歳を超えたご老人が10億円を超える借金をしてマンションを経営するのか。13億の買い物をするのに、現物を見にも行っていないではないか
★しかも、ご老人が亡くなる直前に購入し、相続が発生してから一室はすぐ売却している。ずっと持っておくものではないのではないか
★相続税額をゼロにするというのは行き過ぎている
等々このタワーマンションの購入は90歳の所有者が自発的に購入するというより、2人の相続人(子)が、相続税を無理やり(不当に)減少させるための行為であって正常な経済活動ではないという見解なのでしょう。
ある意味納得のいく判決であり、まさに常識的な判決だと思います。これからも様々な取引があります。保険を使ったり金融商品を使ったり、このように不動産を使ったり。要は節税という名を借りた租税回避行為は後を絶ちません。常識の範囲内がどこなのか一定の判断基準が必要です。これは不変です。その線引きは難しいものがありますが、常識を磨くという当り前のことを当たり前にやりたいものです。
代表社員 前原 幸夫

