2022年05月01日

今月の言葉!「明日は我が身」

「明日は我が身」

 
ロシアは2月24日突然ウクライナに攻め込み戦争が始まりました。この21世紀にまさかという思いがしますし、ウクライナ市民の犠牲者は増えるばかり。国際社会はウクライナに対し支援をすると同時にロシアを厳しく非難しています。
 ウクライナはかつてロシアを中心とするソ連の構成国でしたが、ソ連が崩壊したことで独立し、今のゼレンスキー政権は親欧米派であり、NATOへの加盟を目指していました。ロシアと国境を接し古くからロシアとの一体性が強いウクライナがNATOに加盟しロシアと敵対することをプーチンが許さなかったことが原因とはいえ、主権国であるウクライナに武力をもって侵攻・侵略するなどもってのほか、許されるはずはありません。
 当初プーチンはクリミヤと同じく、1週間もあれば首都のキーウ(キエフ)を落としウクライナを制圧できると見込んでいました。それもそのはず約20万人のロシア兵が投入され130の大隊に分れ、ベラルーシからウクライナの北部に侵攻し南下する北方ルート、ドンバス地方から侵攻する東方ルート、そしてクリミア半島から北上する南方ルートの3方向に分れて一氣に攻め込んだのですから。
しかし、ウクライナ軍は勇敢でした。特に首都キーウへの北方ルートは完全にウクライナ軍が持ちこたえロシア軍を撤退へと追い込みました。
 ロシア軍の兵站(後方支援)のまずさ、特に食料や燃料の補給ルートの未整備が撤退の一因とも言われていますが、私はウクライナ兵とロシア兵の士氣の違いがなにより大きかったと思います。これだけの強大な戦車・軍隊、強大な兵力・軍事力を以てすれば、ウクライナなんぞ朝飯前という心に隙のあるロシア兵と、まさに命がけ、命を捨てても母国や家族を守ろうと必死の抵抗を試みるウクライナ兵とでは闘いの勝敗は火を見るよりも明らかです。

 日本人は、戦後アメリカの教育を受け「命よりも大切なものはない」と叩き込まれました。自分の「命」が一番大切でありこれに勝ものはないと。確かに命は大切なものであり決して粗末にしてはいけません。
しかし、この大切な命を懸けて守るべきものはこの世に多く存在します。命を懸けるに値するもの、命を懸けるに価値のあるもの、そのためには命を失くしても良いとするものです。愛する人のため、家族のため、自らが経営する会社のため、日本国のため・・・多くあるはずです。
 今、ウクライナの人々は計り知れない犠牲者を出し、想像を絶する困難な状況におかれています。しかし、すべての国民は自分の国を守るため、自分の子孫を守るために立ち上がり銃を手にしロシアに立ち向かっています。
 それに引き換え我々日本人はどうでしょう。
ロシアの侵攻は対岸の火事ではありません。ロシアとウクライナという特別な地域の特殊な出来事でもありません。明日は我が身です。
 その守りを自衛隊任せにしている風潮があります。もちろん日本の防衛は自衛隊がその中心ではありますが、日本国民全員が国を守る、愛する家族を守るという氣概が必要です。国や家族を守るために命を懸けようという覚悟が必要です。
 ロシアは北海道を狙い、北朝鮮は核で脅し、中国は台湾そして沖縄を狙っています。
まさに日本はちょうどよい標的です。地図を逆さにすれば日本列島はロシア・北朝鮮・中国からみれば不沈空母。邪魔な存在です。日本を侵略したいと思うのは当然です。
明日は我が身です。

一方、今回のロシアの侵攻に対して、国際社会の経済制裁が行なわれています。エネルギー(石油・石炭・天然ガス等々)の多くをロシアに依存しているヨーロッパ、日本の諸国は及び腰です。こんな暴挙は絶対許さない。国際的な秩序の枠組から外れた国は武力だけではなく、経済的にも破滅することを立証する必要があります。そのためには少々国民が辛い思いをしようと経済的にダメージを受けようともっともっと厳しい制裁をロシアにかけてゆくべきです。
岸田首相はロシアから石炭の輸入を禁止しました。これを高く支持しますが、もっともっと厳しい手が必要です。それは当然制裁をする国にも多くのダメージをもたらすでしょう。しかし今が踏ん張りどころロシアの暴挙を、目論見を阻止するために命を懸けて立ち上がる必要があります。それがウクライナを支援することであり、日本を守ることです。
 今こそ命がけの時です!!
代表社員 前原 幸夫
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2022年04月01日

今月の言葉!「決心と決断」

「決心と決断」

 先月3月25日で満69歳になりました。古希です。昔、人生50年という時代70歳まで生きるというのは相当長命でしたし、「古より稀なり」です。しかし、人生100年の現代、まだまだ古希は高齢者の入り口に過ぎません。これからの生き方で晩年が決まる。そんな思いです。
 そこで、一つの決心と、一つの決断をしました。「決心」とはこうしようとやることを決めること。「決断」とは断つこと。すなわちやめること、断つことを決めることです。 

 一つの決心とは税理士法人久遠の後継者です。開業以来皆様方のお陰様で事務所も岡山に2か所、倉敷・里庄そして今年は笠岡に設ける予定であり、社員数もグループで80名になろうという規模にまで成長させて頂きました。
 古希という大きな節目、このグループを率いてもらう若きリーダーを指名致しました。リーダーとして税務知識はもちろん最低限必要ですが、これから10年先、20年先を見通し、戦略を立て、社員を一つに束ねリードしてゆく人間力が必要です。行き先の分からないバスには誰も乗りたくありません。しっかり行き先や途中の停留所を明示し、バスを先導してゆくリーダーシップが必要です。
 ここ2〜3年考えてきましたが、1人の男性税理士に決め、社員に発表しました。彼は43歳、10年ほど前に当社で勤務していたのでが、現在は彼の父の経営している会計事務所に勤務しており、直ぐに久遠に入社というわけには行きませんので、じっくり時間をかけ後のやり方、あり方を詰めてゆこうと思っています。
決定次第、本人の紹介も兼ね皆様にご報告致します。

 また、一つの決断とは車を手放すということです。これもここ5年くらい考えていたことでが、昨年12月母が亡くなり玉柏の実家には私と妻と二人住まいになりましたし、これを機に車に乗らない生活に挑戦しようと思います。5年前軽い脳梗塞を患い、別に身体は不自由なところは無いのですが、目が少し見えない部分があり、運転中アッと思うこともたまにあります。池袋で元通産相の高級官僚が暴走事故を起こし、90歳にして収監されるという事件がありました。まさに「晩節を汚す」です。


人生の最後を・・・と思うと他人事ではありません。又、ライフスタイルを見直すという良いきっかけにしたいと思っています。
 岡山市内の中心部に部屋を借り、バスやタクシーで移動(時には自転車)。SNS・Zoomをフル活用し新しいビジネススタイルが出来ないか考えています。まさに実験です。
(どうしても車が必要なら妻の車を使います)

 人生には3つの幸せがあるといいます。
人生100年時代。産まれてから30歳くらいまでは他人様にしてもらう幸せを感じるときです。両親・学校の先生・職場や地域の人々、いろんな人々に迷惑をかけながら様々な教育を受け成長してゆきます。
 そして、その教えを知恵に変え60〜70歳くらいまでは自分でできる幸せを感じる期間だと思います。自分で意思決定し、自分の足で立ち、自らのために行動してゆく期間です。
 それから老後、今までのような動きは出来なくなり体力は確かに低下してゆきます。活動量も低下せざるを得ないでしょうが、60年、70年蓄えた知力・判断力・洞察力…等々経験や知識・知恵を思う存分世の為人の為に活用することは出来ます。もっともっと人のお役に立ちたいという、人のために出来る、人のためにさせて頂く幸せを感じる時代があるのではないかと思っています。私の場合、車を捨て50年税務や経営に携わった知識・経験・知恵を皆さまのためにお役立てすることこそこれからの人生の生きがい、やりがいだと確信しています。
 社員と食事をしたり、Zoomで交流したり、時には自転車で乗り付けたり、一社一社丁寧に問題と向き合い税理士として本来の志事を遂行してゆく所存です。
 新しいライフスタイル、ビジネススタイルを行なうため車を捨てる決断をしました。
ご不便をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願い致します。


代表社員 前原 幸夫
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2022年03月02日

今月の言葉!「慈母」

「慈母」

 昨年12月19日、私の母が他界しました。91歳でした。
晩年は寝たきりで、週5日ショートステイ、週2日は我が家で介護という生活だったのですが、12月17日、介護施設から救急車で病院に運ばれ、19日未明に死亡するというあっけない幕切れでした。入院した日たまたまた病院の近くで仕事をしていたもので、直後病院に顔を出しましたが、思いのほか元氣で、これなら年を越せるな、と思いましたので、急変には驚き、まさかという感じでした。
 母は昭和5年2月12日真備町のドが付くほどの田舎に生まれました。父親を早くなくし1男5女の子だくさん。10歳で前原へ養女として入りました。
前原の養父母は母と同じ昭和5年に女の子を出産したのですが、その子(花子)が早逝し、それから10年間子どもができないので母を養女にしたそうです。養女になった途端、母の弟が産まれました。母は生前「私は友一の面倒をみるために養子になったようなものだ」と言っていました。母が10歳の頃から友一を背負って小学校へ通ったと言います。その後、昭和27年私の父が前原の養子となり私が産まれたということです。
 私はこの話の中で一つ不思議に思い母に尋ねたことがあります。母が養女になり、前原家の長男友一が産まれたのだから母はその時前原家には不要ではなかったのかという疑問です。長男友一が産まれた時、養父は母に言ったそうです。「お前が来てくれたから友一は産まれた。お前は福の神だ」と。
 養父は私が小学校に入る時に亡くなり、あとは養母と母の女の闘いでした。私が物心ついた時には、養母と母のケンカはものすごく、しかもしょっちゅうでしたので、後になって何が福の神かと思いました。私が中学校に入る頃私の父は製麩業を独立して事業を始めました。創業当初はお金もなく、母のアルバイトでパートの女性の給料を払ったといいます。それから50年母は働き詰めの人生を送ってきました。
父・母・パートの女性一人という家内工場です。朝早くから夜遅くまで麩を焼き、袋詰めをし、田畑もありましたので、休日には稲作や枇杷、桃、梅の手入れ、3人の男兄弟を育てながらですからその大変さは想像を絶します。本当に働き詰めの人生だったと思います。
 母が亡くなった直後、短歌を30首詠みました。拙歌ですがご覧下さい。

代表社員 前原 幸夫


『救急で 入院せし母泣くじゃくる 病室なれどあの世に見えしか』
『病院へ 見舞いし母は涙ぐむ 二度と帰れぬ我が身思うか』
『母見舞う 人は三人選べという 血の濃さのみでは役に立たぬか』
『救急で 母施設から病院へ 家には戻れぬ旅の始まり』
『一年が 終わろうとする師走月 母の命も暦通りか』
『コロナにて 入院せし母会えぬ孫 帰省も叶わずラインに手合わす』
『正月は 孫やひ孫に会えるよと 元氣づけしが母年越さじ』
『思い出す 母の小言と叱る声 心配しすぎか我かけすぎか』
『臨終の にぎる母の手暖かく まだ生きてると医者を見上げる』
『九十年 働き続け母は逝く 親の使命か女の意地か』
『どれにする 遺影の写真探しつつ 若かりし日の母蘇る』
『これいいね ありし日の父母お揃いの 浴衣でくつろぐ旅の思い出』
『父逝きて 一七年目に母が追う あの世で再び夫婦げんかか』
『先立ちし 父が見かねて母まねく よくがんばったよ側に来休めと』
『寝たきりの 母の介護を妻一人 よくぞやりしと遺影ほほえむ』
『ゆかんして 白き着物に紅きべに 死出の準備の母美しき』
『死化粧 淡く塗られし母の顔 選びし遺影にまさる若さか』
『通夜式を 終えて一人式場に 母と最期の一夜を過ごす』
『あす出棺 母との最期二人きり 甘まえて添い寝す幼き頃の』
『棺桶の 母を飾らん美しき ありったけの花摘んでたむけん』
『火葬場の 喪主のつとめかスイッチを 母に感謝とお詫びで廻す』
『母の骨 これはあれはと説明が 空ろに聞こゆ箸もふるえて』
『行くときは 四人でかかえし母なれど 骨なりし後我一人抱く』
『新年の あいさつはなし母の喪に 寒中見舞いにあわてて代えり』
『葬式も 初七日も過ぎし今やっと 悲しみ心にあふれて出ずる』
『母の愛 なくして想うその広さ その深さ未だ我は見えざり』
『難産で 我を産みにし母なれば あの世からさえ我を導く』
『病弱の 我を懸命育てしか 「かあちゃんおかげでこんなに元氣」』
『逝く母に 感謝を込めてありがとう あなたの愛には全く足らぬが』
『古希なりて 残り少なき人生を 完全燃焼亡き母に誓う』
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2022年02月01日

今月の言葉!「そうなった贈与税」

「どうなった贈与税」

 昨年の本氣5月号「どうなる贈与税」で贈与税の抜本的な改正が令和4年に行われるのではないかとお知らせしましたが、結局「令和4年税制改正では改正されず検討を継続」することになりました。
 令和3年度の税制改正大綱では

「諸外国では、一定期間の贈与や相続を累積して課税すること等により資産の移転のタイミング等にかかわらず、税負担が一定となり、同時に意図的な税負担の回避も防止されるような工夫が講じられている。
 今後、こうした諸外国の制度を参考にしつつ、相続税と贈与税をより一体的に捉えて課税する観点から、現行の相続時精算課税制度と暦年課税制度のあり方を見直すなど、格差の固定化の防止等に留意しつつ、資産移転の時期の選択に中立的な税制の構築に向けて、本格的な検討を進める。」


とあり、令和4年の改正によりその内容と施行日が明示されると推測していましたが、はずれてしまいました。
 菅政権から岸田政権に変わり今夏の参議院選挙も睨んだのか、検討継続ということになりました。しかし、改正はしないのではなく検討を継続し改正を行なうことには変わりありません。
 近々贈与税の改正が行なわれるという前提で贈与を考えてゆく必要があります。
また、昨年12月31日で期限が来た住宅取得等資金の贈与は令和5年12月31日まで2年間存続します。 非課税限度額は1,000万円と下がるものの、受贈者の年齢は、成人年齢の引下げに伴い18歳以上となります。
贈与税の改正の方向性については、2つの考え方があります。
一つは、毎年110万円の基礎控除のある暦年贈与を廃止し生前贈与は全て相続時に加算し相続税を課税するというもの。
もう一つは、暦年贈与は残し相続人が亡くなる一定期間(今は3年)内の贈与は相続財産に含めて相続税の課税を強化するものの2つです。(例えば10年とか15年とか)
 前者の場合、改正前に贈与した財産が相続財産に加算されることはないでしょうが、後者の場合、改正前の贈与は対象外にするか、相続財産に加算するかは議論を持たなければなりません。



いずれにせよ(後者の場合であっても改正前の贈与は加算されない可能性もあるため)今年も贈与をしっかり実行してゆくことが大切です。
 改正が来年かもしれません。110万円という非課税枠に囚われることになく多額の贈与を行なうことも必要になります。
 両親と子ども2人の家族で、父が亡くなり母が1/2相続(母は相続税0円)し、残りを子ども2人が1/4づつ相続したとした場合、3億円の課税財産のある方だと、子どもに510万円ずつ贈与し、贈与税50万円×2人=100万円納めても、相続税は510万×17.5%=892,500円となり、892,500円−500,000円=392,500円×2人=785,000円節税となります。詳しい計算は略しますが、以下のようになります。

 相続人が配偶者と子ども2人の場合
課税価格1億円 1人1,100千円の贈与で2人で2,200千円贈与で  166千円節税
課税価格2億円 1人3,100千円の贈与で2人で6,200千円贈与で  376千円節税
課税価格3億円 1人5,100千円の贈与で2人で10,200千円贈与で 786千円節税
課税価格5億円 1人7,100千円の贈与で2人で14,200千円贈与で1,218千円節税

 配偶者がおらず子ども2人が相続人の場合
課税価格1億円 1人3,100千円の贈与で2人で6,200千円贈与で  530千円節税
課税価格2億円 1人7,100千円の贈与で2人で14,200千円贈与で 2,460千円節税
課税価格3億円 1人11,100千円の贈与で2人で22,200千円贈与で 4,680千円節税
課税価格5億円 1人16,100千円の贈与で2人で32,200千円贈与で6,290千円節税


残された時間はあまり多くないかもしれません。
110万円の枠に囚われず、自らの相続財産と相談して贈与を検討してみる必要があります。

代表社員 前原 幸夫
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2022年01月05日

今月の言葉!「新年あけましておめでとうございます」

新年あけましておめでとうございます


昨年の終盤、ワクチン接種等の対策が功を奏したのか、コロナの新規感染者数が激減し、少し安堵していたところ年末からオミクロン株などという新種が発生し、世界を騒がせています。これら変異株はウィルスの特徴であり変異するのが当たり前だという前提で右往左往せずどっしりと地に足をつけて参りましょう。
コロナが発生してから早や2年近くになります。「もういい加減に」という思いは世界中が持っていると思います。しかし、これからが踏ん張りどころです。自分一人が苦しい訳ではありません。皆苦しみや我慢の真っ只中です。今年こそ差をつけるチャンス。マラソンでは35`過ぎです。ここからゴールまでいかに踏ん張り、いかに駆け抜けるかで勝負が決まります。弱音は禁物です。必ず打つ手はあります。いや、打つ手を打ち続けることです。打つ手を打てる手を次から次へと繰り出しこの難局を乗り切って参りましょう。
5Dは禁句です。(だって、でも、どうせ、だめだめ、出来ない)
 我々中小企業は、いつ・いかなる時でも事業を成長発展させる必要があります。なぜなら会社の存在、成長発展と自分の人生とはほとんどイコールだからです。いい人生、素晴らしい人生を送るためには自社企業の成長発展は必要条件です。
 コロナであろうと地震や風水害が来ようと、それをチャンスと捉え前に向かってゆかなければなりません。そのために、この2年間やってきたことに更に磨きをかけましょう。店にお客様が来られないならテイクアウトや宅配、ネット販売と様々な努力をこの2年間皆様方はやってこられました。この新しい種をもっと大きく実らせる必要があります。しかも、コロナが治まり日常に戻れば従前の商いも販売スタイルも復活させなければなりません。
コロナ以降生まれた新しいビジネスモデルとコロナ以前からの旧いビジネスモデルとの共存、どちらも共生させなければなりません。


 今までの2倍の労力・手間が必要です。休んでいる暇はありません。24時間働けとは言いませんが、効率よく優先順位をつけ、生産性をあげなければなりません。
 もう一つ、「捨てる覚悟」も必要です。事業の棚卸をすることです。商品・お客様・社員・仕入先・等々・・・
優先順位をつけ下位にランクされるものは切ることも必要です。コロナ前後のビジネスモデルが共存する中、膨らんだ業務・商品・お客様・商圏・販売法など・・
伸ばすべきは伸ばし、捨てるべきものは捨てる。そんな一年になると思います。
経営者にとって日々の経営に真面目に取り組み全身全霊を尽くすだけでは50点です。5年、10年先を見据えたビジョンも同様に創りあげなければなりません。将来の商売の種蒔きも大切な仕事です。
5Dは禁物(どうせ、だって、でも。だめ、出来ない)!
やらない言い訳ばかりするのではなく、今ここが最大のビッグチャンスと捉え、やってやってやり抜く、打つ手を打って打って打ち続けることです。


苦しい時代だからこそ笑顔で乗り切りましょう
 我が社も昨年庭瀬に岡山西支社を立ち上げ、今年は笠岡市にも支社を出す予定です。税務署OBの方等の新しい税理士も補強してゆく予定です。益々お客様の身近でよりお客様に寄り添える会計事務所を目指し精進して参ります。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

代表社員 前原 幸夫

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2021年12月01日

今月の言葉!「ルーズベルトニ興フル書」

「ルーズベルトニ興フル書」

 昭和16年(1941年)12月8日、あの真珠湾攻撃から、今年は80年目にあたります。アメリカは日本との戦争を睨み、ハワイ・オアフ島にオアフ要塞と呼ばれる強固な基地を作りました。今でいう敵地攻撃を山本五十六は決意し、大東亜戦争の火蓋が切って落とされました。
 その後、戦況はご存じの通り、昭和20年8月15日敗戦を迎えることになるのです。その戦争末期昭和20年3月、硫黄島で玉砕戦死した市丸利之助海軍少将が玉砕寸前の硫黄島で時のアメリカ大統領ルーズベルトに宛てた「ルーズベルトニ与フル書」が今もアナポリス博物館に保管されています。まさに市丸少将の遺言です。以下、口語訳で全文をご紹介します。

私は今、わが戦いを終えるに当たり、一言あなたに告げることがある。
日本がペリー提督の下田入港を機会に、広く世界と国交を結ぶようになってから約百年、この間、日本の国の歩みは困難をきわめ、自ら望んだのではないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争を経て、不幸にもあなたの国と戦争するに至った。
これによって日本を見て、あるいは好戦的国民だとし、あるいは黄禍だと言って貶め、あるいは軍閥の専断だとする。考えの足りないこと甚だしいと言わざるを得ない。
あなたは真珠湾の不意打ちを、対日戦争唯一の宣伝材料としているが、日本が自滅を免れるためこの行動に出るほかない窮地にまで追い詰めた諸種の情勢は、あなたの最もよく熟知しているところだと思う。
おそれおおくも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、正義・明智・仁慈を三つの原則とする、八紘一宇[天下を一つの屋根の下に]の文字によって表現される統治の計画に基づいて、地球上のあらゆる人間にその分に従い、その郷土において、生まれながらの生きる権利を認め、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願となさっているのに他ならない。



かつての「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」[私は世界中が皆兄弟姉妹だと思っているのに、なぜ戦乱が起こるのだろうか]という明治天皇の和歌(日露戦争中の作)は、あなたの叔父セオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を呼んだところであり、あなたもまた熟知の事実であるはずだ。
私たち日本人はそれぞれ階級がある。さまざまな職業に従事しているが、結局はその職業を通じてこの天皇の統治の計画、つまり天皇の仕事を補佐しようとするのに他ならない。
われわれ軍人もまた、武器を使って天皇の仕事を広めることをつつしんで承っているに他ならない。
私たちは今、物量に頼ったあなたの空軍の爆撃と艦砲射撃の下、外形的には後退するのやむなきに至っているが、精神的にはいよいよ豊かになり、心はますます明朗になり、歓喜を抑えられないものがある。
これは天皇の仕事を補佐するという信念に燃える日本国民共通の心理であるが、あなたやチャーチル氏らの理解に苦しむところだろう。今ここにあなた方の精神的貧弱を憐れみ、以下一言しばらく教えさとそうと思う。
あなた方のすることを見れば、白人とくにアングロサクソンで世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現の前に奴隷化しようとするに他ならない。
このために卑劣な策をもって有色人種を欺き、いわゆる悪意の善政によって彼らの本心を失わせ無力化しようとしている。
近世に至り、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、とくに東洋民族をあなた方の束縛から解放しようと試みたところ、あなた方は少しも日本の真意を理解しようと努めることなく、ただあなた方にとって有害な存在だとして、かつての友邦を仇敵野蛮人と見るようになり、公然と日本人種の絶滅を叫ぶようになった。これは果たして神の意思にかなうものだろうか。
大東亜戦争によっていわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、その中の各民族は私たちの善政を謳歌し、あなた方が今これを破壊することがなければ、全世界にわたる恒久的平和の到来は決して遠くない。

あなた方はすでに十分な繁栄にも満足することなく、数百年来のあなた方の搾取から逃れようとするこれら憐れむべき人類の希望の芽をなぜ若葉のうちに摘み取ろうとするのか。
ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。
あなた方はどうしてこのように貪欲でしかも狭量なのか。
大東亜共栄圏の存在は、少しもあなた方の存在を脅かさない。むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものであり、日本天皇の真意もまったくこれ以外にないことを理解する雅量が[あなた方に]あることを希望してやまないものである。
翻って欧州の事情を観察しても、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛嘆せざるをえない。
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次欧州大戦開戦の原因が第一次欧州大戦終結に際して、その開戦の責任のいっさいを敗戦国ドイツのせいにし、その正当な存在を極度に圧迫しようとしたあなた方の先輩の処置に対する反発に他ならなかったことは看過してはならない。
あなた方がよく戦って、ヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリンを首領とするソ連と協調しようとするのか。
およそ世界を強者の独占するものにしようとすれば、永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。
あなた方は今、世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方の得意は想像できる。しかしながら、あなた方の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。
願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないことを。
市丸海軍少将
【Wikipedia「ルーズベルトニ与フル書」より】

 戦後の私たちが小学校や中学校で習った近代史は、戦後アメリカによって作られた近代史です。真珠湾攻撃から80年。我々日本人から見た大東亜戦争に対する見方も必要なのではないでしょうか。新たな史記を構築するためにも…
代表社員 前原 幸夫
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2021年11月01日

今月の言葉!「努力」

「努力」

 「努力」などという言葉を久しく耳にしていないし、今では死語になったのかと思っていましたが、オリンピック・パラリンピックを見て「努力」という言葉を再認識致しました。もちろん選手のみならず、晴れの舞台しかもコロナで1年以上延期された舞台を作った人々の努力も素晴らしいものであったと思います。メダルを取った選手は周囲の人々へ感謝の言葉と今までの努力、そしてそれが報われたことに対する喜びの言葉を口々に発しています。
 柔道女子78キロ超級金メダリストの素根輝選手は身長が163センチと重量級では小柄なため男子選手と稽古をくり返すなど「人の3倍は努力する」というのが口癖だったと言います。水泳の池江璃花子選手などもいい例です。
 パラリンピックの選手などは肉体的ハンディキャップを乗り越えて手や足、目や耳が不自由でも走り、泳ぎ、ボールを追い、車いすに乗り競技をする選手たちには想像を絶する努力の日々があったことを感じずにはおられませんでした。
 そんな折、毎月送られてくる雑誌『致知』の11月号のテーマがなんと「努力にまさる天才なし」というテーマで、その文字が飛び込んで来ました。『致知』は毎月毎月テーマに即した人が登場し対談形式で構成されていますが、本誌を捲り目に留まったのが、ボクシングの村田諒太選手と保険代理業で伝説的な数字を挙げた金沢景敏(かなざわ あきとし)氏の対談でした。現在、WBA世界ミドル級スーパー王者の村田選手と保険営業マンとの異色の対談です。
 村田選手はスポーツマンですから、練習などにおけるその努力は本人曰く「妥協せず自分との戦いに勝利し、人より1%プラスの101%の努力をしたからたまたま運とか縁に恵まれた」と振り返りました。

 金沢さんの営業成績は紙面には出てきませんでしたが、対談の内容から推測するに、年間5億円程度の生命保険手数料収入を挙げていたようです。(今は生命保険業を辞め生涯価値を最大化するお仕事を起業されています)
 なぜそのような成果を生命保険業界で出せたのか金沢さんは言います。「どんな営業マンよりも人に会っているからだ」と「会っている人の数は一番多いという自信がある」とそして「まず母数が絶対に必要」
すなわち数が必要ということです。人に会う量、電話をかける量、手紙やハガキを出す量、その量があって質や確率も上がってゆきます。最初は足し算であったものが、一定の量を超えると掛け算になります。
 ランチェスターの法則にも成果=質×量2という法則があります。量は2乗で効いてくる。人が8時間働くところを12時間、1.5倍働けば、1.5倍の成果ではなく、1.52=2.25倍の成果になるといいます。(スーパーマーケット等の店舗面積がいい例で、イオンなどがバカでかいスーパーを郊外に作ります。2倍の面積なら4倍の売上があるということです)
 金沢さんは続けて、誰よりも人に会おうとすれば、起きている時間にしか会えないわけで、起きている時間は人に会い、人が寝ている時に仕事をし、入社1年目で日本一になって以来、8年間ずっと会社に寝袋で寝泊まりをしていたといいます。何がなんでもやるという自己決定力が大事だと言います。
 私も前出の二人やオリパラ選手の足元にも及びませんが「やったなぁ」と今思い出すことが一つあります。

 それは大学3年から4年に上がる3月の事、高校2年から税理士を目指していたにも拘らず学生運動華やかなりし折、学校も開いてないしアルバイト三昧。氣がつけば大学3年が終わろうとしていた時、ふとこれではダメだと税理士試験の勉強を始めました。
2月の終わりから3月いっぱい、夕方5時に起き一晩中勉強し、朝8時ごろに寝る。そしてまた夕方5時頃起きるという昼夜逆転した生活を一カ月超したことがあります。ある日の真夜中、今まで解らなかった会計学がストンと腹に入りました。「あっこういうことか」一瞬のブレークスルーです。悶々としていたものが霧が晴れて行くように解決できました。おかげさまで大学4年の8月に受けた税理士試験2科目に合格(3年間遊んでいたにも関わらず)あのブレークスルーは多分徹底的に勉強したから起こったものだと思います。中途半端ではなく徹底的に一つのことに打ち込むことにより奇跡的なことは起こるのかもしれません。


 今コロナで未曽有の経営を強いられている中小企業の皆さん、
今が踏ん張りどころです。弱音や愚痴を言う時間などありません。全身全霊をかけて経営に取り組むことです。徹底的に経営と向き合うことです。「今それをやらなければ、いつやるか」です。
「努力にまさる天才なし」 運命を切り開くは己である。境遇を作るもまた自分である。己が一切である。努力がすべてである。
やればできる!!です。


代表社員 前原 幸夫
posted by 前原幸夫 at 11:27| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月01日

今月の言葉!「喜んで…」


「喜んで…」


法人税率の推移.jpg

上のグラフは法人税率の推移です。数字は法人税(国税)のみのもので、これに法人事業税と法人市・県民税(地方税)が上乗せされます。
 私が事務所を開業した昭和の時代、ある社長さんが「法人税は利益の90%が課税される」と言われたことがあります。その会社はかなり利益を上げていた会社でしたので、約40%の法人税プラス地方税、その頃、留保金課税というものもあり60%を超える法人税を支払い、かつ半年後その1/2、30%の予定納税を支払わなければならないということで、90%の税率だと言われたのでした。なるほど。経営者の感覚からすれば汗水垂らして稼ぎ出した利益に対し、半年間で90%もの税金が課かる、なんとも口惜しい思いをされてのお言葉だったと思います。


しかし、今やご覧の通り法人税は23%程度となり、地方税を入れても35%くらい。中小法人の年800万円以下の部分については20%そこそことかなり低くなりました。
以前は高い法人税を避けるため、社長の給与をしっかり上げ、法人の利益を低く抑えるということが一般的でした。しかし、今や社長が給与を上げればそれに課かる所得税・住民税、そして社会保険料の負担が大きくなり、かえって不利になるケースもあります。
 法人税率が半減する中、社長の給与を多額にし法人の利益を圧縮することより、むしろ適正に社長の給与は支給し、法人に利益が残れば喜んで法人税を支払う時代が来ました。
 企業は社会の公器であり、社員やお客様の幸せのみならず市や県、そして日本国のために存在し、市や県・国を豊かにする義務責務を負っています。また、企業の様々な経済活動をする上に社会の資本を使っていることは明白です。道路・港湾という社会的インフラだけでなく様々なサービスを企業は受けています。それらに対するお返しが「税」です。喜んで法人税を支払い、残りを内部留保し、強靭な企業体質を構築する時代が来ました。
 それだけではありません。毎月毎月、給与という形で受けるより、しっかり内部保留した資金を20年、30年後退職金という形でもらう方が社長が支払う税金としても安く、手取りは大きくなります。
 細かい計算は省略しますが、今の給料に毎月25万円増額し20年間給与という形で支給し続けた場合と、25万円もらわず(下げて)20年後(25万×12カ月× 20年=6,000万円)をまとめて退職金という形で受けた場合を比較したものが次項の表になります。退職金には社会保険の負担もありませんから、約1,100万円の差が出てきます。


比較表.png

 もう法人税を恐れ、嫌う時代ではありません。喜んで法人が利益を出し、喜んで税金を支払い、喜んで内部留保に努め、喜んで強い経営体質を創る時代です。
でも、そんなに内部留保したら相続税も大変だし、その内部留保にあとあと課税されるのではとおっしゃる方がおられるかもしれません。
その方には後継者が居て、内部留保の積み上がった法人を継承してゆく場合には事業承継税制でその株式に係る相続税・贈与税を納税猶予するという特別措置も出来ました。
 又、後継者が居なくて、会社を手離さなければならない場合、いわゆるM&Aを行う場合その内部留保に価値があり高い金額で会社を買ってもらうことが出来ます。しかもその株式の譲渡益に課かる所得税は20%です。80%は手取りとなります。
なんとハッピーなことではありませんか。
 コロナもそろそろ終息に向かうことでしょう。
さぁ!もう一度会社を起し、スタートを切ったその燃えるような創業の精神で、しっかり利益を出し、喜んで納税し、喜んで内部留保し、喜んで会社を強くし、喜びに満ち溢れた人生を送りましょう。
 それが、喜びに満ち溢れた強い日本を創ることにもなるのですから。

代表社員 前原 幸夫
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2021年09月01日

今月の言葉!「難、有るを喜ぶ」


「難、有るを喜ぶ」

 コロナの猛威の中、子どもたちの夏休みが終了しました。私が小学生の頃、春には山に入り陣地を作り、チャンバラで攻め合う、花見というものがあり、夏はお寺に集まって水神様という行事、秋はお宮の境内で奉納相撲を中心とした秋祭り、冬は今年一年の豊作に感謝する畑(はたけ)讃嘆(さんだん)と、四季それぞれに行事がありました。そこには常に神仏と共に生きる生活があったのです。
 コロナで大変な苦しみを受けている今こそ、この日本の古来からの風習の考え方を見てみたいと思います。
 日本は八百万(やおよろず)の神々がおられると信じてきました。本居宣長は「すぐれたるもののみを神というのではない、悪いもの奇(あや)しきものなど世にすぐれて畏(かしこ)きをば神というなり」と記し、カミは上であり至高至貴の意味ではなく、人の上に立つものを皆カミと称えました。
 したがって国の神、自然界の神、文化的な神、様々な神様を我々日本人の祖先は祭り崇めてきたのです。
その中には死神や禍神、貧乏神も神としてあるのです。なぜこのような神が存在するのでしょうか。それは、死や災い、貧苦、苦難に対する日本人の考え方、苦難観によるものです。
 病氣や死、災害、貧苦・・・苦難はいっぱいあります。一つ解決したらまた一つ現れます。災害もそうです。地震・水害・風害・干ばつ、様々な災いが毎年毎年日本列島を襲います。コロナもその一つです。 

 苦難観については現在様々なものが日本中に拡散されています。
例えば・・・
@ 人の不幸災難は前世の罪咎による業(ごう)の報いである。したがって現在の苦難はあきらめるしかなく、仏に帰依し、来世は極楽浄土に行くよう努力しようとする方法
A 人は始祖以来罪人であり、苦難も当然であり神の御前に懺悔し罪を詫び全能の神にすがり許しを乞うより外ないという考え方

B 苦難こそ人間を玉成しめんとする天の試練であり敢然とこれに当たり鍛錬修養の好機と捉えるという考え方
C 病は細菌、貧困は怠惰、災害は自然現象であり、不可抗力なものであり人力をもってはいかんともし難いものであるという考え方
大雑把に言えば、@は因果応報的 Aは原罪 Bは修身 Cは現象的・近代的な苦難観です。
 様々な苦難の見方はありますが、我が日本人本来の考え方は上のいづれにも属さずこれらとは全く異にするものです。

 それは、宇宙の原理原則にその実生活を当てはめたものでした。すなわち全てに両面がありそれを認めること、それを合一することにより宇宙は磨き高まってゆくという考え方です。「生き」あるいは「息」という言葉自体「行く(いく)(吐く)」と「来る(きる)(吸う)」という全く相反する行為のおかげで我々は酸素を取り入れ、体内の不要なものを排出して成長進化しているのです。
 宇宙は波動です。昼夜のめぐり、月の満ち欠け、四季のめぐり、雨が降りその地上の水分が熱せられ空に舞い上がり、又地上に雨となって降りてくる。「空に上がることと空から降りてくる」この両方がなければ我々は存在できないし、この両方のおかげ様で我々は生きて行き進歩発展できるのです。
 宇宙の意志はこの波動を通し、良きものになってくれ、良き宇宙に成長発展してくれという願いにも似た、確固たるものです。
 この世に存在するものは、一方が悪く一方が良いというものはないのです。どちらも良いのです。晴れの日もいいし、雨の日もいい、金のある日も良いし、金のない日も又よしです。どんな悪人でも「もっと悪くなろう」と思って生きている人はいません。人は生きている限りもっと幸せになろう。もっと善人になろうと生きているはずです。その過程の一つとして罪を犯してしまうのかもしれません。




コロナをはじめ様々な苦難が私たちを襲います。しかし、その苦難は私たちを苦しめたり、貶めたりするものではなく少し方向が違うぞ、今改めなければだめだぞという天の、あるいは宇宙の赤信号、警報のようなものです。
 例えば車が故障している時の異常音やボンネットから出る煙のようなものです。
もしエンジンやブレーキが故障していてもなんの異常音、なんの煙異変がなかったら車の故障に氣付かず運転を続けます。そして、大事故に繋がってゆきます。大事故にならないように、異常音や煙で運転者に車の不調を知らせてくれているのです。
 苦難もそれと同じです。自分の生活のあやまりに行いの不自然なところ、これを諫め知らせてくれる天の啓示です。だとしたらその苦難(病氣、災難、貧苦・・・)をありがたく受け、自ら真正面から立ち向かいその苦難の原因を一つ一つ取り去ってゆかねばなりません。そして、その苦難の向こうには光明、歓喜の舞台が用意されています。

 苦難は自分の眼前に立ちはだかる壁ではありません。ドアです。ノブも付いています。「エイッ」とノブを回し精一杯の力でドアを開けましょう。きっとその向こうに素晴らしい明日・未来があるはずです。
 それが宇宙の真理であり、我々日本人の祖先の教えだからです。
  
代表社員 前原 幸夫
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2021年08月02日

今月の言葉!「藤田神社」

藤田神社

 岡山の方で、「藤田傳三郎」という名を知らない人はいないと思います。児島湾の干拓を行ったことで有名であり、この干拓地に作られた村には「藤田」の名が付けられ、今でも「岡山市南区藤田」としてその名は残っています。
 そして、この干拓事業の成功と干拓地の守護神として、大正4年藤田神社がこの地に建立されました。つい最近、藤田神社の今井宮司とご縁を頂き、又7月3日藤田傳三郎の生誕180周年の記念行事が行われるというので、私も協賛させて頂き、祝賀会にも参加して参りました。

 私は藤田傳三郎が児島湾干拓に尽力したことぐらいは知っていましたが、より身近に感じたのは今から10年くらい前の東北(みちのく)一人旅の折でした。盛岡に用事があり前泊してレンタカーを借り十和田湖へ行き、その帰途道路標識に「小坂」という地名を目にしました。
 小坂は秋田県にあり、むかし金や銀の採れる鉱山であり私の妻の父親がここで働いており、私の妻も小坂で生まれ2歳頃まで住んでいた地でした。それほど遠くないので行ってみようと思い、少し寄り道をしました。
 小坂の町へ行ってびっくりしました。なんと明治時代から金や銀、そして銅や亜鉛の生産で栄え山の中へ多くの労働者を集める必要があったためアパート、劇場、映画館、芝居劇場、病院や鉄道など近代的なインフラが整備されこれらは今も立派に保存され一大観光地となっていました。
 その豪華な建物の一つに小坂鉱山の旧事務所があり、そこに小坂鉱山の歴史が展示されていました。何氣なく入ったそこに、なんと藤田傳三郎の名前がありました。1884年(明治17年)それまで明治政府直営だったものが、傳三郎が経営する藤田組に払い下げられたのでした。
「なるほど!」すごく腑に落ちた瞬間でした。
藤田組(のちの同和鉱業)が経営する小坂鉱山に義父が就職し、そこで義母と出会い2人の娘が産まれ、そして、傳三郎が干拓した岡山の地に彼自身が経営する同和鉱業の工場を作り、妻の両親は幼子2人を連れて秋田県から岡山県へ引越し、岡山で成長し私と出会ったということが。
私と藤田傳三郎が繋がった瞬間です。

そして、傳三郎のことについてもっと知りたいと思い、書物をあたりました。今大河ドラマで渋沢栄一をやっていますが、傳三郎は渋沢栄一に負けない商才ある実業家でした。
傳三郎は1841年(天保12年)山口県萩市に生まれ、高杉晋作に師事し明治政府の高官との人脈を活かし様々な企業を興します。軍靴製造は後のリーガルに、フジタ観光、東洋紡、南海電鉄、大成建設、山陽鉄道、毎日新聞、三菱UFJに関西電力。
そしてその中心が藤田組、現DOWAホールディングです。五代友厚のあと大阪商工会議所第2代会頭にもなっています。

そして、その財を元に1899年(明治32年)児島湾の干拓に着手。
5,500町歩(5,676ha)の広大な海を1区から7区に分け、藤田組の単独事業の5区までが1950年(昭和25年)に完成。農林省との共同事業である6区、7区が完成したのは、着工以来65年経った1963年(昭和38年)であったといいます。
 まだコンクリートも無い時代、粗朶や捨石により堤防を海の中に築き、又その堤防が工事の最中底なしの干潟の泥に埋まるという難工事。傳三郎は私財を投入し、借金を重ねながら工事を進めていったといいます。又、干拓地の水を供給するため昭和25年、国は児島湾を締め切り、海水を遮断し巨大な淡水湖(当時世界第2位)を作り、田畑の用水を確保できるようにしました。

 傳三郎の手で海が農地となった5,500町歩の田には、今、田植が終り、青々とした苗がゆっくり風に煽られ揺らいでいます。
 傳三郎に感謝するように。

代表社員 前原 幸夫
 
posted by 前原幸夫 at 16:49| 今月の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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